2011年3月30日水曜日

小学校の教採競争率

 2010年の小学校教員採用試験の受験者は54,418人で,10年前の2001年の46,770人よりも増えました。これだけみると競争が激化したように思えますが,採用数が5,017人から12,284人へと倍以上になりましたので,競争率は9.3倍から4.8倍へと下がりました。

 しかし,この10年間の変化は,県によってまちまちです。東京は4.6倍から3.5倍に下がりましたが,東北の青森では,11.5倍から25.2倍へと増えました。ただでさえ高かった競争率がさらに高まり,この県では,小学校の教員になるのが非常に難しい状況です。一方,競争率を大きく低下させた県もあります。その最たる例が徳島で,2001年の35.8倍から2010年の5.5倍へと激減しています。

 他の県はどうなのでしょうか。私は,47都道府県について,小学校教員採用試験の競争率の変化を一望できる図をつくりました。下図は,横軸に2001年の競争率,縦軸に2010年の競争率をとった座標上に,47都道府県を位置づけたものです。各県の競争率の統計は,文科省のサイトから得ました。URLは以下です。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/senkou/1243155.htm

 なお,指定都市の分は,当該都市が位置する県の分と合算しています。たとえば,横浜市は,神奈川県の統計に組み入れています。


 直線Y=Xよりも上方にある県は,この期間中に競争率が上がった県です。Y=XとY=X-10の間にある県は,0~10ポイント下がった県です。Y=X-10とY=X-20の間の県は,10~20ポイント下がった県です。Y=X-20よりも下方に位置する県は,競争率が20ポイント以上下がった県です。順に,Ⅰ型(増加型),Ⅱ型(微減型),Ⅲ型(減少型),Ⅳ型(激減型),と命名しましょう。

 団塊世代の大量退職により,多くの県の競争率が低下しているなか,競争率を増加させているのは,青森,福井,岩手,長崎,鹿児島,および新潟の6県です。一方,競争率を20ポイント以上下げている県は,沖縄,栃木,徳島,そして和歌山の4県です。首都の東京は,1.1ポイント減で,Ⅱ型に属しています。

 しかしまあ,Ⅳ型の県では,激戦を勝ち抜いた「精鋭」世代と,「ゆとり」世代の教員が混在することになるわけです。これらの世代は,年齢もそれほど違いません。たとえば徳島では,10年前の試験で35倍の競争をくぐりぬけた世代と,5倍ほどの競争率の世代が机を並べて勤務するわけです。このようなギャップが,何かよからぬ事態を引き起こすことはないでしょうか。

 ここで検出したタイプによって,教員の不適応の量がどれほど異なるかは興味深い問題です。教員の不適応の量的規模は,たとえば,離職率のような指標で測れるでしょう。現在,精神疾患で休職する教員が増えていますが,こうした問題を考えるに際しては,教員集団の組成の側面からも迫ってみる必要があると思います。

2011年3月29日火曜日

受験地獄

 「四当五落」という言葉があります。4時間しか寝ない受験生は試験に通るが,5時間も寝る者は不合格になる,という格言です。大学受験の時,この言葉を合言葉にして,勉学に勤しんだ経験を持たれる方も多いでしょう。かくいう私も,高校3年の時,担任教師からこの言を何度も聞かされました。

 受験地獄とはよく言ったものですが,大学受験に関係する,悲惨な事件も過去に起きています。今から30年前の1980年11月29日,20歳の男子予備校生が,金属バットで両親を殴り殺すという事件が起きました。浪人生活2年目の加害者が,金銭の使い込みや飲酒を咎められて,逆上したことによるものです。

 長期にわたる浪人生活で生活態度が不安定になっていたところに,親の叱責というきっかけ要因が結びついたが故の犯行といえるでしょう。

 この加害者は,犯行時,浪人生活2年目(2浪目)であったそうです。ということは,1979年(現役時)と80年(1浪目)の受験に失敗していることになります,統計によると,1979年の大学入学志願者(浪人含む)は,約64万人です。この年の春の大学入学者は41万人ほどですから,単純に考えて,差し引き23万人が不合格になったことになります。志願者の36%が辛苦を舐めたということです。本事件の加害者もそのうちの1人でした。

 今しがた述べたことは,今から30年前の状況ですが,他の時期ではどうだったのでしょうか。私は,大学入学志願者(浪人含む)と大学入学者の統計を時系列でつなぎ合わせて,以下の図を作成しました。統計の出所は,文部科学省(文部省)『学校基本調査報告』の各年次版です。


 図の合格者とは,当該の年の大学入学者です。不合格者は,大学入学志願者数から入学者数を差し引いて得たものです。両者の差分の全てが,不合格者であるとは限りませんが,おおよその近似値としては使えるでしょう。この図から,各時期の受験競争の激しさをうかがうことができます。

 志願者全体に占める不合格者の比率(不合格率)が4割を超えるのは,1966~69年と,1987~92年です。最高は1990年の44.5%で,この年では,志願者の半分近くが試験に失敗したことになります。当時は,第2次ベビーブーマが受験期にさしかかった頃であり,受験の激しさもハンパじゃなかったようです。ちなみに,私はこれより少し後の1995年の受験生です。

 しかし,その後,志願者の数の減少と歩調を合わせるがごとく,不合格者も減ってゆき,2010年春の結果は,不合格1:合格9という構成になっています。図の左上に,1990年と2010年の組成図を載せましたが,両者の違いが明白です。「大学全入時代」,さもありなんです。

 1990年に大学受験を経験したのは,現役生だと1971年生まれ世代です。この世代は,子ども期にかけて厳しい競争を課せられてきたわけですが,このことが,彼らの人格形成や社会化のありように,何かしら影響した,という側面はないのでしょうか。「ゆとり世代」と揶揄される今の学生世代と比べて,何か顕著に異なるところがあるのでしょうか。

 子ども期の生活経験が,その後(成人後)の人生にどう影響するか,という問題は,社会学の主題の一つになり得ると思います。方法としては,個別訪問の形で1人1人に面接するというものがメインになるでしょうが,マクロな統計の面からも接近可能であると存じます。

2011年3月28日月曜日

大学進学率の将来予測(続)

 日頃より,このブログを閲覧いただいている方には,感謝申し上げます。ブログの統計ツールにて,どの記事の閲覧頻度が高いかをチェックしますと,首位ではありませんが,1月26日の「大学進学率の将来予測」の記事を見てくださる方が多いようです。

 先の記事では,5年刻みのラフな予測をしましたが,ここでは,逐年の事態予測を,視覚的な統計図でご覧に入れようと思います。

 大学進学率とは,その年の大学入学者数を,18歳人口で除した値です。前者には,18歳よりも上の者(いわゆる浪人)も含まれますが,当該の年の18歳人口からも,ほぼ同じ量の浪人生が発生すると仮定し,両者が相殺するとみなします。よって,この意味での大学進学率は,浪人生込の大学進学率です。

