2014年6月30日月曜日

2014年6月の教員不祥事報道

 6月も今日で終わり,明日から7月です。じめじめした梅雨ももうすぐ明けますね。ブログの背景も晴れ模様にします。*7月は毎年コレですが。

 さて,月末恒例の教員不祥事報道の整理です。今月私がキャッチした不祥事報道は23件です。記事名と,当該教員の基本的属性を記録します。

 2013年1月からこの作業を続けています。18か月分のデータが蓄積されました。そろそろ数量分析をしてもいい頃です。新聞沙汰になる不祥事をしでかす教員は,どういう属性が多いか。調査法の学生さんに,「校種×年齢」のクロス表を作っていただこうかな。

 前期の授業もあとわずかです。がんばります。

<2014年6月の教員不祥事報道>
中学校のトイレにカメラ 建造物侵入容疑で教諭逮捕(6/2,TBS,長野,中,男,33)
多動性ある子の口に粘着テープ 京都の小学校(6/5,朝日,京都,小,女,20代)
「添い寝してあげようか」 教諭が部員にメール、停職に (6/5,朝日,宮崎,高,男,29)
ハンセン病、小6に誤解招く授業 福岡県教委が謝罪(6/5,朝日,福岡,小,男,40代)
盗撮容疑で小学校長逮捕=トイレで女性教諭を―(6/6,時事通信,群馬,小,男,56)
公募の大阪府立高校長、食料品を万引き容疑 書類送検へ(6/6,朝日,大阪,高,男)
入試合否漏らし減給3カ月 宮城の高校教諭 (6/6,産経,宮城,高,男,59)
小学校教諭逮捕、児童ポルノ禁止法違反などの疑い(6/6,TBS,東京,小,男,34)
電車車掌殴り中学講師逮捕 ドア閉まり逆上「開けんかい!」
 (6/9,スポニチ,兵庫,中,男,56)
勤務先から灯油盗む、女子生徒の下着を撮影…教諭ら2人を懲戒処分
 (6/12,産経,神奈川,中,男,29:下着撮影)
長久手高校教諭を逮捕 児童買春の疑い(6/13,中日,愛知,高,男,30)
駅で後ろから抱きつきキス、23歳中学教諭逮捕(6/16,読売,神奈川,中,男,23)
盗撮疑われる「指導」 高校教諭3カ月停職(6/19,静岡新聞,静岡,高,男,40代)
教諭、勤務時間中にツイッター 2394回、減給処分(6/20,共同通信,北海道,中,男,48)
ストーカー容疑の49歳教諭を減給 20代女性をつきまとう
 (6/21,サンスポ,岐阜,中,男,49)
誤配の宅配便をだまし取る 容疑で福岡・糸島市立小の女性教諭逮捕
 (6/22,西日本新聞,福岡,小,女,27)
横浜市教委が信号無視の給食調理員と無許可で書類持ち出しの教諭を処分
 (6/24,神奈川新聞,神奈川,小,女,57:持ち出し)
教え子にわいせつ行為=容疑で37歳教諭逮捕―(6/24,時事通信,茨城,高,男,37)
40代男性教諭が給食費を着服(6/24,新潟日報,新潟,中,男,40代)
教え子の高2に「元気出せ」と唇にキス…停職(6/25,読売,兵庫,高,男,50代)
酒気帯び運転の男性教諭を停職1年 県が懲戒処分、情状酌量し免職回避
 (6/26,山形新聞,山形,小,男,40代)
学年主任が複数児童にけがや暴言 「いきすぎた指導」と学校謝罪
 (6/26,千葉日報,千葉,小,男,55)
減給3カ月の懲戒処分 死亡事故の小学校教諭(6/26,紀伊日報,和歌山,小,男,27)

2014年6月29日日曜日

教員の年齢層別の勤務時間

 前々回の記事では,中学校教員の勤務時間の国際比較をしましたが,日本の教員は世界一働いていることを知りました(うち多くは事務などの雑務)。

 しかるに教員といっても,一枚岩の存在ではありません。男性もいれば女性もおり,若年層もいれば高年層もいます。過労に陥っているのは誰か。こういう問題を考えることも必要になります。いわゆる,属性別の分析です。

 今回は,中学校教員の年齢層別の勤務時間をみてみましょう。日本は年齢による役割規範が強い社会ですが,長時間勤務の問題をとっても,年齢によって様相は違うと思われます。

 データは,このほど公表された国際教員調査(TALIS 2013)です。本調査では,対象の中学校教員に対し,週当たりの勤務時間を尋ねています。自宅での教材研究なども含む,広義の勤務時間です。実際の時数を記入してもらう形式ですが,入力段階のローデータを加工して,10時間ごとの6カテゴリーにまとめました。
http://www.nier.go.jp/kenkyukikaku/talis/

 5歳刻みの年齢層別に,この6カテゴリーの分布を明らかにしました。下の図は,結果を視覚化したものです。


 長時間勤務は,若年層ほど多くなっています。20代では全体の6割以上が週60時間以上働いており,3人に1人が週70時間以上勤務です。新聞各紙では,教員全体の勤務時間の長さが報じられていますが,負担は若年層に集中しているようです。(悪しき)年功序列がみられます。

 しかし,週60時間ということは,5日勤務として1日12時間のレベルです。70時間,80時間となるともう,土日を返上ということでしょう。中学校では,休日の部活指導も大きな負担になっているといいますが,上図をみると頷かされます。

 上図は日本の中学校教員のグラフですが,他国と比較することで相対化してみましょう。50時間未満(ホワイト),50時間以上60時間未満(準ブラック),60時間以上(ブラック)という3カテゴリーを設定して,日韓米英仏瑞の6国の図をつくってみました。

