ふと気付いたら,今日が月末でした。教員不祥事報道の整理をせねばと,あわててツイログをあさった次第です。
今月,私がネット上でキャッチした教員不祥事報道は31件です。いつも通り,記事名,都道府県,および当該教員の属性を記録します。「中,男,40」とは,中学校の40代男性教員という意味です。今月は,小遣い欲しさの窃盗や売春あっせんなど,金銭目的の犯罪がちらほら見られます。
2013年1月から教員不祥事報道の収集を続けていますが,ちょっと見えてきたことがあります。体罰や「ズボンを脱がせて注意」など,行き過ぎた指導は50代の年輩教員に多い,ということです。
現在50代の教員が入職したのは,70年代の後半から80年代の初頭。学校が激しく「荒れた」時代です。教職生活の初期がこういう時代と重なった世代なのですが,それだけに,時代の変化に対する戸惑いも大きいのかもしれません。こうした世代的な見方も必要かなと思います。
明日から10月です。曇天や雨が多かった9月とは違って,さわやかな秋晴れの日が続くでしょう。涼しくなったので,週2回の出勤日は,駅まで歩くことにしています。皆さんも,健やかな日々をお過ごしください。
<2014年9月の教員不祥事報道>
・中学教諭、盗撮児童ポルノ製造…パソコンに動画(9/2,読売,静岡,中,男,40)
・酒気帯び運転の中学教諭に罰金32万円 国道で対向車と接触
(9/2,佐賀新聞,佐賀,中,男,43)
・「お小遣いが欲しかった」職員室で窃盗容疑(9/4,産経,神奈川,小,男,37)
・窃盗未遂容疑で中学教諭逮捕=コインランドリーで女性下着
(9/5,時事通信,新潟,中,男,51)
・飲酒運転に詐欺、わいせつ…教職員3人を懲戒免
(9/7,読売,福岡,わいせつ:小男26,飲酒運転:中男教諭56,郵便物詐取:小女28)
・<体罰>小2女子児童に男性教諭が(9/8,毎日,愛知,小,男,50代)
・中学教諭が飲酒し住居侵入「ここはどこでしょう」 容疑で逮捕
(9/8,山形新聞,山形,中,男,26)
・セクハラ行為で男性教諭を減給 教え子に性的なメッセージ
(9/8,佐賀新聞,佐賀,中高,男)
・公然わいせつ容疑で中学教諭逮捕=コンビニで下半身露出
(9/8,時事通信,岐阜,中,男,35)
・小1担任、教室で男児のズボン脱がせ注意(9/9,朝日,熊本,小,女,50代)
・わいせつ教諭停職 女子高生複数にLINEで「かわいい」(9/11,福島民友,福島,高,男,27)
・部活動中の女子中学生にわいせつな行為をした教諭が4回目の逮捕
(9/11,共同通信,茨城,中,男,37)
・教え子の男子にわいせつ、男性中学教諭を懲戒免(9/13,読売,石川,中,男,20代)
・<大阪府教委>盗撮教諭ら4人懲戒免職処分に
(9/13,毎日,大阪,盗撮:中男39,強姦未遂:高男57,わいせつ:小男32,体罰:中男61)
・高校教員、中学生のスカート内を盗撮容疑(9/16,朝日,福岡,高,男,28)
・強制わいせつ容疑、横浜市立中教諭を再逮捕(9/17,神奈川新聞,神奈川,中,男,25)
・小5平手打ち 教諭を書類送検(9/17,時事通信,大阪,小,男,41)
・元教頭に有罪 飲酒運転で事故、逃走 千葉地裁(9/17,千葉日報,千葉,中,男,55)
・教え子の着替え“盗撮” 「モデルやって」と呼び出し 千葉の高校教諭
(9/18,千葉日報,千葉,高,男,50)
・教員志望の女子大生にキス 小学校長を懲戒処分
(9/19,朝日,東京,セクハラ:小男61,体罰:小男49,いす取り上げ:小女38,テスト点数読み上げ:高男47)
・酒気帯び運転で事故、中学教諭逮捕 浜松市(9/20,日本テレビ,静岡,中,男,27)
・長崎の私立中で体罰 男子生徒が鼓膜破るけが(9/21,読売,長崎,中,男,60)
・売春目的で少女紹介、小学教諭を懲戒免職(9/23,朝日,愛知,小,男,24)
・電車内で男が男子高校生の尻触る 痴漢の疑いで中学校常勤講師逮捕
(9/23,産経,大阪,中,男,24)
・30代中学教諭 教え子にわいせつ行為繰り返す(9/24,神戸新聞,兵庫,中,男,30代)
・路上でわいせつ、スカート内盗撮… 横浜市教委が教諭ら3人懲戒処分
(9/26,神奈川新聞,神奈川,わいせつ:中男26,盗撮:中男27,セクハラ:中男40)
・相談乗るうちに好きになりキス、中学教諭を処分
(9/26,読売,兵庫,セクハラ:中男30代,体罰:中男30代)
・<公然わいせつ>公園で妻の裸を撮影 教員夫婦を逮捕
(9/27,毎日,宮崎,高男35,中女26)
・女子高生にみだらな行為、容疑の小学校教諭を逮捕(9/28,朝日,愛知,小,男,32)
・盗撮容疑で小学教諭逮捕=地下鉄で女子大生被害(9/29,時事通信,東京,小,男,50)
・小1女児にわいせつ容疑 神戸市立小の臨時講師逮捕(9/30,朝日,兵庫,小,男,25)
2014年9月30日火曜日
2014年9月28日日曜日
夫の家事・育児分担率
今年の3月より,日経デュアルの連載を持たせていただいています。共働きのママさん・パパさん向けのWeb誌です。「デュアル(dual)」とは「共」を意味するそうな。
http://dual.nikkei.co.jp/
編集部の皆さんも,共働きで子育てをしておられるとのこと。読者と編集者が同じ立場ということもあってか,内容に共感が持たれ,かなりの人気を博しているようです。私の駄文が,その品位を下げることになっていなければいいですが・・・。
本誌に会員登録(無料)すると,会員限定の記事も読むことができます。また,週に2回「DUALメール」が送信され,編集部イチオシの記事を教えてもらえます。
私はもち登録しているのですが,先週の金曜に送られてきたメールの中に「家事分担率」という言葉がありました。メールを発信した編集者氏(男性)が,「自分の家事分担率はどれくらいか?」と,恐る恐るパートナーに尋ねたのだそうです。
なるほど,こういう指標もあるのですね。私は早速,これを数値化してみようと思い立ちました。夫(H)の家事時間が,夫と妻の合算分(H+W)の何%を占めるか,というものです。
私は,共働きで子育てをしている夫婦について,この指標を計算してみました。6歳未満の幼子がいるDUAL世帯です。この世帯の場合,家事に加えて育児も大きなタスクになりますから,家事+育児の時間をみることにしましょう。
総務省の『社会生活基本調査』から,1日あたりの平均時間を知ることができます。最新の2011年度調査のデータによると,6未満の子がいる共働きの夫の家事・育児時間は54分,妻のそれは329分となっています。平日と休日をひっくるめた,1日あたりの平均時間です。
http://www.stat.go.jp/data/shakai/2011/index.htm
よって,夫の家事・育児分担率は,54/(54+329)=14.1%と算出されます。夫婦の合計分のおよそ7分の1ですが,こんなものでしょうか。
これだけでは「ふーん」でおしまいですので,もう少し深めてみましょう。私は,同じ値を都道府県別に出してみました。下表は,その一覧です。計算に使った元データも添えておきます。算出された夫分担率については,最高値に黄色,最低値に青色のマークをしました。また,上位5位の数値は赤色にしました。
県別にみると,結構な差があります。2割を超える県もあれば,1ケタの県もあり。最高の島根では22.4%ですが,大阪ではわずか6.7%なり。
赤字が東北ゾーンに多く,1ケタの数字が近畿圏に集中していることから,地域性のようなものもありそうです。上記の夫分担率を地図にして,この点を可視化してみませう。4つの階級を設けて,47都道府県を塗り分けてみました。
DUAL世帯の夫の家事・育児分担率マップですが,地域性もありますなあ。率が高いのは,東北,首都圏(一部),四国で,その逆は近畿,九州もかな。
私としては,「こんなじゃないかな」というモヤモヤが可視化された印象ですが,皆さんはいかがでしょうか。しかしこれは国内の地域比較であって,国際的にみれば,「井の中の蛙」であることは言うまでもありません。北欧国で同じ値を出したら,おそらくは4割,半分という水準になるでしょう。
今回は,6歳未満の子がいるDUAL世帯を一括りにした都道府県比較でしたが,子どもの発達段階ごとの差にも興味が持たれます。末子の年齢ごとに数値を出し,折れ線を描いたらどうなるか。それを県別にみたら,「下降型」「上昇型」というようなタイプが出てくるかもしれません。
もっと分析を深めてみて,意義ある結果が出たら,日経デュアル誌にて発表しようと考えております。今日は秋晴れ。日曜のよい午後をお過ごしください。
http://dual.nikkei.co.jp/
編集部の皆さんも,共働きで子育てをしておられるとのこと。読者と編集者が同じ立場ということもあってか,内容に共感が持たれ,かなりの人気を博しているようです。私の駄文が,その品位を下げることになっていなければいいですが・・・。
本誌に会員登録(無料)すると,会員限定の記事も読むことができます。また,週に2回「DUALメール」が送信され,編集部イチオシの記事を教えてもらえます。
私はもち登録しているのですが,先週の金曜に送られてきたメールの中に「家事分担率」という言葉がありました。メールを発信した編集者氏(男性)が,「自分の家事分担率はどれくらいか?」と,恐る恐るパートナーに尋ねたのだそうです。
なるほど,こういう指標もあるのですね。私は早速,これを数値化してみようと思い立ちました。夫(H)の家事時間が,夫と妻の合算分(H+W)の何%を占めるか,というものです。
私は,共働きで子育てをしている夫婦について,この指標を計算してみました。6歳未満の幼子がいるDUAL世帯です。この世帯の場合,家事に加えて育児も大きなタスクになりますから,家事+育児の時間をみることにしましょう。
総務省の『社会生活基本調査』から,1日あたりの平均時間を知ることができます。最新の2011年度調査のデータによると,6未満の子がいる共働きの夫の家事・育児時間は54分,妻のそれは329分となっています。平日と休日をひっくるめた,1日あたりの平均時間です。
http://www.stat.go.jp/data/shakai/2011/index.htm
よって,夫の家事・育児分担率は,54/(54+329)=14.1%と算出されます。夫婦の合計分のおよそ7分の1ですが,こんなものでしょうか。
これだけでは「ふーん」でおしまいですので,もう少し深めてみましょう。私は,同じ値を都道府県別に出してみました。下表は,その一覧です。計算に使った元データも添えておきます。算出された夫分担率については,最高値に黄色,最低値に青色のマークをしました。また,上位5位の数値は赤色にしました。
県別にみると,結構な差があります。2割を超える県もあれば,1ケタの県もあり。最高の島根では22.4%ですが,大阪ではわずか6.7%なり。
赤字が東北ゾーンに多く,1ケタの数字が近畿圏に集中していることから,地域性のようなものもありそうです。上記の夫分担率を地図にして,この点を可視化してみませう。4つの階級を設けて,47都道府県を塗り分けてみました。
DUAL世帯の夫の家事・育児分担率マップですが,地域性もありますなあ。率が高いのは,東北,首都圏(一部),四国で,その逆は近畿,九州もかな。
私としては,「こんなじゃないかな」というモヤモヤが可視化された印象ですが,皆さんはいかがでしょうか。しかしこれは国内の地域比較であって,国際的にみれば,「井の中の蛙」であることは言うまでもありません。北欧国で同じ値を出したら,おそらくは4割,半分という水準になるでしょう。
今回は,6歳未満の子がいるDUAL世帯を一括りにした都道府県比較でしたが,子どもの発達段階ごとの差にも興味が持たれます。末子の年齢ごとに数値を出し,折れ線を描いたらどうなるか。それを県別にみたら,「下降型」「上昇型」というようなタイプが出てくるかもしれません。