 2010年春の大学入学者数は,およそ62万人です(文科省『学校基本調査(高等教育機関編)』)。この年の18歳人口122万人に占める比率は,51%となります。今後,この値はどうなっていくのでしょうか。分母の18歳人口については,国立社会保障・人口問題研究所による精密な予測があります。よって,分子の大学入学者数を想定すればよいことになります。まずは,2010年の数(62万人)が,この先ずっと維持されると仮定してみましょう。この場合の事態を図示すると,以下のようになります。


 今後,トータルの18歳人口はどんどん減少し,40年後の2050年にはおよそ68万人になることが見込まれます。その一方で,大学入学者の数は62万人のまま維持されるのですから,大学進学率(大学入学者のシェア)は著しく大きくなります。このシナリオによると,大学進学率は,2030年には70%,2050年には91%にも達します。まさに,「大学全入」です。

 100%あり得ない非現実的なシナリオと思われるかもしれませんが,どうだかは分かりません。18歳人口は,ピーク時(1992年)の205万人から,2010年の122万人にまで激減しましたが,それでも,大学側の(がめつい)努力により,この期間中,大学入学者の数は54万人から62万人に増えたという事実があります。

 まあ,この予測が極端であることは認めましょう。では,もう少し現実性のある仮定として,今度は,大学入学者数が年ごとに0.5%ずつ減っていくと考えます。これによると,2011年の大学入学者数は,前年の62万人に0.995を乗じて求められます。2012年の数は,2011年の数×0.995・・・以後,同じです。では,シナリオ2として,下図をご覧ください。


 これによると,大学入学者の数も減っていき,2050年には51万人ほどになると見込まれます。2010年よりも2割減です。これは大学にとっては手痛いことで,学生が集まらずに倒産する大学も多く出てくることでしょう。しかし,これでも,大学進学率は,2030年は63%,2050年は74%にもなります。まだまだ非現実的というべきでしょうか。

 大学がひたすらに利を追求し,シナリオ1のような事態になったら,子どもの生活は著しく歪められることになります。大学が,伝統的進学層(18歳人口)とは別の顧客を開拓すべきであることは,先の記事でも申し上げました。絵空事といわれるかもしれませんが,余暇社会・生涯学習社会といわれる今日,そのための条件は以前よりも熟していると思います。

2011年3月26日土曜日

大卒者の賃金の国際比較

 前回みたように,わが国では,学校化が進行し,上級学校に進む者が非常に多くなっています。2010年春の大学進学率は,51.0%です(18歳人口ベース)。それだけに,大卒者の「非」特権化も進んでいるものと思われます。

 今回は,わが国の大卒者の相対賃金がどれほどのものか。また,それは国際的にみて,どの辺りに位置づくのかを明らかにしようと思います。

 OECDの"Education at a Glance 2010"には,高卒者(高等教育に括られない中等後教育機関の卒業生も含む)の賃金を100とした場合の,大卒・大学院卒の相対賃金が掲載されています。日本の25~34歳の場合,その値は138.9です(2008年)。おおよそ,1.4倍というところです。この値を,OECDの27か国の中に位置づけてみましょう。各国の統計は,2008年もしくは使用できる最新の年次のものだそうです。資料のURLは以下です。
http://www.oecd.org/document/52/0,3343,en_2649_39263238_45897844_1_1_1_1,00.html#d


 日本の値は,OECD平均を下回っています。表では,値が高い順に国を並べていますが,最も高いのはハンガリーで191です。その次がアメリカ,ポルトガル,トルコ,と続いています。逆に低いほうに注目すると,デンマークやノルウェーといった北欧諸国で大卒者の相対賃金が低くなっています。

 各国の値の高低は,おそらく,大卒者の量的規模と相関していることと思います。OECDの同じ資料によると,わが国の25~34歳人口に占める大卒者の比率は31%ですが,大卒者の相対賃金が最高のハンガリーでは,23%と少数派です。一方,大卒者の賃金が高卒とさして変わらないノルウェーでは,大卒者が全体の44%をも占めています。


 両変数の相関関係を図示すると,上図のようになります。大卒者の量が増えるほど価値が下がるといいますか,負の相関です。相関係数は-0.5394で,統計的に有意です。しかし,アメリカのように,大卒者が多いにもかかわらず,その相対賃金が高い国も存在します。

 アメリカは超のつく学歴社会で,高卒だと,マクドナルドの店員にしかなれない,という文章を何かの本で読んだ覚えがあります。一方,同程度,いやそれ以上に高等教育が普及していても,デンマークやノルウェーでは,そのような学歴による違いは存在しないようです。

 高等教育が普及した社会というのは,2つのタイプに分けられます。その1は,大学を出ないと,人並みの生活から締め出される社会です。アメリカはその例でしょう。その2は,大学を出ても大したことはない,という社会です。北欧の諸国がこれに該当すると思います。

 今後,日本の位置はどのように変化していくのでしょうか。図の右上(アメリカ方面)にいくのでしょうか。それとも,右下(北欧方面)にいくのでしょうか。私としては,後者であってほしいと思います。

2011年3月25日金曜日

学校化の進展

 私は1976年生まれですが,この年に生まれた子どもの数は約183万人です。この183万人が,この世に生を受けて34年が過ぎたわけですが,各人,いろいろな人生を歩んだことでしょう。

 学校への就学という点からすると,大学には行かず高校までで社会に出た者,大学に行った者,私のように大学院博士課程まで行った者もいれば,わずかでしょうが,義務教育(中学校)を卒業してすぐに社会に出た者もいると思います。

 私が中学校を卒業したのは1992年ですが,この年の中学校卒業者数はおよそ177万人です(早生まれの除外などにより,出生人口より若干少なくなっています)。この177万人のうち,高校に進学したのは95.0%です。よって,私の世代(1992年中学卒業)でいうと,中学止まりは全体の5.0%となります(①)。

 この177万人のうち,3年後の1995年春に,大学,短期大学,専修学校専門課程などの高等教育機関に進学したのは64.7%です(②)。よって,高校どまりであった者の比率は,100-(①+②)=30.3%となります。

 私の世代(1992年中学卒業)の就学歴は,中学までが5.0%,高校までが30.3%,高等教育機関までが64.7%,という内訳になります。中学校の同窓会に50人集まったとすると,2人が中卒,15人が高卒,残りの33人が高等教育卒,という構成になるのが普通です。

 この就学歴のプロフィールは,当然,時代とともに大きく変化してきたことでしょう。私は,1955年中学校卒業世代から,2006年中学校卒業世代までの就学暦を,上記と同じやり方で明らかにしました。資料は,文部科学省『文部科学統計要覧・平成22年版』によります。


 横軸には,中学校を卒業した年が示されています。1955年に中学校を出た世代は,中学までが48.5%,高校までが40.8%,高等教育機関までが10.7%,という構成です。ところが,半世紀を経た2005年の中学卒業世代では,順に,3.5%,19.7%,76.8%,というように,状況が激変しています。

 今日では,同世代の95%超が高校に進み,8割近くの者がさらに上の高等教育機関に進む,という具合です。まさに「学校化社会」です。教育を受けることは権利として保障されていますので,各人が進学を欲するならば,その希望は尊重されるべきでしょう。しかし,社会的同調の圧力が生じ,好むと好まざるとに関係なく,上級学校への進学が強いられる社会というのは,まことに「生きづらい社会」です。私のみるところ,現代の日本は,そういう社会になりつつあるように思えます。