 以下に6国の図を掲げます。ここでは,ブラックゾーンの広がりを分かっていただければよいので,目盛は省いています。各年齢層の位置は,先ほどの図をもとに大よその検討をつけてください。


 わが国では,週60時間以上のブラックゾーンが広がっています。仏瑞ではブラックはほとんどなく,韓米英はその中間というところです。教員のブラック化は,日本の特徴なのですなあ。

 なお右上がりの模様も,日本独特のものです。アメリカやイギリスでも黒色はありますが,ほぼフラットであり,年齢による偏りはないことが知られます。対して,日本は若手に負担がのしかかる型です。「下は支えるぞんざい,上は支えられる存在」という年齢規範の存在が示唆されます。

 まあ昔のように,下が厚く上が細い「ピラミッド型」の年齢構造ならこれでもよかったのでしょうが,今は違っています。下が細く上が厚い「逆ピラミッド型」です。こういう構造と先ほどの勤務時間のデータを絡めると,近年の若年教員の危機を理解するヒントが得られます。

 下の図は,2010年の中学校教員の年齢ピラミッドを,週あたりの勤務時間で塗り分けたものです。各年齢層の本務教員数に,上記で明らかにした勤務時間分布の比率を乗じて作成しました。


 いかがでしょう。量的に少ない若年層に負担が凝縮されている様が明らかです。少ない人員で,上から降ってくる各種の業務を裁いている若手の苦悩がうかがえます。

 昨年の11月17日の記事では,公立学校教員の病気離職率が増加していることを明らかにしたのですが,入職して間もない20代前半の層で増加幅が大きいことも知りました。上図の赤マルの部分です。

 社会病理学的に,教員集団を生物有機体になぞらえると,一番下のこの部分に病巣があるようです。治療が要請されます。メンタルヘルス云々の前に,黒の膿を取り除き,白色を増やすことが必要でしょう。

 教員個々人の診断も大事ですが,彼らが集まってできる教員集団(社会)の診断も手掛ける。個々の教員は,真空の中で実践を行っているのではないのですから。文脈に目を向けるとは,こういうことです。

2014年6月28日土曜日

中学校教員の女性比の国際比較

 国際教員調査(TALIS 2013)の分析第2報です。今回は,対象となった中学校教員の女性比率の国際比較をしようと思います。中等段階以降の教員の女性比は,日本は低いといわれますが,最新の国際データにおける位置はどうなのでしょう。
http://www.nier.go.jp/kenkyukikaku/talis/

 上記サイトにアップされている日本版報告書にあたって,一般教員(校長は除く)と校長の女性比率を国ごとに集めました。横軸に一般教員,縦軸に校長の女性比率をとったマトリクス上に,34の社会を位置づけると下図のようになります。


 日本の女性比は,一般教員が39.0%,校長に至ってはわずか6.0%ですが,双方とも最下位です。図の中での外れっぷりも際立っています。巷でよく言われることは,まざまざと可視化されていますね。

 しかし私が驚くのは,多くの国で中学校教員の女性比が高いことです。参加国平均でみると,一般教員が68.1%,校長でも49.4%と半分近くです。図の右上にあるラトビアでは,中学校教員の大半が女性であることが知られます。教員は女性の仕事と考えられているのでしょうか。これはこれで,逆の意味で偏っているといえますが。

 まあでも,日本の校長の女性比6.0%という現状は,明らかに国際標準から逸脱しています。管理職は激務ですが,家事や介護の負担と両立できないという事情もあるのではないでしょうか。とくに女性の場合。

 上記の図は,前にツイッターでも発信しましたが,あと一つ,理数教科担当教員の女性比の国際比較図もお見せしましょう。昨日,TALIS2013のローデータを武蔵野大学でダウンロードしてきたのですが,これを使うことで,教科別の女性比率を出すことも可能です。

 調査実施年(2013年)中に,数学と理科を担当したという教員を取り出して,その中で女性が何%占めるかを計算してみました。日本でいうと,数学教員の女性比は29.9%,理科教員は23.5%です。われわれの感覚からすると「こんなもんだろう」ですが,この値は他国と比べるとすこぶる低くなっています。


 先ほどの図と同様,ここでも日本の外れっぷりが明らかです。他の先進国では,中学校の理数教員の半分以上が女性なんですなあ。

 わが国で「リケジョ」が少ないことの遠因は,こういうところにあったりして…。ロールモデルの欠如ってやつです。多感な思春期の女子生徒にとって,白衣の女性教員の姿って,インパクトがあるんじゃないかなあ。

 国際比較というのは,実に面白い。「こんなもんっしょ」と日頃信じて疑わない事象が,国際的な視座から相対化されます。今後も継続していきたい作業です。

 今日は雨ですが,梅雨明けはもうすぐ。皆様,よい週末をお過ごしください。

2014年6月26日木曜日

中学校教員の勤務時間の国際比較

 2013年に実施された,OECDの国際教員指導環境調査(TALIS)の結果が公表されました。中学校教員を対象としたコア調査と,小学校・高校教員を対象としたオプション調査からなりますが,日本は前者に参加したそうです。
http://www.nier.go.jp/kenkyukikaku/talis/

 各紙が本調査の結果のハイライトを報じていますが,教員の勤務時間についての報道が多いようです。曰く,日本の教員の勤務時間は世界一,しかしその大半は事務などの雑務…。

 私はこういう記事に接すると,原資料に当たって詳しい数値を確認し,それをビジュアル化したくなります。上記サイトから,日本版報告書の要約(15.9MB)をダウンロードし,当該のデータを採取しました。