もっと分析を深めてみて,意義ある結果が出たら,日経デュアル誌にて発表しようと考えております。今日は秋晴れ。日曜のよい午後をお過ごしください。
2014年9月25日木曜日
都道府県別の高校ドロップアウト率
毎日新聞社の分析によると,大阪の府立高校入学者の1割は,卒業を待たずして学校を去るのだそうです。言葉が適切か分かりませんが,ドロップアウト率は1割。学校別にみると,2割を超える高校も少なくないそうな。
あるコーホートについて,1年時の生徒数と卒業生数を照合して出したみたいですが,文科省『学校基本調査』のデータを使うことで,これを全県分行うことができます。その結果をみていただこうと思います。
『学校基本調査』には,県別・学年別の高校生徒数が掲載されています。私は,2011年5月時点の第1学年生徒数と,2013年5月時点の第3学年生徒数を照合しました。在学期間が3年間である,全日制高校のデータです。
本当は卒業時点まで追跡したいのですが,県別の卒業生数は,公私別・学科別のような細かい数値を得ることができませんので,3年時の5月時点までの追跡とします。中退をはじめとしたドロップアウトは1年時に多いといいますので,大きな問題はないでしょう。
それぞれの県について,公私別・学科別のドロップアウト率を出してみました。東京都を例に,計算のプロセスを説明します。
2011年春の入学者の追跡結果です。1年時の生徒数は40,765人だったのが,2年後の3年時では38,512人にまで減っています。前者から後者を引いて,推定脱落者数は2,253人と見積もられます。よってドロップアウト率は,初期値に対する比をとって5.5%と算出されます。およそ18人に1人。
学科別にみると,大きな差があります。予想通りといいますか,専門学科で高いですね。公私比較をすると,東京の場合,「公立>私立」です。後述しますが,47都道府県全体でみると,これはレアなケースです。
同じやり方にて,上記の5つのカテゴリーごとに,県別のドロップアウト率を明らかにしました。下表は,そのい一覧表です。最高値には黄色,最低値には青色のマークをしています。赤字は上位5位を意味します。
公立高校のマックスは,毎日新聞でも取り上げられている大阪ですね。同紙の計算結果(10%)よりもやや低いですが,3年時の5月時点までの追跡であるためでしょう。卒業時点までたどれば,値はもう少し高くなると思われます。
最低は富山の2.1%で,大阪の4分の1です。地域によって違うものですね。私の郷里の鹿児島は7.0%で3位。高い部類なんだなあ。
公私の差をみると,先ほど例とした東京は「公>私」なのですが,全県を見渡すと,その逆の県がほとんどです。香川では,10ポイント近くもの差があります(公2.2%,私12.1%)。地方は公立人気であり,そこに行けなかった生徒が止む無く私立に行くケースが多いといいます。その中には,経済的に困窮している家庭の生徒も少なからず含まれるでしょう。
高校就学支援金制度が施行されている現在にあっても,経済的理由による中途退学が,地方の私立では少なくないのかもしれません。本制度の援助対象は,授業料に限られますしね。
学科別にみると,「普<総<専」というタイプが最も多いですが,「普<専<総」という県も若干あり。奈良の総合学科では,ドロップアウト率が25.4%,4人に1人にもなります。これは生徒数が少ないことによるかもしれません(1年:71人,3年:53人)。
専門学科のドロップアウト率は,東京の11.9%がマックスです。大学進学率がべらぼうに高い大都市では,普通科志向が強く,そこからあぶれた者の地位不満が強くなるのでしょうか。
上表のデータは,各県の関係者の方々に資料として使っていただければと思います。最後に,人数的に多い公立高校のドロップアウト率を地図化しておきましょう。一番左端のデータです。4つの階級を設けて,各県を塗り分けてみました。
近畿圏が濃い色になっているという,若干の地域性が観察されます。都市部で高いという,単純な構造ではなさそうです。
毎度申しますが,既存統計を駆使することで,明らかにできることは数多し。11月の下旬,某政令指定都市にて,職員さん向けの統計研修の講師をさせていただくのですが,このことを強く伝えたいと思っております。その気になれば,簡単にローデータにアクセスできる人たちなのですから。
2014年9月23日火曜日
部活指導時間の国際比較
大阪市では,中学校の部活(運動部)の指導を外部に委託する方針だそうです。先行事例として,東京の杉並区にて,土日限定の外部委託が実施されていますが,大阪市のほうは全面委託も検討するとのこと。狙いは,教員の負担軽減だそうです。
部活といえば,青春時代のシンボル。私の出身中学では,原則として「帰宅部」は許されず,生徒全員が何らかの部に入ることが求められました(男子は,できるだけ運動部)。
部活指導に熱心な教員も多かったように記憶しています。バスケ部の顧問などは,「俺は今度の新人戦に命をかけてんだぞ」などと公言していました。悪いことではありませんが,あまりに度が過ぎると,部活指導が「主」で授業が「従」になるというような逆転現象も・・・。言わずもがな,教員の仕事の中核は授業です。
誤解される向きがありますが,部活は授業ではありません。学校の教育課程には含まれない,課外活動(extracurricular activities)として位置付けられています。よって,それをするかしないかは,各学校の任意です。
まあ日本では,ほぼ全ての中学・高校にて,部活が実施されています。何かに打ち込むことは,生徒の人間形成にとって大きな意義がある。放課後を野放しにしたら,よからぬことをしかねない・・・。こういう認識からでしょう。ハーシのボンド理論がいうように,何かコミットメントする対象があることは,生徒をして非行から遠ざける有力なボンドですしね。
それは多かれ少なかれ,他の社会でも同じでしょう。しかし日本の特徴だと思われるのは,教員が部活指導を行っていることです。部活は授業ではありませんから,それを指導するのに教員免許状は要りません。よって,外部人材にじゃんじゃん投げてもよいことになります。
海外では,「教員の仕事は授業」と割り切っている社会が少なくありませんが,教員の部活指導時間には大きな国際差があります。OECDの国際教員調査(TALIS 2013)のデータを使って,この点を可視化してみましょう。
上記の調査では,対象の中学校教員に対し,週当たりの部活の指導時間を尋ねています。英文表記では,以下のような言い回しです。
extracurricular activities (e.g. sports and cultural activities after school)
直近の週の指導時間(hours)を記入してもらう形式です。日・米・瑞の指導時間の分布を図示すると,下図のようになります。
北欧のスウェーデンでは,9割近くの教員が0時間,すなわち部活指導を全くしていません。アメリカでも,4割超の教員が部活指導とは無縁。しかるに日本は,一定時間,部活指導をしている教員が大半です。10時間の箇所に山がありますが,1日あたり2時間ほどということ。なるほど,肌感覚と一致しますね。
この分布から平均値を出すと,日本が7.7時間,アメリカが3.2時間,スウェーデンが0.4時間となります。スウェーデンの中学校で部活がどれほど実施されているか知りませんが,そのほとんどが「外部化」され,教員の関与するところではないことが知られます。
比較の対象を広げてみましょう。私は32の社会について,中学校教員の部活指導時間の平均値を計算してみました。また,それが総勤務時間に占める割合も出してみました。日本の場合,週当たりの部活指導時間の平均は7.7時間,総勤務時間の平均は54.2時間ですから,前者の比重は14.2%となります。
総勤務時間の7分の1が,授業とは別の部活指導に充てられているのですが,他の社会ではどうなのでしょう。
国際比較の結果をビジュアルな図でお見せします。横軸に総勤務時間の平均値,縦軸に部活指導時間のそれをとった座標上に,32の国をプロットした図です。
ほう,日本はかっ飛んだ位置にありますね。部活指導時間の長さ,総勤務時間に占める比とも,ダントツでトップです。
課外活動としての部活の指導を,もっぱら教員が行うこと。われわれが常識と信じて疑わないことですが,それは普遍的でも何でもなく,むしろ特異なことであることが教えられます。大阪市の方針を,「教員の怠慢だ」などと責めるのは正しくないでしょう。同市の教育委員会関係者に,上図のようなデータを知っている方がおられるのかなあ。
昨日は後期の教育社会学の初回だったのですが,「教育は社会によって異なる」という基本テーゼを強調しました。自分たちが慣れ親しんでいる教育の姿は,実は普遍的なものではない。時代軸,空間軸で相対化することが大事であり,そのことにより,教育改革の道筋も見えてくる。こういうことをお話ししました。
ついでに一つの愚痴も。それは,教員採用試験の教職教養において,教育社会学は完全無視であるということです。現場の教員が「社会階層」などという言葉をポンポン口にするようになったらマズイ。こういう懸念からでしょうか。
しかし,教育の社会的規定性について絶えず思いをめぐらす教員が増えることで,現場はかなり「ラク」になると思うのですがねえ。「ガンバレ,ガンバレ」という根性論から自分たちを解き放つ根拠(データ)を与えてくれる学問です。「学力=教師力」という図式にしても,それが必ずしも正しくないことは,教育社会学をちょっとかじった人間ならすぐに分かること。
これから半期の間,未来の教員の卵たちと向き合うわけですが,こういうことを念頭に置きながら講義をしようと思っております。
2014年9月20日土曜日
高校偏差値と朝食欠食率の相関
東京都は,調査データの公表に積極的です。1月28日の記事では,都の体力テストの市区町村別データを使って,都内23区の子どもの体力地図をつくりました。この記事は,見てくださる方が多かったようです。
一昨日,同じ調査の公表データを見ていたら,何と何と,高校調査においては学校別の結果も公表されているではありませんか。調査対象となった都立高校の体力テストの結果や,運動に対する意識,果ては生活状況なども学校別に知ることができます。
教育社会学を専攻する人間なら,「学校ランクとの相関はどうか」という問題意識が直ちにわくでしょう。わが国の高校は,有名大学への進学可能性に依拠して,精緻に序列づけられています。その構造は,専門用語で「高校階層構造」といわれますが,階層構造内のどの位置の高校かによって,生徒の生活意識や行動が大きく異なることが,幾多の調査研究で明らかにされています。
たとえば渡部真教授の研究によると,階層構造内で下位にある学校ほど,非行に親和的な文化(delinquent subculture)が蔓延しているのだそうです。これは80年代初頭の研究成果ですが,現在でもそうであることは,肌感覚でも分かります。組織における生徒の社会化作用,侮りがたしです。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110002779743
私は,上記の都の調査データを用いて,学校ランクと生徒の朝食欠食率の相関を明らかにしようと考えました。思春期にもなれば食生活が乱れてきますが,それが著しいのはどういう生徒か,どういう学校の生徒か。こういう問いを立てることも必要になります。まあ,関係者の方なら薄々感じていることでしょうが,データでもって可視化してみましょう。
都の体力テストの正式名称は,『東京都児童・生徒体力・運動能力,生活・運動習慣等調査』というものです。最新の2013年度の高校調査では,対象となった都立高校の結果が学校別に公表されています。
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/pickup/seisaku_sport-6.htm
