2月14日の記事「働かなくてもいい社会」が,ガジェット通信に転載されました。字のごとく,働かなくてもいい社会の可能性について私見を述べたものです。
それに寄せられたコメントを拝見すると,「働かない人を賛美するな」,「皆が働かなくなったらどうなる?」という趣旨のものが見受けられます。ふむふむ。ちと論が偏っていたでしょうか。
ただ私は,働かない人を賛美した覚えはなく,働きたくないなら働かないというオプションを認めることはできないものか,という意見を申したまでです。こういうことを認めると,皆が働かなくなってしまうではないか,といわれるでしょうが,はたしてそうでしょうか。
人間にとっての最大の敵は「退屈」であるといいますが,何もしないでボーっとしているなど,そうそうできたことではありません。それに,人はそもそも社会的な存在であるので,地位や役割を剥奪された「のっぺり」な状態に置かれることには,苦痛を感じるものです。ゆえに,働かない自由が得られたにしても,少しの間が過ぎれば,多くの人が自ずと働き始めるでしょう。
しかるに,数的には少数ながら,そのような性向を持たない人間もいます。そういう人については,無理に働かせるのではなく,働かないでいてもらってもよいのではないか,という思いがするのです。
phaさんが『ニートの歩き方』技術評論社(2012年)でいわれていましたが,蟻の集団を観察すると,働く蟻と働かない蟻が一定割合で存在するのだそうです。およおその比は,8:2であるとのこと。この割合は,人間社会にも当てはまるのではないかしらん。
成員の8割が働けば,社会は何とか回るのではないでしょうか。2月16日の記事でみたように,国民の3~4割しか働いていない社会だって存在します。
むろん,働く者と働かない者とでは,富の配分に傾斜をつけることが必要になってきます。あと,「疲れたら休む」というように,双方の間を自由に行き来できるようにすることも求められます。こういう仕掛けを施せば,何とかなるんじゃないかなあ。楽観!
まあ,中学校の社会科で習ったように,勤労は国民の義務と法定されています。就労能力のある私くらいの年齢の者は働くべきである,という前提はそのままにしましょう。でも,私のように出不精で体力のない輩であっても勤まるような,「ゆるい」働き方を認めていただけないものか。そういう方向に社会が動いていかないものか・・・。
このところ毎回使っている『世界価値観調査』(WVS)の中に,この点についての示唆を与えてくれるデータがあります。「生活様式の変化として,働くことがあまり重要でなくなる」ことへの意見です。用意されている選択肢は,「良いことだ」,「気にしない」,「悪いことだ」の3つ。至ってシンプルです。
http://www.wvsevsdb.com/wvs/WVSAnalize.jsp
わが国を含む主要国について,第5回調査(2005~08年実施)の回答結果をみてみましょう。調査対象となった18歳以上の男女の回答分布です。D.KとN.Aは除きます。( )内はサンプル数です。日韓は2005年,米英独仏瑞は2006年の調査データであることを申し添えます。
日本では,79.7%が「悪いことだ」と答えています。「良いことだ」は5%しかいません。お隣の韓国も似たような分布です。ドイツも,否定派が半分を超えています。しかるに,残りの4か国では,否定派よりも肯定派のほうが多くなっています。フランスやスウェーデンでは,こういう傾向が顕著ですね。
以上は主要6か国の比較ですが,上記の調査資料から,世界の56か国の回答分布を知ることができます。これらを射程に入れた広いマトリクスにおいて,わが国はどこに位置するかをみてみましょう。また,過去からどう動いてきたかという軌跡を描いてみましょう。
私は,横軸に「悪いことだ」,縦軸に「良いことだ」という回答の比率をとった座標上に,56の社会をプロットした図をつくりました。先の6か国については,第1回WVS調査の結果と接合させ,1980年代初頭からの位置変化も分かるようにしました。矢印のしっぽは1981(82)年,先端は2005(06)年の位置を表します。
お分かりかと思いますが,図の左上にあるのは,就労に重きが置かれなくなることを歓迎する「ゆるい」社会です。右下には,それとは逆の社会が位置しています。
図の最も左上にある社会はアンドラです。2月27日の記事でみたところによると,この国は女性の社会進出が最も進んでいるのですが,個々の国民は,生活において就労をあまり重視していないようです。男女共同参画が実現することで,個々人の労働時間が適度に抑制された,ワークシェアリング型の社会であるのかも。
フランスとスペインの間にある,この小社会には興味を持ちますねえ。この国への旅行体験記とか滞在記とか出ていないかな。*彩図社さん,企画されてはどうでしょう。
図中の斜線は均等線であり,これよりも上に位置するのは,否定派よりも肯定派が多い社会です。イギリスとスウェーデンは,この4半世紀の間に,こういう社会に様変わりしました。アメリカはあとちょっとというところ。独仏は反対方向に動いていますが,後者は現時点でも「ゆるい」社会であることに変わりありません。
さて日本はというと,図の右下に位置する「タイト」な社会です。しかも,1980年代の初頭以降,位置がほとんど変わっていません。ワークホリックの国などと揶揄され,総体として労働時間が短縮されてきた経緯はありますが,国民の意識は旧態依然のまま。・・・今後の変化も知れているような気がします。
右下の点線の丸に囲われた社会は,日本のほか,ルワンダ,エジプト,インドネシア,台湾,ブルキナファソ,そしてモロッコです。なんか,日本だけが異色ですね。
成熟化を遂げた社会において,働くことを重視し過ぎるのは,よからぬことを引き起こすのではないかなあ。仕事がないにもかかわらず,「働かざる者食うべからず」が強調され,人を欺くような仕事でもいいから形の上で就労させる。こういうことでニート率を減らしても,社会的にはマイナスでしょう。
現代日本の基底的な土台条件を考えると,その上で暮す人々の意識は,上図の左上にシフトして然るべきだと思います。「ゆるい」社会への移行です。
ここでいう「ゆるい」とは,働き方を形容します。わが国で「働く」というと,週5日,朝から夜遅くまで働くというようなフルタイム就業と考えられがちです。若年の生活保護受給者に就労指導が入る際,いきなりこうした長時間労働を促されるといいますが,これなどは,短時間就業は各種の保険を受けるに値しない,とみなされていることの証左です。
こういう極端な捉え方が,「過労死するほど仕事があり,自殺するほど仕事が無い」という特異な状況をもたらしているのではないでしょうか。もっと「ゆるい」働き方を認めることで,これを是正することが求められると思います。*こうすることで,統計上のニートはかなり減るのでは。
それは,仕事に打ち込む「職業人」としての顔と同時に,社会的な関心をも持つ「社会人」としての顔も併せ持った人間が増える過程でもあります。上図の赤色の矢印が左上に伸びることが,それが実現するための条件であるといえましょう。
2月14日の記事では「働かなくてもいい社会」を提起しましたが,ここでは,「ゆるい働き方ができる社会」を理想郷として掲げることとします。本記事タイトルでは,それを簡略化して「ゆるい社会」とした次第です。