2012年10月30日火曜日

高校理科の授業スタイルの国際比較(シノドスジャーナル)

 シノドスジャーナルに,表記のタイトルの文章を寄稿しました。PISA2006のローデータを用いて,57か国の理科教育の授業スタイルを比較したものです。わが国の特異性が出ています。ご覧いただけますと幸いです。ウェブロンザにも同時掲載されております。

2012年10月29日月曜日

いじめを目撃した場合の対応

 滋賀県大津市の中学生いじめ自殺事件を受けて,いじめ問題への社会的な関心が高まっています。どこかで指摘されていましたが,この問題への社会的関心は,重大事件があると急騰し,その後一定期間過ぎたら鎮静し,事件が起きたら再び・・・というように波状を描く傾向を持っています。

 それはさておいて,年輩の方には,「これほどまでに無残ないじめが行われていて,止めに入る子はいなかったんだろうか」と,疑問に思われる向きもあるかと察します。私は年輩の方と話すのが好きですが,「僕らの頃は,いじめなんかする奴がいたら,みんなでやっつけたものだった」と口にされるのをよく聞きます。戦前生まれ世代です。

 いじめとは外部(親,教員)から見えにくい行いであるが故,その解決にあたっては,当時者集団の自浄作用がモノをいいます。ここでいう当時者集団とは,被害者と加害者だけでなく,周りではやし立てる観衆や,さらにその外側にいる多人数の傍観者をも含みます。

 昔は,「やめろ」といって止めに入る仲裁者や,教員等に知らせに行く申告者が多くいたのでしょうが,今では,自分に難がふりかかるのを恐れて「見て見ぬふり」を決め込む傍観者がそれに取って代わっています。

 以上は一般的な理論ですが,いじめを目撃した場合,今の子どもはどういう対応をとるのでしょう。上記でいう仲裁者,申告者,傍観者の構成は如何。この点に関する調査データを見つけましたので,ここにて紹介しようと思います。

 厚労省は,5年間隔で『全国家庭児童調査』を実施しています。小学校5年生から18歳未満の児童を対象とするものです。本調査では,対象の児童に対し「クラスの誰かが他の子をいじめているのを見た」場合の対応について尋ねています。最新の2009年度調査の結果は以下のごとし。総計502人の回答分布です。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/72-16.html

 ①「やめろ!」と言って,とめようとする ・・・ 58人(11.6%)
 ②先生に知らせる ・・・ 127人(25.3%)
 ③友達に相談する ・・・ 241人(48.0%)
 ④別に何もしない ・・・ 76人(15.1%)

 ①は仲裁者,②は申告者に相当します。④は傍観者です。③については,解決のための積極的なアクションを起こさない点で,傍観者に含めてよいでしょう。「いじめだよね・・・」「可哀そうだよね・・・」とささやき合う程度のものは,傍観者と何ら変わりありません。

 このような見方をとると,調査対象者(多くは中高生)の63.1%が,いじめを目撃しても傍観者的な反応を決め込んでいることになります。申告者は4人に1人,仲裁者に至っては10人に1人に過ぎません。

 なお,反応の分布は,児童の発達段階によって異なるでしょう。男子と女子の違いも気になるところです。性別・学年別のデータも分かりますので,以下にグラフを掲げます。男女×8学年の16カテゴリーにバラすと,各カテゴリーのサンプル数がかなり少なくなってしまいますが,まあ,傾向を読み取る分には問題ないでしょう。


 赤線で囲んでいるのは,仲裁者と申告者です。大よその傾向でいうと,学年を上がるほど,この2者の比重が減じていきます。女子でいうと,小学校5年生では68.8%でしたが,高校1年生ではわずか18.6%なり。

 その分,「可哀そうだよね」と友達と言い合うだけの層,何もしない層が増えてきます。女子の場合,小6と中1の落差が大きいことも注目されます。「中1ギャップ」の表れとみることもできるでしょう。

 中学や高校になるといじめ行為の態様がエスカレートし,自分に難がふりかかってはたまらないと,傍観を決め込む生徒が多いのだと思います。いじめ問題への対応にあたって重要なのは,加害者への指導と同時に,人数的に多数を占める傍観者層を,いかにして仲裁者や申告者に転化させるかです。集団の力ほど強いものはありません。

 この点について,今の現場でなされていることは,「傍観は最たる悪である」という心の教育や,匿名のいじめ申告アンケートといったことです。後者はそれなりに効をなしているようであり,闇に葬られていたいじめが次々に明らかになり,解決につながったケースも少なくないといいます。

 ちなみに,いじめを目撃した場合,子どもがどういう対応をとるかは,親のしつけと関連している面があります。上記調査では,対象の児童に対し,親のしつけの厳格さについて問うています。「とても厳しい」ないしは「やや厳しい」と答えた者を「厳格」群,「やや甘い」あるいは「とても甘い」と答えた者を「甘い」群として,双方で,対応の分布がどう違うかを調べてみました。


 子どもと接する時間が長い母親のしつけに注目しましたが,厳格なしつけを受けている群のほうが,仲裁ないしは申告という,積極的なアクションを起こす者の率が高いようです。微差にとられるかもしれませんが,カイ2乗検定をしたところ,5%水準で有意な差です。

 厳格なしつけを肯定するのではありませんが,家庭においてもなすべきことはありそうです。

 厚労省の『全国家庭児童調査』はあまり知られていないようですが,有用なデータを多く含んでいます。上記URLからアクセスしてみてください。

2012年10月27日土曜日

生涯学習の希望と現実

 話題を変えましょう。現代は情報化社会であると同時に,生涯学習社会でもあります。社会の変動が激しい今日,人は絶えず学習をすることを求められているといえます。

 むろん,生涯学習というのは,そうした外発的な原因だけに後押しされるものではありません。人々の自発的な学習欲求もそれを求めています。職場等での自己疎外状況が強まるなか,学習によって開眼を図りたいという欲求は,総体的に高まっていることでしょう。また,職をリタイヤした高齢者が増えていますが,その中には,余生の目標を学習に定めたという方もおられると思います。

 ところで,生涯学習と一口にいっても,いろいろな形式があります。近所の図書館に足繁く通い,自分が関心を持つテーマを追求するようなものもあれば,大学等に社会人入学して学ぶという形式もあります。前者はインフォーマル,後者はフォーマルな形式といえましょう。

 ここにて私が注目するのは,後者のフォーマルな学習形式です。もっと絞ると,大学等の組織的な教育機関での生涯学習です。大学についていうと,そこで学ぶのは19~22歳の若者に限られません。社会人や高齢者等にも,制度上は門戸が開放されています。

 大学は,生涯学習の機関としての役割も期待されています。先ほど述べた条件に加えて,少子高齢化という社会変動が進むなか,こうした期待は強まりこそすれ,弱まることはないでしょう。

 伝統的な就学年齢を過ぎた成人層のうち,大学等の正規課程で学びたいという欲求を持っている人間はどれほどいるのでしょう。2012年7月の内閣府『生涯学習に関する世論調査』では,Q15において,「あなたは,どのような生涯学習をしたいか」と尋ねています。複数の選択肢から,当てはまるものを選んでもらう形式です。
http://www8.cao.go.jp/survey/h24/h24-gakushu/index.html

 そこにて提示されている選択肢の一つに,「学校(高等・専門・各種学校,大学,大学院など)の正規課程での学習」というものがあります。私が属する30代の対象者の場合,この選択肢を選んだ者の比率は5.2%だそうです。

 この比率を,2010年の『国勢調査』から分かる当該年齢人口に適用してみましょう。本調査によると,同年10月時点の30代人口は1,812万7,846人です。よって,この年齢層の場合,大学等の正規課程での学習を希望している者の実数は,これに0.052を乗じて,およそ93万人と見積もられます。

 同じやり方で,より上の年齢層についても,大学等での学習希望者数を推し量ってみました。下表は,結果を整理したものです。男女別の数値も出しています。


 aの学習希望率は上記世論調査,bの人口は2010年の『国勢調査』から得ています。両者から算出される推定学習希望者数をみると,30代が93万人,40代が139万人,50代が64万人,60代が56万人,70代以上が17万人。合計すると,369万人にもなります。

 2010年5月時点の大学生はおよそ289万人です(『学校基本調査』)。ほう。想定される成人層の大学等入学希望者数は,これをはるかに上回っています。この369万人を全て取り込めるならば,大学側もさぞホクホクであることでしょう。

 しかるに現実はというと,さにあらず。2010年の『国勢調査』によると,30歳以上人口のうち,「通学のかたわらで仕事」ないしは「通学」という状態にある者は,14万5,970人です。先ほど出した369万人という数字とはかなり隔たっています。

 前者を後者で除すと,4.0%です。この値は,希望の実現率とみなしてよいでしょう。大学等で学ぶことを希望する成人層のうち,それを実現できるのは25人に1人という計算になります。世の中思い通りにいかないのが常ですが,生涯学習についても,殊に大学等の組織的教育機関での学びに至っては,希望と現実のギャップが大きいことが知られます。