手始めに,入試偏差値が異なる3つの高校を適当に取り出して,2年生男子の朝食摂取状況を比較してみましょう。入試偏差値は,下記サイトに掲載されているものを使わせていただきました。
http://www.geocities.jp/toritsukoukou2/
進学校,中位校,下位校の比較図ですが,入試偏差値と見事に相関しています。朝食を毎日食べている生徒の割合は進学校ほど高く,食べない生徒の率はその逆です。偏差値39のC校では6人に1人が,朝食を「食べない」と明言しています。
これは適当にピックアップした3校の比較ですが,上図の傾向は一般化され得るでしょうか。調査対象の都立高校のうち,偏差値が判明する160校のデータを使って吟味してみましょう。
私は,この160校について,2年生男子の朝食欠食率を出し,偏差値の群ごとに分布がどう違うのかを調べました。朝食欠食率とは,「食べない」と答えた者の率です。上図でいう緑色の領分です。
下の図は,分布を視覚化したものです。6つの偏差値群別に,朝食欠食率の高低に基づいて,各学校がプロットされています。
どうでしょう。偏差値が低い群ほど,高いゾーンに多く分布していますね。偏差値65以上の上位群は「0.0~6.5%」という分布ですが,偏差値45未満の下位群の分布幅は「7.0~26.8%」です。
赤のラインは各群の平均値(average)を結んだものですが,きれいな右下がりの傾向です。朝食欠食率は,偏差値が上がるにつれて低くなる。セブンティーン男子の食生活の乱れは,学校ランクと明瞭に相関していることが知られます。
これをどうみるかですが,2通りの経路を想起することができるでしょう。一つは,各学校の生徒文化です。下位の高校では,午前中の休み時間などに,仲間と群れて買い食いする。それをしないと爪はじきにされる。こういう行為規範が強いのかもしれません。
今回のデータは2年生のものですが,入学して日が浅い1年生のデータでは,学校ランクによる欠食差は比較的小さいと思われます。入った高校のスクールカルチャーに染まる度合いが,まだ低いでしょうし。
あと一つは,在籍生徒の家庭環境の違いです。どのランクの高校かによって,生徒の階層構成は異なるでしょう。上位校ほど,富裕層の子弟が多い。ゆえに,偏差群の差は,生徒の家庭環境の差の反映ともとれます。朝食にも事欠くような家庭は稀でしょうが,幼少期からの食生活の躾ができていない。こういう家庭の子弟は,下位校において相対的に多いと思われます。
生徒文化説と家庭環境説。2つの可能性を示唆しましたが,どちらが強いかは,学年間のデータを比較することで分かるでしょう。学年を上がるにつれて,欠食の学校ランク差が拡大するのであれば前者,そうでないならば後者が支持されます。まだ準備ができていませんが,これから手がけてみたい作業です。
さて,朝食欠食に象徴されるような生活スタイルが,在籍する学校のランクによって明瞭に異なる事実が分かりました。東京都は,2003年の都立高校の学区を全廃したと聞きますが,それ以降,高校格差が拡大し,今回みたような事態になっているのでしょうか。10年前のデータがもしあるなら,こうした政策の効果を検証できるところです。
「朝食を食べる食べないなんて,個人の勝手じゃん」。こういう意見もあるでしょうが,個人の自由な意志(嗜好)とて,社会的に決定づけられる。この点を看過すべきではありません。それを放置することが,健康格差のような,人間の生命につながることであるならば,なおさらです。
個人の自由な選択の結果として片付けられがちな現象が,実は社会的規定性を被っていること。それを可視化し,政策的な介入(是正)を正当化するエビデンスを提供すること。教育社会学の使命の一つは,こういうものであると私は考えています。
一昨日,同じ調査の公表データを見ていたら,何と何と,高校調査においては学校別の結果も公表されているではありませんか。調査対象となった都立高校の体力テストの結果や,運動に対する意識,果ては生活状況なども学校別に知ることができます。
教育社会学を専攻する人間なら,「学校ランクとの相関はどうか」という問題意識が直ちにわくでしょう。わが国の高校は,有名大学への進学可能性に依拠して,精緻に序列づけられています。その構造は,専門用語で「高校階層構造」といわれますが,階層構造内のどの位置の高校かによって,生徒の生活意識や行動が大きく異なることが,幾多の調査研究で明らかにされています。
たとえば渡部真教授の研究によると,階層構造内で下位にある学校ほど,非行に親和的な文化(delinquent subculture)が蔓延しているのだそうです。これは80年代初頭の研究成果ですが,現在でもそうであることは,肌感覚でも分かります。組織における生徒の社会化作用,侮りがたしです。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110002779743
私は,上記の都の調査データを用いて,学校ランクと生徒の朝食欠食率の相関を明らかにしようと考えました。思春期にもなれば食生活が乱れてきますが,それが著しいのはどういう生徒か,どういう学校の生徒か。こういう問いを立てることも必要になります。まあ,関係者の方なら薄々感じていることでしょうが,データでもって可視化してみましょう。
都の体力テストの正式名称は,『東京都児童・生徒体力・運動能力,生活・運動習慣等調査』というものです。最新の2013年度の高校調査では,対象となった都立高校の結果が学校別に公表されています。
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/pickup/seisaku_sport-6.htm
手始めに,入試偏差値が異なる3つの高校を適当に取り出して,2年生男子の朝食摂取状況を比較してみましょう。入試偏差値は,下記サイトに掲載されているものを使わせていただきました。
http://www.geocities.jp/toritsukoukou2/
進学校,中位校,下位校の比較図ですが,入試偏差値と見事に相関しています。朝食を毎日食べている生徒の割合は進学校ほど高く,食べない生徒の率はその逆です。偏差値39のC校では6人に1人が,朝食を「食べない」と明言しています。
これは適当にピックアップした3校の比較ですが,上図の傾向は一般化され得るでしょうか。調査対象の都立高校のうち,偏差値が判明する160校のデータを使って吟味してみましょう。
私は,この160校について,2年生男子の朝食欠食率を出し,偏差値の群ごとに分布がどう違うのかを調べました。朝食欠食率とは,「食べない」と答えた者の率です。上図でいう緑色の領分です。
下の図は,分布を視覚化したものです。6つの偏差値群別に,朝食欠食率の高低に基づいて,各学校がプロットされています。
どうでしょう。偏差値が低い群ほど,高いゾーンに多く分布していますね。偏差値65以上の上位群は「0.0~6.5%」という分布ですが,偏差値45未満の下位群の分布幅は「7.0~26.8%」です。
赤のラインは各群の平均値(average)を結んだものですが,きれいな右下がりの傾向です。朝食欠食率は,偏差値が上がるにつれて低くなる。セブンティーン男子の食生活の乱れは,学校ランクと明瞭に相関していることが知られます。
これをどうみるかですが,2通りの経路を想起することができるでしょう。一つは,各学校の生徒文化です。下位の高校では,午前中の休み時間などに,仲間と群れて買い食いする。それをしないと爪はじきにされる。こういう行為規範が強いのかもしれません。
今回のデータは2年生のものですが,入学して日が浅い1年生のデータでは,学校ランクによる欠食差は比較的小さいと思われます。入った高校のスクールカルチャーに染まる度合いが,まだ低いでしょうし。
あと一つは,在籍生徒の家庭環境の違いです。どのランクの高校かによって,生徒の階層構成は異なるでしょう。上位校ほど,富裕層の子弟が多い。ゆえに,偏差群の差は,生徒の家庭環境の差の反映ともとれます。朝食にも事欠くような家庭は稀でしょうが,幼少期からの食生活の躾ができていない。こういう家庭の子弟は,下位校において相対的に多いと思われます。
生徒文化説と家庭環境説。2つの可能性を示唆しましたが,どちらが強いかは,学年間のデータを比較することで分かるでしょう。学年を上がるにつれて,欠食の学校ランク差が拡大するのであれば前者,そうでないならば後者が支持されます。まだ準備ができていませんが,これから手がけてみたい作業です。
さて,朝食欠食に象徴されるような生活スタイルが,在籍する学校のランクによって明瞭に異なる事実が分かりました。東京都は,2003年の都立高校の学区を全廃したと聞きますが,それ以降,高校格差が拡大し,今回みたような事態になっているのでしょうか。10年前のデータがもしあるなら,こうした政策の効果を検証できるところです。
「朝食を食べる食べないなんて,個人の勝手じゃん」。こういう意見もあるでしょうが,個人の自由な意志(嗜好)とて,社会的に決定づけられる。この点を看過すべきではありません。それを放置することが,健康格差のような,人間の生命につながることであるならば,なおさらです。
個人の自由な選択の結果として片付けられがちな現象が,実は社会的規定性を被っていること。それを可視化し,政策的な介入(是正)を正当化するエビデンスを提供すること。教育社会学の使命の一つは,こういうものであると私は考えています。
2014年9月18日木曜日
女性の組成図
2月11日の記事では,『就業構造基本調査』の統計を使って,女性の年齢別組成図をつくったのですが,『国勢調査』の1歳刻みのデータをもとに,より仔細な図をつくってみました。
1985(昭和60)年と2010(平成22)年の図を並べます。
左側の1985年は,男女平等施策が本格化する前の時代ですが,20代後半のM字の底が深いですね。*「主に仕事」から「完全失業者」までが,働く意欲のある労働力人口です。
最近では,M字の底が浅くなると同時に,底の位置が30代半ばにシフトしています。晩婚化・晩産化の表れでしょう。
一番下の「主に仕事」はフルタイム就業に近いと思われますが,こちらの比重も増えています。しかし,カムバック困難な「片道切符」型であるのは明瞭なり。カムバック(2つ目のこぶ)の多くは,赤色の「家事のほか仕事(≒パート)」で担われる構造は変わっていません。
1歳刻みのデータで作図すると,描かれる曲線が滑らかになり,女性のライフコースの詳細を把握できますね。
1985(昭和60)年と2010(平成22)年の図を並べます。
左側の1985年は,男女平等施策が本格化する前の時代ですが,20代後半のM字の底が深いですね。*「主に仕事」から「完全失業者」までが,働く意欲のある労働力人口です。
最近では,M字の底が浅くなると同時に,底の位置が30代半ばにシフトしています。晩婚化・晩産化の表れでしょう。
一番下の「主に仕事」はフルタイム就業に近いと思われますが,こちらの比重も増えています。しかし,カムバック困難な「片道切符」型であるのは明瞭なり。カムバック(2つ目のこぶ)の多くは,赤色の「家事のほか仕事(≒パート)」で担われる構造は変わっていません。
1歳刻みのデータで作図すると,描かれる曲線が滑らかになり,女性のライフコースの詳細を把握できますね。
2014年9月16日火曜日
日本の人口の長期変化図
昨日,表記の統計図をツイッターで発信したところ,見てくださる方が多いようなので,ブログにも載せておきます。
何のことはありません。1920年から2110年までの人口の長期変化図です。総務省統計局サイトの「日本の長期統計系列」と,国立社会保障・人口問題研究所の「将来推計人口」(2012年1月推計)のデータを接合させつ作図しました。
http://www.stat.go.jp/data/chouki/mokuji.htm