 このような社会における子どもの育ちとはどういうものか。この問題について,現在,考えをまとめているところです。

2011年3月23日水曜日

49市区の子どもたち⑧

 これまで,東京都内49市区の子どもたちの状況を診てきました。今回は,最後の作業として,手元にある49枚のカルテを大雑把にタイプ分けしてみようと思います。

 方法はいたって簡単です。スコアが3.5を超える項目(突出項)がどれかに注目します。突出項が複数ある場合は,スコアが最も高いものをとります。たとえば,肥満が3.5,学力が4.7の千代田区の場合,後者を突出項と考えます。

 肥満が突出しているタイプを「肥満問題型」,学力が突出しているタイプを「学力順調型」,不登校が突出しているタイプを「脱学校型」としましょう。スコアが3.5を超える指標がない場合は,「中庸型」としておきます。


 この方法で49市区を分類し,地図上で塗り分けると,上記のようになります。大まかにみて,同じタイプが地理的に固まっていることが注目されます。肥満問題型は北東部,学力順調型は中央部,脱学校型は西部,という具合です。

 脱学校型は,都心のベッドタウンという郊外的な地域の性格と関連していると思われます。残りの2タイプの分布は,地域住民の階層構成の違いを反映しているのではないでしょうか。学力順調型は,明らかに住民の階層構成が高い地域に偏していると思われます。肥満問題型は,その逆であると思われます。1月12日の「健康格差」の記事をご参照いただければと存じます。

 今回の作業は,3つの指標だけを使った試行的なものです。今後,使える指標をもっと集め,作業の精密度を高めていこうと思います。これまで8回もの間,同じ主題にお付き合いいただき,ありがとうございました。

2011年3月22日火曜日

49市区の子どもたち⑦

 東日本大震災の影響で,首都圏では計画停電が実施されていますが,仕事が妨害され,手痛いところです。停電中も,せめて読書くらいはできるようにと,充電式のデスクスタンドを買いました。ともあれ,停電がこない深夜に原稿書きなどをするようになり,すっかり夜型の生活になってしまいました。まあ,これも一興ではありますが。

 さて,「49市区の子どもたち」シリーズも,だらだらと単調に続けていてもつまらないので,そろそろ終わりにしたく思い,具体的なカルテの提示は今回でおしまいにします。今回は,板橋区,練馬区,足立区,葛飾区,江戸川区,および八王子市のカルテをみます。


 都内東部と,北部および西部の地域です。これら6市区のカルテを以下に示します。


 足立区と葛飾区で,子どもの肥満児率がかなり高いことが注目されます。子どもの食生活の点検が要請されるところです。広大な面積を持つ八王子市は,49市区全体の図形とほぼ重なっています。

 さて,これで都内30市区のカルテをお見せしたことになりますが,残りの19地域については,スコア値のみを一括して掲載します。関心ある方は,ご自分の地域のカルテを描いてみてください。手書きでもエクセルでも,ほんの5分もかからない作業です。


 スコアが3.5を超える箇所には,マークをつけています。各地域の課題点を認識していただければと思います。

 次回は,49市区を大まかにタイプ分けし,地図上で塗り分ける作業をしてみようと思います。これでもって,このシリーズをおしまいといたします。

2011年3月21日月曜日

49市区の子どもたち⑥

 今回は,調布市,町田市,小金井市,小平市,日野市,そして東村山市の診断カルテをみてみましょう。これらの地域は,都の中部から南部に位置しています。


 カルテは,以下です。肥満傾向児の比率は,子どもの発育面を測る指標です。学力は能力,不登校は逸脱行動の側面を計測するためのものです。指標の詳細は,3月16日の記事をご覧ください。


 不登校児の出現率が高い地域が多くなっています。小金井市を除く5地域では,不登校率が49市区の値を凌駕しています。前回みた諸地域と同様,近郊地域型ともいうべき傾向です。小平市と東村山市は,肥満児率も同時に高くなっていることが懸念されます。一方,小金井市は比較的望ましい型を呈しているようです。

 次回は,再び都内の東部に移動して,足立区や葛飾区などの下町地域のカルテをご紹介します。

2011年3月20日日曜日

49市区の子どもたち⑤

 23区ばかりをみていてもつまらないので,今回は,都内西部の市部のカルテをみてみましょう。ご紹介するのは,国分寺市,国立市,福生市,狛江市,東大和市,および清瀬市です。


 都の統計書では,連続して記載されている地域ですが,地理的には分散しています。では,これらの地域のカルテを示します。青色は当該地域,赤色は49市区全体の図形です。


 これまでみた23区内の地域と違って,不登校率の高い地域が目につきます。国立市,福生市,狛江市は,不登校率が全体水準を上回っています。国立市はスコアは5.0で,都内で最高です。実際の値は6.7‰で,49市区全体の3.3‰の倍以上です。ほか,清瀬市の肥満児率の高さが気にかかります。

 23区とは異なり,これらの地域は,都心に通うサラリーマンのベッドタウン的な性格を持っています。人口の出入りも相対的に激しいことでしょう。他地域から転校してきた児童が,新たな学校になじめない,というような事情も少なくないことと推察します。

 次回は,同じ多摩地域の調布市や町田市などのカルテをお出しします。

2011年3月19日土曜日

49市区の子どもたち④

 今回は,墨田区,江東区,品川区,目黒区,大田区,そして世田谷区のカルテをご覧にいれましょう。これらの地域は,都内の南東部に位置しています。


 6つの地域のカルテは以下です。青色は当該地域,赤色は49市区全体の図形を示します。


 全体の平均的なすがたに近い地域が多いようです。目黒区と世田谷区では,子どもの算数の学力が高いことが注目されます。次回は,目線を西に移して,国分寺市や国立市などの市部のカルテをお見せします。

2011年3月18日金曜日

49市区の子どもたち③

 これから数回かけて,東京都内49市区の子どもの診断カルテをご紹介します。今回ご覧いただくのは,千代田区,中央区,港区,新宿区,文京区,および台東区のカルテです。まず,これら6区の地理的な位置を示しておきます。


 中央官庁が建ち並ぶ中心地域です。これらの地域では,校庭が広くとれないので,やむを得ず,校舎の屋上に運動場を設けているような学校も多いと思いますが,こういう地域の子どものすがたはどういうものでしょうか。以下に,6地域のカルテを提示します。


 青色が当該地域の三角形で,赤色は49市区全体のスコア(3.0)を示します。このカルテで使っているスコアの詳細については,お手数ですが,3月16日の記事を参照願います。

 さて,図をみると,学力の項が突出している地域が多いようです。文京区は5.0で,都内49市区で最高です。一方,台東区は,肥満率のスコアが5.0でこちらも都内最高なのですが,この点は,やや気になるところです。子どもの食生活の実態などの点検が求められるかと思います。