 同じようにして,学習希望の実現率を性別・年齢層別に計算してみましょう。aは,上表において出した推定学習希望者数です。bは,2010年の『国勢調査』において,「通学のかたわらで仕事」ないしは「通学」という状態にあるとされた者です。組織的な教育機関での学びを実現している者ということで,「実現者」ということにします。


  bをaで除した値が,学習希望の実現率の近似値ということになります。年齢層別にみると,サンドイッチ型といいますか,30代と70代以上の高齢者では,実現率が比較的高くなっています。30代では,まだ社会に出ていない大学院生が多いためでしょう。このような伝統的学生を除けば,実現率はかなり下がると思いますが,その術はありません。70代以上の高齢者については,職をリタイヤし,時間に余裕がある者が多いためと解されます。

 問題は,40~60代の層です。この層では,大学等での学習希望の実現率が軒並み低くなっています。男性の40~50代に至っては,わずか1.4%です。就業率が低い女性の場合,実現率は男性より若干高くなっていますが,値の絶対水準がすこぶる低いことに変わりありません。

 このような構造がわが国に固有のものであるかは知りませんが,是正が図られるべきでしょう。この年齢層は仕事が忙しいから,という理由で片づけられるものではありません。「権利としての教育」の思想は,子どものみならず,成人にも等しく適用されるべきものです。学習希望の実現率が1.4%などという事態は,教育を受ける権利が侵害されていることの数字的な表現に他なりません。

 教育期と仕事期を自由に往来できるリカレント教育システムの構築の必要性がいわれています。人の一生というのは,子ども期(C),教育期(E),仕事期(W),そして引退期(R)に大きく区分されますが,わが国では,「C→E→W→R」という直線コースが明らかに支配的です。

 対してリカレントシステムでは,EとW(R)の間を自由に往来できるようになります。このような制度が実現すれば,後からでも教育は受けられる,学びたい時に学ぶ,という考えを持つ人間が増え,人生の初期(子ども期)において,万人が無目的に大学に殺到するような事態も緩和されることでしょう。この制度の効用は,成人の学習権の保障ということにとどまりません。

 わが国でも,教育有給休暇のような制度が徐々に整備されてきていることは存じております。ですが,現実は上記のごとし。育児休暇を積極的に取得する男性を美化する呼称として「イクメン」がありますが,教育有給休暇を取ることを讃える呼称として「キョウメン」などはいかがでしょう。教員免許状の略と間違われそうなので,まずいですか・・・。

 では,今回はこの辺りで。

2012年10月25日木曜日

コンピュータの設置状況とその不足感

 情報化社会のなか,情報教育の重要性がいわれますが,国際調査の結果から,わが国のお寒い状況が次々に明らかになってきます。前回は,高校生の学校でのICT利用度が,日本の場合,国際的にみて最も低いことを知りました。

 このことは,生徒が自由に使えるコンピュータの設置状況が芳しくない事情によるのかもしれません。今回は,そうした条件面の国際比較を手掛けてみようと思います。

 PISA2009の学校質問紙調査では,対象の高校に対し,「生徒が,学習のために利用できるコンピュータが全部で何台あるか」と尋ねています。日本の調査対象校(186校)の総計は17,170台です。これらの高校の1年生の生徒数は45,355人。したがって,高校1年生1人あたり0.38台ということになります。

 学校での生徒のICT利用度が最も高いノルウェーと比較してみましょう。下表をご覧ください。


 北欧のノルウェーでは,生徒数よりもコンピュータの台数のほうが多くなっています。均すと,生徒1人につき1台あるわけですから,この国では,コンピュータの前に順番待ちの列ができるようなことはないことになります。

 一方,わが国はといえば,3人に1台。なるほど。学校でのICTへの接触頻度が少ないのも分かろうというものです。

 しかるに,そのような推論を許さないデータがあります。上記PISA調査では,対象の学校に対し,「教育用コンピュータの不足が,指導に支障をきたすほど不足している状態にあるか」と問うています。日本とノルウェーの回答分布は以下のごとし。


 コンピュータの客観的な設置状況は日本のほうが明らかに芳しくないのですが,各学校の主観的な不足感は,ノルウェーのほうが高くなっています。この国では,生徒1人につき1台のコンピュータがあるのですが,8割近くの学校が不足感を露わにしています。対して日本は,3人に1台という状況にもかかわらず,6割以上の学校が「不足せず」と答えているのです。

 コンピュータ教室において,順番待ちの列ができたり,数人で1台を使ったりすることがしばしばであれば,各学校は不足感を呈することでしょう。しかし,現実は上のごとし。こうみると,わが国の学校で生徒のICT利用度が低いことは,条件整備の劣悪さだけに帰すことはできないように思えます。

 比較の対象を広げましょう。私は,71の国について,同じデータを作成しました。下図は,横軸に生徒1人あたり学習用コンピュータ台数,縦軸に各学校の不足感をとった座標上に,71の国を位置づけたものです。各学校の不足感とは,「ある程度は不足している」ないしは「大変不足している」と答えた学校の比率です。日本の場合,9.1+4.3=13.4%なり。点線は,71か国全体の値です。


 日本は,コンピュータの台数が少ないのですが,コンピュータが不足していると感じている学校は多くありません。お隣の韓国も,このような性格を持っています。一方,右上にあるロシアは,生徒1人あたり1.5台のコンピュータがあるにもかかわらず,6割超の学校が不足感を訴えています。

 わが国の高校で生徒がコンピュータに触れることが少ないのは,設置されているコンピュータが少ないから,というわけではなさそうです。それよりも,授業においてコンピュータ活用が重視されていない,生徒のコンピュータ活用モチベーションが低い,という要因による部分が大きいのではないかと思われます。

 日本と韓国という,受験競争が激しい社会が左下に位置しているのも,何やら象徴的です。

 しからば,コンピュータについて,わが国の高校生はどういうふうに考えているのでしょう。PISA2009に依拠したICT研究の締めとして,次回はこの点をみてみようと思います。

2012年10月23日火曜日

学校でのICT利用の国際比較

 10月19日の記事でみたように,わが国高校生の場合,自宅でのコンピュータを使ったICT利用度が国際的にみて著しく低くなっています。ケータイやスマホが普及していることの影響もあるでしょう。

 しかし,この種の小型機器では,社会で求められるところのICTスキルが身につかないとも考えられます。自己評価の結果ではありますが,わが国の生徒は,画像編集やマルチメディア資料作成といったスキルの水準が国際的にみて最下位です。

 そうである以上,教育機関としての学校によるテコ入れが要請されるかと思いますが,わが国の生徒は,学校において各種のICTにどれほど親しんでいるのでしょうか。前回までと同様,国際調査のPISA2009に依拠して,データをみてみましょう。

 PISA2009の生徒質問紙調査では,対象の15歳の生徒に対し,「次のことをするため学校でコンピュータをどれくらい利用していますか」と問うています。日本の場合,対象となっているのは高校1年生です。


 私が高校生だったのは20年ほど前のことですから,自分の経験に照らすことはできませんが,今の生徒さんは,学校でこういうことをどれくらいやっているのでしょう。まあ,大学生ならかなりの頻度かと思いますが,15歳の高校1年生は如何。

 9つの項目への反応を個別にみるのは煩雑ですので,選択された数値の合算値でもって,学校でのICT利用度を測る尺度(measure)といたしましょう。この場合,それぞれの生徒のICT利用度は,9点から36点までのスコアで計測されます。全部4に丸をつける猛者は36点となります(4点×9=36点)。全部1を選ぶような,全くの無縁者は9点です。*いずれかの項目に無回答ないしは無効回答がある生徒は分析から除外します。

 対象の生徒から,上記の設問への回答を得ているのは45か国です。主要国の米英仏は含まれていませんが,ここでの目的は日本の位置を明らかにすることですから,まあよしとしましょう。私は個票データを使って,45か国,29万6,348人について上記の利用度スコアを計算しました。下図は,45か国全体と日本の生徒のスコア分布を描いたものです。


 45か国全体でみても日本でみても,9点の生徒が最も多くなっています。9点ということは,①から⑨の全項目で1(まったくか,ほとんどない)を選んだことになります。わが国の場合,9点の生徒が57.2%もいます。ほぼ6割。高校生の5人に3人が,学校においてコンピュータにほとんど触れていないことが示唆されます。

 他国との一元比較を行うため,上図のスコア分布を平均値の形に要約しましょう。わが国の場合,以下のように算出されます。

{(9点×3,228人)+(10点×685人)+(11点×786人)+・・・(36点×5人)}/5,648人 ≒ 10.2点

 学校でのICT利用度平均は約10点なり。わが国の生徒の平均的な回答は,8項目で1(まったくか,ほとんどない),残りの1項目で辛うじて2(月に1~2回)ということになります。

 ちなみに,45か国全体のアベレージは14.4点です。日本の値は,これよりもかなり低くなっています。またしても嫌な予感がこみ上げてきました。あまり気乗りがしませんが,各国のスコア平均を高い順に並べ,わが国の位置がどこにあるかをみてみましょう。