http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/newest04/sh2401top.html
年少,生産,および老年人口の組成も分かるようにしています。
わが国の人口は,始点の1920(大正9)年では5597万人でしたが,その後増加し,ピークの2010年には1億2806万人に達しました。しかしこれから先は,急坂を転げ落ちるかのごとく,人口が減っていくことが予想されます。まさに「縮む日本」です。
なお人口の組成に注意すると,戦前期では人口の3人に1人が15歳未満の子どもだったのですね。今とは隔世の感です。少子化が進んだ結果,2014年現在の年少人口比率は12.7%であり,果ての2110年には9.1%となる見込みです。「子ども1:大人9」という社会です。
その分,高齢層の比重が増え,近未来は生産人口と高齢人口がほぼ等しくなると思われます。2110年の人口構成は,年少9.1%,生産49.6%,高齢41.3%なり。
人口は,社会生活の有様を規定する最も基本的な条件です。教育もむろん,その変化の影響を被るのであり,教育政策の立案に際しては,こうした社会条件を考慮しなければなりません。
一つ言えるのは,近未来にあっては,「子どもがああだこうだ」などと言うべきではない,ということ。「子ども1:大人9」という社会においてそんなことをしたら,子どもは窒息してしまいます。子どもは手厚く保護されるべきですが,強い社会的圧力が彼らに及んではなりません。こうこうでいう圧力には,教育関係者の(うざったい)論説も含まれます。
大人は自分のことをすべし。同時に,教育システムを人間の生涯を見越したものに変えていく必要がありでしょう。学校をして,子どもや青年の占有物ではなく,あらゆる年齢層が通えるようにすることも,その一角を構成します。現代日本は生涯学習社会であり,未来はもっとそうです。
教育は,真空の中で行われる営みにあらず。まぎれもなく,所与の社会的条件(土台)の上でなされます。拙著『教育の使命と実態』武蔵野大学出版会(2013年)では,こういう見方のもと,「社会」という章(chapter)を設け,教育の営為を規定するとみられる社会変化を可視化しています。上記の人口変化図もその一つです。
割引販売をいたしております。ご希望の方は,右上の固定ページより,ご一報ください。
何のことはありません。1920年から2110年までの人口の長期変化図です。総務省統計局サイトの「日本の長期統計系列」と,国立社会保障・人口問題研究所の「将来推計人口」(2012年1月推計)のデータを接合させつ作図しました。
http://www.stat.go.jp/data/chouki/mokuji.htm
http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/newest04/sh2401top.html
年少,生産,および老年人口の組成も分かるようにしています。
わが国の人口は,始点の1920(大正9)年では5597万人でしたが,その後増加し,ピークの2010年には1億2806万人に達しました。しかしこれから先は,急坂を転げ落ちるかのごとく,人口が減っていくことが予想されます。まさに「縮む日本」です。
なお人口の組成に注意すると,戦前期では人口の3人に1人が15歳未満の子どもだったのですね。今とは隔世の感です。少子化が進んだ結果,2014年現在の年少人口比率は12.7%であり,果ての2110年には9.1%となる見込みです。「子ども1:大人9」という社会です。
その分,高齢層の比重が増え,近未来は生産人口と高齢人口がほぼ等しくなると思われます。2110年の人口構成は,年少9.1%,生産49.6%,高齢41.3%なり。
人口は,社会生活の有様を規定する最も基本的な条件です。教育もむろん,その変化の影響を被るのであり,教育政策の立案に際しては,こうした社会条件を考慮しなければなりません。
一つ言えるのは,近未来にあっては,「子どもがああだこうだ」などと言うべきではない,ということ。「子ども1:大人9」という社会においてそんなことをしたら,子どもは窒息してしまいます。子どもは手厚く保護されるべきですが,強い社会的圧力が彼らに及んではなりません。こうこうでいう圧力には,教育関係者の(うざったい)論説も含まれます。
大人は自分のことをすべし。同時に,教育システムを人間の生涯を見越したものに変えていく必要がありでしょう。学校をして,子どもや青年の占有物ではなく,あらゆる年齢層が通えるようにすることも,その一角を構成します。現代日本は生涯学習社会であり,未来はもっとそうです。
教育は,真空の中で行われる営みにあらず。まぎれもなく,所与の社会的条件(土台)の上でなされます。拙著『教育の使命と実態』武蔵野大学出版会(2013年)では,こういう見方のもと,「社会」という章(chapter)を設け,教育の営為を規定するとみられる社会変化を可視化しています。上記の人口変化図もその一つです。
割引販売をいたしております。ご希望の方は,右上の固定ページより,ご一報ください。
2014年9月15日月曜日
敬老の日にちなんで
今日は9月15日,敬老の日です。新聞各紙に,この日にふわわしい記事が載っていますが,私の目についたのは人口統計の記事。昨日公表された統計によると,日本の人口の25.9%が65歳以上,12.5%が75歳以上だそうです。4人に1人が高齢者,8人に1人が75歳以上の後期高齢者ということになります。
http://www.asahi.com/articles/ASG9G3PY5G9GUTFK001.html
このように,決して少なくない量に達している高齢者ですが,彼らはどういう思いを抱いて暮らしているのか。職をリタイアし,所属集団の数が減るなど,生活条件が大きく変わっています。また,多くが年金等の社会保障に依存して生活しますが,この面でのわが国の制度が「お寒い」状況であることは,よく知られている通り。
私は,高齢者の生活満足度と幸福度の国際比較をしてみました。高齢者とは,65歳以上の者を指します。この2指標のマトリクスに各国を散りばめた場合,日本はどこ辺りに位置するか。こういう関心からです。
資料は,2010~14年に実施された,最新の『世界価値観調査』です。私は,各国の高齢者のサンプルを取り出して,生活満足度と幸福度の指標を計算しました。
http://www.worldvaluessurvey.org/wvs.jsp
生活満足度の設問は,「今の生活にどれくらい満足しているか」を10段階で自己評定してもらう形式ですが,寄せられた回答の平均点を出してみました。
幸福度は,「総合的にみて,あなたはどれほど幸福か」を問うもので,①とても幸福,②まあ幸福,③あまり幸福でない。④全く幸福でない,のいずれかで答えてもらっています。私は,①を4点,②を3点,③を2点,④を1点とした場合の平均点を算出しました。ローデータが手元にありますので,こういう操作もラクラクです。
無効回答は除外して平均点を出すと,日本の高齢者の場合,生活満足度が7.22点,幸福度が3.21点となります。海を隔てた大国アメリカは順に,7.73点,3.37点です。わが国のほうが見劣りしていますね。
調査対象の55か国の布置構造図を描いてみましょう。横軸に生活満足度,縦軸に幸福度をとった座標上に,55の社会をプロットしました。十字の点線は,55か国の平均値を意味します。
右上にあるのは,生活満足度と幸福度の双方が高い社会ですが,中南米の国では,笑って暮らす高齢者が多いようです。まあ高齢者だけでなく,国民全体がそうなのでしょうが。
中南米国の下には福祉先進国のスウェーデンがあり,すぐ近くにアメリカ,そしてもうちょっと下ったところに日本が位置しています。お隣の韓国は,ちょうど平均辺りです。
左下は高齢者の意識が芳しくないゾーンですが,中東やアフリカ,東欧の社会が多く位置しています。旧共産圏の高齢者の自殺率が高いのはよく知られていますが,発展途上のアフリカ諸国では,人間を労働力とみなす価値観が幅を利かせており,高齢者は厄介者扱いされるのでしょうか。
ともあれ,日本は国際的にみれば好ましい部類に属することを知りました。上記の図は,日本の高齢者政策担当者にすれば,部屋の壁に貼り出したくなるでしょうが,あくまで回答者の自己評定であること,また平均値であり,全体の分布はピンキリであることにも留意してほしいと思います。
蛇足ですが,不安材料も挙げておきましょう。上記の『世界価値観調査』(2010-14)では,各国の国民(16歳以上)に対し,高齢者についてどう思うかをさまざまな角度から訪ねています。私が気になったのは,以下の項目に対する反応です。
・Older people are a burden on society
直訳すると「高齢者は社会のお荷物である」ですが,これに対し,「とてもそう思う」ないしは「そう思う」という肯定の回答を寄せた者の比率は,アフリカ諸国で高くなっています。トップの南アフリカでは47.4%にもなります。先ほど述べたように,労働力の観点から人間を評価する考えがあるためでしょう。
日本の肯定率は6.1%と非常に低く,下から4番目なのですが,年齢層別に率を計算すると,特異な傾向が出てきます。5歳刻みの年齢層別の肯定率を出し,線でつないだグラフをつくりました。同じ先進国の米瑞と比べています。
アメリカとスウェーデンでは,高齢者を「お荷物」とみなす者は若年層で多くなっています。若者は,価値観が大きく異なる老人に侮蔑的な眼差しを向けるきらいがありますが,スウェーデンでは高齢者福祉のための税金がべらぼうに高いことも影響していると思われます。
ところが日本は,若者よりも,当の高齢者の肯定率が高いのです。75歳以上の後期高齢者では,19.3%が「高齢者は社会のお荷物」と考えています。米瑞よりも高い肯定率であり,自虐的な高齢者が相対的に多いことが知られます。
日本の高齢者の扶養は家族依存型であり,寄りかかる先は社会ではなく家族なのですが,負担に顔を歪める家族の顔を日々見せつけられるのですから,自虐心も強くなる。こういうことでしょうか。上記の年齢カーブに,高齢者福祉の国際差が出ているようで,何とも興味深いです。
最近,暴走老人の存在がよくいわれますが,暴挙の働く老人の心の底には,強い劣等感や自虐感があるのではないか。上記の統計をみて,こんなふうにも思います。
最初にみた生活満足度・幸福感の高さの裏には,こういう自虐感も渦巻いている。この点も忘れるべきではないでしょう。高齢者が「自分たちは社会のお荷物だ」という場合の「社会」とは何か。それは全体社会ではなく,部分社会としての家族である可能性も高い。上記の折れ線グラフをして,高齢者扶養の「私化」を促す材料として使ってはならないでしょう。
http://www.asahi.com/articles/ASG9G3PY5G9GUTFK001.html
このように,決して少なくない量に達している高齢者ですが,彼らはどういう思いを抱いて暮らしているのか。職をリタイアし,所属集団の数が減るなど,生活条件が大きく変わっています。また,多くが年金等の社会保障に依存して生活しますが,この面でのわが国の制度が「お寒い」状況であることは,よく知られている通り。
私は,高齢者の生活満足度と幸福度の国際比較をしてみました。高齢者とは,65歳以上の者を指します。この2指標のマトリクスに各国を散りばめた場合,日本はどこ辺りに位置するか。こういう関心からです。
資料は,2010~14年に実施された,最新の『世界価値観調査』です。私は,各国の高齢者のサンプルを取り出して,生活満足度と幸福度の指標を計算しました。
http://www.worldvaluessurvey.org/wvs.jsp
生活満足度の設問は,「今の生活にどれくらい満足しているか」を10段階で自己評定してもらう形式ですが,寄せられた回答の平均点を出してみました。
