昨日,子ども時代の体験の多寡が将来の年収に影響するという趣旨の記事を見かけました。引用されているデータは,国立青少年教育振興機構の『子どもの体験活動の実態に関する調査研究』(2010年)です。
http://news.livedoor.com/article/detail/9599645/
http://www.niye.go.jp/kenkyu_houkoku/contents/detail/i/62/
調査の原資料をみてみると,なるほど,子ども期の体験の量は成人後の年収だけでなく,資質や能力の面をも規定していることが知られます。
「何事も経験」といいますが,各種の体験は子どもの人格形成に好ましい影響を及ぼすであろうことは,疑い得ないところです。豊かな体験は,見せかけではない,生きた学力(文科省がいう「確かな学力」)の源泉にもなり,高い教育達成をもたらし,ひいては将来の成功にもつながる。こういう経路も想起されます。
言わずもがな,子ども期の体験の量は人によって違いますが,それが当人の意向や自発性とは別の外的な条件によって規定される場合,単なる差ではなく,「格差」という問題事象であることになります。体験の中には,お金のかかるものもあります。また,保護者の文化的な嗜好によって,アクセスの可能性(頻度)が大きく制約されるものもあるでしょう。
私は育ちが悪いと自認していますが,子どもの頃,美術館や音楽会などに連れて行ってもらったことはありません。家族での海外旅行経験もゼロ。大学に入り,教育社会学を勉強するようになって,「ああ,こういうことだったんだな」と,自分の子ども期を理解しました。
はて,子どもの体験量の差は,家庭環境と関連しているのか。この問題を解いてみたいと思い,総務省『社会生活基本調査』(2011年)の公表統計を眺めたところ,ズバリ関連するデータがありました。小学生の各種行動の実施率を,家庭の年収別に集計した表です。
http://www.stat.go.jp/data/shakai/2011/index.htm
いくつかの行動を取り出してグラフをつくってみたところ,きれいな「右上がり」の折れ線ができるものが多々ありました。目ぼしい15の行動のグラフをご覧に入れましょう。以下に掲げるのは,家庭の年収別にみた,小学生の過去1年間の体験率です。
学校の授業や宿題とは別の自発的な学習,スポーツ(学校の授業は除く),芸術鑑賞(テレビやDVDは除く),読書,海外旅行の実施率ですが,富裕層の子弟ほど率が高いことが分かります。この図で描かれているのは,家庭環境と結びついた体験格差の一断面です。
海外旅行経験の階層差は経済力の反映でしょうが,学習・読書・芸術鑑賞のそれは保護者の文化嗜好の差によるでしょうね。成人の趣味・嗜好が職業によって異なることは,9月7日の記事でもみたところです。
あと,スポーツ実施率の階層差にも注目。水泳の実施率は,Ⅰの層では46.6%ですが,マックスのⅥの層では66.4%にもなります。費用のかかるスポーツクラブ等への加入率の差によるかのかもしれません。1月23日の記事では,子どもの体力格差現象を明らかにしたのですが,そこでの知見とも合致します。
学力や体力だけでなく,体験という側面においても,社会階層と結びついた格差が存在することが示唆されます。「①高い社会階層 → ②豊かな体験 → ③確かな学力 → ④高い教育・地位達成」というループも存在していそうです。
①と③の狭間には,通塾などの教育投資や教育熱心な養育態度などが挿入されがちですが,ペーパーで測られる学力の規定因子としては,確かにそれらが強いでしょう。しかし最近は,行動力や問題解決力などをも包含する「確かな学力」が重視されています。こういう意味の学力の育成には,上記のような「豊かな体験」がモノをいう度合いが高いのではないでしょうか。
これから先,社会階層と学力の関連を橋渡しする媒介要因として,今回取り上げたような体験格差の側面に注意する必要があるように思います。今後,大学入試も人物重視の方向に切り替えられるそうですが,面接で評される仕草や立ち振る舞いというのは,幼少期からどういう体験を積んできたかに規定されるもの。ペーパーの学力よりもはるかに,です。
最近,貧困家庭の子弟の通塾を援助する実践が行われていますが,全ての子どもに対し,さまざまな体験の機会を意図的に提供すること。こちらのほうにも重点をおくべきではないかと,個人的には思います。