 下の表は,中学校教員の勤務時間(週当たり)をまとめたものです。各紙の報道は,このデータに依拠しています。


 なるほど。日本の教員の総勤務時間は53.9時間であり,34か国の中で最も多いですね。そのうち授業時間は17.7時間であり,わずか3分の1です。残りの3分の2は,事務作業などの雑務に喰われているとみられます。

 わが国と対照的なのが,地球の裏側のチリであり,総勤務時間は29.2時間で最も短く,そのうちの9割以上が授業です。仕事時間が短くて,そのうえ,教員の仕事は授業という割り切りが強い社会のようです。

 他の社会はこの両国の中間に位置していますが,その布置構造を視覚化してみましょう。週当たりの総勤務時間を横軸,そのうちの授業時間を縦軸にとった座標上に,34の社会を位置づけてみました。


斜線は,総勤務時間に占める授業時間の比率ですが,だいたい50%というのが平均です。日本の32.8%は,このラインをはるかに下回っています。40%未満は4か国ですが,そのうちの3国はアジアなり。

 総勤務時間が短く,そのうちの多くが授業という「中南米型」と,その逆の「アジア型」というクラスターを析出できますが,どっちがいいのやら。教員を専門職とみなす立場からすれば,前者に軍配が上がるのではないでしょうか。

 教育とは,子どもの全人格の発達に与する営みであり,教員の仕事を授業に限定しろという主張は行き過ぎでしょうが,教員をあたかも「何でも屋」のごとく考えるのは誤りです。そのことは彼らの地位を曖昧にし,教員をして専門職とみなすことの妨げとなります。ひいては,教員の諸々の苦悩をも準備することでしょう。

 今回のデータは,「日本の教員は働き過ぎだ,しかも仕事の大半は(誰でもできる)事務作業に喰われている」というふうに読めますが,その根底には,教員の社会的地位の曖昧さという,古くて新しい問題が横たわっているようにも思うのです。

 2012年8月の中教審答申では,教員を「高度専門職」と位置づける方針が明示されましたが,それがどれほど具現されたかは,上図のマトリクス上の位置によって推し量ることができるでしょう。今後の日本の位置変化が注目されるところです。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/miryoku/1326877.htm

2014年6月24日火曜日

大学生のマジメ化・ウチ化

 今の学生さんは,よく勉強するなあと思います。私が学生だった90年代後半頃と比べれば,それはもう見上げたものです。

 飲み会をやっても,「実験のレポートがある」とか「小テストの勉強がある」とか言って,一次会だけで帰る人が多いんですって。私が教えている学生さんの談ですが,「ホントかよ」と思ってしまいます。

 まあ,学生の勉強時間が増えていることは,各種の調査で明らかにされていますが,官庁統計からも可視化することができます。総務省『社会生活基本調査』のデータを使って,平日1日あたりの平均学業時間を出してみました。

 ここでいう学業時間とは,学校の授業時間も含む勉強時間のことです。塾や家庭教師による学習時間も含みます(用語解説)。


 大学生の勉強時間が小中高生より少ないことはさておいて,この10年間で増えていますね。2001年の225分から2011年の273分へと,48分増加しています。短大・高専生は,102分の増加です。

 この期間中,学生に勉強させよう,学生を鍛え上げようという方針が打ち出されていますが(2008年12月,中教審答申),その効果の表れでしょうか。たとえば,1単位の取得に45時間の学習が必要という大学設置基準の規定を徹底することが提言されていますが,その場合,半期の授業2単位を取得するのに90時間勉強しないといけなくなります。授業時間込みですが,「うへえ」ですね。

 ところで,勉強時間の増加と引き換えというか,大学生の生活はいささか貧しくなってきています。金銭的な意味での貧しさではありません。行動のバリエーションに欠けた,ハリのない生活という意味合いです。

 大学生の主な生活行動の実施率を,2001年と2011年とで比較してみました。調査対象の平日に,当該の行動を行った者の比率です。睡眠や食事などの必需行動は省いています。


 どの行動の実施率も減っています。赤字は5ポイント以上の減少ですが,テレビや新聞等のマスコミ接触率の低下は著しいですね。2011年では,調査日の平日に,対象の学生の半分以上がテレビや新聞を全く見なかったようです。

 これが若者の「テレビ離れ」ってやつでしょうか。今ではネットで,ニュースや漫画などの動画が観れますから,そちらに乗り換えたということでしょう。

 交際・付き合いやお出かけ(移動)実施率の減少幅も大きいですね。冒頭で紹介した飲み会の話と関連しますが,学生の「ウチ化」傾向をちと感じます。

 以上は大学生だけを切り取ったデータですが,全体の文脈の中に位置づけてみると,この年代の変化の大きさがクリアーに分かります。下の図は,交際・付き合いの実施率の年齢曲線です。


 交際・付き合いの実施率は年齢を問わず減少していますが,20代前半の若年層において減少幅が最大になっています。いみじくも大学生の年齢層です。若き青年層の「ウチ化」傾向。最初の図でみた学業時間の増加(マジメ化)と表裏である可能性も否定できますまい。

 大学生は青年期の時期に相当しますが,この時期の課題は,さまざまな試行錯誤をして,自己アイデンティティを確立することです(エリクソン)。自分は何者か,社会において何ができるかを明確にすること。

 そのために労働などの役割が免除され,自由な時間もたっぷり付与されている。それが青年期,すなわち学生時代です。今回のデータは,この貴重な青年期が「灰色」化しつつある現況を物語っているようにも思えます。