幸福度は,「総合的にみて,あなたはどれほど幸福か」を問うもので,①とても幸福,②まあ幸福,③あまり幸福でない。④全く幸福でない,のいずれかで答えてもらっています。私は,①を4点,②を3点,③を2点,④を1点とした場合の平均点を算出しました。ローデータが手元にありますので,こういう操作もラクラクです。
無効回答は除外して平均点を出すと,日本の高齢者の場合,生活満足度が7.22点,幸福度が3.21点となります。海を隔てた大国アメリカは順に,7.73点,3.37点です。わが国のほうが見劣りしていますね。
調査対象の55か国の布置構造図を描いてみましょう。横軸に生活満足度,縦軸に幸福度をとった座標上に,55の社会をプロットしました。十字の点線は,55か国の平均値を意味します。
右上にあるのは,生活満足度と幸福度の双方が高い社会ですが,中南米の国では,笑って暮らす高齢者が多いようです。まあ高齢者だけでなく,国民全体がそうなのでしょうが。
中南米国の下には福祉先進国のスウェーデンがあり,すぐ近くにアメリカ,そしてもうちょっと下ったところに日本が位置しています。お隣の韓国は,ちょうど平均辺りです。
左下は高齢者の意識が芳しくないゾーンですが,中東やアフリカ,東欧の社会が多く位置しています。旧共産圏の高齢者の自殺率が高いのはよく知られていますが,発展途上のアフリカ諸国では,人間を労働力とみなす価値観が幅を利かせており,高齢者は厄介者扱いされるのでしょうか。
ともあれ,日本は国際的にみれば好ましい部類に属することを知りました。上記の図は,日本の高齢者政策担当者にすれば,部屋の壁に貼り出したくなるでしょうが,あくまで回答者の自己評定であること,また平均値であり,全体の分布はピンキリであることにも留意してほしいと思います。
蛇足ですが,不安材料も挙げておきましょう。上記の『世界価値観調査』(2010-14)では,各国の国民(16歳以上)に対し,高齢者についてどう思うかをさまざまな角度から訪ねています。私が気になったのは,以下の項目に対する反応です。
・Older people are a burden on society
直訳すると「高齢者は社会のお荷物である」ですが,これに対し,「とてもそう思う」ないしは「そう思う」という肯定の回答を寄せた者の比率は,アフリカ諸国で高くなっています。トップの南アフリカでは47.4%にもなります。先ほど述べたように,労働力の観点から人間を評価する考えがあるためでしょう。
日本の肯定率は6.1%と非常に低く,下から4番目なのですが,年齢層別に率を計算すると,特異な傾向が出てきます。5歳刻みの年齢層別の肯定率を出し,線でつないだグラフをつくりました。同じ先進国の米瑞と比べています。
アメリカとスウェーデンでは,高齢者を「お荷物」とみなす者は若年層で多くなっています。若者は,価値観が大きく異なる老人に侮蔑的な眼差しを向けるきらいがありますが,スウェーデンでは高齢者福祉のための税金がべらぼうに高いことも影響していると思われます。
ところが日本は,若者よりも,当の高齢者の肯定率が高いのです。75歳以上の後期高齢者では,19.3%が「高齢者は社会のお荷物」と考えています。米瑞よりも高い肯定率であり,自虐的な高齢者が相対的に多いことが知られます。
日本の高齢者の扶養は家族依存型であり,寄りかかる先は社会ではなく家族なのですが,負担に顔を歪める家族の顔を日々見せつけられるのですから,自虐心も強くなる。こういうことでしょうか。上記の年齢カーブに,高齢者福祉の国際差が出ているようで,何とも興味深いです。
最近,暴走老人の存在がよくいわれますが,暴挙の働く老人の心の底には,強い劣等感や自虐感があるのではないか。上記の統計をみて,こんなふうにも思います。
最初にみた生活満足度・幸福感の高さの裏には,こういう自虐感も渦巻いている。この点も忘れるべきではないでしょう。高齢者が「自分たちは社会のお荷物だ」という場合の「社会」とは何か。それは全体社会ではなく,部分社会としての家族である可能性も高い。上記の折れ線グラフをして,高齢者扶養の「私化」を促す材料として使ってはならないでしょう。
2014年9月13日土曜日
年収は「住むところ」で決まる?
エンリコ・モレッティ著『年収は「住むところ」で決まる』(プレジデント社)という本が話題になっています。年収といえば,学歴や職業による差が問題にされることが多いのですが,この本は居住地の差に着目しているわけです。曰く,「イノベーション都市の高卒者は,旧来型製造業都市の大卒者より稼いでいる」。
http://president.jp/articles/-/12595
なるほど。私のような地方出身者からすると,分かるような気がします。郷里の鹿児島の大卒者よりも,東京の高卒者のほうが稼いでいるんじゃないか。こういう思いを抱くことがしばしばあります。各人が手にする富量は,性,年齢,学歴,職業といった個人の属性と同時に,居住地によっても大きく影響されているといえるでしょう。
私は,上記の本でいわれていることが,わが国でも当てはまるかを追試してみたくなりました。あいにく,学歴別の年収を地域別に計算することはできませんが,職業別のそれは出すことができます。男性正社員の職業別の平均年収を,都道府県別に明らかにしました。その結果を見ていただきましょう。
資料は,2012年の総務省『就業構造基本調査』です。男性正規職員の職業別の年収分布を,都道府県別に知ることができます。私はこの分布表をもとに,平均年収を計算しました。東京のホワイトカラー職を例に,計算のプロセスを説明します。ホワイトカラー職とは,管理職,専門・技術職,および事務職を合算したカテゴリーです。
年収が判明する,都内の男性ホワイトカラー正社員は約120万人ですが,その年収分布は上表のようです。最も多いのは年収400万円台ですが,1000万超の高給取りも結構います(16.6%)。さすが東京。
この表から平均年収を計算するわけですが,度数分布表から平均を出すやり方はご存じでしょうか。階級値の概念を使うのですよね。年収400万円台の階級は,一律中間の450万円とみなします。500万円台は550万円,600万円台は650万円,というように仮定するのです。上限のない1500万超の階級は,ひとまず2000万円としましょう。
この場合,年収の平均値(averagae)は以下のようにして求められます。全体を100.0とした相対度数(構成比)を使ったほうが計算が楽です。
{(2200×0.2)+(2000×0.2)+・・・(35100×2.9)}/100.0 ≒ 702.6万円
東京の男性ホワイトカラー正社員の平均年収は,およそ700万円なり。まあ,こんなものでしょう。鹿児島は529万円,沖縄は474万円。うへえ,同じ男性で,同じホワイトカラー正社員でも全然違いますね。
このやり方にて,グレーカラーとブルーカラーの平均年収も県別に出してみます。グレーカラーとは,販売職,サービス職,保安職を足し合わせたカテゴリーです。ブルーカラーとは,生産工程職,輸送・機械運転職,建設・採掘職,運搬・清掃・包装職をひっくるめたものなり。
社会学の職業階層カテゴリーでは,このような3分類(ホワイト,グレー,ブルー)が使われるのが一般的です。男性正社員について,この3群の平均年収を都道府県別に計算しました。下表は,その一覧表です。
どうでしょう。東京と沖縄に黄色マークをつけましたが,前者のブルーカラー(444万円)と後者のホワイトカラー(474万円)が同じくらいですね。沖縄のグレー(343万円)は,東京のブルーよりも100万以上低くなっています。
居住地の違いによって年収の職業差が打ち消されている典型例ですが,全体的にみて,①ホワイトの年収が東京のグレーより低い県,②グレーの年収が東京のブルーより低い県も結構あるではありませんか。赤字がそれです。①のケースを地図にしておきましょう。
地方周辺県が該当するようですね。郷里の鹿児島にも色がついている。ふうむ,「住むところ」の影響,侮りがたし。
私は博士論文で,高等教育就学機会の地域間格差をテーマにしたのですが,大学進学率は家庭の所得水準や親の職業・学歴によって決まると同時に,地域によっても大きく違います。この点は,昨年の9月12日の記事にて明らかにした通りです。
冒頭の文献では,雇用が流出し衰退していく旧来型製造業都市と,それが集積するイノベーション都市との差が大きくなり,どちらに住むかによって,学歴のような属性変数の効果が回収されてしまうと言われています。東洋の日本でも,こういう事態になっていることは,今回の統計からうかがわれるところです。これから先,個人の地位達成のファクターとして,居住地という変数にもっと注目すべきかもしれません。
今回は都道府県単位の分析でしたが,望むべきは,もっと下った市区町村レベルでのデータがほしい。同じ東京都内にあっても,居住地によって,年収の学歴差や職業差が打ち消されるような現象がみられるか。それを吟味するデータが公開されることを期待し,身勝手な願望を記しておきます。
http://president.jp/articles/-/12595
なるほど。私のような地方出身者からすると,分かるような気がします。郷里の鹿児島の大卒者よりも,東京の高卒者のほうが稼いでいるんじゃないか。こういう思いを抱くことがしばしばあります。各人が手にする富量は,性,年齢,学歴,職業といった個人の属性と同時に,居住地によっても大きく影響されているといえるでしょう。
私は,上記の本でいわれていることが,わが国でも当てはまるかを追試してみたくなりました。あいにく,学歴別の年収を地域別に計算することはできませんが,職業別のそれは出すことができます。男性正社員の職業別の平均年収を,都道府県別に明らかにしました。その結果を見ていただきましょう。
資料は,2012年の総務省『就業構造基本調査』です。男性正規職員の職業別の年収分布を,都道府県別に知ることができます。私はこの分布表をもとに,平均年収を計算しました。東京のホワイトカラー職を例に,計算のプロセスを説明します。ホワイトカラー職とは,管理職,専門・技術職,および事務職を合算したカテゴリーです。
年収が判明する,都内の男性ホワイトカラー正社員は約120万人ですが,その年収分布は上表のようです。最も多いのは年収400万円台ですが,1000万超の高給取りも結構います(16.6%)。さすが東京。
この表から平均年収を計算するわけですが,度数分布表から平均を出すやり方はご存じでしょうか。階級値の概念を使うのですよね。年収400万円台の階級は,一律中間の450万円とみなします。500万円台は550万円,600万円台は650万円,というように仮定するのです。上限のない1500万超の階級は,ひとまず2000万円としましょう。
この場合,年収の平均値(averagae)は以下のようにして求められます。全体を100.0とした相対度数(構成比)を使ったほうが計算が楽です。
{(2200×0.2)+(2000×0.2)+・・・(35100×2.9)}/100.0 ≒ 702.6万円
東京の男性ホワイトカラー正社員の平均年収は,およそ700万円なり。まあ,こんなものでしょう。鹿児島は529万円,沖縄は474万円。うへえ,同じ男性で,同じホワイトカラー正社員でも全然違いますね。
このやり方にて,グレーカラーとブルーカラーの平均年収も県別に出してみます。グレーカラーとは,販売職,サービス職,保安職を足し合わせたカテゴリーです。ブルーカラーとは,生産工程職,輸送・機械運転職,建設・採掘職,運搬・清掃・包装職をひっくるめたものなり。
社会学の職業階層カテゴリーでは,このような3分類(ホワイト,グレー,ブルー)が使われるのが一般的です。男性正社員について,この3群の平均年収を都道府県別に計算しました。下表は,その一覧表です。
どうでしょう。東京と沖縄に黄色マークをつけましたが,前者のブルーカラー(444万円)と後者のホワイトカラー(474万円)が同じくらいですね。沖縄のグレー(343万円)は,東京のブルーよりも100万以上低くなっています。
