前回は,2012年3月の大学院博士課程修了生について,無業者率と死亡・進路不明率を計算しました。文科省の『学校基本調査』では,博士課程修了後の進路として,以下のカテゴリーが設けられています。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001011528
①:進学
②:正規就職
③:非正規就職
④:臨床研修医
⑤:専修学校・外国の学校等入学
⑥:一時的な仕事
⑦:左記以外の者
⑧:死亡・進路不明
無業者率とは,⑥~⑧の者が全体に占める比率です。要するに,定職に就けなかった者の比率です。死亡・進路不明率とは,⑧の比率のことをいいます。前回の記事で出した数字によると,人文科学系博士課程修了生の65.3%が無業者,19.0%が死亡・進路不明者という惨状です。
ところで,人文科学系は,文学,史学,そして哲学という専攻を内包しています。これらの下位の専攻ごとに同じ数字を出してみること,それが今回の課題です。
今回用いるのは,2011年3月の博士課程修了生のデータです。2012年3月の修了生の統計では,系の下にある専攻ごとの集計はなされていませんので,前年のデータを使います。
なお,細かい専攻まで下りると修了生の数が非常に少ないケースが出てきます。たとえば,私が出た教員養成専攻の博士課程修了生は53人です。中には,たったの4人という専攻もあります。これでは,出てきた数字の信憑性に疑問符がつきます。そこで,修了生数が100人に満たないケースは除外することとします。
このようなセレクトを行い,30の専攻の修了生について,無業者率と死亡・進路不明率を計算しました。結果をベタな一覧表の形で示すというのは芸がないので,視覚的にみてとれるような工夫をしましょう。横軸に無業者率,縦軸に死亡・進路不明率をとった座標上に,30の専攻を位置づけてみました。点線は,修了生全体(15,892人)の比率を意味します。
右上にあるのは,無業者率,死亡・進路不明率とも高い専攻です。左下に位置する専攻は,その反対です。
いかがでしょうか。右上のデンジャラス・ゾーンに位置しているのは,ほとんどが文系の専攻です。とくに,人文科学系の文学と史学,社会科学系の法学・政治学専攻の惨状が際立っています。文学専攻の無業者率は65.5%,死亡・行方不明率は25.8%です。法学・政治学専攻は,無業者率56.5%,死亡・進路不明率29.2%なり。修了生の3人に1人が死亡・進路不明。全専攻の中で最も高い率です。
修了生全体では3人に1人が無業者,10人に1人が死亡・進路不明者です。しかるに,最も悲惨な専攻では,3人に2人が無業者,3人に1人が死亡・進路不明者であることが分かります。
修了生全体→専攻系列→専攻下位分野,というように下りてみると,それなりにリアリティのある数字が出てきます。分析とは,データを仕「分」けて,表面からは見えない傾向を「析」出することです。こういう作業って大事だと思っています。
先に記したように,2012年3月の修了生については,こうした細かい専攻ごとの集計データが未公表なのですが,この種の分析をしてもらいたくない,という思惑があってのことでしょうか。意地の悪い見方ですが。
おしらせ:9月4日の記事にて,分析の補正を行いました。ご覧いただけますと幸いです。
2012年8月30日木曜日
2012年8月29日水曜日
大学院博士課程修了者の進路(2012年3月)
2012年度の文科省『学校基本調査』の速報結果が公表されました。教育社会学の研究者ならば,この調査資料について知らない人はおりますまい。学校数,児童・生徒数,教員数,そして卒業生の進路状況などを集計した,最も基本的な資料です。
政府統計の総合窓口(e-Stat)に,ホカホカの統計表がアップされています。公表データも,年々詳しくなってきているようです。さあ,どこから分析の手をつけたものか・・・。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001040925&cycode=0
手始めに今回は,大学院博士課程修了生の進路状況をみてみましょう。2012年3月の修了生のデータです。「オーバードクター」,「無職博士」とは,すっかり言い古された言葉ですが,博士課程まで出てしまうと行き場がなくなるといわれます。
最高レベルの学歴を持つ無業者,行方不明者,自殺者・・・。この問題に関心をお持ちの方は多いようで,本ブログでも,「行方不明の博士」と題する記事の閲覧頻度が最も高くなっています。
この記事でみたところによると,ここ数年,毎年1,500人ほどの「死亡・進路不詳」の博士が輩(排)出されています。修了生全体に対する比は1割ほど。最新のデータではどうなっているのでしょうか。
2012年3月の博士課程修了生は16,248人。その進路構成を円グラフにしました。上記e-Statサイトの表45から数字を採取して作成した図です。
今年度から,就職者は「正規の職員等」と「正規の職員等でない者」に分けて集計されています。前者は「正規の職員・従業員,自営業主等」であり,後者は「雇用契約が1年以上かつフルタイム勤務相当の者」だそうです。非常勤講師の場合は,⑥の「一時的な仕事」に割り振られると考えられます。
図によると,正規就職が半数を占めます。短期雇用の特任講師・助教などは③に割り振られるでしょうから,任期のない正規の大学教員や研究所職員ということでしょうか。非正規就職までも含めると全体の66.8%,およそ7割。
狭義の就職率5割,非正規も含めた広義の就職率7割・・・。むーん。どうにもリアリティが湧かない数字です。まあ,専攻によって数字は大きく違うでしょうから,この点はひとまず置いておきましょう。
次に,おめでたくない部分に注視しましょう。上図の進路カテゴリーの⑥~⑧を合算した値が,定職に就けなかった「無職博士」です。全体の中での比率は30.8%,実数にして5,009人。そして最もカワイソウな「死亡・進路不明者」は全体の7.0%,その数1,142人なり。
今年の(悲惨)実績。無職博士5千人,死亡・進路(行方)不明博士1千人。水月昭道氏のいう「フリーター生産工場としての大学院」,さもありなんです。これから先,同じペースでこの手の輩が輩(排)出されていくと考えると,空恐ろしい思いがします。10年後,20年後には,相当な数になること請け合いです。