 相対的な差ですが,ここにおいても日本は最下位です。わが国の生徒は,自宅のみならず学校においても,コンピュータを介したICT利用が最も少ないことが知られます。

 前回の記事では,わが国の生徒のコンピュータスキルが国際的にみて最も低いことをみました。自己評定ですので怪しいかなとも思いましたが,自宅でも学校でもコンピュータに接していないことを汲むと,真実性があったりして・・・。

 むーん。教育の情報化の必要がいわれ,学校においても,ICT環境の整備が急ピッチで進んでいるといいますが,そうしたインフラは生徒にはほとんど利用されていないようです。わが国の場合,学校の各種ICTは,教員が授業で用いるためのものなのでしょうか。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/zyouhou/main18_a2.htm

 まあ,上図の結果は,各国の学校にどれほど教育用のコンピュータが設置されているか,ということとも関連していると思います。次回は,そうした条件面の比較を行うつもりです。

2012年10月21日日曜日

生徒のコンピュータスキルの国際比較

 前回は,わが国の高校生のICT利用度が国際的にみて著しく低いことを明らかにしました。ここでいうICT利用とは,自宅のコンピュータを使ったものであり,ケータイやスマホ等の小型機器を介したものは除かれます。

 そうである以上,わが国の高校生のコンピュータスキルはどうなのか,という懸念が持たれます。前回と同様,PISA2009のデータを用いて,この点を吟味してみましょう。

 PISA2009の生徒質問紙調査では,対象の15歳の生徒(日本は高校1年生)に対し,「コンピュータで次のことがどれくらいできるか」と尋ねています。


 情報化が進む現在,身につけておいて損はないスキルばかりです。いや,見方によっては,学生のうちに習得しておくべき必須のスキルであるともいえましょう。これらの5つの項目への反応を合成して,生徒のコンピュータスキルを測る尺度をつくってみます。

 1という回答には4点,2には3点,3には2点,4には1点,というスコアを与えましょう。この場合,回答した生徒のコンピュータスキルは,5点から20点までのスコアで計測されることになります。全部1を選ぶエキスパートは20点,全部4を選ぶ素人さんは5点となる次第です。

 私は,回答が入力された段階のローデータをOECDのホームページからDLし,45か国,29万8,880人のスコアを計算しました。いずれかの項目に無回答ないしは無効回答がある生徒は,スコアを正確に算定できないので,分析から除外したことを申し添えます。
http://pisa2009.acer.edu.au/downloads.php

 下図は,45か国と日本の生徒のスコア分布を描いたものです。


 真ん中辺りをピークとした山型の分布かと思いきや,そうではありません。ほう。45か国全体でみると,20点満点の生徒が最も多いではありませんか(17.2%)。6人に1人が,5つのスキルを完全に習得している生徒ということになります。

 一方,わが国の生徒の場合,15点と10点に山がある分布です。20点満点の生徒は7.4%しかいません。

 この分布から,わが国の高校生のコンピュータスキルが,国際的な平均水準よりも低いことが明瞭なのですが,その程度を可視化してみましょう。何のことはありません。上記スコアの平均値(average)をとるだけです。度数分布から平均を出すやり方はお分かりですね。日本の場合,以下のごとし。

[(5点×93人)+(6点×70人)+・・・(19点×240人)+(20点×418人)]/5,646人 ≒ 13.8点

 45か国全体の平均点は16.3点です。日本は,この水準をかなり下回っています。では,45か国の中で何位なのでしょう。明らかにするのは怖い気もしますが,日本以外の44か国の平均値も計算し,高い順に並べてみました。


 何も言いますまい。わが国の高校生のコンピュータスキルは,堂々の最下位です。目の前のタイとの落差も大きくなっています。

 生徒の自己評価ということに注意が必要ですが,なぜ,こういう憂うべき事態になっているのでしょう。まず考えられるのは,前回みたように,わが国の生徒の場合,自宅でコンピュータに接する頻度が少ないことです。前回の記事では,自宅でのICT利用度が高いと判断された生徒(高群)の比率を国別に出したのですが,この指標と,今しがた明らかにしたコンピュータスキルスコア平均(上図)との相関をとってみると,以下のようです。

 オランダは,ICT利用度のデータがないので,分析に含めていません。ゆえに,この国を抜いた44か国のデータになっています。


 わが国の「外れ値」ぶりはさておき,自宅のコンピュータを介したICT利用度が高い国ほど,生徒のコンピュータスキルが高い傾向にあります。両指標の相関係数は+0.498であり,1%水準で有意です。

 前回も書きましたが,日々の生活において,ケータイやスマホのような小型機器のみならず,コンピュータにも接するよう,生徒を仕向ける必要がありそうです。

 あと一点,学校教育の問題を考えてみましょう。PISA2009の対象は15歳の生徒ですが,わが国では,義務教育段階において,上記の①~⑤のスキルを扱わないのでしょうか。中学校の技術・家庭科の学習指導要領をみたところ,「情報通信ネットワークと情報モラル」,「ディジタル作品の設計・制作」,「プログラムによる計測・制御」というような内容項目が設けられています。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/chu/gika.htm

 しかるに,中学校を出て,高校に入ったばかりの生徒のコンピュータスキルの現実はといえば,上記のごとし。95%の生徒が高校に進学する日本では,本格的な情報教育は,高校段階でなされるのかしらん。前回もいいましたが,現在の高校では,情報科が必修となっています。

 まあ,上級学校への進学率が低く,多くの生徒が早い段階で社会に出るような国では,義務教育において,高度な情報教育が行われている,ということなのかもしれません。

 それにしても,PISA調査のローデータを分析することで,幾多の知見を引き出すことができます。これからも,せいぜい活用していきたいと思っています。

2012年10月19日金曜日

生徒のICT利用の国際比較

 ICTという略語をご存知でしょうか。Information and Communication Technologyの略で,コンピュータや情報通信ネットワーク等からなる,情報コミュニケーション技術のことであると解されます。

 教員採用試験の参考書を書いていて思うのですが,最近,教育政策文書の中に,この3字を目にすることが多くなりました。それもそのはず。社会の情報化が進む中,教育も情報化することが求められているのですから。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/zyouhou/main18_a2.htm

 高等学校において,情報科が必修となったのは1999年の学習指導要領改訂時ですが,現在,ICTを活用する能力を生徒に獲得させることが求められているといえましょう。

 しかるに,実際のところ,生徒がそういう能力を身につけるのは,学校の授業を通してではなく,日頃の生活において各種のICTに親しむことによってではないでしょうか。日本の若者は,ケータイ(スマホ)を肌身離さず身につけ,ヒマさえあればそれと睨めっこしています。動画を観ている者,mixi等のコミュニティサイトにアクセスしている者,その他いろいろですが,こういう日常に浸かっている彼らのICT活用能力は相当なものではないかしらん。

 ところで,世界は広し。他国の若者はどうか,ということが気になります。今回は,日本の高校生のICT利用度を,国際的な見地から相対化してみようと思います。結果を先取りすると,日本の生徒の特異性が明らかになることでしょう。

 用いるのは,PISA2009の生徒質問紙調査のデータです。同調査では,対象の15歳の生徒(日本は高校1年生)に対し,「あなたは,次のことをするために自宅でコンピュータをどのくらい利用していますか」と尋ねています。太字の箇所がポイントです。


 上記の9項目への反応を合成して,各国の生徒のICT利用度を計測する尺度をつくってみましょう。やり方は簡単です。選択された数値を合算するだけです。最高は36点(4点×9=36),最低は9点となります。赤丸は私の回答結果ですが,私の場合,これらを合計して23点となります。

 私は,上記調査のローデータを使って,44か国,29万2,730人のスコアを計算しました。全対象国(74か国)よりもかなり少なくなっていますが,情報インフラがある程度整備された国の生徒にのみ向けられた設問であるためです。ただし,米英仏のような先進国も,この設問への回答は得ていないようです。


 上表は,上記設問に回答した生徒のスコア分布です。ICT利用スコアと呼びましょう。この分布を参考にして,29万2,730人の生徒を3群に分かちました。27点以上は利用度が高い「高群」,20点以下はそれが低い「低群」としました。両者の中間は,「中間群」としました。私は23点ですから,中間群ということになりますね。

 このように区切ると,3群の量のバランスがとれます。では,ICTの利用度をもとに検出した3群の分布が,国によってどう違うかをみていきましょう。わが国では,利用度が高いと判断される「高群」は,どれくらいいるのかしらん。


 上図は,わが国を含む5か国の分布図です。先に記したように,米英仏は,データがありません。図をみると,ほほう。日本の生徒は,何と86.6%が,利用度が低い「低群」に括られます。高群はたったの3.7%しかいません。他の4国とは,明らかに違っています。

 比較の対象を,44か国全体に広げてみましょう。最近,本ブログをご覧頂いている方は,表現方法についてはお分かりかと思います。中間を抜いた,両端の2群の比率に注目します。横軸に低群,縦軸に高群の比率をとった座標上に,それぞれの国を位置づけてみます。


 わが国の「外れっぷり」のすごいこと。日本の高校生のICT利用度は,ダントツで低くなっています。ホンマかいな?と,何度もデータを見直しましたが,こういう結果です。

 「自宅でコンピュータ」とあるので,ケータイやスマホによるメールやサイト閲覧は除かれると解されます。こういう手持ちの機器を除いたら,わが国の高校生のICT利用度はガクンと落ちるのですねえ。世界の最下位まで・・・。

