2012年8月5日日曜日

年齢層別離婚率の長期推移

前回は,年齢層別の自殺率の長期推移を明らかにしました。今回観察するのは,離婚率の変動です。自殺と違って社会病理指標というのではありませんが,家族解体の頻度を表す,この指標のトレンドにも目配りしておこうと思います。

 離婚率とは,ある年の間に離婚を届け出た者の数を,ベースの人口で除した値です。分母には,有配偶人口を据えるのが望ましいのですが,戦前期について,年齢層別のそれを用意するのは難しいので,ここでは人口を充てることとします。

 男性(夫)の率を出すか,それとも女性(妻)の率を出すかについては,まあどちらでもよいのですが,前者の離婚率を算出することにしましょう。

 分子となる,男性の離婚者数の出所は,戦前期は『大日本帝国人口動態統計』,戦後は厚労省『人口動態統計』です。分母の男性人口は,総務省統計局ホームページの「長期統計系列」から得ています。

 では,前回と同様,男性人口全体の離婚率の長期推移をたどることから始めましょう。1908年(明治41年)以降の,大よそ5年間隔のデータを用意しました。


 男性の離婚率は,戦前期から戦後初期にかけて低下し,高度経済成長期の最中の1960年にボトムを記録した後,今日に至るまで上昇を続けています。グラフにすると,きれいなU字カーブが描かれることでしょう。

 戦前期では,離婚率は高かったのですね。明治期では,女性の人権が認められておらず,跡取りを産めなかった妻は,簡単に絶縁されたといいますが,こういう「イエ」制度の故でしょうか。

 大正期から昭和初期にかけて,西洋の人権思想の普及もあったのか,この手の離婚は少なくなり,さらに終戦後の家族制度改革もあって,離婚率は低下を続けます。先ほど述べたように,観察期間中の離婚率のボトムは1960年の8.0です。

 しかるに,その後は離婚率が上がります。とくに伸び幅が大きいのは,1990年代の後半です。この5年間で,男性の離婚率は22.3から31.3へと,9ポイントもアップしています。「98年問題」に象徴されるように,わが国の経済状況が急速に悪化した頃です。生活苦や,リストラされた夫に妻が愛想をつかして離婚,というようなことも多かったのではないかしらん。

 90年代後半は,自殺が激増した時期でもあります(とくに男性)。デュルケムは,配偶者と別れた男性の自殺率が高いことを明らかにしていますが(『自殺論』),職場集団に加えて家族集団をも喪失した男性の悲劇が表現されたものといえましょう。

 今世紀に入ってからは,離婚率は微減の傾向ですが,今後はどうなることやら。

 では次に,年齢層別の傾向です。上記の各年次について,5歳刻みの男性の離婚率を計算しました。前回と同様,データを「時代×年齢」の社会地図図式で表現します。それぞれの年における各年齢層の離婚率を,色の違いに基づいて読み取ってください。


 離婚率は,今も昔も,20代後半から30代で高いようです。離婚率が70を超える黒色の膿(うみ)が,明治期~大正期の20代後半と,近年の30代の箇所に広がっています。1960年代の前半を境にして,高率ゾーンが上下に広がっていくのは,上表でみた傾向の反映とみなされます。

 単純化していうと,1960年代前半を境にして,封建的な「イエ」制度に由来する離婚が上方に位置し,不況・生活不安・私事化傾向による離婚が下方に位置しているとみられます。

 しかし,30代といえば,小さい子どもがいる年齢層です。わが国では,単独親権制がとられているのですが,片親から強制的に引き離された子どもが,各種の精神疾患を呈することが少なくありません。そこで,離婚した後も,両親が共に親権を持つことを認める共同親権制の導入が提言されています。

 子どもの権利条約も,「子どもの最善の利益に反しないかぎり,定期的に親双方との個人的な関係および直接の接触を保つ権利を尊重する」ことを求めています(第9条3項)。上記のデータは,こういう改革が必要であることを示唆していると思います。

 前回は自殺,今回は離婚の長期データをみました。次は,犯罪の長期データがほしいところです。ひとまず,明治期以降の殺人率を出してみようと思います。警察庁統計の戦前版ってあるのかなあ。統計図書館に行って調べてみます。

 この手のデータを貯めていけば,「近代日本社会病理史」というような仕事につながるかも。以前,松本先生と「20世紀各時期の生活安全度の測定-社会病理史研究(1)-」という論文を認めたことがあります(『武蔵野大学現代社会学部紀要』第5号,2004年)。この続編の(2)となるような仕事ができれば,と思っています。
http://ci.nii.ac.jp/naid/40006150353