前回は,PISA2009の生徒質問紙調査の結果をもとに,学校で学んだことに対する生徒の評価が,国によってどう違うかを明らかにしました。また,国際データにおけるわが国の位置も知りました。
そこで分かったのは,日本の15歳の生徒(高校1年生)は,これまで学校で学んだことをあまり高く評価していない,ということです。15歳の生徒にとって「これまで学校で学んだこと」とは,義務教育学校で学んだこととほぼ同義でしょう。
私は,4つの項目への生徒の反応を合成して,一つの尺度(measure)を構成したのですが,項目それぞれへの反応を仔細にみてみると,他国との差が出ているのは,「学校なんて時間の無駄だった」に対する意識であることが分かりました。
「時間の無駄」とはなかなか手厳しい文言ですが,わが国の生徒がこの項目にどう反応しているかは,他国とかなり違っています。下図は,わが国を含む7か国の生徒の反応分布です。無回答,無効回答は除外しています。( )内は,各国のサンプル数です。
日本の場合,全体の33.6%が「とてもよくあてはまる」と答えています。15歳の生徒の3人に1人が,これまで学校で学んだことを,何の躊躇いもなく「無駄だった」と評しているわけです。 「どちらかといえば,あてはまる」までも含めた,広義の肯定率は66.6%(3人に2人)にも達します。図中の7か国の中で最高です。
6か国との比較だけでは心もとないので,PISA2009の全対象国(74か国)の中に,わが国を位置づけてみましょう。両端の回答比率をもとに2次元のマトリクスを構成し,その中に各国のドットを散りばめてみました。
最近,本ブログを続けてみて下さっている方には,もうお馴染みの図です。中間の回答を抜いた横着なものですが,多数の国の傾向と,その中におけるわが国の位置を一目で知ることができます。
右下にあるのは,「学校なんて時間の無駄だった」と感じている生徒が多い国です。左上にあるのは,その反対です。斜線は均等線であり,この線よりも下にある場合,強い否定よりも強い肯定のほうが多いことを意味します。
図をみると,日本は右下のほうにプロットされています。ほう。上には上がいるようで,インドのタミル・ナードゥ州では,15歳の生徒の4割が「学校なんて時間の無駄だった」と断言しています。その次が日本(33.6%),それに次ぐのがマレーシア(32.8%)です。
少ししか国名を記していませんが,右下にあるのはアジア諸国ばかりですね。一方,図の左上は,軒並みヨーロッパ諸国です。オーストリアでは,15歳の生徒の半分近くが,これまでの学校生活を有意義だったと評していることが知られます。ドイツは約4割。米英仏の3国は,縦軸上の位置はかなり下がりますが,横軸の回答比率よりは高くなっています。お隣の韓国も然り。
わが国では,15歳の生徒の多くが,これまでの学校生活を「無駄だった」と評しているのですが,それはどういう事情によるのでしょう。この問題に接近するための手立ての一つは,「無駄だった」という評価は,どういう属性の生徒で多いのかを明らかにすることです。
日本のデータに限定して,いくつかの属性変数とのクロス集計を行った結果,上記項目への反応分布は,在学している高校のタイプによって違うことが分かりました。ここでいう高校のタイプとは,進学校,準進学校,非進学校,というものです。
進学校とは,学校質問紙調査において,多くの保護者から有名大学進学期待があると答えた学校です。準進学校は,そういう期待が一部の保護者からあると答えた学校です。非進学校は,その手の期待がほとんどないと答えた学校です。
「学校なんて時間の無駄だった」という項目に有効回答を寄せた,日本の高校1年生6,065人を,在学している高校のタイプに依拠して3群に分かち,各群の反応分布をとってみました。
進学校に在籍している生徒ほど,肯定の回答が多いことがうかがわれます。微差ではありますが,サンプル数が多いので,統計的には有意な差です。
進学校ほど,学校なんて時間の無駄だったと断じる生徒が多い。これをどう解釈したものでしょう。先ほども述べましたが,PISA2009の対象は高校1年生ですので,「時間の無駄だった」と回顧しているのは,それよりも下の義務教育学校であるとみてよいでしょう。
進学校を目指す生徒は,学校の授業なんかそっちのけで,塾での勉強に精を出すといいます。たとえば,中学受験をする児童は,教員も保護者も公認で学校を休ませたりします。こういうことの表れなのではないかと思います。
このことは,児童・生徒の高度な要求に応えられていないという,学校の側の問題でしょうか。そういう見方もあるでしょう。現在では,学校の教員の授業研修に,塾や予備校の講師が指導者として招かれることが多々あります。
ですが,学校は受験学力を身につけるところではありません。各教科のほか,道徳,総合的な学習の時間,および特別活動など,子どもの総体的な発達を促すためのカリキュラムが組まれています。ですが,生徒の側は,そのようなトータルな成長の場として学校を捉えてはいないようです。
わが国において,「学校なんて時間の無駄だった」と評する生徒が多いのは,全面的な成長ができない,職業に役立つ技術を教えてくれない,ということではなく,受験に役立つ知識を教えてくれないから,ということに由来する部分が大きいようです。ちょっと寂しい思いがします。
しかし,原因はこれだけではありますまい。学校を「無駄だった」と評するか否かを分かつ要因を,林の数量化Ⅱ類(判別分析)で解明する作業も面白いかと思います。この種の多変量解析を手掛けるのは久しぶりですので要復習です。