 次回は,墨田区,江東区などのカルテをお見せします。

2011年3月17日木曜日

49市区の子どもたち②

 前回は,東京都内49市区について,子どものすがたを捉える3つの指標を算出しました。また,それらの値を1~5までのスコア値に換算しました。今回は,このスコア値を使って,各地域の診断カルテを作ってみようと思います。


 まずは,私が在住している多摩市からみてみましょう。本市の場合,肥満児出現率が大変低くなっています。スコアが1ということは,49市区で最低ということです。これは結構なことといえましょう。学力は,49市区全体(3.0)とほぼ同程度です。ただ,不登校児出現率の突出がやや気にかかります。スコアは3.8で,全体の水準を凌駕しています。

 3つの観点からみた場合,多摩市は,子どもの脱学校兆候がやや際立っています。しかるに,この部分に問題が特化されていますので,今後の重点の置きどころが明確です。


 次に紹介するのは,多摩市と同じく都内の西部に位置する福生市のカルテです。当市は,問題が複合的です。子どもの発育状況の改善,脱学校兆候の克服,および学力の向上という,3つの課題があることが知られます。


 最後に,比較的望ましい様相を呈しているケースとして,武蔵野市のカルテをお見せします。子どもの肥満率や不登校率が平均水準より低く,学力は高くなっています。学力偏重教育が行われるあまり,子どもの発育が阻害されるようなことがあってはなりませんが,本市の場合,そのようなバランスの欠如は見受けられません。

 次回は,引き続き,他の地域のカルテをご覧いただきます。

2011年3月16日水曜日

49市区の子どもたち①

 私は,2008年7月に,『47都道府県の子どもたち』という本を出しました。そこでは,いろいろな統計指標を使って,各県の子どもたちのすがたを捉えたのですが,県という地域単位は,あまりにも大きすぎるのではないか,というご意見をよくいただきました。

 確かに,一つの県の中には,社会的特性を著しく異にする地域(市町村)が含まれており,こういう多様性を捨象してしまうのは,望ましいことではないでしょう。そこで,県よりももっと下りた,市町村レベルでの診断をやろうと前から思っていたのですが,資料収集の困難の理由で,断念していました。しかるに,東京都内の地域については,多少の資料を得ることができましたので,試行的な意味合いも込めて,作業を手掛けてみることにします。診断の対象は,都内の49市区です。

 診断の観点は,A)発育状況,B)能力,C)逸脱行動,というものです。Aは,肥満児出現率で計測します。Bは,学力テストの成績で測ります。Cは,不登校児の出現率で計測します。これらの3指標について説明します。

 肥満児出現率は,学校医から肥満傾向と判定された児童が,全児童に占める比率のことです。2009年の公立小学校4年生の統計を使います。資料は,東京都教育委員会『東京都の学校保健統計』です。49市区全体の値は2.3%ですが,49市区別にみると,最高の4.8%から最低の0.2%までの差があります。

 次に,学力テストの成績ですが,用いるのは,東京都教育委員会『平成22年度・児童生徒の学力向上を図るための調査』の結果です。この中の,「読み解く力」の問題の平均正答率を使おうと思います。「読み解く力」とは,①必要な情報を正確に取り出す力,②比較・関連付けて読み取る力,③意図や背景,理由を理解・解釈・推論して解決する力,という要素からなるそうです。公立小学校4年生の算数の結果を使用します。49市区全体の平均正答率は53.5%です。49市区中の最大値は66.3.%,最小値は35.3%です。

 最後に,不登校児出現率ですが,字のごとく,不登校児が全児童に占める比率のことです。不登校児とは,「不登校」という理由で,年間30日以上欠席した児童です。2009年度間の小学校の不登校児数を,同年の小学校の児童数で除した値を使います。資料は,東京都教育委員会『公立学校統計調査報告書(学校調査編)』です。この指標の49市区全体の値は3.3‰です。49市区中の最大値は6.7‰,最小値は0.4‰です。


 49市区(一部は省略)について,これら3指標の値を示すと,上記のようになります。表の左欄が実値ですが,このままだと,各地域の状況を把握するのは困難です。それぞれの指標の値が,49市区全体の値と比べてどうか,49市区全体の分布の中でどの辺りにあるのかが,一目で分かるような工夫をしたいものです。

 右欄のスコア値は,このような必要を満たすために算出したものです。この数字は,49市区中の最大値を5,最小値を1,49市区全体の値を3とした場合,各地域の値がどうなるかを示したものです。学力テストの平均正答率を例にとって,説明しましょう。下図をみてください。


 図には,3つの点(35.3,1.0),(53.5,3.0),(66.3,5.0)を通る2次曲線が描かれています。この関数式を使って,各地域の平均正答率の実値を,1~5の間に収まるスコア値に換算しようというのです。私が住んでいる多摩市の場合,正答率のスコア値は,以下のように算出されます。
     0.0015×(52.4)×(52.4)-0.0229×52.4-0.0548≒2.9

 2.9ということは,49市区全体の値とほぼ同じ,つまり普通程度ということになります。このような工夫を施すことで,各地域の指標の値が,全体の中でどの位置にあるか,ということが直ちに分かります。また,異なる指標の相対水準を比較することも可能です。

 次回以降,このスコア値を使って描いた,各地域の診断カルテをご紹介したいと思います。

2011年3月15日火曜日

選挙に行くのは誰か

 2009年8月30日の衆議院議員選挙の結果,自民党から民主党へと政権が移りました。前者にとっては,結党以来初めて衆院の第1党の座を追われるという,歴史的な一大事です。深刻な経済不況,進む格差社会化など,好ましくない社会状況に愛想をつかした国民の多くが,政権交代を望んだため,という見方がなされています。

 この選挙の小選挙区の投票率は,東京都の場合,66.4%でした。投票率とは,有権者のうち,投票を行った者の割合です。この投票率を,都内の地域別にみると,最も高い檜原村の71.9%から,最も低い江戸川区の62.2%まで,10ポイントほどの開きがあります。島部をのぞく,都内の53市区町村の値を,地図化すると,以下のようになります。データは,東京都選挙管理委員会のホームページから得ました。URLは,http://www.senkyo.metro.tokyo.jp/h21syugiin/indexb.html です。


 70%を超える高率地域は,千代田区,文京区,北区,檜原村,および日の出町です。前3者の区部では,政治意識の高いインテリ層が多いためでしょうか。後2者の群部では,若者が少なく,高齢層が比較的多いためでしょうか。

 これは一部ですが,53地域すべての傾向を観察すると,やや気になる傾向が出てきます。私は,東部の地域が軒並み白く染まっていることに関心を持ちました。1月12日の「健康格差」の記事で指摘しましたが,これらの地域は,都内でも貧困層が比較的多い地域です。

 私は,それぞれの地域の投票率が,生活保護世帯率とどういう関連にあるのかを調べました。後者は,2009年の生活保護世帯数(月平均)が,同年の全世帯数に占める比率のことです。資料は,東京都の『福祉・衛生統計年報』です。この指標が最も高いのは,台東区で76.5‰となっています。全世帯の7.6%が生活保護を受けている,ということです。