なお,専攻によって様相は異なります。下図は,修了生の進路構成を専攻別に帯グラフで表したものです。
ほう。人文科学系と芸術系では,無職者が6割を超えています。死亡・進路不明者は2割ほど。前者について,ドンブリ勘定ではなく,正確な数字を出しておきましょう。人文科学系の博士課程では,修了生の65.3%が無業者,19.0%が死亡・進路不明者です。
人文科学系では,狭義(正規)の就職率は16.3%,広義(非正規込)の就職率は29.7%なり。私としては,先ほどの円グラフでみた全体のデータよりは,こちらのほうにリアリティを感じます。
しかし,教育系の正規就職率が半分近くというのは,ホンマかいな?という感を禁じ得ません(私は教育系博士課程の修了生ですが)。現場の先生が学位を取って職場に戻ったというようなケースも「正規就職」としてカウントしているのでは・・・。他にもいろいろな細工が施されていそうなデータですが,ここではそれを追求する手立てはありません。
しかるに,人文科学系のデータは,そこそこ実感に近いな,という印象を持ちます。これよりももっと下った,専攻分野別のデータも出せます。人文科学系は,文学,史学,および哲学という分野を含みますが,これらの分野ごとの進路構成を出してみたらどうでしょう。文学専攻などは,無職率や死亡・進路不明率の値がぶっ飛んでいそうだなあ。
長くなりますので,今回はこの辺で。次回に続きます。
政府統計の総合窓口(e-Stat)に,ホカホカの統計表がアップされています。公表データも,年々詳しくなってきているようです。さあ,どこから分析の手をつけたものか・・・。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001040925&cycode=0
手始めに今回は,大学院博士課程修了生の進路状況をみてみましょう。2012年3月の修了生のデータです。「オーバードクター」,「無職博士」とは,すっかり言い古された言葉ですが,博士課程まで出てしまうと行き場がなくなるといわれます。
最高レベルの学歴を持つ無業者,行方不明者,自殺者・・・。この問題に関心をお持ちの方は多いようで,本ブログでも,「行方不明の博士」と題する記事の閲覧頻度が最も高くなっています。
この記事でみたところによると,ここ数年,毎年1,500人ほどの「死亡・進路不詳」の博士が輩(排)出されています。修了生全体に対する比は1割ほど。最新のデータではどうなっているのでしょうか。
2012年3月の博士課程修了生は16,248人。その進路構成を円グラフにしました。上記e-Statサイトの表45から数字を採取して作成した図です。
今年度から,就職者は「正規の職員等」と「正規の職員等でない者」に分けて集計されています。前者は「正規の職員・従業員,自営業主等」であり,後者は「雇用契約が1年以上かつフルタイム勤務相当の者」だそうです。非常勤講師の場合は,⑥の「一時的な仕事」に割り振られると考えられます。
図によると,正規就職が半数を占めます。短期雇用の特任講師・助教などは③に割り振られるでしょうから,任期のない正規の大学教員や研究所職員ということでしょうか。非正規就職までも含めると全体の66.8%,およそ7割。
狭義の就職率5割,非正規も含めた広義の就職率7割・・・。むーん。どうにもリアリティが湧かない数字です。まあ,専攻によって数字は大きく違うでしょうから,この点はひとまず置いておきましょう。
次に,おめでたくない部分に注視しましょう。上図の進路カテゴリーの⑥~⑧を合算した値が,定職に就けなかった「無職博士」です。全体の中での比率は30.8%,実数にして5,009人。そして最もカワイソウな「死亡・進路不明者」は全体の7.0%,その数1,142人なり。
今年の(悲惨)実績。無職博士5千人,死亡・進路(行方)不明博士1千人。水月昭道氏のいう「フリーター生産工場としての大学院」,さもありなんです。これから先,同じペースでこの手の輩が輩(排)出されていくと考えると,空恐ろしい思いがします。10年後,20年後には,相当な数になること請け合いです。
なお,専攻によって様相は異なります。下図は,修了生の進路構成を専攻別に帯グラフで表したものです。
ほう。人文科学系と芸術系では,無職者が6割を超えています。死亡・進路不明者は2割ほど。前者について,ドンブリ勘定ではなく,正確な数字を出しておきましょう。人文科学系の博士課程では,修了生の65.3%が無業者,19.0%が死亡・進路不明者です。
人文科学系では,狭義(正規)の就職率は16.3%,広義(非正規込)の就職率は29.7%なり。私としては,先ほどの円グラフでみた全体のデータよりは,こちらのほうにリアリティを感じます。
しかし,教育系の正規就職率が半分近くというのは,ホンマかいな?という感を禁じ得ません(私は教育系博士課程の修了生ですが)。現場の先生が学位を取って職場に戻ったというようなケースも「正規就職」としてカウントしているのでは・・・。他にもいろいろな細工が施されていそうなデータですが,ここではそれを追求する手立てはありません。
しかるに,人文科学系のデータは,そこそこ実感に近いな,という印象を持ちます。これよりももっと下った,専攻分野別のデータも出せます。人文科学系は,文学,史学,および哲学という分野を含みますが,これらの分野ごとの進路構成を出してみたらどうでしょう。文学専攻などは,無職率や死亡・進路不明率の値がぶっ飛んでいそうだなあ。
長くなりますので,今回はこの辺で。次回に続きます。
2012年8月28日火曜日
共働きと虐待の関連
2月28日の記事では,子どもの虐待被害率を都道府県別に計算してみました。厚労省の『福祉行政報告例』では,児童相談所が対応した虐待事件件数が,被害者の子どもの年齢別に集計されています。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/38-1.html
2009年度の資料によると,同年度中に,0~2歳の乳幼児が被害者となった虐待件数は8,078件です。この年の0~2歳人口はおよそ326万人ですから(総務省『人口推計年報』),乳幼児1万人あたりの件数にすると,24.8件ということになります。この値をもって,虐待被害率ということにしています。