 私は冒頭にて楽観的なことを書きましたが,この手の小型機器では,画像を編集したり,デジタル資料をつくったりというような,実社会で求められるICTスキルは身につかないともいえます。日常生活において,小型機器だけでなく,パソコンにも触れるよう仕向ける必要がありそうです。*ケータイを持たない私の場合,常に逆のことを言われますが。

 さて,こういう状況ですので,わが国の高校生のICT活用能力がどういうものかが懸念されます。同じくPISA2009の生徒質問紙調査では,画像を編集する,データベースをつくる等の能力についても問うています。回を改めて,この種のスキルの国際比較を行おうと思います。

2012年10月17日水曜日

教員のバイト化

 10月13日の朝日新聞Web版に,「私立高教員37%が非正規,生徒減り経営難,人件費抑制」と題する記事が載っています。詳細な内容は,タイトルをみればピンとくるかと思います。
http://www.asahi.com/job/news/TKY201210120696.html

 上記の記事でいう「非正規」教員とは,講師職の教員のことです。講師とは,「教諭又は助教諭に準ずる職務に従事する」職のことで(学校教育法第37条),常勤講師と非常勤講師の2種類に分かれます。前者はフルタイム勤務で,産休・育休代替講師等が多くを占めます。後者は,数時間の授業をするためだけに雇われている,いわゆる時間講師です。

 朝日新聞の記事では,両者の合算をもって非正規教員としているようですが,私としては,後者の時間講師に限定したほうがよいのではないか,と思います。産休・育休をとる教員や病気で休職する教員が増えているなか,常勤講師の増加は,ある意味,不可避のことといえます。

 問題なのは,時間講師のような,細切れの時間給で働く「バイト」先生が増えることでしょう。この種の教員は,まさに「人件費抑制」という理由によって増やされます。

 細切れの時間勤務のゆえ,生徒と顔を合わせるのも断続的な時間講師があまりに増えることは,総体としての教育実践に大きな影響をもたらします。時間講師は職務を単なるバイトと割り切り,雇う側は彼らを仲間とはみなさない傾向もあります。私の知人で,採用試験に受かるまで4年ほど公立中学校で時間講師をやったという人がいますが,ある学校の校長から「バイトさん」などと呼ばれ,相当凹んだとのこと。

 このようなことは,現在,学校現場に強く求められるチーム・プレーが発動するのを妨げる条件にもなり得るでしょう。私は,時間講師の比率でもって,教員の非正規化(バイト化)傾向を可視化してみようと思います。

 文科省の『学校基本調査』では,教員は本務教員と兼務教員に分類されています。ここで問題にする,細切れ勤務の時間講師は,後者のうちの講師に相当します。2011年度の数字を出すと,公立小学校は18,353人,公立中学校は14,166人,公立高校は31,106人なり。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001011528

 この数が,広義の教員(本務+兼務)全体に占める比率を出すと,下表のようです。各学校種について,公私に分けて率を計算しました。


 上級の学校ほど,そして公立よりも私立校において,時間講師依存率は高くなっています。ほう。私立高校では,この率が29.6%にもなります。私立高校の場合,学校に出入りする教員の3人に1人が時間講師(バイト先生)ということになります。

 このような状況は,いつ頃から現出してきたのでしょう。1975年から2011年現在までの推移をたどってみました。私が生まれてからの時期のほぼ相当しますが,この期間中,各学校種において,時間講師の比率がどう変わってきたのかを図示します。

 下図は,横軸に公立校,縦軸に私立校における時間講師率をとった座標上に,各年のデータを位置づけて,線でつないだものです。小・中・高の3本の曲線が描かれています。


 校種を問わず,右上がりの曲線になっています。公立校でも私立校でも,教員のバイト化が進んでいることが知られます。ヨコよりもタテ方向の伸びが大きいことから,その程度は,私立校で大きいようです。この点については,説明不要でしょう。

 ただ高校の場合,1990年代以降はヨコ方向へのシフトが目立っています。公立高校の時間講師依存率は,1990年の11.0%から2011年の14.5%にまで増えました。私立は,28.1%→29.6%です。近年の傾向でいうと,公立校のバイト化傾向が顕著です。私立高校教員のバイト率約3割というのは,かなり前からのものだったようです。

 小・中・高において,教員のバイト化が進行していることが分かりました。これは時代変化ですが,地域別の違いも気になります。文科省の『学校基本調査』に県別統計が載っていますが,そこで集計されているのは公立校の数値です。

 教員のバイト率が高いのは私立校なので,私立校の地域別データがないものか探したところ,東京都内の地域別統計をみつけました。ただ,そこで示されているのは兼務教員の数です。でも,上表から分かるように,全国統計でみた場合,兼務教員の8割は時間講師です。よって,兼務教員の比率から,教員のバイト化傾向の程度を推し測ってもよいでしょう。

 下の表は,東京都内の市区別に,私立高校教員の兼務教員率を計算したものです。aとbの数値は,2011年度の『東京都・学校基本調査』から得ました。ペンディングになっているのは,私立高校がない地域です。
http://www.toukei.metro.tokyo.jp/gakkou/2011/gk11qg10000.htm


 ほう。大都市の東京では,多くの市区において,私立高校教員の兼務率が高くなっています。50%超の地域の数値にはマークをしましたが,11の市区において,教員の兼務率が半分を超えています。

 最高は調布市の73.8%です。仮に,全国統計と同様,兼務教員の8割が時間講師だとすると,当該市の私立高校教員の時間講師依存率は,73.8×0.8=59.0%となります。5人に3人がバイト先生です。ちょっと割り引いて補正率を7割とすると,51.7%。これでも半分を超えます。

 補正率7割として,上表の各市区の時間講師依存率を推し量ってみました。下図は,結果を地図化したものです。


 黒色は,私立高校教員の時間講師率の推定値が4割を超える地域です。調布市(51.7%),昭島市(45.3%),国立市(41.2%),そして清瀬市(40.3%)が該当します。ほか,多くの市区が30%台ですが,全国値が29.6%であることを思うと,大都市・東京では,私立高校教員のバイト化傾向がより顕著であるといえます。市場も大きいが,その分,競争も激しい,ということでしょう。

 以上,小・中・高校教員のバイト化傾向を数字でもって可視化しました。こうした変化が,教育実践の効果に及ぼす影響は,決して小さなものではないでしょう。当局もこの問題を意識しているようであり,9月7日に公表された「子どもと正面から向き合うための新たな教職員定数改善計画案(5か年計画)」では,「非正規教員増加の抑制」を図ることが意図されています。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/hensei/003/1326013.htm

 これから先,上図の非正規化曲線がどう推移するのか。注目されるところです。

2012年10月15日月曜日

教員の転職・就業休止希望率

 私は,2009年度から10年度まで,武蔵野大学現代社会学部で卒業論文ゼミを担当しました。総勢36名の学生さんを送り出しましたが,みなさん,どうしているのやら。

 中には,メールで近況を知らせてくれる人もいます。「結婚しました」というような吉報もあれば,そうでないものもあり,数としては,後者のほうが多いように思います。その多くが,今の仕事を「ヤメタイ」というものです。

 詳しい事情をここで紹介することはできませんが,職場不適応を起こしている人が多いな,という印象です。もしかすると,私のパーソナル・インフルエンスが遠因として作用しているのかもしれませんが・・・。

 さて,学校の教員の場合,どれほどが「ヤメタイ」と思っているのでしょうか。朝日新聞教育取材チームの『いま,先生は』岩波書店(2011年)を引くまでもなく,現在,学校のセンセイは大変です。教員の危機の量を測る指標として,本ブログでは,離職率や精神疾患罹患率を分析してきた経緯がありますが,総務省の『就業構造基本調査』から,転職希望率,就業休止希望率のような指標を計算できることを知りました。
http://www.stat.go.jp/data/shugyou/2007/7.htm

 『就業構造基本調査』でいう教員は,法で定める1条学校の教員のほか,専修・各種学校等の教員をも含みますが,母集団の組成からして,大半が小・中・高校の教員であるとみてよいでしょう。
 
 2007年度の本調査結果から,調査時点(10月1日)において,転職ないしは就業休止を希望している教員の数を知ることができます。用語解説によると,転職希望者とは,「現在就いている仕事を辞めて,他の仕事に変わりたい」と思っている者です。就業休止希望者は,「現在就いている仕事を辞めようと思っており,もう働く意思のない者」とのこと。

 正規雇用されている男性教員について,転職希望者と就業休止希望者の数を年齢層別に整理しました。また,両者の合算値が全体に占める比率も出してみました。なお,60歳以上の高齢教員は,分析から除外しています。


 まず全体の数値をみると,教員64万人のうち,転職もしくは就業休止を希望している教員はおよそ4万人となっています。比率にすると6.5%,約15人に1人です。

 しかし,この比率は年齢層によって異なり,入職して間もない20代前半の若年教員では,転職希望率は12.0%にもなります。8人に1人が「ヤメタイ」と思っているわけです。申しておきますが,これは正規教員の数値であり,時間講師のような非正規教員は含みません。

