内閣府の『我が国と諸外国の青年の意識に関する調査』(2013年度)のローデータが,昨日メールで送られてきました。7か国,7431人分のデータセットです。
http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/thinking/h25/pdf_index.html
昨日からこのデータの分析を楽しんでいます。分析結果の図は,随時ツイッターにて発信しておりますが,単発のグラフを取りとめもなく発信するだけというのはいただけません。脈絡のある話(story)をつくることも必要。ブログは,こういう用途に使おうと考えています。
前々回は,わが国の青年層が抱いている主観的な将来展望が,他国に比して思わしくないことをみました。新聞等では,現時点での満足度云々がいわれますが,私としては,こちらのほうが問題なのではと思っております。人間にとって希望は重要。前途ある青年にとっては,なおさらです。
さて,ローデータを使うことで,この設問への回答が属性によってどう違うかを分析できます。本調査の対象は13~29歳の青年層であり,多様な発達段階を含みますが,年齢によって希望の量がどう変化するかを明らかにしてみました。
注目したのは,Q7「自分の将来に明るい希望を持っているか」という設問であり,用意されている回答の選択肢は,①持っている,②どちらかといえば持っている,③どちらかといえば持っていない,④持っていない,の4つです。
下の図は,最も強い否定の回答である④の比率を年齢層別にみたものです。7か国について,希望のない青年の率が,加齢に伴いどう変異するかを見て取ることができます。
日本では,10代から20代前半にかけて,将来に希望を持てない者の率がぐんぐん伸びています。20代の前半では,およそ5人に1人が「将来に希望がない」と明言しています。学校から社会への移行期と重なっているのも,何だか象徴的ですね…。
青年期の希望剥奪現象と命名しておきましょう。他の社会は曲線の傾斜がなだらかであり,まあ徐々に現実を知るという類のものでしょうが,わが国の場合は,希望が剥奪されるという形容がふさわしいのではないかと思います。
今の日本では,20代の前半といえば「学校から社会への移行期」ですが,大量の「お祈りメール」で希望を根こそぎ剥奪するシューカツというイベントがあることを思うと,さもありなんです。
なお,青年期の希望は「生まれ」とも関連しています。父親の学歴によって,13~29歳の青年層の「希望なし」率がどう違うのかを分析してみました。
父親の学歴が低い群ほど,希望なし率が高い傾向にあります。学歴と所得は相関するでしょうから,貧困と無希望の関連が可視化されているとも読めるでしょう。これがホンマの希望格差。他国に比して,わが国ではこういう現象も顕著です。
出身階層によって,客観的なライフチャンス(到達学歴,職業…)が異なるのはよく知られていますが,希望のような主観面の格差にも目を向ける必要がありそうです。
人間は社会的な存在ですが,各人が置かれた社会的条件によって,「希望」の量がどう変異するか。これまでは,「 」内に学力とか幸福度とかいう語が入ることが多かったのですが,希望の規定要因分析のような研究も要請されるところです。これぞ,希望の社会学。
『我が国と諸外国の青年の意識に関する調査』のローデータ分析を継続いたします。皆様,梅雨に入り気が滅入る日が続きますが,よい週末を。