先の記事では,0~2歳(乳幼児),3歳~学齢前(幼児),小学生,そして中学生について,この意味での虐待被害率を県別に出したわけです。どれほどの地域差がみられたかを,ここにて再掲しておきましょう。詳細は,上記リンク先の記事をご覧ください。
右欄の全国的傾向をみると,虐待被害率は幼児で最も高くなっています。3歳から小学校に上がるまでの年齢ですが,ちょうど第一次反抗期が到来する時期です。身体を自由に動かせるようになった幼児が,それまでの親の全面的な支配や干渉に反発するようになる時期です。そのことに対し,戸惑いや苛立ちを覚えた親がつい手を上げてしまう,ということでしょう。
なお,被害率の都道府県差も幼児で最も大きいようです。表には,全県の両端の値を掲げています。幼児の場合,最低の6.1から最高の70.5まで,まことに大きな開きがあります。幼児1,639人に1件という県もあれば,142人に1件という県もあります。後者の県において,幼児が虐待被害に遭う確率は,前者の10倍以上です。
他の年齢層でみても,虐待被害率は地域によってかなり違っています。興味が持たれるのは,どういう県で被害率が高いかです。2月28日の記事では,人間関係が希薄で育児が孤立化しやすい都市的環境で虐待は多いであろうという仮説のもと,2005年の『国勢調査』から分かる,人口集中地区居住率との相関をとってみました。
その結果,乳幼児の被害率とは0.377,幼児の被害率とは0.348,小学生の被害率とは0.389,中学生の被害率とは0.390,という正の相関関係が検出されました。いずれも統計的に有意な相関です。都市地域ほど,虐待被害率が高い傾向が見出されたわけです。
以上が2月28日の記事のおさらいですが,今回は分析をもうちょっと深めてみようと思います。私の基本的な仮説は,育児の孤立化は虐待と関連するであろう,というものです。先の記事では,都市化の程度を測る指標(人口集中地区居住率)との相関分析をもって,この仮説の検証を試みたのですが,これはややラフに過ぎます。
今回は,育児の孤立化の程度をもっとダイレクトに測る指標を説明変数に充てたいと思います。このような指標を県別に計算するのはなかなか難しいのですが,共働き世帯率というのはどうでしょう。子どもがいる世帯のうち,父母ともに働いている世帯がどれほどか,という指標です。
上記の仮説が妥当性を持つなら,共働き世帯率と虐待被害率は負の相関を呈するはずです。一方の親(多くは母親)が一人家にこもって子育てをしている家庭が多い県ほど,虐待被害率が高いことを示唆しますから。
2010年の『国勢調査』によると,核家族世帯に属する0~14歳児は1,218万人です。このうち,両親とも就業している者は600万人。よって,共働き世帯児率は49.2%と算出されます。ちょうど半分です。
この意味での共働き世帯児率を県別に出し,乳幼児(0~2歳)の虐待被害率との相関をとってみました。下図は相関図です。
共働き世帯児率が高い(低い)県ほど,乳幼児の虐待被害率が低い(高い)という,負の相関関係が観察されます。相関係数は-0.478であり,1%水準で有意な相関です。
共働き世帯児率は,他の年齢層の虐待被害率とも負の相関関係にあります。幼児の被害率とは-0.408,小学生の被害率とは-0.448,中学生の被害率とは-0.465,という相関です。
この結果の解釈については,先ほど述べた通りです。一方の親(多くは母親)が一人家にこもって子育てをしている家庭が多い県ほど,虐待が起こりやすい。このような見方をとろうと思います。
むろん,専業主婦は昔からいました。しかし,祖父母など,夫婦と子以外の同居親族を持たない核家族が多くなり,地域の絆も脆弱になっている今日,母親が育児を一手に担うことの負担(リスク)は,以前よりも高まっているというべきでしょう。
孤軍奮闘という不利な条件にある一方で,子育ての結果に対する要求水準は高い。それが現代の親です。少なく産んで大事に育てるというのが,今の親の考え方。たとえば,一人っ子家庭の親には,「パーフェクト・チャイルド願望」なるものが蔓延しているそうですが,こうした高い要求水準と,現実の条件からもたらされる結果との間にはギャップがあることがしばしばであり,そのことに由来する焦りや苛立ちが,虐待発生の素地をなしている,といえないでしょうか。
家庭という枠を超えた,近隣レベルでの育児の「組織化」の必要がいわれますが,共働きと虐待の関連の統計を眺めた今,そのような見解に賛意を表します。
夫婦の共働きは,育児に手が回りにくくなる点で,ネグレクトなどにつながるという見方もあります。いや,こちらのほうが常識的な解釈でしょう。共働き世帯率と虐待被害率は正の相関関係にあると,多くの人が考えていることと思います。しかるに,県レベルのマクロ統計からは,逆の知見が得られたことを申しておきたいと思います。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/38-1.html
2009年度の資料によると,同年度中に,0~2歳の乳幼児が被害者となった虐待件数は8,078件です。この年の0~2歳人口はおよそ326万人ですから(総務省『人口推計年報』),乳幼児1万人あたりの件数にすると,24.8件ということになります。この値をもって,虐待被害率ということにしています。
先の記事では,0~2歳(乳幼児),3歳~学齢前(幼児),小学生,そして中学生について,この意味での虐待被害率を県別に出したわけです。どれほどの地域差がみられたかを,ここにて再掲しておきましょう。詳細は,上記リンク先の記事をご覧ください。
右欄の全国的傾向をみると,虐待被害率は幼児で最も高くなっています。3歳から小学校に上がるまでの年齢ですが,ちょうど第一次反抗期が到来する時期です。身体を自由に動かせるようになった幼児が,それまでの親の全面的な支配や干渉に反発するようになる時期です。そのことに対し,戸惑いや苛立ちを覚えた親がつい手を上げてしまう,ということでしょう。