 上記の相関図によると,必ずしも明確ではありませんが,生活保護率が高い地域ほど投票率が低い,という傾向が看取されます。相関係数は-0.3249でした。53というサンプル数を考慮すると,5%水準で有意であると判定されます。生活保護率が飛びぬけて高い台東区を外れ値として除くと,相関係数は-0.3701となります。

 個人単位でみれば,年齢が高い者ほど,社会階層が高い者ほど,政治意識が高いと考えられますので,さして驚くべきことではないのかも知れません。しかし,それも度が過ぎると,選挙という民主主義的な過程を経て,既存の(不平等)構造が再生産されていく,というようなことが起こり得るのではないでしょうか。

 政治学の分野の一つに,選挙行動分析というものがあるかと思いますが,社会階層と投票行動の関連について,どういう事実が明らかになっているのか。また,それに対し,どういう考察がなされているのか。私としては,興味を持ちます。

2011年3月14日月曜日

地震の統計

 3月11日の東日本大震災の被害に遭われた方には,心よりお見舞い申し上げます。今回の地震は,マグニチュード9.0であり,観測史上最大規模の地震であったようです。

 気象庁のホームページから,過去に起きた地震の震度について知ることができます。震度とは,揺れの大きさを測る尺度です。地震の規模を示すマグニチュードとは少し違う概念です。最大は震度7であり,このレベルになると,人は立っていることもできず,建物やビルなどが倒壊するとされています(気象庁震度階級関連解説表)。今回の地震は,当然,この最高レベルに相当するものです。

 私は,上記のホームページのデータベースを使って,1926年1月1日から2011年3月10までに起きた地震の震度を,度数分布の形に整理しました。データベースのURLは以下です。
http://www.seisvol.kishou.go.jp/eq/shindo_db/shindo_index.html


 この期間中の地震の回数は,合計で170,933件と記録されています。おおよその年数(85年)で除すと,だいたい,1年あたり2,000回ほどの地震が起きてきたことになります。もっと均すと,1日あたり5回というところです。まさに,わが国は地震大国です。

 さて,震度の分布をみると,まあ,震度1というごく軽微のものが全体の4分の3を占めています。震度5を超えたものは338回で0.19%,震度6を超えたものは42回でほんの0.02%です。震度7の最高レベルのものは2回。1995年の阪神大震災が,このうちの1回と思われます。では,震度6を超えた42回の地震の具体的なすがたを紹介しましょう。


 先ほどの表に記載された42回に,今回の東日本大震災を加えた43件です。43回中28回が,2000年以降に起きています。天変地異の前触れでしょうか。震源は,北日本の沿岸地域に多いようです。地震の規模を示すマグニチュードは,7以上が18回,8以上が3回です。今回のマグニチュード9.0は,確かに観測史上最大に位置しています。

 私は,何か事があると,それが過去の長期的な歴史の中のどの辺りに位置づくのかを明らかにしたくなります。最後になりましたが,被災地における避難民の方々の安全をお祈りいたします。

2011年3月13日日曜日

奪われていた就学の権利

 学齢(6~14歳)の子どもを持つ保護者は,当人を義務教育学校に通わせることが義務づけられています。これを就学義務といいます。しかし,学校教育法第18条の規定により,「やむを得ない事由のため,就学困難と認められる者の保護者」は,この義務を免除ないしは猶予されることが可能です。

 この規定により,就学を免除ないしは猶予されている学齢の児童生徒がどれくらいいるかというと,2000年では1,809人でした。それが,10年を経た2010年では3,686人へと倍増しています。この期間に格差社会化が進行し,義務教育学校に子どもを通学させることもままならない極貧家庭が増えたことによるのかも知れません。あるいは,虐待などを受けて施設に入所している子どもや,重罪を犯して少年院に入っている子どもの増加,というような事情も考えられます。

 ところで,就学免除・猶予の対象となった児童生徒の数を,もっと長期にわたって跡づけてみると,昔は現在の比ではなかったことが知られます。下図をみてください。文部科学省『平成22年版・文部科学統計要覧』と,同『平成22年版・学校基本調査』から作成したものです。


 1955年(昭和30年)の数は32,630人であり,2010年現在の8.9倍です。その後,数は急減しますが,1970年までは2万人を超え,私が生まれた頃の1975年でも1万人を超えていました。昔,とくに戦争が終わって間もない頃は,子どもを学校にやるどころではない貧困家庭が多かったのだから,さもありなんと感じる人も多いでしょう。

 ですが,当時の就学免除・猶予の主な理由は,貧困の類とは別のものでした。それは何かというと,障害(disorder)です。昔は,障害のある子どもが通う学校として,盲学校,聾学校,および養護学校がありましたが,このうち,養護学校は義務教育学校とはみなされていませんでした。よって,肢体不自由児,病弱児,知的障害児の保護者に対し,学教法第18条の規定がガンガン適用され,上図のような事態になっているわけです。


 このことは,就学免除の理由の内訳を一瞥するだけで分かります。今から半世紀前の1960年では,理由のほぼ9割が障害によるものでした。ところが,現在ではそうした理由はほぼ皆無です。図の「その他」とは,児童自立支援施設や少年院に入っている,というようなものです。

 養護学校が義務化されたのは1979年のことです。それ以降,肢体不自由児や知的障害児なども,学校に就学することとなり,就学免除・猶予の対象者は激減することになります。最初の図をもう一度みていただきたいのですが,1975年から1980年にかけて,数が大幅に減っていることが分かります。

 現在では,障害を理由に就学を免除・猶予される子どもはほぼ皆無です。しかし,以前はそうではありませんでした。障害児の学ぶ権利が安易に奪われていた時代がありました。このような歴史的事実を認識しておくことは重要であると存じます。

2011年3月12日土曜日

Atrocious Genaration

 もう少し,非行のお話をさせてください。前回と前々回では,各世代の非行の軌跡を明らかにしました。ところで,非行といっても,いろいろな罪種があります。大半は万引きといった軽微なものですが,殺人のようなシリアスなものもあります。今回,注目しようと思うのは,凶悪犯です。凶悪犯を多く出している,Atrocious Geneation(凶悪世代)は,何年生まれの人たちでしょう。

 凶悪犯とは,殺人,強盗,強姦,および放火の総称です。字のごとく,凶悪な罪種ばかりですが,非行全体の中でのウェイトはかなり小さいものとお考えください。


 まずは,自分の世代の軌跡を振り返ってみます。私の世代は,1986年に10歳となりますが,この年に凶悪犯で補導された10歳少年は28人です。翌年には11歳ですが,この年の11歳の凶悪犯は20人です。…こうしたデータをつなぎ合わせたのが上記の表です。

 非行全体の場合,ピークは15歳でしたが,凶悪犯では18歳が305人で最も多くなっています。10~19歳の凶悪犯の延べ数は1,308人となっています。非行少年全体の延べ数(178,100人)の0.7%ほどです。

