教員採用試験の勉強中の方はご存知かと思いますが,4月23日は,子ども読書の日でした。この日から5月12日までは,子ども読書週間で,子どもの読書を促す取組が各地で実施されます。
ちょうど連休で時間もとれますので,書店や図書館に足を運び,本を手にとってほしいと思います。
今の子どもは,どれくらい本を読んでいるか。調査データは無数にありますが,最近の信頼できる公的機関の調査データを見てみましょう。国立青少年教育振興機構が2019年に実施した,『青少年の体験活動等に関する意識調査』です。こちらのページで報告書と単純集計表を閲覧でき,必要とあらば,個票データも申請できます。
調査対象は小4~6年の児童と,中2と高2の生徒です。1か月に読む本の冊数を尋ねた結果を,学年別にグラフにすると以下のようになります。選択された回答の分布です。漫画や雑誌は含みません。
言わずもがな,これは受験のためでしょう。
しかし残念な気もします。自我が芽生え,人生とは何か,自分はどう生きるかに思いをはせる,すなわち「内面」を生きる時期こそ,書物に多く触れることが望ましい。大よそ中高生の頃ですが,日本の現実をみると,本を読まない時期になってしまっています。ウチにこもりたいが,現実はそれを許さず,こうした葛藤が非行等の問題行動につながることもあるでしょう。
ここで,1995年のジブリ「耳をすませば」が思い出されます。私が大学に入った年に公開された,中3生徒の恋物語です。池袋の映画館まで,1人で観に行った覚えがあります。館内はカップルが多く,居づらい思いをしましたがね…。
主人公の月島雫は,天沢聖司に魅かれます。天沢少年は,高校には行かず,バイオリン職人になるための修行をすると決め,夢に向かって着々と進んでいく。それに触発され,雫は物語を書こうと決めます。受験勉強はそっちのけ,成績は急降下し家族に心配されますが,粗削りながら一つの作品を仕上げるに至ります。
その結果,自分の不勉強を自覚し,「これではだめだ,高校に行ってもっと勉強せねば」と,勉学への内発的な動機付けが得られることになりました。無謀な試しですが,15歳の少女にとって非常に意義あるものだったのです。
多感な思春期にいろいろな本に触れ,志あるならば「試し」をやってみる時間があればいいのにな,と思うのは私だけではありますまい。しかし日本では受験がありますので,なかなかそうはいかない。中高生が手にとる書物は,教科書か受験参考書だけ。
ちなみに学力による高校受験というのは,どの国にもある普遍的なものではありません。OECDの国際学力調査「PISA 2018」では,15歳生徒が在籍する高校の校長に,入学者の決定に際して,学力を考慮するかと尋ねています。日本を含む主要国の回答分布は以下のごとし。
しかし他国はそうではなく,アメリカは55%,イギリスは77%の高校が「全く考慮しない」と答えています。入試で学力テストを実施しない高校の率と読み替えていいでしょう。居住地域や,自校の教育方針に当該の生徒や親が賛同するかどうかなどで,入学者を選ぶわけです。
高校受験の圧力は,国によって違います。日本の状況を普遍的なこと,致し方ないことと割り切る必然性はどこにもありません。思春期の生徒が奔放な「試し」ができるよう,できることはあるのではないか。入試の廃止は現実的でないですが,学力一辺倒のやり方は変えることができるように思います。
そうですねえ。月島少女が背伸びして書き上げた物語を評価する,というのはどうでしょう。すなわち,「試し」の成果を評価要素に入れるのです。そうすることで,思春期の感性を存分に生かした「試し」が促され,結果として,勉学への内発的な動機づけが得られるきっかけを供することになるかもしれません。
月島少女の頃(90年代半ば)と違って,今は「試し」の成果を発信するツールもたくさんあるわけでしてね。ブログ,SNS,ユーチューブとか。フィードバックを得るのも容易です。
昭和型の受験勉強を強いることを,(惰性で)いつまでも続けていていいものか。型にはまった労働力を大量生産するにはいいやり方ですが,個性や創造力を育むことには不向きです。昭和と時代背景が異なる令和では,入試のやり方を考え直す余地はあるでしょう。
読書の話から逸れてきましたが,中高生が書物を手に取れる「ゆとり」が得られるようにすべきです。朝の10分間読書でよし,としてはならないのです。