なお,被害率の都道府県差も幼児で最も大きいようです。表には,全県の両端の値を掲げています。幼児の場合,最低の6.1から最高の70.5まで,まことに大きな開きがあります。幼児1,639人に1件という県もあれば,142人に1件という県もあります。後者の県において,幼児が虐待被害に遭う確率は,前者の10倍以上です。
他の年齢層でみても,虐待被害率は地域によってかなり違っています。興味が持たれるのは,どういう県で被害率が高いかです。2月28日の記事では,人間関係が希薄で育児が孤立化しやすい都市的環境で虐待は多いであろうという仮説のもと,2005年の『国勢調査』から分かる,人口集中地区居住率との相関をとってみました。
その結果,乳幼児の被害率とは0.377,幼児の被害率とは0.348,小学生の被害率とは0.389,中学生の被害率とは0.390,という正の相関関係が検出されました。いずれも統計的に有意な相関です。都市地域ほど,虐待被害率が高い傾向が見出されたわけです。
以上が2月28日の記事のおさらいですが,今回は分析をもうちょっと深めてみようと思います。私の基本的な仮説は,育児の孤立化は虐待と関連するであろう,というものです。先の記事では,都市化の程度を測る指標(人口集中地区居住率)との相関分析をもって,この仮説の検証を試みたのですが,これはややラフに過ぎます。
今回は,育児の孤立化の程度をもっとダイレクトに測る指標を説明変数に充てたいと思います。このような指標を県別に計算するのはなかなか難しいのですが,共働き世帯率というのはどうでしょう。子どもがいる世帯のうち,父母ともに働いている世帯がどれほどか,という指標です。
上記の仮説が妥当性を持つなら,共働き世帯率と虐待被害率は負の相関を呈するはずです。一方の親(多くは母親)が一人家にこもって子育てをしている家庭が多い県ほど,虐待被害率が高いことを示唆しますから。
2010年の『国勢調査』によると,核家族世帯に属する0~14歳児は1,218万人です。このうち,両親とも就業している者は600万人。よって,共働き世帯児率は49.2%と算出されます。ちょうど半分です。
この意味での共働き世帯児率を県別に出し,乳幼児(0~2歳)の虐待被害率との相関をとってみました。下図は相関図です。
共働き世帯児率が高い(低い)県ほど,乳幼児の虐待被害率が低い(高い)という,負の相関関係が観察されます。相関係数は-0.478であり,1%水準で有意な相関です。
共働き世帯児率は,他の年齢層の虐待被害率とも負の相関関係にあります。幼児の被害率とは-0.408,小学生の被害率とは-0.448,中学生の被害率とは-0.465,という相関です。
この結果の解釈については,先ほど述べた通りです。一方の親(多くは母親)が一人家にこもって子育てをしている家庭が多い県ほど,虐待が起こりやすい。このような見方をとろうと思います。
むろん,専業主婦は昔からいました。しかし,祖父母など,夫婦と子以外の同居親族を持たない核家族が多くなり,地域の絆も脆弱になっている今日,母親が育児を一手に担うことの負担(リスク)は,以前よりも高まっているというべきでしょう。
孤軍奮闘という不利な条件にある一方で,子育ての結果に対する要求水準は高い。それが現代の親です。少なく産んで大事に育てるというのが,今の親の考え方。たとえば,一人っ子家庭の親には,「パーフェクト・チャイルド願望」なるものが蔓延しているそうですが,こうした高い要求水準と,現実の条件からもたらされる結果との間にはギャップがあることがしばしばであり,そのことに由来する焦りや苛立ちが,虐待発生の素地をなしている,といえないでしょうか。
家庭という枠を超えた,近隣レベルでの育児の「組織化」の必要がいわれますが,共働きと虐待の関連の統計を眺めた今,そのような見解に賛意を表します。
夫婦の共働きは,育児に手が回りにくくなる点で,ネグレクトなどにつながるという見方もあります。いや,こちらのほうが常識的な解釈でしょう。共働き世帯率と虐待被害率は正の相関関係にあると,多くの人が考えていることと思います。しかるに,県レベルのマクロ統計からは,逆の知見が得られたことを申しておきたいと思います。
2012年8月26日日曜日
教員の多忙の原因
教員は多忙であるといわれます。多忙かどうかを判定する基準は,主観的な基準(当人の意識・・・)と客観的な基準(勤務時間の長さ,抱えている仕事の量・・・)があります。ここでは,公的な意識調査に依拠して,教員の多忙度を可視化してみようと思います。つまり,前者の基準をとることになります。
教員の多忙意識を調べた公的な調査がないかと探していたのですが,栃木県教育委員会の『教員の多忙感に関するアンケート調査』(2012年2月)というものを知りました。調査時期は,2011年9~10月であり,県内の小・中・高・特の教員372人の回答を得たとあります。
http://www.pref.tochigi.lg.jp/m01/education/kyouikuzenpan/kyouikuiinkai/tabouhousaku.html
本調査の問10に,「自分の職務について,忙しいと感じるか」という設問があります。この設問への回答分布を図示すると,下図のようです。( )内の数値は,回答者の数です。合計すると,372となります。
4段階の自己評定であり,青色と赤色が肯定のシェアを表しています。ほう。どの学校種でも,肯定率が9割を超えています。栃木県では,校種を問わず,9割以上の教員が自分の職務を「忙しい」と感じているようです。
何のためらいもない肯定の回答(青色)に注目すると,こちらは校種間の差があり,低い段階の学校ほど率が高くなっています。小学校では,6割の教員が,自分の職務は忙しいと明確に断言しています。中高は約半分,特別支援学校では,このような強い肯定は比較的少ないようです。
さて,このように多忙感を抱いている教員が多いのですが,その原因について,どのような認識が持たれているのでしょう。上記調査の問11にて,「多忙であった主な原因」を複数回答で答えてもらっています。21の選択肢を用意し,当てはまるもの全てを選んでもらう形式です。
選択された原因の総数は,小学校教員が793,中学校教員が391,高校教員が257,特別支援学校教員が61,となっています。これを回答者数で除して,一人あたりの選択数を出すと,順に,4.3,4.1,3.5,3.4,となります。多忙の程度が高い小学校において,多くの原因が挙げられていることが知られます。