居住地の違いによって年収の職業差が打ち消されている典型例ですが,全体的にみて,①ホワイトの年収が東京のグレーより低い県,②グレーの年収が東京のブルーより低い県も結構あるではありませんか。赤字がそれです。①のケースを地図にしておきましょう。
地方周辺県が該当するようですね。郷里の鹿児島にも色がついている。ふうむ,「住むところ」の影響,侮りがたし。
私は博士論文で,高等教育就学機会の地域間格差をテーマにしたのですが,大学進学率は家庭の所得水準や親の職業・学歴によって決まると同時に,地域によっても大きく違います。この点は,昨年の9月12日の記事にて明らかにした通りです。
冒頭の文献では,雇用が流出し衰退していく旧来型製造業都市と,それが集積するイノベーション都市との差が大きくなり,どちらに住むかによって,学歴のような属性変数の効果が回収されてしまうと言われています。東洋の日本でも,こういう事態になっていることは,今回の統計からうかがわれるところです。これから先,個人の地位達成のファクターとして,居住地という変数にもっと注目すべきかもしれません。
今回は都道府県単位の分析でしたが,望むべきは,もっと下った市区町村レベルでのデータがほしい。同じ東京都内にあっても,居住地によって,年収の学歴差や職業差が打ち消されるような現象がみられるか。それを吟味するデータが公開されることを期待し,身勝手な願望を記しておきます。
2014年9月11日木曜日
Education more Education
またしても「?」のタイトルですが,直訳すると「教育が教育を呼ぶ」ということです。アメリカの教育学者ピーターソンの有名な言葉なり。
現在は生涯学習の時代ですが,既に高い学歴を得ている人間ほど,自発的に学び続けることへの意欲が高い。大学等への社会人入学志望者も多い。ピーターソンは,アメリカ社会のこうした現実を,表記のタイトルの言で表現したわけです。まさに「教育が教育を呼ぶ」ですね。またこうも言っています。「教育とは麻薬のようなものである」と。
まあ,高学歴の者ほど「学び」へのレディネスはできているでしょうから,当然といえばそうです。「何が問題なのか」という疑問もあるでしょう。しかし,上記のような事態があまりに顕著になると,人生初期の教育格差が,生涯学習を通じて拡大再生産されることになります。
生涯学習概論の授業をとった方ならご存じかと思いますが,生涯学習とは,子ども期に何らかの事情で教育の機会を逸した者に対し,学び直しのチャンスを与えるという,公正の機能をも期待されています。望むべきは,生涯学習を通じて人生初期の教育格差が縮小されることであり,その逆ではありません。しかるに,現実は後者のほうに傾いている。
このような逆機能は,わが国においても観察されます。たとえば,自発的に学習(勉強)する者の比率の年齢曲線を学歴別に描くと,下図のようになります。人文・社会・自然科学といった一般教養を,過去1年間に自発的に学んだという者の出現率です。
どの年齢でも「中卒<高卒<大卒」になっていますが,40代以降,大卒者の率だけがみるみる上がっていくことに注意しましょう。まさに「Education more Education」,生涯学習を通じた,人生初期の教育格差の拡大再生産です。
勉強にはカネがかかる面もあるので,経済力の差の反映ともとれますが,「知への嗜好」の差が大きいのではないかと思われます。
次に,大学等の組織的な教育機関に在学している成人の率をみてみましょう。近年,国の政策もあって,大学等への社会入学者が増えていますが,その多くは,既に高い学歴を有している者ではないでしょうか。
あいにく,学歴と通学状況の関連が分かる個人単位のデータはありません。ここでは,成人の通学率が高いのはどういう地域かをみてみます。私は以前,30歳以上の成人の通学人口率を県別に明らかにしたことがあります(拙稿「成人の通学行動の社会的諸要因に関する実証的研究」『日本社会教育学会紀要』第45号,2009年)。その作業をここで繰り返しても面白くないので,県よりも下った,市区町村レベルの差を出してみました。
http://ci.nii.ac.jp/naid/40016875755
私は,首都圏(1都3県)の243市区町村について,30歳以上の通学人口率を計算しました。用いたのは,2010年の『国勢調査』のデータです。私が住んでいる多摩市でいうと,同年10月の30歳以上人口は10万4,238人。このうち,大学等の組織的教育機関に通学している者は157人。よって通学人口率は,後者を前者で除して15.1人となります。ベース1万人あたりの通学者数です。
243市区町村の値をマッピングすると,以下のようになります。首都圏の成人の通学人口率マップをご覧ください。
ほう。色が濃いのは,東京都内の都心や多摩地域です。これらの地域には大学が多いという条件があるでしょうが,言わずもがな,高学歴人口率が高い地域でもあります。データを出していませんが,おそらくは,成人の通学人口率と高学歴人口率は高い相関を呈することでしょう。
既に高い学歴を得ている者ほど,自発的な学習への意欲が高く,組織的教育への欲求も高い。「Education more Education」の現実は,今の日本社会にも確実に存在するとみられます。
現在,教育格差に対する世間の関心が高まっており,国の白書や政策文書でも頻繁に取り上げられるようになりましたが,少子高齢化が進行するなか,人間の生涯を見越して,この問題を議論する必要があると思います。人生初期の学校教育とは違って,生涯学習とは人々の自発的な意志に委ねられる部分が大きいので,放置するならば,「する者」と「しない者」の差が甚だ大きくなるからです。
それを防ぐ方策の一つは,いわゆるアウトリーチ政策ですが,この言葉が国の文書に載ったのを見たことがないなあ。低学歴の者に対する,学習機会の情報提供や啓発などからなります。北欧では,こういう取組がされているのだそうな。今日,著しい発展をみたインターネットなどの情報網を,こういう仕事に活かしたいものです。
2050年の日本は,人口比では「子ども1:大人9」の社会になります。こうなったとき,教育学は人生初期の学校教育だけを射程にするだけでは不十分であり,存在意義も問われることになります。今回のテーマは,近未来の教育学のテキストに取り上げられているかもしれません。いや,そうであってほしいと思っています。
現在は生涯学習の時代ですが,既に高い学歴を得ている人間ほど,自発的に学び続けることへの意欲が高い。大学等への社会人入学志望者も多い。ピーターソンは,アメリカ社会のこうした現実を,表記のタイトルの言で表現したわけです。まさに「教育が教育を呼ぶ」ですね。またこうも言っています。「教育とは麻薬のようなものである」と。
まあ,高学歴の者ほど「学び」へのレディネスはできているでしょうから,当然といえばそうです。「何が問題なのか」という疑問もあるでしょう。しかし,上記のような事態があまりに顕著になると,人生初期の教育格差が,生涯学習を通じて拡大再生産されることになります。
生涯学習概論の授業をとった方ならご存じかと思いますが,生涯学習とは,子ども期に何らかの事情で教育の機会を逸した者に対し,学び直しのチャンスを与えるという,公正の機能をも期待されています。望むべきは,生涯学習を通じて人生初期の教育格差が縮小されることであり,その逆ではありません。しかるに,現実は後者のほうに傾いている。
このような逆機能は,わが国においても観察されます。たとえば,自発的に学習(勉強)する者の比率の年齢曲線を学歴別に描くと,下図のようになります。人文・社会・自然科学といった一般教養を,過去1年間に自発的に学んだという者の出現率です。
どの年齢でも「中卒<高卒<大卒」になっていますが,40代以降,大卒者の率だけがみるみる上がっていくことに注意しましょう。まさに「Education more Education」,生涯学習を通じた,人生初期の教育格差の拡大再生産です。
勉強にはカネがかかる面もあるので,経済力の差の反映ともとれますが,「知への嗜好」の差が大きいのではないかと思われます。
次に,大学等の組織的な教育機関に在学している成人の率をみてみましょう。近年,国の政策もあって,大学等への社会入学者が増えていますが,その多くは,既に高い学歴を有している者ではないでしょうか。
あいにく,学歴と通学状況の関連が分かる個人単位のデータはありません。ここでは,成人の通学率が高いのはどういう地域かをみてみます。私は以前,30歳以上の成人の通学人口率を県別に明らかにしたことがあります(拙稿「成人の通学行動の社会的諸要因に関する実証的研究」『日本社会教育学会紀要』第45号,2009年)。その作業をここで繰り返しても面白くないので,県よりも下った,市区町村レベルの差を出してみました。
http://ci.nii.ac.jp/naid/40016875755
私は,首都圏(1都3県)の243市区町村について,30歳以上の通学人口率を計算しました。用いたのは,2010年の『国勢調査』のデータです。私が住んでいる多摩市でいうと,同年10月の30歳以上人口は10万4,238人。このうち,大学等の組織的教育機関に通学している者は157人。よって通学人口率は,後者を前者で除して15.1人となります。ベース1万人あたりの通学者数です。
243市区町村の値をマッピングすると,以下のようになります。首都圏の成人の通学人口率マップをご覧ください。
ほう。色が濃いのは,東京都内の都心や多摩地域です。これらの地域には大学が多いという条件があるでしょうが,言わずもがな,高学歴人口率が高い地域でもあります。データを出していませんが,おそらくは,成人の通学人口率と高学歴人口率は高い相関を呈することでしょう。
既に高い学歴を得ている者ほど,自発的な学習への意欲が高く,組織的教育への欲求も高い。「Education more Education」の現実は,今の日本社会にも確実に存在するとみられます。
現在,教育格差に対する世間の関心が高まっており,国の白書や政策文書でも頻繁に取り上げられるようになりましたが,少子高齢化が進行するなか,人間の生涯を見越して,この問題を議論する必要があると思います。人生初期の学校教育とは違って,生涯学習とは人々の自発的な意志に委ねられる部分が大きいので,放置するならば,「する者」と「しない者」の差が甚だ大きくなるからです。
それを防ぐ方策の一つは,いわゆるアウトリーチ政策ですが,この言葉が国の文書に載ったのを見たことがないなあ。低学歴の者に対する,学習機会の情報提供や啓発などからなります。北欧では,こういう取組がされているのだそうな。今日,著しい発展をみたインターネットなどの情報網を,こういう仕事に活かしたいものです。
2050年の日本は,人口比では「子ども1:大人9」の社会になります。こうなったとき,教育学は人生初期の学校教育だけを射程にするだけでは不十分であり,存在意義も問われることになります。今回のテーマは,近未来の教育学のテキストに取り上げられているかもしれません。いや,そうであってほしいと思っています。
2014年9月9日火曜日
自殺率の年齢曲線の変化
あまり知られていませんが,わが国の自殺率は今世紀になってから減少の傾向にあります。人口10万人あたりの自殺者数(自殺率)は,前世紀末の1999年では25.0でしたが,2012年では21.0にまで下がっています(厚労省『人口動態統計)。
しかしこれは全体のトレンドであって,年齢別にみると様相は一様ではありません。私は,上記の両年について,年齢別の自殺率を計算しました。当該年の自殺者数を,同年10月時点の推計人口で除した値です。分子の出所は厚労省『人口動態統計』,分母は総務省『人口推計年報』なり。
