2020年8月28日金曜日

校長の性格

  学校の長である校長先生。その職務は,学校教育法37条にて「校務をつかさどり,所属職員を監督すること」と規定されています。

 教頭以下と違うのは,「児童生徒の教育をつかさどる」という文言がないことです。平たく言うと,校長の職務には授業は含まれない,ということです。そう,校長は純然たる管理職なんですね。

 OECDの国際教員調査「TALIS 2018」の報告書第2巻にて,授業の義務がある校長の割合が国別に出ています。中学校の校長先生のうち,授業の義務があるという人は何%かです。言わずもがな,日本の数値は0.0%で皆無となっています。しかし海を隔てたアメリカでは3.4%,フランスでは13.2%,北欧のフィンランドでは60.7%にもなります。何かと話題になるフィンランドでは,授業をする校長先生がマジョリティです。

 原資料の統計表から,日本を含む47か国・地域の数値を知れます。以下の表は,高い順に並べたものです。コチラの表「Ⅱ-3-20」をもとに作成しました。


 世界を見渡すと,授業をする校長先生が少なくない国が多いですね。旧共産圏にそういう社会が多く,チェコでは中学校の校長全員が授業の義務を有しています。

 校長は授業をやらない管理職。これが日本の常識で,法規でも明文化されているのですが,国際的にみると,そういう校長の性格付けは普遍的ではないようです。むしろマイノリティです。

 校長の職務に授業は含まれない,換言するとやりたくてもできないってことですが,これについてはいろいろ意見はあるでしょう。私が見聞する限り,否定的な意見が多いようで,教壇に立って授業をしないようでは,自校の児童生徒についてよく知ることができない,校長も週に何時間かは授業を持つべきではないか,という声があります。

 校長と他の職階の間に大きな段差を設けることは,中高年の教員に,実践者から管理職へのアイデンティティ変更を迫ることにもなります。教員の職業満足度は,大よそアラフィフのステージで最も低くなるのですが,それは,こうした断絶に戸惑う教員が多いからではないか。

 いやそれ以前に,授業ができなくなること,すなわち実践者の立場を奪われるのをよしとしない教員は,管理職への昇進を望まないかもしれません。日本の教員の管理職昇進希望率は低いのですが,多忙になるという理由に加え,子どもの前に立てなくなることと,というのもあるかと思います。うろ覚えですが,それを実証した調査データもどこかにあったような。

 気骨のある優秀な教員ほど,実践者としての性格が失われることに抵抗を覚え,管理職への昇進を忌避する傾向もあるかも分かりません。だとしたら,問題であるといえるでしょう。校長にも実践者としての性格を残すようにしたらどうか。学校教育法37条の校長の職務規定に,「必要に応じ児童の教育をつかさどる」の文言を加えたらどうか。こんなふうにも思うのです。

 まあこれはあくまで建前で,教壇に立つ校長先生もおられるでしょう。それなら,法律の規定も変えていいのではないか。校長室という四角い密室に居心地のよさを感じるのは,気骨ある実践志向の人ではなく,事なかれ主義のつまらない人だけかもしれません。