では,その中身をのぞいてみましょう。各学校種について,選択された多忙原因の内訳がどういうものかを面グラフで表現してみました。下図をご覧ください。
どうでしょう。まず,校種を問わず,校務分掌業務の比重が大きいようです。校務分掌とは,組織としての学校を円滑に動かしていくため,各種の業務を教員間で分担することです。どの業務を担当するかによるアタリハズレもありますが,多忙原因の中では最も大きなウェイトを占めています。選択率は後でみますが,小学校では,回答者の8割近くがこの原因を挙げています。
校種間の差をみると,中学校では部活指導,高校では学年・学級経営の比重が増してきます。学校規模が大きくなる高校では,確かに,この手の業務の負担は大きいでしょう。私の高校は,1学年10学級でした。これを束ねる学年主任にでもなると,業務負担は相当のものでしょう。
特別支援学校では,教材準備や会議・打ち合わせという原因の比重が高いようです。障害のある子どもを教育する学校であるだけに,分かるような気がします。個々の児童・生徒のニーズに合った教材準備,チームによる教育実践が求められる度合いは,通常の学校より高いと思われます。
主観の上での多忙度が最も高い小学校において,ウェイトが比較的高い原因は何かというと,提出物の処理というような,児童の管理業務であるようです。年少の児童の場合,この種の管理を細かく行う必要が出てくるのではないでしょうか。
次に,選択率という観点を据えてみましょう。提示された各選択肢を選んだ教員が,全体の何%を占めるか,ということです。先に記したように,小学校では8割の教員が「校務分掌」をチョイスしています。他の原因の選択率はどうでしょう。
初等教育機関の小学校と,後期中等教育機関の高等学校を比べてみます。下図は,横軸に小学校教員,縦軸に高校教員の選択率をとった座標上に,21の原因をプロットしたものです。45度の斜線は均等線です。この線より下方(赤色ゾーン)にある場合,小学校教員の選択率が高校教員を上回ることを意味します。上方(青色ゾーン)にある場合は,その逆です。
21のうち16の原因(赤字)において,小学校教員の選択率が高いようです。ゴチは,差が10ポイント以上あることを示唆します。この基準によると,校務分掌や提出物の処理など,6の原因が,小学校教員に固有の多忙原因であると判断されます。
一方,高校教員に固有の多忙原因(青色ゴチ)は,個に応じた指導,生徒指導,部活指導,学年・学級経営というものです。生徒の進路希望も分化してくる高校段階では,個に応じた指導の負担も大きくなる,ということでしょう。また,問題行動への対応など,生徒指導の大変さも増してきます。
予想されることではありますが,教員の多忙の原因は,学校段階によって一様ではないことが分かりました。各校種の性格に応じた,対応策が求められるところです。
文科省のサイトにて,教員の勤務負担軽減を目指した,各地の取組が紹介されています。実は,今回使用した栃木県の調査データも,本サイトで知ったものです。教員の多忙化問題に関心をお持ちの方は,必見のサイトといえます。URLは下記です。ご覧ください。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/uneishien/detail/1324313.htm
教員の多忙意識を調べた公的な調査がないかと探していたのですが,栃木県教育委員会の『教員の多忙感に関するアンケート調査』(2012年2月)というものを知りました。調査時期は,2011年9~10月であり,県内の小・中・高・特の教員372人の回答を得たとあります。
http://www.pref.tochigi.lg.jp/m01/education/kyouikuzenpan/kyouikuiinkai/tabouhousaku.html
本調査の問10に,「自分の職務について,忙しいと感じるか」という設問があります。この設問への回答分布を図示すると,下図のようです。( )内の数値は,回答者の数です。合計すると,372となります。
4段階の自己評定であり,青色と赤色が肯定のシェアを表しています。ほう。どの学校種でも,肯定率が9割を超えています。栃木県では,校種を問わず,9割以上の教員が自分の職務を「忙しい」と感じているようです。
何のためらいもない肯定の回答(青色)に注目すると,こちらは校種間の差があり,低い段階の学校ほど率が高くなっています。小学校では,6割の教員が,自分の職務は忙しいと明確に断言しています。中高は約半分,特別支援学校では,このような強い肯定は比較的少ないようです。
さて,このように多忙感を抱いている教員が多いのですが,その原因について,どのような認識が持たれているのでしょう。上記調査の問11にて,「多忙であった主な原因」を複数回答で答えてもらっています。21の選択肢を用意し,当てはまるもの全てを選んでもらう形式です。
選択された原因の総数は,小学校教員が793,中学校教員が391,高校教員が257,特別支援学校教員が61,となっています。これを回答者数で除して,一人あたりの選択数を出すと,順に,4.3,4.1,3.5,3.4,となります。多忙の程度が高い小学校において,多くの原因が挙げられていることが知られます。
では,その中身をのぞいてみましょう。各学校種について,選択された多忙原因の内訳がどういうものかを面グラフで表現してみました。下図をご覧ください。
どうでしょう。まず,校種を問わず,校務分掌業務の比重が大きいようです。校務分掌とは,組織としての学校を円滑に動かしていくため,各種の業務を教員間で分担することです。どの業務を担当するかによるアタリハズレもありますが,多忙原因の中では最も大きなウェイトを占めています。選択率は後でみますが,小学校では,回答者の8割近くがこの原因を挙げています。
校種間の差をみると,中学校では部活指導,高校では学年・学級経営の比重が増してきます。学校規模が大きくなる高校では,確かに,この手の業務の負担は大きいでしょう。私の高校は,1学年10学級でした。これを束ねる学年主任にでもなると,業務負担は相当のものでしょう。