最近は当局の公表データが充実してきており,分子・分母とも,1歳刻みの細かい数字を得ることができます。私は今38歳ですが,2012年でいうと,この年齢の自殺者数は437人,同年齢人口は199万人ほどですから,自殺率は22.0となります。ベース10万人あたりの自殺者数です。
この要領で,0~80歳までの自殺率を年齢別に算出しました。下の表は,1999年と2012年の年齢別自殺率を整理したものです。
どうでしょう。右端はこの13年間にかけての増減ポイントですが,40代以降の中高年層では,自殺率が軒並み減少しています。この期間中,この層を対象とした自殺防止対策が実施されましたが,その効果の表れともいえるでしょう。
しかるに,若年年層はさにあらず。自殺率が2ポイント以上アップした年齢に黄色マークをつけましたが,20代のほとんどに色がついています。21歳,23歳,25歳,26歳は5ポイント以上の増です。自殺率は「生きづらさ」の指標ですが,近年の若者の苦境を思うと,さもありなんです。
上表のデータをビジュアル化しましょう。各年齢の自殺率を線で結んだ年齢曲線を描こうと思いますが,上記のデータをそのまま折れ線にすると,凹凸がかなり激しくなります。そこで,移動平均法を用いて,曲線を均すこととします。
ある年齢の自殺率を,前後の率との平均をとった値に換算します。たとえば22歳の自殺率は,21歳,22歳,23歳の率の平均値にするわけです。2012年でいうと,(19.4+20.7+23.7)/3=21.3となります。
各年齢の自殺率を,このように移動平均値にすると,描かれる曲線が滑らかになります。このやり方による,1999年と2012年の自殺率年齢曲線をご覧いただきましょう。
今世紀になってから,50代のお父さん層の自殺率は大きく下がりました。前世紀の末は,山一證券の倒産(97年)とかもあり,この年代の男性のリストラ自殺が頻発した経緯があります。
ところが,10代後半から20代に限ると,自殺率は上昇しています。この層だけの固有の傾向です。近年の困難は,若年層に凝縮されていることが知られます。将来展望不良,シューカツ失敗自殺・・・。解釈の材料には事欠きません。
8月2日の記事では,青年層の自殺率推移の国際比較をしたのですが,わが国は,90年代以降の「失われた20年」にかけて,一気にトップに躍り出ていました。
この記事をみてくださる方が多かったのですが,あるNPOの方より,「日本の青年の自殺率増加はよく分かったが,これは青年に固有の傾向なのか。他の年齢層はどうなのか」という質問のメールをいただきました。そこで今回,青年層のトレンドを全体の中に位置づけるため,こういうデータをつくった次第です。
まあ確かに,青年だけを切り取るというのは,情報としては不足でした。そういうば渡部教授も,青年の自殺率だけを観察するだけでは不十分で,当該の社会で自殺がどれほどこの層に集中しているかを吟味しないといけない,と書いておられました(「青年期の自殺の国際比較」『教育社会学研究』第34集,1979年)。
貴重なご意見の提供に感謝申します。
2014年9月7日日曜日
ディスタンクシオン
タイトルをみて「?」と思われましたか。これは,「差異」という意味の仏語です。綴りは「distinction」ですが,仏語だと「ディスタンクシオン」と読みます。
社会学をちょっとかじった方ならお分かりでしょうが,フランスの社会学者ブルデューが,このタイトルの名著を公刊しています。邦訳は藤原書店から出ています。石井洋二郎教授の訳です。
この本では,人々の趣味や嗜好が階層によって大きく異なることが明らかにされています。たとえば,読む雑誌を調べると,ホワイトカラー層は文芸誌を好むが,ブルカラー層は大衆誌を好む。服装,映画,スポーツなどにおいても,階層による違いが明瞭に出るのだそうです。
まさに「差異(distinction)」ですが,これは階層がはっきりしている西洋の話であって,日本ではこういう現象は見られないのではないか,といわれます。なるほど。教育社会学の授業でこういう話をしても,ピンとこない学生さんが多いように思います。
しかし,柴野・菊池・竹内編『教育社会学』有斐閣(1992年)の161ページには,趣味の職業差を明瞭に示した図が載っています。横軸にクラシック音楽鑑賞の実施率,縦軸にポピュラー音楽・歌謡曲鑑賞実施率をとった座標上に,それぞれの職業を位置づけたグラフです。
これをみると,教員・宗教家や専門職業従事者は右下にあり,販売職や労務職は左上に位置しています。前者はクラシック音楽を好み,後者は大衆的なポピュラーや歌謡曲のほうを好んで聴く,ということです。
この図は,1986年の総務省『社会生活基本調査』のデータをもとに作図されたものですが,最近のデータでも,こういう傾向が出てくるでしょうか。
http://www.stat.go.jp/data/shakai/2011/index.htm
私は,最新の2011年調査のデータを使って,追試をしてみようと考えました。しかるに,同じ図を再現するだけというのは芸がないので,ちょっと観点を変えましょう。ここでは,美術鑑賞実施率とパチンコ実施率のマトリクス上に,複数の職業を散りばめてみます。*前者は,DVD等によるものは含みません。
前者は芸術趣味,後者は大衆趣味の代表格ですが,はて,どういう図柄ができるか。31の職業の布置図をご覧ください。
右下にあるのは,パチンコよりも美術鑑賞の実施率が高い群であり,左上はその逆です。前者には,教員をはじめ,一般事務や保健医療など,ホワイトカラー職が多くなっています。後者の青枠内には,建設業や輸送・機械運転などのブルーカラー職が多く位置しています。
ほう。フランスから遠く離れた東洋の日本でも,趣味という点において,明瞭な階層差が観察されるではありませんか。この図は,授業でディスタンクシオンの話をする際に使える,いい教材になりそうです。
こういう「微々たる」差異を大げさに取り上げて何が面白いのだ,という意見もあるでしょう。ですが,教育社会学の観点から,重要な問題提起をする材料になります。
上図に描かれているような階層差が,子どもの教育達成に影響しないか,ということです。学校で教えられる抽象的な文化に親しみやすいのは,明らかにピンク枠の家庭の子弟でしょう。家には,各種の蔵書も多いと思われます。
これから先,大学入試もペーパー主体から面接重視に方向転換されるそうですが,そうなった時,上図のような親世代の文化差が,子ども世代に投影される度合いが高まらないかどうか。面接での経ち振る舞い,余裕の程度,話題の豊富さ・・・。こういうことは,ペーパーで測られる読解力や計算力などよりも,家庭の文化環境を色濃く反映すると思われます。
近年,学力の規定要因として,家庭の経済水準が大きいことがようやく政策担当者にも認識されてきたようですが,実際のところは,こうした経済資本よりも,ここで垣間見られるような文化資本の差が強く影響しているのかもしれません。
その意味で,見えざる文化の差異を可視化するのは意義あることであって,家庭の文化資本の量と学力の相関を明らかにする研究も必要になります。それは,家庭と学校の文化的距離を意図的に縮める実践を支持するエビデンスにもなります。7/14の日本教育新聞のコラムにて,この点について書きました。興味ある方は,ご覧ください。
曇天の日曜ですが,休日の楽しい午後をお過ごしくださいますよう。
社会学をちょっとかじった方ならお分かりでしょうが,フランスの社会学者ブルデューが,このタイトルの名著を公刊しています。邦訳は藤原書店から出ています。石井洋二郎教授の訳です。
この本では,人々の趣味や嗜好が階層によって大きく異なることが明らかにされています。たとえば,読む雑誌を調べると,ホワイトカラー層は文芸誌を好むが,ブルカラー層は大衆誌を好む。服装,映画,スポーツなどにおいても,階層による違いが明瞭に出るのだそうです。
まさに「差異(distinction)」ですが,これは階層がはっきりしている西洋の話であって,日本ではこういう現象は見られないのではないか,といわれます。なるほど。教育社会学の授業でこういう話をしても,ピンとこない学生さんが多いように思います。
しかし,柴野・菊池・竹内編『教育社会学』有斐閣(1992年)の161ページには,趣味の職業差を明瞭に示した図が載っています。横軸にクラシック音楽鑑賞の実施率,縦軸にポピュラー音楽・歌謡曲鑑賞実施率をとった座標上に,それぞれの職業を位置づけたグラフです。
これをみると,教員・宗教家や専門職業従事者は右下にあり,販売職や労務職は左上に位置しています。前者はクラシック音楽を好み,後者は大衆的なポピュラーや歌謡曲のほうを好んで聴く,ということです。
この図は,1986年の総務省『社会生活基本調査』のデータをもとに作図されたものですが,最近のデータでも,こういう傾向が出てくるでしょうか。
http://www.stat.go.jp/data/shakai/2011/index.htm
私は,最新の2011年調査のデータを使って,追試をしてみようと考えました。しかるに,同じ図を再現するだけというのは芸がないので,ちょっと観点を変えましょう。ここでは,美術鑑賞実施率とパチンコ実施率のマトリクス上に,複数の職業を散りばめてみます。*前者は,DVD等によるものは含みません。
前者は芸術趣味,後者は大衆趣味の代表格ですが,はて,どういう図柄ができるか。31の職業の布置図をご覧ください。
右下にあるのは,パチンコよりも美術鑑賞の実施率が高い群であり,左上はその逆です。前者には,教員をはじめ,一般事務や保健医療など,ホワイトカラー職が多くなっています。後者の青枠内には,建設業や輸送・機械運転などのブルーカラー職が多く位置しています。
ほう。フランスから遠く離れた東洋の日本でも,趣味という点において,明瞭な階層差が観察されるではありませんか。この図は,授業でディスタンクシオンの話をする際に使える,いい教材になりそうです。
こういう「微々たる」差異を大げさに取り上げて何が面白いのだ,という意見もあるでしょう。ですが,教育社会学の観点から,重要な問題提起をする材料になります。
上図に描かれているような階層差が,子どもの教育達成に影響しないか,ということです。学校で教えられる抽象的な文化に親しみやすいのは,明らかにピンク枠の家庭の子弟でしょう。家には,各種の蔵書も多いと思われます。
これから先,大学入試もペーパー主体から面接重視に方向転換されるそうですが,そうなった時,上図のような親世代の文化差が,子ども世代に投影される度合いが高まらないかどうか。面接での経ち振る舞い,余裕の程度,話題の豊富さ・・・。こういうことは,ペーパーで測られる読解力や計算力などよりも,家庭の文化環境を色濃く反映すると思われます。
近年,学力の規定要因として,家庭の経済水準が大きいことがようやく政策担当者にも認識されてきたようですが,実際のところは,こうした経済資本よりも,ここで垣間見られるような文化資本の差が強く影響しているのかもしれません。
その意味で,見えざる文化の差異を可視化するのは意義あることであって,家庭の文化資本の量と学力の相関を明らかにする研究も必要になります。それは,家庭と学校の文化的距離を意図的に縮める実践を支持するエビデンスにもなります。7/14の日本教育新聞のコラムにて,この点について書きました。興味ある方は,ご覧ください。
曇天の日曜ですが,休日の楽しい午後をお過ごしくださいますよう。
2014年9月5日金曜日
面グラフによる年収分布図(続)
前回は,有業者の年収分布を上から俯瞰するグラフ技法を紹介したのですが,見てくださる方が多いようです。最後のほうで,正規・非正規差や地域差の図もあるよと書いたところ,ぜひ見たいというリクエストがありましたので,続編として,ご覧に入れようと思います。
まずは,男性有業者の正規・非正規差です。雇用の非正規化が進んでいますが,正規と非正規の間には,どれほどの年収差があるのでしょう。性別と年齢を統制した比較をしてみます。