 求められるのは,大学生の「生徒化」だけではないでしょう。昨日,大学生の「生徒化」現象について批判的に考察した論稿を見つけました。読んでみようと思います。

2014年6月21日土曜日

女子中高生の性犯罪被害が増える文脈

性犯罪の被害率を年齢別にみると,若年女性,とりわけ10代の少女で高くなっています。10代少女の被害率は,昔に比して上昇していることも知られます。

 女子中高生の性犯罪被害率の時系列カーブを見ていただきましょう。中高生が被害者である強姦・強制わいせつ事件の認知件数を,ベースの女子中高生数で除した値です。2012年中の事件認知件数は2377件,同年5月時点のベースは340万人ですから,10万人あたりの被害件数は69.9件となります。この値を性犯罪被害率とします。

 分子の事件件数は警察庁『犯罪統計書』,分母の生徒数は文科省『学校基本調査』から得ました。下の図は,1975年から2012年までの推移図です。


 昔に比べて増えていますね。1990年代後半からの増加が著しいようですが,ネットの普及に伴う,出会い系サイトなどの増殖によるものでしょうか。被害率は2003年にピークに達した後は低下していますが,最近微増に転じています。

 まあ,性犯罪は親告罪ですので,積極的に被害を訴える生徒が増えたということかもしれませんが,この点は置くとして,可憐な女子生徒が被害に遭う構造的条件が出てきてもいます。何のことはありません。人口構造の変化です。

 被害者層を13~18歳の女子,加害者層を成人男性に見立てて(失礼!),両者の量がどう変わったかを整理すると下表のようになります。


 少子高齢化により,被害者層が減り,加害者層が増えています。その結果,女子生徒1人あたりの成人男性数も増えています。戦後初期の1950年では4.1人でしたが,2013年現在では14.4人です。今日では,女子生徒1人に対し,14.4人のオトナ男性の眼差しが注がれていることになります。

 2050年には,この値は19.4にまで高まることが予想されます。女子生徒1人につき,20人近くの成人男性という事態です。

 文章ではピンとこないでしょうから,状況の変化を図で表現してみましょう。1950年と2050年について,被害者層と加害者層の人口量(万人)を正方形で表してみました。100年間の構造変化図です。


 下(被害者層)が小さくなり,上(加害者層)が大きくなっています。後者から前者に注がれる眼差し量の変化も一目瞭然(黄色矢印)。人口統計をちょっといじれば分かることですが,こういう基底的な条件があることを押さえておくべきかと思います。

 今述べたことは,少年問題全般を考える上でも,知っておくべきことでしょう。少子高齢化の進行により,子どもが減り,成人が増えていきます。2050年には,「子ども1:大人9」という社会になります。1人の子どもに対し,大人9人の(ウザい)眼差しが注がれるわけです。

 現在もそうですが,暇を持て余した大人たちによって,「**問題」「**問題」というような子ども問題が社会的に構築される…。こういう事態がますます増えるかもしれません。教育現場に対しても,「**教育をやれ」というクレームが増える可能性もあります。未来の学校は,暇を持て余した多くのクレーマーに包囲された,息の詰まる場になっているかもしれませんね。

 未来の日本は,子どもが手厚く保護される反面で,彼らにとってさぞ「生きにくい」社会になるのでは…。私はこういう危惧を持ちます。

 著名ブロガーのちきりんさんが,「教育に関心があるなどと言い出したら,その人の成長は終わりだということ」とおっしゃっていましたが,全くその通りだと思います。これからのオトナたちが,肝に銘じるべき名言かと。

 量的にますます少なくなっていく子どもを「いじめ」るようなことはしないで,まずは自分のことをしようではありませんか。ウザい説教を垂れるよりも,無言の「背中」を見せるほうがよいでしょう。

 私は教育学を勉強している人間ですが,「教育に関心がある」などと公言するのは控えたいと思っています。そうではなく,社会の下位システムとしての教育が社会にどのような影響を及ぼすか,逆に社会によっていかに規定を被っているか。明らかにしたいのは,こういうことです。

2014年6月20日金曜日

久々の「ラーメン二郎」

 一昨日の水曜日,武蔵野大学有明キャンパスの帰りに,ラーメン二郎を食べてきました。行ったのは府中店。京王線の府中駅から歩いて3分くらいです。

 ラーメン二郎。知る人ぞ知る,油たっぷりの極太ラーメン。大変な人気を博しており,いつどの店舗に行っても,店の外まで待ち行列ができています。一昨日行った時は,テーブルはもちろん満席で,店内に7人の立ち待ち客あり。

 券売機で「小ラーメン」のチケット(700円)を買い,それを握りしめて待つことおよそ30分。ブツにありつけました。トッピングは,「ヤサイ,ニンニク」でお願いしました。野菜増し,ニンニク入りという意味です。


 いやー,野菜の量がスゴイ。でも柔らかく煮込まれていますので,ガツガツ食べられます。麺も極太で食べ応えバッチリ。

 隣の体育会系のお兄さんは,肉入り大ラーメンでトッピングは「全部」(ヤサイ,ニンニク,アブラ,カラメ)で頼んでいましたが,それはもう,すさまじいのが出てきました。まるで東京タワーです。私と同じくブツの写真を撮ってから,上からかじりつくように山を崩していました。

 私も夢中でガッつくこと約20分で完食。いやー,満足(腹)度120%。丼を戻し,ふきんでテーブルを拭いて,「ごちそうさま」と言って退店。その後ビールが飲みたくなったので,立ち飲みの焼鳥屋に入って一杯。膨らんだお腹をさすりながら帰路につきました。

