人手不足がいわれて久しいですが,教員の世界までそれが及んできました。産休の代替などに,普通免許状を持つ教諭を採用できないため,助教諭を雇ってしのいでいる自治体が多いとのこと。
https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2017_0711.html
助教諭とは,普通免許状を持つ教諭を採用できない場合に限り置くことができる職で,要件は臨時免許状を有していることです。この臨時免許状は,大学等で教職課程を終えていなくても,教育職員検定試験に合格することで得ることができます。任命権者の都道府県内でのみ,3年間有効です。
上記の記事では,幼稚園の免許しかない女性に小学校の臨時免許状を付与して,音楽を教えさせている事例が紹介されています。全国をくまなく探せば,大学を出ていない人が教壇に立っているケースもあるかもしれません。
しかるに戦後初期の頃は,助教諭への依存度は今よりずっと高いものでした。敗戦後の教育の民主改革により,新たな学校が雨後の竹の子のごとく次から次にできたのですが,校舎や教室だけでなく,教員も不足していました。
その様は数字にはっきりと出ています。1950(昭和25)年の公立小学校の本務教員は30万4414人でしたが,そのうちの7万7548人が助教諭だったと記録されています(『学校基本調査』)。率にすると25.5%,全教員の4人に1人が助教諭だったわけです。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001011528
中学と高校はどうだったか,今現在はどうなのか。小・中・高の助教諭比率を,1950年と2016年で比べた表を作ってみました。
1950年の助教諭比率は,小学校が25.5%,中学校が11.0%,高校が2.6%となっています。今とは比べものにならない高さです。
これは全国の数値ですが,地域別にみるともっとスゴイ値が出てきます。1950年の公立小学校本務教員の助教諭比率を都道府県別に出し,高い順に並べると,以下のようです。
マックスは埼玉の50.2%,この県では小学校教員の半分は助教諭であったと。スゴイですねえ。隣接している東京が9.8%にとどまっていたのとは,大違いです。
群馬と茨城が40%台,岩手,青森,北海道,和歌山,秋田が30%台後半です。こういう県では,勉強ができる若者を捕まえては,じゃんじゃん臨時免許状を付与して,教壇に立たせていたのでしょう。その中には,20歳に満たない少年だっていました。当時の小学校教員の年齢ピラミッドをみると,10代の教員が1割を占めています。
http://tmaita77.blogspot.jp/2012/02/blog-post_27.html
今なら考えられないことですが,こういう時代もあったのですねえ。現在,地域に開かれた学校運営が志向されていますが,ある意味,昔の学校のほうが開放性が高かったといえるかもしれません。教員不足という外的な要因の故とはいえ,地域人材が教壇に立っていたのですから。
ピンチはチャンス。教員不足になりつつある状況を逆手にとって,地域人材をどんどん学校に呼び込んでもいいのではないか。教員免許がない人でも,学があったり一芸に秀でたりしている人には,特別免許状や臨時免許状を授与することで,教壇に立たせることができます。教員の多忙化の解消にもなるでしょう。
歴史を振り返れば,全教員の4人に1人,地域によっては半分が急ごしらえの助教諭という時代もあったわけです。まんざら突飛な提案でないことは,歴史が証明しているように思うのですが,いかがでしょうか。