予想通りといいますが,正規と非正規の差は一目瞭然。派遣や契約等の非正規職員では,どの年齢層でも,半分近くが年収200万未満です。これは男性同士の比較ですので,性別の影響は入っていません。
この図をみて,やはり正社員にならないと人生終わるみたいにとられるかもしれませんが,私は,非正規職員の待遇が劣悪すぎることを問題視すべきかと思います。オランダでは多様な働き方が認められており,正社員でもパートでも同じ仕事なら待遇は変わらないそうですが,こういう社会をモデルにすべきかと。
次に地域差です。男性正社員の年収分布を,東京と沖縄で比べてみました。左は東京,右は沖縄の図です。
同じ男性正社員ですが,東京と沖縄では分布がかなり違っています。沖縄では,私くらいの年齢層でも,半分近くが年収300万未満。東京のような,中高年層における高収入層の広がりもみられません。
私は鹿児島出身ですが,これなんかは分かるなあ。コンビニのバイト一つとっても,時給が全然違うし。東京では最低でも800円は下らないでしょうが,向こうでは600円台とかザラだし。まあその分,向こうは物価が安いのですが。
あと一つ,企業規模差の図も載せておきます。従業員数20人未満の零細企業と,1000人以上の大企業の対比です。性別と雇用形態の影響を除くため,男性正社員の比較をします。
高収入層のゾーンを強調しましたが,大企業では40を過ぎれば大半が年収500万超ですが,零細企業はさにあらず。所定給の差に加え,ボーナス等の各種手当の違いもデカイのでしょう。
百聞は一見に如かず。やっぱりビジュアル化が一番。国会議事堂の廊下に,上記のような統計グラフを貼りだしてほしいと思います。埼玉県の上田知事の執務室は,こういうグラフだらけだそうです。「見える化」の効用をよくご存じの首長さんもいらっしゃるのですね。
2014年9月3日水曜日
面グラフによる年収分布図
誰もが関心を持つ年収分布ですが,官庁統計では,おおむね100万円刻みの分布が示されています。200万円台は何人,300万円台は何人,・・・1500万円以上は何人,というデータです。
これをグラフ化するとなると,各階級が全体に占める割合(%)を出し,それらをつないだ折れ線を描くのが普通でしょう。これがいわゆる,年収分布曲線です。
しかし,多くの属性の分布を比較しようという場合,何本もの曲線を描くことになります。たとえば,20~50代の5歳刻みの年収分布を比べる場合,8本の曲線を盛り込むことになり,非常に見づらくなります。グチャグチャです。
私は,この難点をクリアする技法として,面グラフによる表現を思いつきました。いくつかの事例を見ていただきましょう。まずは,男性有業者の年収分布の変化図です。
どうでしょう。年齢層ごとの年収分布を上から俯瞰する図法です。「失われた20年」と形容される,90年代以降の変化は結構ドラスティック。年収300万未満の低収入層の比重が明らかに増えています。この記事にあるような,貧困にあえぐ若者は決して少数派ではないことが知られます。
次にジェンダー差をみてみましょう。2012年の『就業構造基本調査』のデータを使って,正社員男女の年収分布を同じやり方で表現してみました。
同じ正社員でも,明確すぎるジェンダー差。女性にあっては,働き盛りの層でも半分近くが年収300万円未満です。その分,高収入層の比重が男性に比して少なくなっています。賃金のジェンダー差は嫌というほど指摘されますが,それを端的に示すには,上記の図がベストではないかと思います。
時代差,性差をみましたが,続いて学歴差の図をご覧に入れましょう。男性正社員について,高卒と大卒の図を並べてみました。
高収入層を強調しましたが,この層のシェアの違いが明白ですね。社会的地位や富の配分に際して,学歴がモノをいう度合いが高い社会を学歴社会といいますが,わが国は,その純度が高い社会であるといえましょう。海外はもっとかも知れませんが。
最後に,官民差の図を掲げます。男性正規職員全体と,そのうちの公務員の図を対比したものです。後者の公務員とは,『就業構造基本調査』の産業分類で「公務」に括られる者です。おおむね,官庁や役場に勤めている職員が該当します。警察官や教員などは,該当する産業カテゴリー(保安,教育・・・)に入りますので,ここでいう公務員には含まれません。
男性の正規職員の比較ですが,公務員は年功賃金の色がはっきり出ています。年齢を上がるにつれて,太い青枠が垂れてきます。しかし,年収1000万以上の最高層は民間のほうが多いようですね。
他にも,正規・非正規差や地域差など,みていただきたいグラフはありますが,これくらいにしましょう。この図法を使えば,年齢という基本的な条件を考慮に入れた属性比較を明瞭に行うことができます。
昨日の晩,最初の図をツイッターで発信したところ,見てくださる方が多いようなので,ブログでも紹介しようと考えました。多くの人が関心を抱く年収分布。そのビジュアル化技法の一つの提案であります。
これをグラフ化するとなると,各階級が全体に占める割合(%)を出し,それらをつないだ折れ線を描くのが普通でしょう。これがいわゆる,年収分布曲線です。
しかし,多くの属性の分布を比較しようという場合,何本もの曲線を描くことになります。たとえば,20~50代の5歳刻みの年収分布を比べる場合,8本の曲線を盛り込むことになり,非常に見づらくなります。グチャグチャです。
私は,この難点をクリアする技法として,面グラフによる表現を思いつきました。いくつかの事例を見ていただきましょう。まずは,男性有業者の年収分布の変化図です。
どうでしょう。年齢層ごとの年収分布を上から俯瞰する図法です。「失われた20年」と形容される,90年代以降の変化は結構ドラスティック。年収300万未満の低収入層の比重が明らかに増えています。この記事にあるような,貧困にあえぐ若者は決して少数派ではないことが知られます。
次にジェンダー差をみてみましょう。2012年の『就業構造基本調査』のデータを使って,正社員男女の年収分布を同じやり方で表現してみました。
同じ正社員でも,明確すぎるジェンダー差。女性にあっては,働き盛りの層でも半分近くが年収300万円未満です。その分,高収入層の比重が男性に比して少なくなっています。賃金のジェンダー差は嫌というほど指摘されますが,それを端的に示すには,上記の図がベストではないかと思います。
時代差,性差をみましたが,続いて学歴差の図をご覧に入れましょう。男性正社員について,高卒と大卒の図を並べてみました。
高収入層を強調しましたが,この層のシェアの違いが明白ですね。社会的地位や富の配分に際して,学歴がモノをいう度合いが高い社会を学歴社会といいますが,わが国は,その純度が高い社会であるといえましょう。海外はもっとかも知れませんが。
最後に,官民差の図を掲げます。男性正規職員全体と,そのうちの公務員の図を対比したものです。後者の公務員とは,『就業構造基本調査』の産業分類で「公務」に括られる者です。おおむね,官庁や役場に勤めている職員が該当します。警察官や教員などは,該当する産業カテゴリー(保安,教育・・・)に入りますので,ここでいう公務員には含まれません。
男性の正規職員の比較ですが,公務員は年功賃金の色がはっきり出ています。年齢を上がるにつれて,太い青枠が垂れてきます。しかし,年収1000万以上の最高層は民間のほうが多いようですね。
他にも,正規・非正規差や地域差など,みていただきたいグラフはありますが,これくらいにしましょう。この図法を使えば,年齢という基本的な条件を考慮に入れた属性比較を明瞭に行うことができます。
昨日の晩,最初の図をツイッターで発信したところ,見てくださる方が多いようなので,ブログでも紹介しようと考えました。多くの人が関心を抱く年収分布。そのビジュアル化技法の一つの提案であります。
2014年9月1日月曜日
誹謗中傷ブログの発信者情報開示を求める
6月の下旬頃,とある高校の先生より,私を執拗に誹謗中傷しているブログがあると知らされました。「maimaiのブログ」と題するアメブロです。現在は削除されています。
見てみたら何とまあ,全ての記事にわたって,私・舞田敏彦への誹謗中傷が綴られています。たとえば,以下のようなものです。削除されていますが,記事名+キャッシュ表示で出てきます。
・2014/06/16
・2014/06/14
・2014/06/18
・2014/06/20
記事は全部で20近くありますが,全てがこんな感じです。まったく,よくこういうことができるものだと,ちょっとばかり感心します。
舞田敏彦の社会的地位を意図的に低下せしめようという,名誉棄損行為であることは明らかです。アメブロ当局が見かねて削除したのか,それとも批判が殺到して閉鎖に追い込まれたのか・・・。
しかし,ここまでくると削除すれば済む話ではありません。私は多大な精神的苦痛を被りましたし,公開されている間,私に対する名誉毀損が成立していたことは明白。匿名という陰湿なやり方も断じて許し難し。
私は,発信者の責任を問うため,発信者情報の開示を求めることとします。アメブロの該当ページを参照したところ,印鑑登録証明が要るとのことですので,今日とってきました。これから書類をしたため,明後日にでも発送するつもりです。
まあ,開示請求せずとも,誰が書いたのかはだいたい見当がつきます。おそらくは,あの輩でしょう。ブログの開設時期からしても,まさにドンピシャ。
正論でかなわないとなると,こうやって陰で人を揶揄する。それも匿名で。人間として最低です。これでいて,人様にものを教える立場にあるというのですから,開いた口がふさがりません。真昼の暗黒とはこのことです。
ぜひとも,こやつであることを突き止めたいと考えております。しかるに,もう削除済みのブログですので,結果は望めないかもしれませんが,やれるだけやってみます。「どうせダメだろう・・・」と最初から諦めるのはよくない。やってみないと分かりません。
月の初めから,こんな内容ですみません。経過は,随時ご報告しようと思います。
見てみたら何とまあ,全ての記事にわたって,私・舞田敏彦への誹謗中傷が綴られています。たとえば,以下のようなものです。削除されていますが,記事名+キャッシュ表示で出てきます。
・2014/06/16
・2014/06/14
・2014/06/18
・2014/06/20
記事は全部で20近くありますが,全てがこんな感じです。まったく,よくこういうことができるものだと,ちょっとばかり感心します。
舞田敏彦の社会的地位を意図的に低下せしめようという,名誉棄損行為であることは明らかです。アメブロ当局が見かねて削除したのか,それとも批判が殺到して閉鎖に追い込まれたのか・・・。
しかし,ここまでくると削除すれば済む話ではありません。私は多大な精神的苦痛を被りましたし,公開されている間,私に対する名誉毀損が成立していたことは明白。匿名という陰湿なやり方も断じて許し難し。
私は,発信者の責任を問うため,発信者情報の開示を求めることとします。アメブロの該当ページを参照したところ,印鑑登録証明が要るとのことですので,今日とってきました。これから書類をしたため,明後日にでも発送するつもりです。
まあ,開示請求せずとも,誰が書いたのかはだいたい見当がつきます。おそらくは,あの輩でしょう。ブログの開設時期からしても,まさにドンピシャ。
正論でかなわないとなると,こうやって陰で人を揶揄する。それも匿名で。人間として最低です。これでいて,人様にものを教える立場にあるというのですから,開いた口がふさがりません。真昼の暗黒とはこのことです。
ぜひとも,こやつであることを突き止めたいと考えております。しかるに,もう削除済みのブログですので,結果は望めないかもしれませんが,やれるだけやってみます。「どうせダメだろう・・・」と最初から諦めるのはよくない。やってみないと分かりません。
月の初めから,こんな内容ですみません。経過は,随時ご報告しようと思います。
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