  右端の転職・就業休止希望率は加齢ともに低下し,定年間際の50代になると再び増加うする傾向です。しかし,20代前半の値が飛びぬけていることが注目されます。

 以上は男性教員の傾向ですが,女性教員ではどうでしょう。また,教員の特徴を把握するには,他の職業との比較も必要です。このような要求に応える統計図をつくってみました。下図は,就業者全体,専門・技術職,そして教員の3カテゴリーについて,上表の指標を性別・年齢層別に出したものです。言うまでもないことですが,教員は専門・技術職の一つです。


 教員の転職・就業休止希望率は,おおむね,就業者全体や専門・技術職全体よりも低いようです。ですが,教員の場合,20代前半と後半の落差が大きいことが特徴です。また,50代になると率の上昇具合が高いことも注目されます。

 教員の場合,各種の危機や困難が,入職したての時期と退職間際の時期に集中する度合いが高いといえるかもしれません。そういえば,7月23日の記事で出した年齢層別の病気離職率も,似たような傾向を呈していました。

 20代前半の危機は,慣れない職場に対する戸惑いや動揺という点から解釈できるでしょう。50代の高齢教員については,体力の衰えというようなことに加えて,教員を取り巻く状況が近年になって激変していることに対する不適応の表れとも読めます。

 まあ,こうしたことは,多かれ少なかれどの職業でも同じでしょうが,教員の場合,それが殊に強いのではないか,と推察されます。最近やや緩和されているとはいえ,教員の年齢ピラミッドをみると,下の若年層の部分がやせ細っています。そのことは,若年教員が孤軍奮闘しなければならないような状況を準備しているともいえます。8年前に起きた,静岡県磐田市の新任女性教員の自殺事件の背景には,このようなことがあったそうです。

 ところで,若年層と高年層に挟まれた中年層は安泰かというと,そういうことではありません。この層の場合,実践家から管理者への役割変更というような,ライフコース上の危機が待ち構えています。この点については,紅林伸幸教授が指摘されています(「教師のライフサイクルにおける危機」油布佐和子編『教師の現在・教職の未来』教育出版,1999年)。

 さて,今年(2012年)は,5年に1度の『就業構造基本調査』の実施年ですが,教員の転職・就業休止希望率のカーブはどうなっていることでしょう。結果が公表されるのを,期して待ちたいと思います。

2012年10月13日土曜日

子どもの遊び場

 ヒマをみては,面白そうな官庁統計資料がないものかサーチしています。政府統計の総合窓口(e-Stat)にて,わが国の官庁統計を軒並み検索することができます。府省別,分野別,さらにはキーワードでの検索も可能です。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/eStatTopPortal.do

 文科省の資料はだいたい知り尽くしたので,厚労省のもので,使えそうな未知の資料はないかと探したところ,『全国家庭児童調査』というものをみつけました。18歳未満の児童とその保護者を対象とした調査で,家庭生活,学校生活,交友関係などの様相を,学年別に知ることができるスグレモノです。こんなものがあるとは知らなかった。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/72-16.html

 最新の2009年度調査の統計表をみると,面白そうなものがわんさとあるのですが,その中に,「児童数,学年等,性,遊び場」(第63表)というのがあります。私は,この表のデータを使って,子どもの遊び場が学年によってどう違うかを明らかにしてみました。

 下図は,寄せられた回答(M.A)の内訳を面グラフで表現したものです。


 子どもの生活の中で「遊び」は重要な位置を占めますが,その場所は,発達段階によってかなり異なるようです。小学生では,自宅,友人の家,公園といった近隣がほとんどですが,年齢を上がるにつれて行動範囲が拡大し,高校生段階では,店,繁華街,ゲーセン,そしてファミレスなどが多くを占めるようになります。

 まあ,当然といえば当然ですが,中高生の非行化との関連を懸念する方もおられると思います。非行化の過程は,当人の生活態度が不安定化する過程(プッシュ)と,非行のきっかけ要因に遭遇する過程(プル)の2つに分かれます。

 受験勉強に打ちひしがれている今の中高生は,多かれ少なかれ誰もが生活態度を不安定化させていますが,彼・彼女らが刺激の多い繁華街等に繰り出した場合,非行化に傾きやすくなるともいえます。上述の2つの過程がドッキングするわけです。

 非行の予防活動は,青少年の健全育成と有害環境の除去という,2つの柱からなります。前者は上述のプッシュ要因,後者はプル要因の排除に相当します。この2つは車の両輪のようなもので,いずれも欠くことのできないものです。

 私見ですが,児童期は健全育成,思春期・青年期では有害環境との接触防止に力点を置くべきではないかと考えます。

 かといって,私は,子どもを抗菌空間の中で育てろなどといっているのではありません。そのようなことは,社会の「シャ」の字も知らぬ人間を育てることにつながるのであって,フリーターやニートのような若者の自我拡散傾向も,こうしたよからぬ隔離に由来する面があることは疑い得ないでしょう。

 ですが,子どもの自我の赴くままに,ほったらかしにしておいてよい,ということではありません。今の子どもは,就労経験や生活経験という面では大人の世界から完全に隔離されている一方で,ネット等の普及により,よからぬ部分において,以前は厳としてあった垣根を簡単に飛び越えることができるようになっています。

 なすべきことは,前者の垣根を低くし,後者の垣根を高めることでしょう。有害情報をブロックするフィルタリングソフトの導入などは,後者の仕事に位置すると考えられます。各種の就労体験やインターンシップなどは,前者に属するといえましょう。

 低くすべきとことは低くし,高くすべきところは高くする。現在の青少年施策の難しさは,このような「ビミョー」な綱渡りをしなければならないことにあります。

 上図に戻りますが,中高生にもなると行動範囲が拡大し,各種のピア・グループもできてきます。そこに埋め込まれた「見えざる」教育力は,家庭や学校での教育力をも凌駕することがしばしばです。たとえば,自治や自律の精神などは,対等な人間関係の集団の中で育まれる面を強く持っています。

 ですが,それをほったらかしにしてよい,ということではありません。子どものピアグループというのは,一歩間違うと,即座に非行集団に転化してしまうような弱さを持っています。中高生の行動範囲の拡大にしても,それが見聞を広めることになるか,それとも逸脱カルチャーとの接触の機会を増やすだけのことになるかは,紙一重の差です。それゆえに,保護者や教員による適切な指導(方向づけ)が必要であるといえます。

 非行少年,とりわけ凶悪犯で捕まった少年の母親に,放任的な養育態度の者が多いことは,前回みた通りです。それは,サイモンズがいうように,放任的な親子関係のもとでは攻撃的な人格が形成されることに由来する部分もあるでしょう。ですが,形成途上の自我をうまく指導(ガイド)されなかった少年の悲劇を表現した事実であるともとれます。

 少し長くなりましたが,上記の統計図をみて,私はこのようなことを思った次第です。

2012年10月11日木曜日

親の養育態度と非行

 先日,警察庁の『犯罪統計書-平成23年の犯罪-』が公表されました。この資料は,犯罪者や非行少年の数が計上された,最も公的な原統計です。警察庁のサイトにて,閲覧することができます。
http://www.npa.go.jp/toukei/index.htm

 この資料によると,2011年中に警察に検挙された14~19歳の非行少年は77,696人だそうです。性懲りもなく何度も悪さをしでかして御用となる輩もいますので,この数は延べ数です。

 警察庁の上記資料には,非行少年の家庭環境について仔細に調査した結果が掲載されています。その中に一つに,非行少年の保護者の養育態度に関する統計表があります(表108)。父親と母親のデータが載っていますが,子どもと接する時間が長いと考えられる母親の養育態度の内訳をみてみましょう。


 放任,拒否,過干渉,気まぐれ,そして溺愛という5つのカテゴリーが設けられていますが,まあ,全体の4分の3は,これらのいずれにも該当しない普通の養育態度を持った母親です。

 養育態度の歪みの中で最も多いのは「放任」です。非行少年の5人に1人が,母親の養育態度が放任と判断されています。他のカテゴリーはごくわずかですが,溺愛が1.7%でこれに次ぎます。

 ですが,これは全罪種をひっくるめた統計です。非行の多くは万引きのような非侵入盗ですが,殺人や強盗のようなシリアス度が高い罪種もあります。当然,罪種によって親の養育態度はかなり異なるものと思われます。

 たとえば,殺人少年56人の場合,そのうちの25人(44.6%)が,放任的な母親のもとで育ったと判断されています。性犯罪の強姦については,全体の10.1%が溺愛です。全罪種でみた数値(1.7%)よりもはるかに高い値です。

 他の罪種についてもみてみましょう。母親の養育態度の歪みとして多いとされる,放任と溺愛の比率に注目します。横軸に溺愛,縦軸に放任の比率をとった座標上に,14の罪種を位置づけてみました。点線は,上記の円グラフでみた,全罪種の場合の比率を意味します。溺愛は1.7%,放任は19.5%です。