特別支援学校では,教材準備や会議・打ち合わせという原因の比重が高いようです。障害のある子どもを教育する学校であるだけに,分かるような気がします。個々の児童・生徒のニーズに合った教材準備,チームによる教育実践が求められる度合いは,通常の学校より高いと思われます。
主観の上での多忙度が最も高い小学校において,ウェイトが比較的高い原因は何かというと,提出物の処理というような,児童の管理業務であるようです。年少の児童の場合,この種の管理を細かく行う必要が出てくるのではないでしょうか。
次に,選択率という観点を据えてみましょう。提示された各選択肢を選んだ教員が,全体の何%を占めるか,ということです。先に記したように,小学校では8割の教員が「校務分掌」をチョイスしています。他の原因の選択率はどうでしょう。
初等教育機関の小学校と,後期中等教育機関の高等学校を比べてみます。下図は,横軸に小学校教員,縦軸に高校教員の選択率をとった座標上に,21の原因をプロットしたものです。45度の斜線は均等線です。この線より下方(赤色ゾーン)にある場合,小学校教員の選択率が高校教員を上回ることを意味します。上方(青色ゾーン)にある場合は,その逆です。
21のうち16の原因(赤字)において,小学校教員の選択率が高いようです。ゴチは,差が10ポイント以上あることを示唆します。この基準によると,校務分掌や提出物の処理など,6の原因が,小学校教員に固有の多忙原因であると判断されます。
一方,高校教員に固有の多忙原因(青色ゴチ)は,個に応じた指導,生徒指導,部活指導,学年・学級経営というものです。生徒の進路希望も分化してくる高校段階では,個に応じた指導の負担も大きくなる,ということでしょう。また,問題行動への対応など,生徒指導の大変さも増してきます。
予想されることではありますが,教員の多忙の原因は,学校段階によって一様ではないことが分かりました。各校種の性格に応じた,対応策が求められるところです。
文科省のサイトにて,教員の勤務負担軽減を目指した,各地の取組が紹介されています。実は,今回使用した栃木県の調査データも,本サイトで知ったものです。教員の多忙化問題に関心をお持ちの方は,必見のサイトといえます。URLは下記です。ご覧ください。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/uneishien/detail/1324313.htm
2012年8月24日金曜日
高齢者の県別生活保護受給率
前々回の記事では,年齢層別の生活保護受給率を計算しました。そこで分かったのは,高齢層の受給率が高いことです。最も高い70代では27.3‰という値でした。千人あたり27.3人。つまり,37人に1人が保護を受けていることになります。
7月13日の記事では,老後の生活設計のことで悩む国民が増えていることを,世論調査のデータから明らかにしました。なるほど,そうした悩みは杞憂というわけではなさそうです。
老後の生活の頼みは年金ですが,それだけでは足りず,仕事を探しても年齢を理由に断られる・・・。こういう人も多いのではないでしょうか。今はまだしも,2050年には,65歳以上の高齢者が4割という社会になります。その時,どういう状況になっていることか。
他の年齢層に比して高い水準にある,高齢者の生活保護受給率ですが,県別の値を出すとどうでしょう。全国統計では20‰(2%)台というところですが,細かい地域別にみると,もっとスゴイ値が出てくるかもしれません。
私は,65歳以上の生活保護受給率を都道府県別に計算してみました。60歳以上ないしは70歳以上にしようかとも思いましたが,人口統計の上で高齢者と括られるのは65歳以上ですので,ひとまず,この基準に従うことにします。
2010年の厚労省『全国被保護者全国一斉調査』から,同年7月1日時点における,65歳以上の被保護人員数を県別に知ることができます。この値を,『国勢調査』から分かる各県の65歳以上人口で除して,65歳以上の生活保護受給率を県別に出しました。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/74-16.html
下表は,結果の一覧です。政令指定都市の分は,当該都市が所在する県の分に含めています。たとえば,横浜市や川崎市の数は,神奈川県の分に組み入れています。
最下段の全国値は25.3‰ですが,県別にみると,これをはるかに凌駕するスゴイ値が散見されます。最高は大阪の54.6‰です。百分率にすると5.46%,すなわち18人に1人が生活保護受給者という計算になります。
その次は沖縄の47.8‰です。「ゆいまーる」の沖縄ですが,高齢者の生活保護受給率は高いのですね。ほか,40‰(4%)を超えるのは,北海道,東京,および福岡となっています。これだけからすると都市地域で率が高いように思えますが,全県のデータを勘案すると,そう単純な構造でもなさそうです。
さて,高齢者の生活保護受給率1位の大阪ですが,府内の内部でみると,府庁所在地の大阪市の率が最も高いといわれています。上記の厚労省資料から分かる,同市の65歳以上の被保護人員は58,480人です。ベースの65歳以上人口は598,835人。よって,生活保護受給率は97.7‰(9.77%)となります。全国値の4倍近くです。この市では,高齢者10人に1人が生活保護を受けていることになります。これはおそらく,全国で最も「スゴイ」値でしょう。
大阪市は,生活保護の現状について大変な危機意識を持っており,不正受給・貧困ビジネスの撲滅や受給者の就労支援強化といった構えを明言しています。なるほど。べらぼうに高い数値の裏には,不正受給や貧困ビジネスのような問題があるようです。
http://www.city.osaka.lg.jp/fukushi/page/0000086801.html
なお,上記サイトでは,「生活保護の制度疲労」ということがいわれており,1950年に創設された現行の制度が現代の時代状況にそぐわなくなっていることを,図でもって解説しています。相互扶助の慣行が強かった創設当時では,生活保護は「最後のセーフティネット」でしたが,現在では「たった一つのセーフティネット」と化しているとのこと。言い得て妙であると思います。
