2012年2月14日火曜日

教員給与の国際比較

1月29日の記事でみたように,わが国の教員の給与は,同学歴の全労働者よりも低くなっています。次なる関心事は,このことは,わが国の特徴であるのかどうかです。今回は,日本の教員給与の国際的な位置を明らかにしてみようと思います。

 OECDが毎年発刊している"Education at a Glance"の2010年版には,2008年における各国の教員の年収額(ドル)が掲載されています。また,教員給与が,25~64歳の高等教育終了学歴の労働者に比してどうかという,相対水準も知ることができます。下記サイトのIndicator D3の表から数字をハントできます。
http://www.oecd.org/document/52/0,3343,en_2649_39263238_45897844_1_1_1_1,00.html#d

 下表は,その統計を整理したものです。OECD加盟の25か国のデータが掲げられています。日本の相対水準の欄はペンディングになっていましたので,代替措置として,2007年の月収比較の数字を充てています。教員給与の出所は文科省『学校教員統計調査』,25~64歳の大卒労働者の給与の出所は厚労省『賃金構造基本調査』です。


 日本の教員給与の額は,小・中・高とも,4.87万ドルです。OECD平均を上回っており,25か国のランクでみても,順に3位,4位,8位と,高水準にあるようです。同学歴の労働者と比した相対水準をみると,こちらも,日本の値は平均水準を凌駕しています。ただ,ランクはやや落ちて,10位,9位,12位という具合です。

 日本の位置を診断しますと,教員給与の絶対水準は「高」,相対水準は「やや高」といったところでしょうか。しかし,右欄の相対倍率をみて驚きなのは,ほとんどの国で,教員給与が民間を下回っていることです。1.0を超える数字は赤色にしていますが,赤色はほんのわずかしかありません。

 教員給与の相対的な低さというのは,日本の特徴というわけではなさそうです。下には下がいるようで,アイスランドやハンガリーでは,教員給与は比較対象のほぼ半分という有様です。大国アメリカはほぼ6割。その一方で,スペインのように,教員給与の高さが際立っている国もあることに注意が要ります。

 最も人数が多い小学校教員のデータを視覚化(visualize)してみましょう。下図は,縦軸に年収額,横軸に対民間の相対倍率をとった座標上に,25か国をプロットしたものです。点線は,OECDの平均値です。絶対水準と相対水準のマトリクス上における,各国の位置が分かるかと思います。


 右上に位置するのは教員の待遇がよい国,左下はその逆ということになります。ハンガリー,ポーランド,チェコといった東欧諸国では,教員がやや冷遇されているようです。でも,同じ東欧のデンマークは,右上のゾーンにあります。学力調査上位常連のフィンランドは普通というところです。

 日本は右上のゾーンにありますが,ドイツはさらにその上をいっています。民間と比べた相対水準の1位は,先ほど述べたようにスペインです。唯一,倍率が1.0を超えています。同じ南欧のポルトガルやイタリアとは違う位置にあることが注目されます。

 余談ですが,ユネスコが「教員の地位に関する勧告」を採択したのは,1966年の10月です。「教育の進歩における教員の不可欠な役割,ならびに人間の開発および現代社会の発展への彼らの貢献の重要性を認識し,教員がこの役割にふさわしい地位を享受することを保障」(前文)せんがために採択されたものだそうです。また,「教員不足の問題」の解決も意図していたそうな。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo8/gijiroku/020901hi.htm

 勧告の中身をみると,「教員の地位は,教育の目的,目標に照らして評価される教育の必要性にみあったものでなければならない」,「教育の仕事は専門職とみなされるべきである」,「教員の労働条件は,効果的な学習を最もよく促進し,教員がその職業的任務に専念することができるものでなければならない」など,興味深い内容が盛り込まれています。

 このような理想に比して現状はどうかというと,やや寂しい思いがします。世界を見渡せば,教員不足の問題が深刻な国もあることでしょう。今の日本ではそういうことはありませんが,教員のモラール(志気)という点でいうとどうでしょうか。

 1月26日と29日の記事にコメントを下さった,埼玉県の先生は,「名誉職だと思ってがんばっていきます」と述べておられました。今の学校現場は,教員のこうした(健気な)心意気に支えられている面がさぞ強いこととでしょう。しかし,教員の離職率の上昇に示されるように,教員の脱学校兆候も強まってきています。その基底には,教員の社会的地位の曖昧さという,古くて新しい問題が横たわっているものと思われます。