 図の上にあるのは放任の比率が高い放任型,右にあるのは溺愛型といえます。放任型には,殺人,強盗,傷害など,アグレッシブな罪種ばかりが属しています。強姦やわいせつといった性犯罪は,溺愛型に括られます。

 これをどうみるかですが,上図の傾向を支持する学説があります。サイモンズによる,親の養育態度の類型論です。サイモンズは,「拒否-受容」,「支配-服従」という2本の軸を組み合わせて,養育態度の4類型を析出しています。

 図をつくるのが面倒なので,拙著『教職基本キーワード1200』(実務教育出版)の該当頁の写真を提示します。


 右下の無視型は,放任型といいかえてもよいでしょう。サイモンズによると,放任型の親子関係で育った子どもは,攻撃的な人格になる傾向があるのだそうです。なるほど。まさに,上図の傾向と符合しています。

 はて,放任的な親子関係と攻撃的人格はなぜ結びつくのでしょう。教育社会学の授業で,学生さんに聞いてみたところ,「かまってもらえないので,自己顕示欲が強いんじゃないですか?」という意見が多かったです。

 ふむふむ。ほったらかしにされた子どもは,欲求を充足してもらいたい場合,大声を出す,暴れるなど,攻撃的なアクションをしなければならないので,攻撃的な人格が形成されていく,ということは考えられます。

 次に,溺愛的な親子関係と性犯罪のつながりはどうでしょう。この点について,ある学生さんと次のような会話をしました。

「『13歳のハローワーク』に,性的なことに関心を持つ子どもは,幼少期に愛情を注がれなかったって書いてありましたよ」
「溺愛って,ベタベタに可愛がることじゃないの」
「でも,それって本当の愛情ではないですよね」
「・・・」

 達観した物腰でこう言われて,思わず納得してしまいました。愛情欠如と性犯罪の関連については,何かの心理学関係の本で読んだことがありますが,溺愛というのは,見方によっては愛情欠如に含めて考えることもできるのかもなあ,と思った次第です。

 私の授業では,授業の主題に関連する統計を分析し,グラフを描いてもらい,そこで浮かび上がった傾向について議論することが多いです。学生さんの側も,自分で電卓を叩いて数値を計算し,精魂込めて描いたグラフであるだけに,愛着を持つといいますか,議論に食いついてくれることが多いように感じます。

 授業の受講生の方に申します。ケータイの電卓を使うのもいいですが,できれば,卓上電卓をお持ちください。買う必要はありません。お家のちゃぶ台の上にあるやつをちょっと借りてくるだけで結構ですので。

2012年10月9日火曜日

「学校なんて時間の無駄だった」の国際比較

 前回は,PISA2009の生徒質問紙調査の結果をもとに,学校で学んだことに対する生徒の評価が,国によってどう違うかを明らかにしました。また,国際データにおけるわが国の位置も知りました。

 そこで分かったのは,日本の15歳の生徒(高校1年生)は,これまで学校で学んだことをあまり高く評価していない,ということです。15歳の生徒にとって「これまで学校で学んだこと」とは,義務教育学校で学んだこととほぼ同義でしょう。

 私は,4つの項目への生徒の反応を合成して,一つの尺度(measure)を構成したのですが,項目それぞれへの反応を仔細にみてみると,他国との差が出ているのは,「学校なんて時間の無駄だった」に対する意識であることが分かりました。

 「時間の無駄」とはなかなか手厳しい文言ですが,わが国の生徒がこの項目にどう反応しているかは,他国とかなり違っています。下図は,わが国を含む7か国の生徒の反応分布です。無回答,無効回答は除外しています。(   )内は,各国のサンプル数です。


 日本の場合,全体の33.6%が「とてもよくあてはまる」と答えています。15歳の生徒の3人に1人が,これまで学校で学んだことを,何の躊躇いもなく「無駄だった」と評しているわけです。 「どちらかといえば,あてはまる」までも含めた,広義の肯定率は66.6%(3人に2人)にも達します。図中の7か国の中で最高です。

 6か国との比較だけでは心もとないので,PISA2009の全対象国(74か国)の中に,わが国を位置づけてみましょう。両端の回答比率をもとに2次元のマトリクスを構成し,その中に各国のドットを散りばめてみました。


 最近,本ブログを続けてみて下さっている方には,もうお馴染みの図です。中間の回答を抜いた横着なものですが,多数の国の傾向と,その中におけるわが国の位置を一目で知ることができます。

 右下にあるのは,「学校なんて時間の無駄だった」と感じている生徒が多い国です。左上にあるのは,その反対です。斜線は均等線であり,この線よりも下にある場合,強い否定よりも強い肯定のほうが多いことを意味します。

 図をみると,日本は右下のほうにプロットされています。ほう。上には上がいるようで,インドのタミル・ナードゥ州では,15歳の生徒の4割が「学校なんて時間の無駄だった」と断言しています。その次が日本(33.6%),それに次ぐのがマレーシア(32.8%)です。

 少ししか国名を記していませんが,右下にあるのはアジア諸国ばかりですね。一方,図の左上は,軒並みヨーロッパ諸国です。オーストリアでは,15歳の生徒の半分近くが,これまでの学校生活を有意義だったと評していることが知られます。ドイツは約4割。米英仏の3国は,縦軸上の位置はかなり下がりますが,横軸の回答比率よりは高くなっています。お隣の韓国も然り。

 わが国では,15歳の生徒の多くが,これまでの学校生活を「無駄だった」と評しているのですが,それはどういう事情によるのでしょう。この問題に接近するための手立ての一つは,「無駄だった」という評価は,どういう属性の生徒で多いのかを明らかにすることです。

 日本のデータに限定して,いくつかの属性変数とのクロス集計を行った結果,上記項目への反応分布は,在学している高校のタイプによって違うことが分かりました。ここでいう高校のタイプとは,進学校,準進学校,非進学校,というものです。

 進学校とは,学校質問紙調査において,多くの保護者から有名大学進学期待があると答えた学校です。準進学校は,そういう期待が一部の保護者からあると答えた学校です。非進学校は,その手の期待がほとんどないと答えた学校です。

 「学校なんて時間の無駄だった」という項目に有効回答を寄せた,日本の高校1年生6,065人を,在学している高校のタイプに依拠して3群に分かち,各群の反応分布をとってみました。


 進学校に在籍している生徒ほど,肯定の回答が多いことがうかがわれます。微差ではありますが,サンプル数が多いので,統計的には有意な差です。

 進学校ほど,学校なんて時間の無駄だったと断じる生徒が多い。これをどう解釈したものでしょう。先ほども述べましたが,PISA2009の対象は高校1年生ですので,「時間の無駄だった」と回顧しているのは,それよりも下の義務教育学校であるとみてよいでしょう。

 進学校を目指す生徒は,学校の授業なんかそっちのけで,塾での勉強に精を出すといいます。たとえば,中学受験をする児童は,教員も保護者も公認で学校を休ませたりします。こういうことの表れなのではないかと思います。

 このことは,児童・生徒の高度な要求に応えられていないという,学校の側の問題でしょうか。そういう見方もあるでしょう。現在では,学校の教員の授業研修に,塾や予備校の講師が指導者として招かれることが多々あります。

 ですが,学校は受験学力を身につけるところではありません。各教科のほか,道徳,総合的な学習の時間,および特別活動など,子どもの総体的な発達を促すためのカリキュラムが組まれています。ですが,生徒の側は,そのようなトータルな成長の場として学校を捉えてはいないようです。

 わが国において,「学校なんて時間の無駄だった」と評する生徒が多いのは,全面的な成長ができない,職業に役立つ技術を教えてくれない,ということではなく,受験に役立つ知識を教えてくれないから,ということに由来する部分が大きいようです。ちょっと寂しい思いがします。

 しかし,原因はこれだけではありますまい。学校を「無駄だった」と評するか否かを分かつ要因を,林の数量化Ⅱ類(判別分析)で解明する作業も面白いかと思います。この種の多変量解析を手掛けるのは久しぶりですので要復習です。

2012年10月6日土曜日

学校で学んだことに対する評価の国際比較

 PISA2009の生徒質問紙調査のデータセットづくりを進めています。74か国,51万5,958人分のデータです。ケース数が膨大なので,設問ごとにファイルを分割しています。

 PISA2009の質問紙調査では,対象生徒の家庭環境,学校観,教師観,読書嗜好,ICT利用状況など,興味深い事項を数多く尋ねています。これらの設問への回答結果を,自分の関心の赴くままに自由自在に分析できるわけです。

 この恩恵は,3K資源(カネ,コネ,肩書)がある専門研究者だけではなく,万人にもたらされています。SASやSPSSといった高度な解析ソフトが必要というのでもありません。OECDの下記サイトからテキスト形式の圧縮データをDLし,それを展開してエクセルに取り込めば,データセットの完成です。ピボットテーブル機能を使うことで,単純集計やクロス集計程度のことは難なくこなせます。
http://pisa2009.acer.edu.au/downloads.php

 今回は,各国の生徒が,学校で学んだことをどう考えているのかを明らかにしようと思います。9月29日の記事では,日本の国語の授業が知識注入的なものに偏しているのではないか,という問題提起をしたのですが,この種の授業を受けている(受けさせられている)わが国の生徒は,学校で学んだことをどう捉えているのでしょう。また,国際データの中での位置は如何。PISA2009のデータを使って,この点を吟味してみようと思います。