これから先,「10人に1人」という状況が全国に波及していくかもしれません。しかし,その時が,社会の抜本的変革の時であるともいえます。「私の未来社会設計」という懸賞でも設けて,2050年の社会を描いた小説を公募するなどしてみてはどうでしょう。もしかすると,奇抜なアイディアが出てくるかもしれません。自殺幇助を合法化する自殺自由法が制定された社会を描いた,戸梶圭太さんの『自殺自由法』(中公文庫,2007年)は,ちょっとスパイスが効き過ぎた作品ですが。
7月13日の記事では,老後の生活設計のことで悩む国民が増えていることを,世論調査のデータから明らかにしました。なるほど,そうした悩みは杞憂というわけではなさそうです。
老後の生活の頼みは年金ですが,それだけでは足りず,仕事を探しても年齢を理由に断られる・・・。こういう人も多いのではないでしょうか。今はまだしも,2050年には,65歳以上の高齢者が4割という社会になります。その時,どういう状況になっていることか。
他の年齢層に比して高い水準にある,高齢者の生活保護受給率ですが,県別の値を出すとどうでしょう。全国統計では20‰(2%)台というところですが,細かい地域別にみると,もっとスゴイ値が出てくるかもしれません。
私は,65歳以上の生活保護受給率を都道府県別に計算してみました。60歳以上ないしは70歳以上にしようかとも思いましたが,人口統計の上で高齢者と括られるのは65歳以上ですので,ひとまず,この基準に従うことにします。
2010年の厚労省『全国被保護者全国一斉調査』から,同年7月1日時点における,65歳以上の被保護人員数を県別に知ることができます。この値を,『国勢調査』から分かる各県の65歳以上人口で除して,65歳以上の生活保護受給率を県別に出しました。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/74-16.html
下表は,結果の一覧です。政令指定都市の分は,当該都市が所在する県の分に含めています。たとえば,横浜市や川崎市の数は,神奈川県の分に組み入れています。
最下段の全国値は25.3‰ですが,県別にみると,これをはるかに凌駕するスゴイ値が散見されます。最高は大阪の54.6‰です。百分率にすると5.46%,すなわち18人に1人が生活保護受給者という計算になります。
その次は沖縄の47.8‰です。「ゆいまーる」の沖縄ですが,高齢者の生活保護受給率は高いのですね。ほか,40‰(4%)を超えるのは,北海道,東京,および福岡となっています。これだけからすると都市地域で率が高いように思えますが,全県のデータを勘案すると,そう単純な構造でもなさそうです。
さて,高齢者の生活保護受給率1位の大阪ですが,府内の内部でみると,府庁所在地の大阪市の率が最も高いといわれています。上記の厚労省資料から分かる,同市の65歳以上の被保護人員は58,480人です。ベースの65歳以上人口は598,835人。よって,生活保護受給率は97.7‰(9.77%)となります。全国値の4倍近くです。この市では,高齢者10人に1人が生活保護を受けていることになります。これはおそらく,全国で最も「スゴイ」値でしょう。
大阪市は,生活保護の現状について大変な危機意識を持っており,不正受給・貧困ビジネスの撲滅や受給者の就労支援強化といった構えを明言しています。なるほど。べらぼうに高い数値の裏には,不正受給や貧困ビジネスのような問題があるようです。
http://www.city.osaka.lg.jp/fukushi/page/0000086801.html
なお,上記サイトでは,「生活保護の制度疲労」ということがいわれており,1950年に創設された現行の制度が現代の時代状況にそぐわなくなっていることを,図でもって解説しています。相互扶助の慣行が強かった創設当時では,生活保護は「最後のセーフティネット」でしたが,現在では「たった一つのセーフティネット」と化しているとのこと。言い得て妙であると思います。
これから先,「10人に1人」という状況が全国に波及していくかもしれません。しかし,その時が,社会の抜本的変革の時であるともいえます。「私の未来社会設計」という懸賞でも設けて,2050年の社会を描いた小説を公募するなどしてみてはどうでしょう。もしかすると,奇抜なアイディアが出てくるかもしれません。自殺幇助を合法化する自殺自由法が制定された社会を描いた,戸梶圭太さんの『自殺自由法』(中公文庫,2007年)は,ちょっとスパイスが効き過ぎた作品ですが。
2012年8月22日水曜日
パラサイト・シングル率
表題の言葉をご存知でしょうか。「パラサイト」とは,寄生を意味します。「シングル」は独身者です。両者を合わせた熟語を訳すと,「寄生する独身者」となります。
何に寄生するかというと,親に対してです。自立が期待される年齢になっても親と同居し続ける独身者。山田昌弘教授は,現代日本において,このような人種が増えていることを明らかにしてみせました。1999年に刊行された『パラサイト・シングルの時代』は大ベストセラーとなり,以後,『国勢調査』において,親と子の同居・非同居に関する集計がなされるようになっています。
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480058188/
山田教授は,現代日本で進行する未婚化の原因を,このパラサイト・シングルの増加に求めています。親と同居していれば,家賃や食費など,生活の基礎経費は浮きます。よって,給料のほとんどを自分の小遣いに充てることができます。統計でみても,未婚の親同局者は,結婚して離家している既婚者に比べて,経済的ゆとり度や精神的ゆとり度が高いとのこと(上記文献,77頁)。
このようなリッチな生活にどっぷりつかっていると,結婚して離家しようという欲求は当然下がってきます。言いかえると,結婚することに対する要求水準が高まってきます。とくに女性の場合,結婚相手の男性が,現在の(優雅な)パラサイト生活と同水準の生活を保障してくれるか,ということに関心がいきます。
