2013年3月30日土曜日

昔の体罰

 大阪の事件を受けて,体罰が社会問題化しています。しかし問題は通底しているといいますか,教員の体罰が大々的に取り沙汰されるのは初めてではありません。

 新聞記事データベース『聞蔵』や『ヨミダス歴史館』にて,「体罰」ないしは「教員*打つ」という語を入れてみると,結構な数の記事が引っ掛かります。昔の記事として,以下のようなものがありました。



 上は1927(昭和2)年5月30日の読売新聞,下は1952(昭和27)年12月19日の朝日新聞の記事です。教員の体罰に対する異議申し立てがなされ,体罰が子どもにいかに悪影響を与えるかについて,識者が解説しています。ほう。今とそっくりですね。

 では,具体的にどういう体罰事件が起きていたのでしょう。時代を少し上がりますが,3件紹介します。子どもが死に至った事件が2件,発狂した事件が1件です。




 上は1916(大正5)年5月9日,中は1924(大正13)年8月17日,そして下は1927(昭和2)年5月28日の記事です(東京朝日新聞)。いずれも,大阪の事件に劣らぬほど惨たらしい事件です。

 ちなみに,武田さち子さんという方がツイッターで教えて下さったところによると,1952(昭和27)年4月25日,中学校で教員に殴られ教室を追い出された生徒が,校舎の屋上から飛び降り自殺した事件もあったそうな。

 「喉元過ぎれば熱さ忘れる」といいますが,いじめにせよ体罰にせよ,教育問題への関心というのは,重大事件が起きると加熱し,やがて潮が引くように鎮まり,事件が起きると再び高まるというような,波動をたどる傾向を持っています。

 歴史は繰り返す。人間というのは愚かなもので,過去の過ちを繰り返す習性を有しています。このことにかんがみ,未来の教員志望者には,これまでの教育界でどういうことが起きたか,どういう過ちがなされたかを,丁寧に教えることが重要であると思います。それは教育史です。

 教育史は教育学の重要な一角を占めており,教員採用試験の教職教養でも出題されますが,悲しいかな,どの自治体もこの分野にあまり重きを置いていないようです。

 出題頻度が高いのは,お堅い教育法規や直近の教育時事といったもの。ここ数年,教育史など蚊帳の外という自治体すらあります。試験の過去問をみていて,なんか「近視眼」だな,という印象を持つのです。

 教育のこれまでの経緯をしっかりと踏まえているか。こういうことを,もっと問うべきでしょう。私自身,教育史の知識は教科書レベル(それ以下?)のものなので,偉そうなことはいえませんが。