 では,時代×年齢のマトリックス上にて,凶悪犯出現率を表現し,その俯瞰図の上に,各世代の軌跡を位置づけてみましょう。下の図をご覧ください。


 非行全体の出現率とは違って,凶悪犯の場合,16歳以上の高年齢の部分に多発ゾーンが多くみられます。人口10万人あたり30人を超えるブラックゾーンは,1970年代前半の年長少年の部分と,世紀の変わり目あたりの中間少年の部分に広がっています。

 この俯瞰図の上に,各世代の軌跡を表す直線を引きましょう。私の世代の場合,(10歳,1986年)と(19歳,1995年)の2点を結んだ直線になります。図をみると,私の世代は,率が20を超える青色以上のゾーンは通っていないようです。比較的,いい子ちゃん世代であったことが知られます。

 ところが,一回り下の1986年生まれ世代は,16~18歳あたりにかけて,凶悪犯を多数出したようです。この図をみる限り,1980年代前半生まれの世代が,Atrocious Geneationであることが分かります。

 1998年の1月,栃木県の黒磯市で,中学1年生の男子生徒が女性教師をナイフで刺殺する事件があり,以後,「キレる子ども」という言葉が飛び交った時期があります。時の文部大臣も「ナイフを持つのは止めよう」などと盛んに訴えていました。ちょうど,この世代が10代を過ごした時期と一致しています。

 1980年代前半生まれの世代は,物心ついた時は,バブル経済で世の中が浮かれていましたが,思春期にさしかかった時期に,経済状況が奈落の底に落ちるという激変を経験しています。また,多感な10代の頃に,世の中のIT化(インターネット,ケータイの普及…)に遭遇したというのも,彼らに固有の経験です。

 非行というのは,時代現象であり,年齢現象であると同時に,世代現象でもあります。非行世代の研究というのも,犯罪社会学の中でそれなりの位置を占めている,面白い分野です。

2011年3月11日金曜日

各世代の非行者輩出率

 前回の記事の続きです。私の世代(1976年生まれ)は,10代の間に,延べ数にして,およそ17万8千人の非行者を輩出したというお話をしました。私の世代の人口(約184万人)で除すと,9.7%ほどの比率になります。

 ところで,この数字は,他の世代に比べてどうなのでしょうか。私は,一回り上の1966年生まれ世代と,一回り下の1986年生まれ世代について,同じ統計をつくってみました。下表がそれです。非行者数の出所は,警察庁が毎年発行する『犯罪統計書』です。


 1966年生まれ世代の10歳の非行者数は,この世代が10歳であった1976年に,警察に補導された10歳少年の数です(以下,同じように読んでください)。非行者の合計は,10~19歳の人数を合算したものです。繰り返しになりますが,私の世代は,17万8千人ほどです。一番下の非行者排出率は,この合計値をベースの人口で除したものです。

 さて,表をみると,私の世代は谷間のようなもので,前後の世代に比して,非行少年の輩出率が小さいことが知られます。まあ,前回の図で,われわれの世代は,非行の多発ゾーンを通過していなかったので,だいたい予想された結果ではあります。

 では,他の世代についても,非行者排出率だけみてみましょう。現存の統計から,10代の状況をもれなく追跡できるのは,1962年生まれ世代から1991年生まれ世代までです。


 率の上位3位の世代は,赤く塗りつぶしています。これによると,非行少年を最も多く出したのは1968年(昭和43年)生まれ世代であり,先ほどみた66年生まれと69年生まれ世代がこれに次いでいます。これら1960年代後半生まれの世代は,幼少期に,石油ショックによる大混乱などを経験した世代です。こういう,人生初期の経験が影響しているのでしょうか。

 幼少期のショック体験が,その後の人生にどう影響するかという問題は,アメリカのエルダーという人が書いた『大恐慌の子どもたち』という本で扱われているようです。1929年の経済恐慌を子ども期に経験した世代を,丹念に追跡した研究だそうです。恥ずかしながら,私はまだ読んでいないのですが,これから一読してみようと思っています。

 もっとも,60年代後半生まれ世代が10代にさしかかった80年代前半に,警察が少年への統制を強めた,という事情も考えられます。少年非行の大半は,万引きのような窃盗ですが,この種の罪は,私服警備員を増員するなど,統制を強めるほど,たくさん検挙されます。よって,非行の中でもシリアスな凶悪犯に限定した分析も求められるでしょう。機会をみつけて,やってみようと思います。

 あなたは何年生まれ世代ですか。前回の記事と合わせて,ご自分を客観視する手立ての一つとなさってください。

2011年3月9日水曜日

Delinquent Generation

 私が,非常勤講師として大学で教え始めたのは,2005年です。当時,私は大学院を出たばかりの28歳であり,学生さんと年はあまり違いませんでした。しかし,それから6年を経て,私も34歳になり,学生さんとの年の差,少しキザにいうとGeneraiton Gapなるものを意識するようになりました。

 Generationとは,世代と訳されます。同じ時期に生まれ,育ってきた社会状況を等しく共有する集団のことです。私は1976年生まれであり,1986年に10歳になり,1992年に高校に入り,1995年に上京して大学に入り,それから10年間学生をやって,2005年に大学院を終えたという具合です。

 私は,青少年問題を研究テーマの一つにしており,今の子どもはああだこうだと(偉そうに)に言う機会があるのですが,「自分の頃も,結構ワルがいたよなあ…」と内心思うことがしばしばあります。私は,自分を少し客観視してみたいと思い,自分の世代が10代の間にどれほどワルをしてきたかを調べることにしました。

 私の世代は,1986年に10歳となりますが,この年に警察に補導された10歳少年は2,022人です。翌年は11歳になりますが,この年に補導された11歳少年は2,627人です。以後,年を重ね,1995年に19歳となりますが,この年に警察に検挙された19歳少年は9,294人です。こうしたデータをつなぎ合わせて,自分の世代の非行歴を整理してみました。統計の出所は,警察庁の『犯罪統計書』です。


 上記の表から,われわれの世代が10代の間に,どれほど非行をしでかしてきたかを知ることができます。10歳から19歳の合計は178,100人です。延べ数ですが,17万8千人もの非行者を輩出し,世間にご迷惑をかけたことになります。

 何歳で最もワルが多かったかというと,実数でみても人口あたりの比率でみても15歳であったようです。思春期の只中の難しいお年頃ですが,まあ,最近では,どの世代でもそうでしょう。

 では,他の世代ではどうなのでしょうか。私は,1972年から2009年までの各年について,年齢別の非行者出現率を計算し,例の社会地図形式で表現してみました。その上に,自分の世代の軌跡を引き,特徴を検出してみることにしました。


 1980年代前半の14~15歳あたりが黒く染まっています。この非行超多発ゾーンを通過するのは,1960年代後半から70年代初頭生まれの世代です。私の世代は,こういう超多発ゾーンとは離れた位置にあります。10歳下の1986年生まれ世代は,15~16歳の時,非行率20‰以上の準多発ゾーンを経てきています。私の世代は,青色ないしは黒色のゾーンを通っていないことに,少し安堵します。

 みなさんも,自分の世代の軌跡を上図に書き込んでみてはいかがでしょう。「最近の若いモンは…」と愚痴る前に,自分の世代の軌跡を冷静に振り返るというのも,また一興だと思います。