 二郎を食べたのは,3年ぶりくらいかなあ。院生の頃は,母校の学芸大の近くに店舗(新小金井街道店)があったので,週1くらいで行っていました。最近はさっぱりだったのですが,ふとツイッター上で二郎に関するツイートを見つけて,無性に食べたくなった次第です。

 まあ,野菜増しにすれば健康食ともいえますが,やはり脂の塊を食べるようなものなので,行く頻度には気をつけたほうがよいと思います。私はこれから,月1くらいにしようかな。ジロリアンと呼ばれる人々は,1日おきくらいで行っているのかしらん…。

 久々の「二郎」デーということで,ブログに記録しておこうと思います。

2014年6月19日木曜日

幼子がいる共働き世帯の妻の1日

 日経デュアル誌に連載を持たせていただくようになってから,共働き世帯のリアルの統計を探索しています。とくに生活の内実が知りたいなと思い,総務省『社会生活基本調査』(2011年)の統計表を見直したら,使えそうなのが結構あるではありませんか。

 私が注目したのは,共働き夫婦の1日の生活行動です。1日の各時間帯(15分刻み)ごとに,どういう行動をしているのかを知ることができます。たとえば,朝の7:15~7:30の時間帯において,家事をしている者が何%か,というようなデータです。
http://www.stat.go.jp/data/shakai/2011/h23kekka.htm

 私はこのデータを使って,6歳未満の幼子がいる共働き世帯のの1日が分かる図をつくってみました。平日の時間帯別の行動分布図です。幼子がいる共働き世帯のママさん,ご自身の1日を平均像と照らし合わせてみてください。


 いかがでしょう。やはり手のかかる幼子がいる家庭の妻となると,平日といえど,1日の中で家事や育児の領分が大きくなっています。黄色の育児は,量の多寡はともかく,24時間にわたって満遍なく分布していますね。深夜であっても,子どもの夜泣き等への対応に追われる,ということでしょう。

 この図は,ご自身の日常を相対化するための資料としてみていただければと思いますが,関心が持たれるのは,上図で強調した家事と育児の実施率のジェンダー差です。

 この2つの行動に的を絞って,時間帯別の実施者率を夫と妻の双方について計算してみました。下の図は,平日の時間帯別の実施率曲線を描いたものです。


 夫と妻の差がすさまじいですね。妻の側は非正規就業(パート)であったり,時短勤務であったりと条件が違うでしょうが,この差には驚かされます。

 子がいる共働き世帯の場合,共に働く「共働」と同時に,共の子を育てる「共育」も求められますが,後者のほうは何ともお寒い状況です。女性が結婚をためらう,出産をためらうというのも,分かる気がします。

 こういう差が子どもの年齢段階によってどう違うか,地域の条件によってどう違うかも興味ある問題です。「分析」とは,全体を細かな要素に「分」けて解「析」すること。この積み重ねによって,当該の現象の左右する要因(条件)が明らかになり,対策の道筋も見えてきます。

 性別,年齢別,就業地位別,地域別…。こういう条件による差を分析することの意義は,こういう点にあると考えます。

2014年6月17日火曜日

大学教育の意義の国際比較

 日本の大学生は遊び呆ける,諸外国に比して,大学教育の職業的レリバンスが薄いなどとよく言われますが,データでみるとどうなのでしょうか。

 私が分析にのめり込んでいる,内閣府『我が国と諸外国の若者の意識に関する調査』(2013年度)では,学校卒業者に対し,最後に出た学校での教育の意義について尋ねています。私は,大学卒業者のサンプルを取り出して,この設問への回答結果を国ごとに比べてみました。
http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/thinking/h25/pdf_index.html

 「一般知識の習得」など8つの項目を提示し,それぞれについて,意義の程度を4段階で評価してもらう形式です。選択肢は,「意義があった」「どちらかといえば意義があった」「どちらかといえば意義がなかった」「意義がなかった」の4つなり。ここでは,最も強い肯定である「意義があった」の比率をとることにしましょう。

 結果を整理すると,下表のようになります。<  >内の数値は,ここでの分析対象である,各国の大卒者のサンプル数です。日本は236人です。ドイツのサンプルが少なくなっていますが,まあ分析に耐えない数ではありません。


 7か国の最高値は赤色,最低値は青色にしましたが,わが国は8項目中5項目で最低値を記録しています。とりわけ,才能の伸長や職業技術習得という点での劣勢が目立っています。一方,大学教育の意義の評価が全体的に高いのはドイツであり,職業技術習得の点では,68.2%の卒業生が「意義があった」と明言しています。日本とは,50ポイント以上もの開きです。

 日本の唯一の取り柄事は,「自由を満喫できた」点で意義があったという評価が高いこと。この項目の肯定率は,7か国でマックスとなっています。むーん。冒頭で記した,巷の通説が数値で実証されたような感じですが,上表のデータを視覚化しておきましょう。

 8項目(極)の肯定率のチャート図にしようと思いますが,7か国全部の図形を描くと繁雑になりますので,日英独の3国に限定します。


 こういう事態になっていることは政府もよく認識しているところであり,現在,職業教育を行う高等教育機関の創設について議論されています。また,学生が遊び呆けないよう,「学生を鍛え上げる方針」明示されたのは,2012年8月の中教審答申においてです。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/1325047.htm

 後者の点についてですが,最近は,学生に勉強させるため,「ガンガン課題を出してくれ」と言われることが多いです。しかるに,学費(生活費)を稼ぐためにバイト三昧の学生さんを見ると,そういう気も起きなくなります。学生を鍛え上げる方針と,現行の高学費は明らかに相容れないといえるでしょう。

