児童虐待が社会問題化している昨今ですが,当然,この問題は昔もありました。朝日新聞の記事データベース「聞蔵」でこの言葉を入れてみると,最も古い記事として,以下のものがヒットします。
1906(明治39)年9月12日の大阪朝日新聞に掲載された,「児童虐待の弊」と題する社説です。だいぶ前から,この言葉はあったのですね。ですが,その意味するところは今とはちと違っていたようです。
この記事では,児童虐待の主要型として,①「小学に於ける児童の虐待」,②「家庭に於ける児童の虐待」,および③「工場に於ける児童の虐待」という3つを挙げています。
①は,児童に「日々過重の宿題」を課し,その心身の発育に害が及ぶような事態です。②は,女児をして「小学に通学せしむる外,或は裁縫教師の許に送り,或は茶の湯挿花の如き,琴三絃の如き,遊芸を仕込む」など,父母の「虚栄心を満足せしむる器具」にしてしまうようなことです。③は,児童を長時間工場で働かせる,いわゆる児童労働です。
筆者は,「以上の三項を以て,我が少国民に対する現代社会の虐待と為し,国民体力の発達を阻害し,帝国将来の運命にも関する重大の事項なるを信ずる」と述べています。
ひるがえって現在はというと,児童虐待防止法で定められている虐待のタイプは,身体的虐待,性的虐待,ネグレクト,そして心理的虐待です(第2条)。児童に暴力を振るったり,暴言を吐いたり,無視したりするような行いが問題とされています。昔のように,児童を酷使するというような行為は前面に出されていません。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H12/H12HO082.html
しかるに,“child abuse”という児童虐待の英訳から分かるように,この言葉の原義は,児童を異常な仕方で扱うことです。abuseを分解すると,「ab(異常に)+use(使う)」ですから。
このような原義にさかのぼってみると,現行法で定められている児童虐待の概念の拡張が必要ではないか,という気がします。上記の記事の時代から100年と少し経った今でも,①と②に類する行いはあるではありませんか。学力向上を旗印に子どもをやたらと勉学に駆り立てるなど。ますます普及しつつある早期受験にしても,子が親の「虚栄心を満足せしむる器具」にされるような面を多く含んでいます。
上の記事では,「過大の負担を児童に強ひ,活発に喜戯す可き児童の時間を奪ひ,甚だしきは暑中休暇をすら利用する能はざらしむる如きは,其の心身の発育に害ある言を俟たず」といわれていますが,現在においても,こういう事態はいくらでも想起されます。
現在,学力の育成を確かなものにすべく,学校週6日制への回帰が検討されているそうな。しかしこれも度が過ぎると,本来いうところの児童虐待(child abuse)に相当する,ということを認識すべきではないでしょうか。こんなふうに思うのです。