 PISA2009の生徒質問紙調査のQ33(日本語版では問29)では,「あなたが今まで学校で学んだことについて,次の文章はどれくらいあてはまりますか」と問うています。


 調査対象は15歳の高校1年生ですから,「今まで学校で学んだこと」とは,高校入学後だけではなく,それよりも下の義務教育学校で学んだことをも含むものと解されます。いや,在学期間から考えて,後者のほうがメインであると思われます。

 提示されている項目は4つですが,①と④は,社会生活や職業に役立つことを教わったかを問うものです。③についても興味が持たれます。人間の一生というのは,ある意味,決断の連続ですから。②は,文言がなかなかスパイシーですね。

 さて,4項目への反応を合成して,学校で学んだことに対する評価の度合いを測る尺度をつくってみましょう。値が高いほど,好ましい意味を持たせるようにします。③と④は,設問の選択肢の数字をそのまま使えます。ネガティヴ項目の①と②については,数値を反転させます。1という回答には4点,2には3点,3には2点,4には1点を与えるわけです。

 このような決まりを置くと,各生徒の評価のレベルは,4点から16点までのスコアで計測されます。16点は最高評価,4点は最低評価です。いずれかの項目に無回答ないしは無効回答がある生徒は,スコアの正確な算定ができないので,分析から除外します。下表は,74か国,49万8,281人のスコア分布です。


 10点をピークとした,とてもきれいな分布です。私は,この分布を参考にして,全生徒を3群に分かちました。8点までの者は低評価群,12点以上の者は高評価群とします。9~11点の者は,双方の中間ということで中間群とします。

 <   >内の数値は,各群の比率(%)です。3等分というのではありませんが,このような区切り方が,最もバランスのよいものだと思います。まあ,各国の生徒を同列の基準で仕分けるのですから,大きな問題はありますまい。

 では,この3群の分布が国によってどう違うかをみていきましょう。まずは,日本を含む主要国,お隣の韓国,そして中米のコスタリカのデータをお出しします。(   )内は,各国のサンプル数です。日本の場合,スコアを明らかにし得た6,041人の分布が図示されています。


 むーん。日本は,7か国の中で高評価群の比率が最も低くなっています。わずか11.0%です。逆をみると,低評価群の率が4割にも達しています。それと正反対なのがコスタリカです。中米のこの国では,15歳の生徒が,学校で学んだことを高く評価しています。スコアが12点を超える高評価群もが42.2%もおり,低評価群のほうはたったの7.3%しかいません。

 先進4か国(米英独仏)は,わが国とコスタリカの中間というところです。お隣の韓国は,わが国に近い状態ですが,低評価群の比率は低くなっています。中間層が厚い型です。

 以上は7か国の比較ですが,これだけでは,日本の位置を知るのにには不十分です。PISA2009の全対象国の分布図の中に,日本を位置づけてみようと思います。中抜きの2群の比率をもとに2次元のマトリクスを構成し,その中に74か国を定位することにいたしましょう。

 下図は,横軸に低評価群,縦軸に高評価群の比率をとった座標上に,74か国を散りばめたものです。わが国(38.9%,11.0%)の位置に注目してください。


 図の見方ですが,左上にあるほど,高評価群の率が高く,低評価群の率は低いことになります。すなわち,学校で学んだことに対する生徒の評価が高い国と解されます。右下に位置する国は,その逆です。斜線は均等線であり,この線よりも上にある場合,高評価群のほうが低評価群よりも多いことになります。

 さて,わが国はいうと,極地ではありませんが,右下のゾーンに位置しています。低評価群の率は74か国の中で1位,高評価群の率は下から5位です。前者の比率がダントツで高いことを考えると,わが国は,学校で学んだことに対する生徒の評価が最も低い国であるといえそうです。

 日本の近辺には,アジアの諸国が多く位置しています。北欧のフィンランドがこのゾーンに位置するのは,ちょっとばかり意外です。

 一方,図の左上をみると,中南米の諸国が申し合わせたように名を連ねています。イギリスはそのすぐ下にあり,米独仏の3国は中間よりも少し下の位置にあります。

 9月29日の記事に続いて,またしも,わが国の好ましくない状況が明らかになりました。これをどうみたものでしょう。受験体制の影響でしょうか。しかし,わが国以上に受験競争が熾烈な韓国との距離が大きいことから,そればかりを強調することはできますまい。

 ここでは,15歳の生徒に対して「今まで学校で学んだことをどう思うか」と尋ねた設問の結果を分析したわけです。上級学校への進学率が低い中南米の諸国では,義務教育の早い段階において,実践的な職業教育の比重が大きく,わが国はそうではないことから,上図のような結果になったとも考えられます。

 国民の共通教育としての義務教育では,普遍性の高い普通教育に重きが置かれますが,その程度は国によって異なるでしょう。半分以上の子どもが高等教育に進学するわが国では,義務教育の内容の普遍性(抽象性)が殊に高い,ということかもしれません。

 しからば,上図の傾向を等閑視してよいかというと,そういうことではありません。義務教育段階でも職業教育は実施されるべきであり,法規の上でも,義務教育として行われる普通教育においては,「職業についての基礎的な知識と技能,勤労を重んずる態度及び個性に応じて将来の進路を選択する能力を養うこと」と規定されています(学校教育法第21条)。また,近年重視されているキャリア教育は,幼児期から体系的に実施することとされています。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/1301877.htm

 今回のデータは,早期の段階における職業教育が,わが国では脆弱なのではないか,という問題を提起します。

 しかるに,問題はそれだけではありません。今回使った4項目への反応を個別に出してみると,他国との差が大きいのは,②の「学校なんて時間の無駄だった」に対する反応です。わが国では,全生徒の66.6%(3人に2人)が,「どちらかといえば,あてはまる」ないしは「とてもよくあてはまる」と答えています。「とてもよくあてはまる」の選択率は33.6%(3人に1人)です。

 上図の対極に位置するコスタリカの選択率は,順に27.0%,6.9%なり。えらい違いです。わが国では,15歳の生徒の多くが,これまでの学校生活を「時間の無駄だった」と評していることが知られます。

 社会に役立つ職業技術云々というようなことよりも,もっとトータルな次元において,教育機関としての学校に対する,生徒目線の評価が芳しくないことがうかがわれます。「時間の無駄」という手厳しい言い回しの中身を,具体的にイメージできる言葉において,多様な角度から検討することが求められるでしょう。

 また,「時間の無駄」と感じる生徒が,どういう属性で多いのかを吟味することも重要かと存じます。新自由主義のゆとり教育路線のもと,下層の生徒が自発的に勉学から下りていく様を明らかにしたのは苅谷剛彦教授ですが,ここでみたような,学校とのボンド(絆)の程度にも,社会階層格差がみられるかもしれません。
 
 PISA2009の生徒質問紙調査では,生徒の保護者の学歴や職業について問うています。これらを組み合わせて社会階層変数を作成し,クロス集計をしたらどうでしょう。また,関連の様相が国によってどう違うかも興味深いところです。

 「学校から下りていく下層の子どもたち」。このような現象がわが国に固有のものかどうかは,こうした分析によって明らかになることでしょう。

2012年10月5日金曜日

学位の有無別にみた博士課程修了者の進路

 8月30日の記事では,大学院博士課程修了者の進路状況を明らかにしました。資料は,文科省の『学校基本調査報告(高等教育機関編)』です。

 これは最も公的な基幹統計ですが,進路カテゴリーの区分が粗いという難点があります。「就職」にしても,大学専任教員ないしはポスドクなど,職種の構成が気になります。また,いずれのカテゴリーにも該当しない「その他」というのがクセモノで,この広範な「屑かご」カテゴリーの中身が見えないことも不満です。

 上記の記事に関するツィッター上のつぶやきを拝見しても,そのような声がちらほら見受けられます。そこで,修了生の進路をもっと仔細に調べ上げた調査資料はないものかと探してみたところ,文部科学省科学技術政策研究所の手になる『我が国における人文・社会科学系博士課程修了者等の進路動向』というものをみつけました。
http://www.nistep.go.jp/archives/5432

 この調査の対象は,2002年度から2006年度までの博士課程修了生(満期退学者も含む)です。抽出調査ではなく,全数調査とされています。なるほど。収集された総ケース数(75,197人)は,『学校基本調査』から分かる,同期間の修了生の累積値とほぼ等しくなっています。

 5つの年度の修了生について,修了直後の状態を再現してみましょう。下図は,主な専攻系列ごとの帯グラフです。


 就職者の職種構成が分かるようになっていますが,理系の場合,ポスドクや研究職が多いようです。文系は,大学の専任職や非常勤職(その他)でしょうか。修了と同時に大学専任職をゲットできた(幸運な)者は,私がでた教育・芸術系の場合,全体の17.4%なり。人文系は10.1%,社会系は15.8%です。ここでいう専任には,有期雇用も含まれますので,まあ,こんなものでしょう。