 そもそも,「1単位取得するのに45時間の勉強が必要(授業時間含む)」という規定を徹底させたら,学生はバイトなんざする暇はありませんぜ…。

 それと,「自由を満喫」という点での意義評価が高いことは,100%否定的に捉えられるべきことではないでしょう。アイデンティティの確立という,青年期の課題達成に必要な試行錯誤をするための条件が備わっていることでもありますしね。

 考えてみれば,日本の大学教育が「ゆるかった」のは昔からそうですし,そうした「ユルユル」の大学から逸材が多数輩出されたのも事実です。

 ここにて,興味ある分析課題として提起されるのは,大学時代をどう過ごしたかによって,その後の人生がどう変わるかという問題です。勉強一辺倒だった学生と,自由を謳歌しいろいろなことをした学生ではどう違うか。ごく単純な問題ですが,この問いに答える調査データってあるのかしらん。

 最近,いろいろな「追跡調査」がなされるようになっていますが,こういう,教育効果の検証に与するデータも出してくれたらなと思います。上記の内閣府調査のローデータを使って,回顧的な視点からの検討ができないこともありませんが。

2014年6月14日土曜日

共働き世帯の親子関係の一断面

 共働きだと子育てが疎かになる,子が愛情飢餓に陥る…。巷でこんなことがいわれますが,現実はさにあらず。

 内閣府『我が国と諸外国の若者の意識に関する調査』(2013年度)の10代のサンプルを,①両親ともフルタイム就業の群と②その他の群に仕分けて,「親から愛されていると思うか」という設問への肯定率をとってみました。
http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu.htm

 「そう思う」という最も強い肯定の比率です。下の図は,7か国の10代少年の肯定率をグラフにしたものです。


 日本の肯定率が最も低くなっているのが気になりますが,ここでの注目ポイントは,共働き世帯の少年の肯定率が高いことであり,わが国ではその差が大きくなっています。

 欧米諸国で差が小さいのは,共働き世帯がそれほど特殊な存在ではないためでしょう。日本では,10代の対象者508人のうち,両親ともフルタイム就業の共働き世帯の者は79人(15.5%)しかいません。*スウェーデンは57.7%!

 ともあれ,このデータをみると,巷の通説が正しくないことが分かります。やっぱり,子どもと接する時間の問題ではないのですね。時間より質。短い接触時間における濃密なコミュニケーション,子どもに見せる背中…。こういうものでしょうか。

 ちなみに,マクロデータにて共働きと虐待頻度の相関をとってみると,負の相関が観察されます。共働き世帯ほど虐待が少ないという傾向です。
http://dual.nikkei.co.jp/article.aspx?id=2612

 私は日経デュアル誌にて連載を持たせていただくようになってから,共働き世帯の内実に関するデータを集めているのですが,不安材料はあまり出てきません(むしろ逆)。こういうデータを蓄積して,「共働き世帯における子どもの社会化」というテーマをまとめられたらと思っています。

2014年6月12日木曜日

10代の悩みの階層差

 多感な10代(ティーン)は,各種の悩みがついて回る時期です。しかるに,10代は一枚岩の存在ではありません。教育社会学ではこれまで,性や学識地位(学生か勤労青年か…)による違いが分析されてきましたが,社会階層という変数を入れてみるとどうでしょう。

 「またか」と顔をしかめられた方もおられると思いますが,こういうことを明らかにするのが私の商売ですので,ご容赦ください。今回は,10代の悩みの階層差を分析してみようと思います。

 用いるデータは,内閣府の『我が国と諸外国の若者の意識に関する調査』(2013年度版)です。本調査では,対象の青年層に対し,父母の最終学歴を尋ねています。
http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/thinking/h25/pdf_index.html

 日本の13~19歳の対象者(以下,10代)は349人です。前回と同様,父母とも大卒の者を「上層」,父母とも非大卒の者を「下層」と括ることにしましょう。ローデータが手元にありますので,こうしたオリジナルな操作も可能です。これによると,上層は103人,下層は246人という構成になります。

 サンプルをこのように仕分けた上で,心配事に関する設問への回答結果をみてみようと思います。本調査の問5では,14の項目を提示して,それぞれについてどれほど心配かを問うてています。選択肢は,①心配,②どちらかといえば心配,③どちらかといえば心配でない,④心配でない,の4つです。

 ここでは,最も強い肯定の回答(①)の比率を拾うことにしましょう。下の図は,上層と下層のお悩みプロフィール図です。


 どの項目でも,下層の肯定率が高くなっています。勉強や進学の悩みは,上層の少年のほうが多いかと思っていましたが,さにあらず。

 ★は10ポイント以上の差がある項目ですが,まあ,お金の悩みに階層差があるのは頷けます。しかし,健康,容姿,体力のような身体面の悩みにも明瞭な階層差があるのですね。1月28日の記事では,子どもの体力の社会的規定性をみたのですが,その知見とつながっています。

 学力だけでなく,体力も「おカネ」で決まる時代。都市化により,子どもの遊び場が少なくなってきていますが,こういう状況下では,(有償の)スポーツクラブに通えるか否かが重要になってくるでしょう。

 しかるに私が注視したいのは,将来展望の階層差です。「将来が心配である」の肯定率の差は18ポイントもあり,お金の心配に次いで開きが大きくなっています。前回は,青年期における希望格差拡大現象をみたのですが,前途あるティーンの将来展望が,「生まれ」によって規定されるというのは問題であると考えます。