2011年3月8日火曜日

就職失敗による自殺

 文科省と厚労省は,大学生等の就職内定状況を調査しています。それによると,2010年10月の時点で,就職を希望する大学生のうち,内定を得ている者の比率は57.6%だそうです。秋風が吹くこの時期になっても,希望者の約4割がまだ決まっていないとのこと。短大生に至っては,22.5%という大変厳しい数字が出ています。

 私が大学4年生だった1998年10月時点の内定率は67.5%でした。ロスト・ジェネレーションといわれる私の世代よりも,今の学生さんは辛い状況に置かれているようです。

 こういう状況の中,深く思い詰めてしまう学生さんがいるのでしょうか。最近,就職失敗を理由に自殺する大学生の数が増えています。警察庁が毎年公表する『自殺の概要資料』では,2007年版より,原因を細かく分類した表を載せています。就職失敗は,「経済・生活問題」という原因大分類の中に含まれています。


 就職失敗を苦に自殺した大学生は,2007年では13人でした。それが,2008年では22人,2009年では23人になり,2010年では46人へと倍増しています。この統計は,3月3日の毎日新聞・東京夕刊でも報じられており,「『超氷河期』と言われる厳しい就職環境を反映したとみられる」と指摘されています。

 2010年の自殺者の総数は31,690人であり,前年の32,845人を下回りました。しかし,これは全体の数字です。この裏では,「就職失敗」という,社会の側の責任ともとれる理由で,自らを殺める若者が増えているのです。46人というのは,自殺者全体の0.14%しか占めない存在ですが,この部分に,現代日本の病理が濃縮されているように思います。

 自殺の統計については,これまでいろいろと分析してきたつもりでしたが,こういう原因の小分類の統計に注目することで,新たな発見もあるのだな,と思いました。今回の話に関連する情報を提供してくれたのは,私が今年度担当した卒論ゼミの学生さんです。武蔵野大学現代社会学部4年の佐藤喜則くんです。記して,感謝の意を表します。

2011年3月7日月曜日

大学教員の女性比

 内閣府の『平成22年版・男女共同参画白書』によると,わが国の研究者に占める女性の比率は,国際的にみてかなり低いようです。白書には,2005年前後の36ヵ国の統計が載っていますが,日本はわずか13%で,堂々の最下位です。白書の該当図表のURLは以下です。
http://www.gender.go.jp/whitepaper/h22/zentai/html/zuhyo/zuhyo103.html

 他の先進国をみると,ロシアが42%,アメリカが34%,フランスが28%,イギリスが26%,ドイツが25%であり,大きく水を開けられています。ちなみに,36ヵ国の1位はリトアニアの49%です。この国では,研究者がちょうど男女半々の構成になっていることを意味します。

 このことを危惧してか,研究者の女性比を少しでも高めようという動きが出ています。女性教員の比率の目標値20%を掲げ,教員公募の文面に「業績が同等と認められる場合は女性を採用します」と明言する大学も多くなりました。お上も,女性教員を雇い入れた大学には,給与の補助を行うという厚遇ぶりです。

 その甲斐あってか,大学教員に占める女性の割合は,1983年では8%でしたが,2010年では20%にまで高まっています。女性教員の実数も,この期間中に,約9千人から3万5千人にまで増えています(文科省『学校基本調査』)。ところで,大学教員といっても,いろいろな年齢の人がいます。女性比が高まっているのは若年層だと思いますが,年齢別の動向もみてみましょう。資料は,文科省の『学校教員統計調査』です。本調査は,3年おきに実施されています。


 上記の図によると,最近の2007年の20代では,女性の比率が3割を超えています。まあ,20代の教員はごくわずかですが,30代でも25%,つまり4分の1を超えています。男女共同参画政策が敷かれた今世紀以降,高率ゾーンが徐々に垂れてきており,2007年では,50代前半までが,女性比15%以上となっています。

 「為せば成る」とはよく言ったものですが,やはり,社会というのは,政策によって変わるのだな,と実感させられます。どの社会でもいえることですが,成員の組成があまりに画一的になるのは,望ましいことではありません。

 昨年の12月17日に,第3次男女共同参画基本計画が策定されたところです。その中に,「2020年までの間に,指導的地位に占める女性の割合を30%にする」という目標が掲げられています。このような可視的かつ検証可能な目標を少しずつ達成していくことで,真の男女共同参画社会が実現されることを欲します。

2011年3月5日土曜日

学歴による職業閉鎖性

 前回の記事では,大学卒のグレーカラー化が進んでいるというお話をしました。大卒者のうち,高度な知識や技術を必ずしも要しないと思われる販売職やサービス職に就く者が増えている,ということです。

 このことは,どの職業でも大卒がマジョリティーになり,高卒や中卒がごく一部のマイノリティーに追いやられていることを示唆します。言葉を換えると,どの職業においても,大卒によって高卒や中卒が締め出しを食う,ということです。このことに関する統計をお見せしたいと思います。

 私は,それぞれの職業に就いた新規学卒者(男子)の学歴構成が,時代と共にどう変わったのかを調べました。下図は,半世紀前の1960年の状況を示したものです。資料は,文部省『日本の教育統計-新教育の歩み-』(1966年)です。


 学歴の区分は,大雑把に,大卒,高卒,そして中卒の3区分で捉えることとします。図をみると,当時にあっては,新規学卒入職者の学歴構成は多様だったようです。専門技術職では38%,事務職では68%,販売職では90%,サービス職では94%が高卒以下です。後2者では,中卒もかなりの比重を占めていることが注目されます。


 ところが,50年の時を経た2010年現在では,状況が激変します。資料源は,文科省の『学校基本調査(高等教育機関編)』ですが,現在では,中卒就職者があまりに少ないためか,中卒の職業別就職者の数は計上されていません。よって,大卒と高卒の2区分でみることになります。

 図をみると,大卒者のシェアの増加が一目瞭然です。販売職にあっても,あらたに入職してくる新卒者のほぼ9割が大卒です。サービス職になって,ようやく大卒と高卒が折半するという具合です。

 このことは,高卒者や中卒者の就職機会が狭められていることを意味します。勉強が嫌いという理由や,経済的理由などで大学に行かない人間もいることでしょう。しかし,就職しようとすると,大卒学歴を暗に求められる。専門の知識や技術を要さないような職業であっても…こういう時代になっているものと思われます。

 企業がなぜ大卒を好んで採るかというと,大卒の専門的な職業スキルに期待してのことではなく,大卒ならば間違いはないだろう(少ないだろう)という,曖昧な理由であることがほとんどです。要するに,人材選抜のための手ごろなシグナルとして学歴を使っている,というだけのことです。

 企業の側が,そのような無精をしないで,自社に必要な人材を自前で見抜く努力をするならば,2番目の図のような現状が,最初にみた,1960年の状況にバックすることもあり得るのではないでしょうか。そうなった時,好むと好まざるとに関係なく,万人が大学進学を強いられるような,学校化社会が克服されるかも知れません。