 ちなみに私は,2005年春の教育系修了者で,修了直後は大学非常勤講師でしたから(今も),上図の緑色の部分に含まれることになります。

 次に,右側の「おめでたくない」層に目を転じましょう。文系の3専攻系列では,職業不明という者が最も多くなっています。ほぼ3人に1人です。職業不明の事由の多くは,連絡がつかなかった,ということであろうと思われます。その意味で「行方不明者」と言い換えてもよいかと思いますが,表現に飛躍がありますので,資料の記載の通り,職業不明者ということにしましょう。

 続いて,黒色の「無職」に注意してください。この中には,学生や専業主婦(夫)は含みません。これらは,お隣の⑥に含めています。したがって,上図でいう無職は,非自発的な理由で職に就けないでいる者であるとみてよいでしょう。

 こうみると,修了生の惨状の度合いを測るバロメーターは,⑦と⑧の合算値であるといえましょう。ほう。人文系と社会系は,この値がちょうど4割に達しています。5人に2人です。やはり,理系よりも文系の専攻で惨度が高いようですね。この点は,『学校基本調査』から分かることと同じです。

 ここまでは,8月30日の記事のおさらいのようなものですが,本記事の主眼はこれからです。ここで参照している科学技術政策研究所の資料では,人文・社会系の博士課程修了生の動向が仔細に分析されています。タイトルに偽りなしです。

 上図でみたような修了直後の状態を,各系列の下にある細かい専攻分野ごとに知ることもできます。人文系の場合,文学,史学,および哲学という下位分野を内包していますが,これらについても同じ統計をつくることができるわけです。

 また,さらにスゴイのは,博士号学位取得者と満期退学者の違いも分かることです。文学専攻の場合,前者は798人,後者は1,839人となっていますが,この2つの群で,修了直後の状態がどう異なるのかが注目されます。この点を吟味することは,学位取得の効果(benefit)を測ることにもつながるでしょう。

 私は,文系の8つの専攻分野の修了生について,修了直後の状態を,博士号学位の有無別に明らかにしました。上図の8つのカテゴリーの組成をベタに提示する必要は薄いと思うので,明の部分(②大学専任+④研究職)と,暗の部分(⑦無職+⑧職業不明)に焦点を合わせることにしましょう。

 横軸に大学専任・研究職(明),縦軸に無職・職業不明(暗)の比率をとった座標上に,16の群を位置づけてみました。8つの専攻分野の修了生を,学位の有無で分割した16群です。Aは学位取得者,Bは満期退学者であることを意味します。


 予想がつくことですが,ほとんどの分野において,Bが左上,Aが右下に位置しています。やはり,専攻を問わず,学位取得者のほうが正規職にありつける確率は高いようです。一方,学位を取らないで退学した者は,よからぬ状態に陥る可能性が相対的に高いことが知られます。

 図中の16の群のうち,惨度が最も高いのは芸術専攻の退学者です。この群では,全体の53.8%が無職ないしは職業不明者です。ほか,商学・経済学や人文系の3専攻の退学者が,近辺に位置しています。

 対極の右下に目を移すと,社会学や教育学の学位取得者は比較的好調です。点線の斜線は均等線であり,この線よりも下にある場合,無職・職業不明者よりも,大学専任教員・研究者のほうが多いことになります。

 社会学専攻では,A群とB群の位置の開きが大きくなっています。つまり,学位の有無による差が大きい,ということです。この専攻の場合,在学中に何とか学位を取りたいものですね。

 こうした学位の有無による違いを,専攻分野ごとに可視化してみましょう。各専攻分野について,AとBの位置を線でつないでみました。矢印の始点(しっぽ)はB,終点(行き先)はAの位置です。矢印が長いほど,学位取得の効果が大きいことが示唆されます。


 法学・政治学を除く全ての分野において,右下がりの矢印になっています。博士号をとることで,無職・職業不明率が減じ,代わって正規就職率が増す,ということです。しかし,線の長さはまちまちで,最も長いのは社会学です。この専攻の場合,博士号をゲットすることで,「天への川」を渡ることができます。私が出た教育学専攻も然り。

 法学・政治学専攻のみ,矢印の向きが他と違っています。学位をとることで,無職率は下がりますが,正規就職率もダウンします。この専攻の場合,司法試験浪人などがいますから,他と異なる傾向になるのではないかと推察されます。

 本記事で新たに分析したことは,学位の取得の有無によって,人文・社会系の博士課程修了生の状況がどう変異するかです。皆さまの参考に与するところがあれば幸いです。

2012年10月3日水曜日

国語の授業スタイルの国際比較(続)

 今日は肌寒い日となっています。いかがお過ごしでしょうか。

 さて,9月29日の記事では,高校国語の授業スタイルの国際比較を手掛けたのですが,この記事をみてくださる方が多いようです。使った資料は,PISA2009の生徒質問紙調査のローデータです。下記サイトより,回答結果が入力された段階のローデータをDLできます。
http://pisa2009.acer.edu.au/downloads.php

 上記記事では,以下の7項目への生徒の反応を合成して,彼らが受けている国語の授業の進歩性を計測する尺度(measure)を構成したのでした。ここでいう生徒とは,15歳の高校1年生です。


 いずれも,考える力のような,生徒の諸能力を開発を目指す開発主義教授に関わる項目と読めます。したがって,これらを合成して一つの尺度を構成するというやり方は間違ってはいなかったと思います。その結果,わが国の「特異」すぎる位置が明らかになったことでもありますし・・・。

 しかるに,7項目それぞれに対する反応はどうか,という関心もあるかと思います。とある方から,この点に関するデータを示していただけないか,というメールをいただきました。今回は,そうした要望にお答えしようと思います。

 先の記事では,開発主義教授の性格が最も強い国は東欧のハンガリーであり,その対極に日本が位置していることを知りました。7つの項目への反応が,この2国でどう違うのかをみてみましょう。

 さあ,どれからみたものか。私は高校生の頃,結構文学少年?で,国語の先生にどういう作家を読んだらいいのか尋ねたことがあるのですが,「教科書に載ってる作品だけ読みゃいいんだよ」と一蹴され,興ざめしたことがあります。そこで,まず④への反応分布から比べてみようと思います。無回答,無効回答を除外した分布図を掲げます。カッコ内の数字はサンプル数です。


 
 ほう。両国では,生徒の反応が大違いです。前者では8割が肯定していますが,わが国の肯定率は2割弱です。かつての私のような経験を味わっている生徒さんもいるのだろうなあ。「んなの,受験にカンケーねえだろ!」みたいな・・・。

 先の記事の統計図において,日本とハンガリーは対極的な位置にあるのですが,それは,こういう部分の違いによるのでしょうね。ですが,他の項目においては,もっと大きな反応の差が見受けられるかもしれません。

 上図のような帯グラフをあと6つ描くというのは煩雑ですし芸がないので,表現方法の工夫をします。横軸に強い否定の回答(ほとんどない),縦軸に強い肯定の回答(いつもそうだ)の比率をとった座標上に2国を位置づけ,線でつないでみました。


 矢印の始点(しっぽ)はハンガリー,終点はわが国の位置を表します。左上にあるほど肯定率が高く,右下にあるほど否定の率が高いことを示唆します。当然ですが,すべての項目において,ハンガリーが左上,日本が右下にあります。

 ですが,両国の位置間の距離はまちまちです。お分かりかと思いますが,矢印が長いほど,反応の違いが大きい項目であると解されます。どうやら,の項目への反応で差が出ているようです。文章の意味を深めさせる,本や作家をすすめる,物語と実生活を関連づける,というようなものです。

 なるほど。わが国では,こういう部分が弱いのですね。要改善点であるといえましょう。④についてはとくに。子どもの読書活動推進の取組がなされている状況でもありますし。
http://www.mext.go.jp/a_menu/sports/dokusyo/

 さて,読書の秋になりました。私は最近,青春モノのライト・ノーベルにハマっています。越谷オサムさんの作品を読みあさっています。この人の作品は,読後感がとてもいいのです。メイド喫茶のバイトで津軽三味線をひく女子高生が主人公の『いとみち』の続編,『いとみち・二の糸』(新潮社)が発刊されたとのこと。週末の九州行きの車中のお供は,これでキマリです。
http://www.shinchosha.co.jp/book/472304/

2012年10月1日月曜日

台風一過の朝

 昨日は台風がすさまじかったですが,今日は晴天でした。こういう日は,散歩に限ります。自宅近辺の「ゆうひの丘」からの眺望を一枚。早朝に撮ったものです。


 雲一つない,抜けるような青空です。10月は,秋晴れの季節。週末の連休に,法事で九州に行くのですが,晴天になりますように。

 多摩市連光寺3丁目の「ゆうひの丘」は,都内でも有数の眺望スポットであり,ドラマのロケ地にもよく使われるとのこと。そういえば,この夏放映されたTBSドラマ「黒の女教師」の第2話において,この場所が映りました。栗原くんが下村さんを探す場面です。

 この番組は終了しましたが,来年の頭にDVD化されるとのこと。台詞中の統計データの監修として関わっただけに楽しみです。
http://www.tbs.co.jp/kuro-no-onna/