 ちなみに,ティーンの将来不安の階層差は,わが国に特徴的な現象ともいえます。7か国について,将来が不安だと答えた10代の比率をグラフにすると下図のごとし。


 率の水準が最高なのは韓国ですが,階層差が最も大きいのは日本のティーンです。イギリスでは上層の将来不安が大きくなっていますが,階層下降に対する恐れでしょうか。

 わが国では,階層による貧富の差は諸外国に比して小さいといわれますが,希望の階層差は,もしかすると世界で最高のレベルなのではないでしょうか。日本の青年の希望閉塞は,最近の状況を思うとさもありなんですが,そのしわ寄せを食っているのが下層の青年であることには,十分な注意が向けられるべきです。

 このことは,教育機会に階層差が厳として存在することも反映ではないでしょうか。たとえば,大学まで進学できる展望のある者とそうでない者との差です。よく言われるように,わが国の大学の学費はメチャ高ですしね。*お隣の韓国も。

 今回みたような病理現象を治療するに際しては,教育機会の均等化策が大きな位置を占めると考えます。2010年度より,高等学校の就学支援金制度が導入されましたが,一段上の高等教育段階でも,段階的な施行が望まれるでしょう。

 前途ある青年層が将来に希望を持てない,しかもその程度に階層差がある。先進国・日本の,「見えざる」負の側面がここに見出されます。

2014年6月10日火曜日

希望の階層差

 前回みたように,日本では青年期にかけて希望がない者が増大する傾向にあり,学校から社会への移行期である20代前半でピークを迎えます。こうした希望剥奪現象は,他の社会では観察されない,わが国固有のものであることも知りました。

 今回は,青年期にかけて希望を剥奪されるのは「誰か」という問題を考えてみましょう。教育社会学の視点からすると,社会階層による差はどうか?という点に興味が持たれます。

 内閣府の『我が国と諸外国の若者の意識に関する調査』(2013年度)では,調査対象の青年に対し,父母の学歴を尋ねています。私は,父母とも大卒(院卒含む)の者を「上層」,父母とも非大卒の者を「下層」と括りました。学歴は一般に,職業や所得とも連動しますから,出身階層を測るメジャーとして使っても問題ないでしょう。
http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/thinking/h25/pdf_index.html

 本調査の日本のサンプルは,13~29歳の青年層1175人ですが,上記のやり方で分類すると,上層が193人,下層が627人,その他が355人という構成になります。下層が多いですが,青年層の親の世代では,大学進学率がそれほど高くなかったためでしょう。

 上層193人,下層627人の青年について,「将来に対し明るい希望を持っているか」という設問への回答分布を示すと下図のようです。


 青年を出身階層で分割して比較してみると,上層の青年のほうが希望を抱いているようです。太枠で囲った,広義の希望あり率をみると,上層は71.0%,下層は54.7%であり,15ポイント以上の開きがあります。

 これは,13~29歳という幅広い年齢層をひっくるめた結果ですが,ここでの主眼は,年齢段階による変化が出身階層によってどう違うかを観察することです。前回と同様,4つのステージに区分して,「希望がない」(上図の紫色)と答えた者の比率を出し,折れ線でつないでみました。


 出身階層ごとに傾向を分けてみると,曲線の型の違いが一目瞭然です。前回みた希望剥奪現象は下層の青年にだけみられ,上層の青年にはみられません。

 学校から社会への移行期にかけての希望剥奪は,もっぱら下層の青年が経験するものであり,その状態が後の段階まで継続することが注目されます。上層の青年にあっては,20代前半時の急増はなく,20代後半のステージになると,「希望なし」率がガクンと下がるのです。

 有力大学進学チャンス,それに由来する有名企業就職チャンスの階層差があることも思うと,さもありなんという結果です。ちなみに,他の社会についても同じデータをつくってみましたが,上図のような明瞭な階層差が見受けられるのは日本だけです。

 シューカツやブラック企業のように,現代のわが国には青年層の将来展望を暗くする要素が多々あり,青年の危機状況がいわれますが,それには社会階層間のグラデーションがあるようです。

 これぞ,希望格差。役所の方々には決して歓迎されないでしょうが,青年問題を議論するに際しては,「社会階層」という変数を挿入する必要があるのではないかと,改めて感じます。

2014年6月7日土曜日

青年期の希望剥奪現象

 内閣府の『我が国と諸外国の青年の意識に関する調査』(2013年度)のローデータが,昨日メールで送られてきました。7か国,7431人分のデータセットです。
http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/thinking/h25/pdf_index.html

 昨日からこのデータの分析を楽しんでいます。分析結果の図は,随時ツイッターにて発信しておりますが,単発のグラフを取りとめもなく発信するだけというのはいただけません。脈絡のある話(story)をつくることも必要。ブログは,こういう用途に使おうと考えています。

 前々回は,わが国の青年層が抱いている主観的な将来展望が,他国に比して思わしくないことをみました。新聞等では,現時点での満足度云々がいわれますが,私としては,こちらのほうが問題なのではと思っております。人間にとって希望は重要。前途ある青年にとっては,なおさらです。

 さて,ローデータを使うことで,この設問への回答が属性によってどう違うかを分析できます。本調査の対象は13~29歳の青年層であり,多様な発達段階を含みますが,年齢によって希望の量がどう変化するかを明らかにしてみました。

 注目したのは,Q7「自分の将来に明るい希望を持っているか」という設問であり,用意されている回答の選択肢は,①持っている,②どちらかといえば持っている,③どちらかといえば持っていない,④持っていない,の4つです。

 下の図は,最も強い否定の回答である④の比率を年齢層別にみたものです。7か国について,希望のない青年の率が,加齢に伴いどう変異するかを見て取ることができます。


 日本では,10代から20代前半にかけて,将来に希望を持てない者の率がぐんぐん伸びています。20代の前半では,およそ5人に1人が「将来に希望がない」と明言しています。学校から社会への移行期と重なっているのも,何だか象徴的ですね…。