 上記の2つの図を見較べて,どちらが健全であると思うかと問われたら,私なら,1960年の状況図を指差します。社会の多様性って,こういうものではないでしょうか。現在の状況には,それとは反対の「閉鎖性」という語を当てるのが適当ではないかと存じます。

2011年3月4日金曜日

大卒者の職業

 最近,「~力」という言葉をよく聞くようになりました。人間力,コミュニケーション力,云々…。「学士力」というのも,そのうちの一つです。大学を卒業すると学士という学位が得られますが,この学士の能力水準をきちんと保障すべく,大学教育をしっかりやれ,という通達が文科省より出ています。いわゆる「学士力の向上」です。

 しかるに,大学で学んだ専門分野と関係のない仕事に就く学生が少なくないことを思うと,こうしたお上の通達も,いささか白々しく聞こえてきます。私が武蔵野大学で担当したゼミは,教育学・社会病理学ゼミですが,2年間のゼミ生35名のうち,教員や矯正関係の職に就いたものは皆無です。

 これはあまりにタイトな対応関係を想定した例ですが,では,少し基準を緩めて,大卒の就職者のうち,高度な専門知識・技術を要すると思われる専門・技術職に就く者はどれほどいるのでしょうか。私は,50年前の1960年と2010年現在について,大卒就職者が就いた職業の構成を比較しました。資料は,文部省『日本の教育統計』(1966年),および文科省『平成22年版・学校基本調査(高等教育機関編)』です。なお,男女比の変化の影響を除くため,男子に限定した統計を示します。


 男子の大卒就職者の数は,この半世紀の間で,約9万人から17万人へと増えています。就いた職業はというと,専門技術職は39%から32%に減っています。ほか,減少が著しいのは事務職で,42%から29%に減っています。代わって,販売職やサービス職の比重の増加が明らかです。

 学士力というのは,ある程度の語学力,コミュニケーション能力,学術的なプロセスを踏んだ問題解決能力などを含むものであって,こうした諸能力は,どの職業でも求められるものだ,といわれればそれまでです。しかし,そうした能力は全く要しない,むしろ邪魔にさえなる「え?」というような仕事を割り振られるケースのほうがはるかに多いのではないでしょうか。卒業生の何人かと話してみて,強く感じるところです。

 実情がこうであるのに,新規入職者の全てに大卒学歴(=学士力)を要求する社会というのは,何とも窮屈です。わが国が,こういう社会になりつつあることは,職業を問わず,新規入職者のほとんどが大卒者によって浸食されている事実からうかがうことができます。このデータは,次回にお見せします。

2011年3月2日水曜日

難しくなる社会調査

 私の研究スタイルは,統計を使った実証研究が主ですが,自前の調査はあまりしません。官公庁の既存統計を使うことが多いです。公的な調査のほうが,費用をかけている分,サンプリングなどがしっかりしており,信憑性が高いと考えられるからです。

 とはいえ,問題によっては,自分で細かな調査をしなければならない時もあります。私は,大学院時代,鹿児島県の奄美群島内の一高校を事例として,卒業生の人生行路を追跡調査したことがあります。卒業生名簿から無作為にサンプルを取り出し,ハガキや電話で調査協力の依頼をしました。

 ところが,多くの人に難色を示されました。「宝くじに当たるのならいいけど,こういうのに当たるなんてねえ」という嫌味も浴びせられました。こうした拒否のほか,連絡がとれなかったケースなども除いて,最終的に調査に応じてくれたのは40人でした。当初,サンプルとして抽出したのが100人ですから,有効回答率は40%となります。

 まあ,私のような,どこの馬の骨とも分からない個人からの依頼であったからかもしれません。しかし,公的機関やそれに準じる機関の調査であっても,有効回答率が下がってきています。NHK放送文化研究所が5年ごとに実施している『日本人の意識調査』でいうと,第1回調査(1973年)では有効回答率は78.1%でしたが,2008年の第8回調査では57.5%にまで落ちています(同研究所編『現代日本人の意識構造・第7版』NHKブックス,2010年,付録資料3頁)。

 裏を返すと,2008年の調査不能率は42.5%。最初に選んだサンプルの4割以上が,音信不通や拒否などの理由で,調査ができなかったことになります。では,どの年齢層で,こうした調査不能率は高いのでしょうか。同調査の調査不能率(=100-有効回答率)を,男性の年齢層別に示すと,下図のようです。


 1998年調査以降,20代の不能率は5割を超えており,このブラックゾーンが,2008年では,40代にまで垂れてきています。今後,こうした高率ゾーンがますます広がっていくのではないかと思われます。社会調査受難の時代の到来です。

 ところで,調査不能の理由として,どういうものが多いのでしょうか。NHKの調査では,この点が明らかではないので,内閣府の『国民生活に関する世論調査』を例にみてみましょう。この調査でも,調査不能率は,1980年の16.3%から2010年の36.4%へと高まっています。


 上図は,男性の対象者について,調査不能の理由の中身をみたものです。最も多いのは,調査員が訪問した時に不在であったという「一時不在」ですが,この30年間でその比重は減っています。変わって比率が増しているのは,「調査拒否」というものです。2010年では,理由全体の3割を占めます。この理由が首位に立つのも,時間の問題でしょう。

 調査拒否の増加により,データに基づいた政策立案(evidence based policy)が危機に瀕する事態になるかも分かりません。国レベルの最大の社会調査ともいえる,『国勢調査』の2010年調査では,最終学歴など,かなり突っ込んだ事項も尋ねていますが,この事項の「不詳」率はどういうことになるのやら。この変数をキーにした分析を行う社会学の研究者にとっても,大きな関心事であることでしょう。

2011年3月1日火曜日

鉄道自殺④

 前回は,自殺が多い鉄道会社,路線を明らかにしました。今回は,場所に着眼したいと思います。分析対象は,2009年度に東京都内で発生した鉄道自殺143件です。

 私が入手した当局の資料には,自殺の場所が記録されています。3件以上起きているデンジャラス・スポットは,東武東上線の「大山~中板橋駅間」4件,地下鉄日比谷線の竹ノ塚駅構内3件,東京駅構内3件,有楽町駅構内3件,でした。このように細かくみても傾向がつかみにくいので,大雑把に,都内の市区町別に発生件数を集計し,地図化してみました。


 黒色は,年度間に10件以上起きている地域です。板橋区と千代田区です。両区は,先ほど紹介したデンジャラス・スポットがある地域です。赤色(5~9件)の地域は,都心のターミナル駅からほど遠くない所に位置しています。郊外よりも,都心に近い地域で自殺は多発する傾向にあるようです。最近,中央線の国立から立川間が高架化されましたが,郊外では,高架路線が多いためでしょうか。

 もっと多くのデータを集めれば,より明確な傾向が出てくることでしょう。国土交通省には,2002年度からの鉄道自殺のデータが保存されているようです。これらを全部集めれば,6,000件ほどのケースを擁する,すごいデータベースができ上がります。私1人では大変ですので,来年度の社会数学の授業で,学生さんの力を借りようかと思います。課題「みんなでつくろう。東京都内の鉄道自殺マップ」です。