前回は,世界51か国の若者のクリエイティヴ・冒険志向の国際比較を行ったのですが,この記事をみてくださる方が多いようです。自己評定のデータですが,こういうのが物珍しいためでしょうか。
結果は,わが国の若者が(ダントツで)最下位だったのですが,ツイッター等でのコメントを拝見すると,「若者だけの問題か」,「大人の意識も含めて社会の責任だ」というようなものが見受けられます。ふむふむ。私も同感です。
前回は若者だけを切り取って比較したのですが,今回は,中高年層も交えた国際比較をしてみようと思います。日本の若者は,同じ社会の中高年層と比してどうなのか,後者は,他の社会の同年齢層と比べてどうなのか。このような織り交ぜをすることで,議論がより立体的になるでしょう。
用いるのは,第5回『世界価値観調査』(WVS)のデータです。本調査は,2005~08年にかけて,世界の数十か国の国民を対象に実施されたものです(日本は2005年)。以下の2つの人間像に,自分がどれほど当てはまるかを自己評定してもらった結果に注目します。
①:新しいアイディアを思いつき,創造的であること,自分のやり方で行うことが大切な人
②:冒険し,リスクを冒すこと,刺激のある生活が大切な人
前者はクリエイティヴ人間,後者は冒険志向人間です。WVSサイトのオンライン集計機能を使って,日本の15~29歳の若者と,30歳以上の中高年者の回答分布を出してみましょう。下表に,D.KとN.Aを除く有効回答分布を示しました。< >内はサンプル数です。
程度を度外視すると,自分をクリエイティヴ人間と評している者の比率は,若者で77.0%,中高年で73.7%です。冒険志向人間と自己評定している者は順に,38.1%,25.2%なり。何だ,中高年のほうが低いではないですか。
今のは分布の一部をすくっただけですが,分布全体を考慮した「当てはまり度」を出すとどうでしょう。やり方は前回と同じです。「非常によく当てはまる」には6点,「よく当てはまるには」5点,「まあ当てはまる」には4点,「少し当てはまる」には3点,「当てはまらない」には2点,「全く当てはまらない」には1点を与えた場合,平均(average)が何点になるかを求めます。クリエイティヴ人間への若者の「当てはまり度」は,次のようにして算出されます。
[(6点×6.3)+(5点×16.1)+(4点×22.4)+・・・(1点×3.4)]/100.0 ≒ 3.5点
このスコアを中高年について出すと3.4点となります。冒険志向スコアは,若者が2.4点,中高年が2.1点です。・・・いずれも年長者のほうが低いじゃん。前回の国際統計を,「だから若者はダメなんだ」という論の材料に使うことはできないようです。中高年も同じなり。
それでは,前回比較した51の社会について,双方の年齢層のスコアを出し,わが国の位置を明らかにしてみましょう。下表は,その一覧表です。51か国中の最高値には黄色,最低値には青色のマークをしました。日韓と米英独仏の6か国の国名は赤色にしています。
若者のクリエイティヴ志向・冒険志向が最下位なのは前回みた通りですが,中高年の冒険志向も然り。クリエイティヴ志向は,ウクライナに次いで下から2位です。
自己評定の結果ですが,創造性やチャレンジ精神に乏しいのは,若者に限ったことでなく,国民全体についていえるようです。若者が縮こまってしまうに際しては,社会の有様が大きな影を落としているといえましょう。
若者は真空の中で生きているのではありません。日本社会の中で暮らし,いつだって,そこに蔓延するクライメイトの影響を被っています。ある方が「(創造性や冒険欲)が評価される社会じゃないんだから当然」とツイッターでおっしゃっていましたが,こうしたことも,社会的な影響の一つの相をなしていると思います。
ところで,上表をみていて気になることがあります。冒険志向スコアの年齢差です。全ての社会において,中高年よりも若者の冒険志向が強くなっています。まあこれは当然のことで,いつの時代でもどの社会でも,失うものがあまりない若者のほうが,失敗をものともしない冒険欲は旺盛でしょう。気力や体力の違いに由来する生理現象とみることだってできます。
しかるに日本の場合,その差が小さいのです。若者が2.4,中高年が2.1で,たったの0.3ポイントしか違いません。すぐ上をみると,アメリカでは0.7ポイント,カナダでは1.1ポイントも違っています。どういうことでしょうか。
各国の冒険志向スコアの年齢差を可視化してみましょう。横軸に中高年,縦軸に若者のスコアをとった座標上に,51の社会を散りばめてみました。
図の斜線は均等線であり,この線からの垂直方向の距離をもって,冒険志向の年齢差を国ごとにみてとることができます。
主要6か国は線を引きましたが,日本が一番短くなっています。若者の冒険志向の程度が,中高年とさして変わらない,ということです。むろん,均等線により密接している社会はありますが,わが国の場合,スコアの絶対水準が低いことを勘案せねばなりますまい。
若者の冒険志向の水準そのものが低く,かつ,年長層との差も小さい社会。こういう社会は,日本とエジプトくらいです。本来なら,高い冒険欲を呈するはずの若者が,上の世代によって押さえられつけられているのではないか,足を引っ張られているのではないか,低いほうへと収斂させられているのではないか。俗的にいうなら,若者は萎縮しているのではなく,萎縮させられているのではないか,ということです。人口構成をみても,日本は若者よりも中高年がマジョリティーの社会ですしね。
私はここで,城繁幸さんの『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか』ちくま新書(2008年)の81~84頁で紹介されている,三十路過ぎの若者の話を思い出します。
米国でMBAを取得したこの若者は,勤め先の企業が米国企業との戦略提携交渉をもつ場に通訳として同席します。しかし,50代の日ノ丸経営陣はボロを出すのを恐れてか,煮え切らないやり取りばかり。
これではいかんと,当人が交渉に割って入り,上司の顔色も見ないまま積極的にイニシアチブをとり,先方からは好意的な評価を得ます。ところが,会議終了後に役員から鬼のような形相ですごまれ,こういわれます。「おまえ,なに勝手に仕切ってんだよ!」。
上図の左下にあり,かつ均等線の近くに位置する社会って,こういう日常がありふれている社会ではないのかなあ。まあエジプトなどは,文化の違いも考慮しないといけませんが。
繰り返します。日本は,若者の冒険志向の水準そのものが低く,かつ,年長層との差も小さい社会です。上図をもう一度みてほしいのですが,日本とドイツは,中高年層の冒険志向はほぼ同程度ですが,若者のそれが大きく違っています。
この差は,若者の冒険やチャレンジに対して,社会がどれほど寛容であるかの違いを表しているように思えます。クリエイティヴ志向は別として,日本の若者の冒険志向の低さは,まさに社会の問題,大人の意識の問題と捉えることができるでしょう。