 青年期の希望剥奪現象と命名しておきましょう。他の社会は曲線の傾斜がなだらかであり,まあ徐々に現実を知るという類のものでしょうが,わが国の場合は,希望が剥奪されるという形容がふさわしいのではないかと思います。

 今の日本では,20代の前半といえば「学校から社会への移行期」ですが,大量の「お祈りメール」で希望を根こそぎ剥奪するシューカツというイベントがあることを思うと,さもありなんです。

 なお,青年期の希望は「生まれ」とも関連しています。父親の学歴によって,13~29歳の青年層の「希望なし」率がどう違うのかを分析してみました。


 父親の学歴が低い群ほど,希望なし率が高い傾向にあります。学歴と所得は相関するでしょうから,貧困と無希望の関連が可視化されているとも読めるでしょう。これがホンマの希望格差。他国に比して,わが国ではこういう現象も顕著です。

 出身階層によって,客観的なライフチャンス(到達学歴,職業…)が異なるのはよく知られていますが,希望のような主観面の格差にも目を向ける必要がありそうです。

 人間は社会的な存在ですが,各人が置かれた社会的条件によって,「希望」の量がどう変異するか。これまでは,「  」内に学力とか幸福度とかいう語が入ることが多かったのですが,希望の規定要因分析のような研究も要請されるところです。これぞ,希望の社会学。

 『我が国と諸外国の青年の意識に関する調査』のローデータ分析を継続いたします。皆様,梅雨に入り気が滅入る日が続きますが,よい週末を。

2014年6月5日木曜日

『プレジデント・ファミリー』2014年夏号に掲載

 本日,表記の雑誌が発刊されました。誰もが知っている,教育・育児関係のメジャーな雑誌の最新号です。
http://presidentstore.jp/books/products/detail.php?product_id=1985


 東大生に関する特集が組まれています。現役東大生やわが子を東大に入れた家庭に対する綿密な取材をもとに,東大に入るための勉強法が指南されています。

 私としては,東大生と一般学生の幼少期の躾や生活習慣を比較している記事に興味を持ちました。本誌が長年にわたって蓄積した,東大生千人以上に対するアンケートデータの再分析だそうです。数量化Ⅱ類のような手法で,東大生と一般学生を分かつ最大の要因が何かを析出できれば,もっと面白いと思いました。*マニアック過ぎますが。

 私は,「データでよむいまどきの東大生」という記事を書かせていただきました(2ページ)。東大生の女子学生比率,志望職,職業観の分析です。『東京大学学生生活実態調査』のデータをもとにしています。

 書店やコンビニに置かれていると思いますので,ぜひお手に取ってください。雨季になり,じめじめとした日が続きそうですが,体調を崩されませぬよう。

2014年6月3日火曜日

『我が国と諸外国の若者の意識に関する調査』

 内閣府より,表記の調査(2013年度)の結果が公表された模様です。以前の『世界青年意識調査』が名称変更されたみたいですね。
http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/thinking/h25/pdf_index.html

 日本を含む7か国の青年層の意識が,さまざまな角度から比較されています。各紙が結果のハイライトを報じており,今日の朝日新聞Web版では,自分に対する満足度は日本が最低というデータが紹介されていました。
http://www.asahi.com/articles/ASG627KRPG62UCLV00V.html

 しかるに,公表されている単純集計結果をみる限り,最も大きな問題かなと感じるのは↓です。下の図は,「将来に明るい希望を持っているか」という問いに対する回答の分布図です。


 前途ある青年層の未来展望が最も開けていない国,ニッポン。青年は予期的な社会化を遂げる存在ですが,現時点の満足度云々よりも,こちらのほうが問題なのではないかと思います。人間にとって,希望(hope)とは大切なもの。

 上図は,公表されている各国の単純集計データからつくったものですが,男女でどう違うか,発達段階でどう違うか,という点にも興味が持たれます。仮説ですが,アメリカでは年齢が上がるにつれて展望が開けてくるのに対し,日本はその逆だったりして・・・。

 それを知るには,ローデータにあたって,これを独自に分析する必要がありますが,ナントナント,本調査は申請すればローデータを提供してくれるそうです。対象は,大学等の研究機関に属している研究者とのこと。

 非常勤講師の私でもいいのかなと,ダメ元で相談のメールを出したところ,すぐに返信があり,利用申請書が添付されてきました。うおー,感激!


 これに記入し,内閣府の担当部署に送付すれば,ローデータのファイルをメールで送ってくれるそうです。エクセルとSPSSのどっちにするかとあったので,私は前者を希望しました。こちらのほうが小回りが利くので,私としては使いやすいです。ピボットテーブル機能でクロス集計もらくらく。

 明日,ポストに投函すれば着くのは木曜,早ければその日にデータが送られてくるかも。そしたら,各国について,性別・年齢別などの分析ができる。楽しみっす。

 国際学力調査のPISAや『世界価値観調査』などは,独自のサイトでローデータを公表していますが,国内の調査もローデータを積極的に公表しようという向きがあるようで,大変喜ばしいことです。

 公的な調査のデータは,国民の共有財産。多くの人が多様な視点から分析することで,いろいろな知見も出てくることでしょう。共通データであり,第三者の追試も可能。データのねつ造なんてできません。

 願わくは,文科省の『全国学力・学習状況調査』のローデータも利用可能にならないものか。あと数年後には,それが実現するものと,勝手な展望を私は抱いています。