しかるに,このご時世です。そのような「白馬の王子様」にはなかなか巡り会えません。以前,電車の週刊誌のつり広告で,「20代の女性が結婚相手に求める年収は600万円」というフレーズを目にしたことがありますが,冗談ではありません。若い男性で,そんなに稼いでいる人間はほんの一握りでしょう。しからば結婚は見送りということで,いつまでも実家に居座り続けるパラサイト・シングルが増殖することになります。
なるほど。現在進行している未婚化は,個々人のこうした行為の集積の結果であるといえなくもありません。
ひるがえって昔はどうであったかというと,状況は違っていました。たとえば,私の好きな『三丁目の夕日』は1950年代後半の物語ですが,当時は多くの家庭の生活水準が低く,かつ兄弟数も多かったので,よほど裕福な家でない限り,実家の一室をわが物にするなどはできませんでした。また,「あそこの**ちゃん,まだ結婚しないの?」というような近隣の目も厳しかった頃です。
しかし,もっと大きかったのは,結婚して離家したとしても,生活水準の上昇が望めたことです。高度経済成長への離陸期にあった当時,時期による凹凸はあったにせよ,総じて,(男性)労働者の給与が右肩上がりに上がっていました。
このような状況の中,多くの若者が積極的に家を出て,結婚に踏み切っていたとみられます。ですが,現在ではそのような条件は完全に失われているとみるべきでしょう。その結果が,山田教授のいうようなパラサイト・シングルの増加となって表れています。
さて,現代日本では,どれくらいパラサイト・シングルがいるのでしょう。先に述べたように,最近の『国勢調査』では,親と子の同居・非同居の集計がなされています。最新の2010年の調査結果によると,20~49歳の未婚親同居者は1,275万人です。ほう,東京都の人口に匹敵するくらいの数ですね。同年齢人口に対する比率は26.2%なり。若年から中年の4人に1人以上が,パラサイト・シングルであるとみられます。
もっと細かいデータもみてみましょう。下表は,最近10年間の変化と性別比較も織り交ぜたものです。『国勢調査』の結果をもとに作成したものです。
男女とも,パラサイト・シングルの実数は減じていますが,人口あたりの比率はやや増えています。性別でみると,男性のほうが出現率が高いのですね。これは意外です。
しかるに,年齢別にみると様相は違います。下図は,2000年と2010年について,パラサイト・シングル率年齢曲線を描いたものです。男女で図を分けています。
当然ですが,パラサイト・シングルは加齢とともに少なくなっていきます。近年の変化に注目すると,20代の頭と30代以上の中年層で,出現率が上がっています。20代の頭は短大や大学の卒業年齢ですが,昨今の不況により就職が叶わず,実家に居続ける者が増えているためでしょう。
しかし,30以上の中年層で率が上がっているのが気がかりです。伸び幅が最も大きいのは30代後半男性で,14.6%から21.2%へと増えています。むーん。私の年齢層です。
2010年の30~40代の中年パラサイト・シングルは約575万人。定職があるならまだいいですが,それがなく,何から何まで親に依存している「無職中年パラサイト・シングル」がその多くを占めるとしたら,空恐ろしい思いがします。
親が元気なうちはいいですが,やがて介護が必要になった時,亡くなった時に,どういう事態になるか。もう身辺の世話をしてくれる人はいません(逆に世話を求められます)。家を継ぐとしたら,相続税を払わねばなりません。山田教授の比喩を借りると,今つかっている心地よい「ぬるま湯」が冷めて「水風呂」になる時期は確実にやってきます(上記文献,184頁)。
わが国で進行する未婚化を食い止めるため,今述べたような悲劇的な結末を迎える中高年が増えるのを防ぐためになすべきことを,山田教授はいくつか提言されています。その中の一つに,「親同居税」の創設というものがあります(191頁)。親との同居を,自室の提供や家事の提供というような「贈与」を受けることとみなし,税を払わせようというものです。提案額はおよそ10万円なり。
税額はどうであれ,この制度が施行されれば,離家して結婚に踏み切る若者は増えてくるでしょう。そうならずとも,いい年をして実家に住まわせてもらっているのは「贈与」を受けていることなのだと,自覚する者が増えてくるのは確かだと思います。
金持ちにも貧乏人にも一律に課される消費税の増額よりも,こういう面での課税を考えてみてはどうかという気もします。むろん,同居の理由が,親の介護をしているとか,家業を手伝っているとかいう場合は別です。
パラサイト・シングルは未婚化や少子化の元凶であるばかりでなく,昨今の経済不況にも関与しているとか。詳細については,山田教授の上記文献をご覧ください。刊行されてからだいぶ経っていますので,お近くの図書館に所蔵されているかと思います。
何に寄生するかというと,親に対してです。自立が期待される年齢になっても親と同居し続ける独身者。山田昌弘教授は,現代日本において,このような人種が増えていることを明らかにしてみせました。1999年に刊行された『パラサイト・シングルの時代』は大ベストセラーとなり,以後,『国勢調査』において,親と子の同居・非同居に関する集計がなされるようになっています。
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480058188/
山田教授は,現代日本で進行する未婚化の原因を,このパラサイト・シングルの増加に求めています。親と同居していれば,家賃や食費など,生活の基礎経費は浮きます。よって,給料のほとんどを自分の小遣いに充てることができます。統計でみても,未婚の親同局者は,結婚して離家している既婚者に比べて,経済的ゆとり度や精神的ゆとり度が高いとのこと(上記文献,77頁)。
このようなリッチな生活にどっぷりつかっていると,結婚して離家しようという欲求は当然下がってきます。言いかえると,結婚することに対する要求水準が高まってきます。とくに女性の場合,結婚相手の男性が,現在の(優雅な)パラサイト生活と同水準の生活を保障してくれるか,ということに関心がいきます。
しかるに,このご時世です。そのような「白馬の王子様」にはなかなか巡り会えません。以前,電車の週刊誌のつり広告で,「20代の女性が結婚相手に求める年収は600万円」というフレーズを目にしたことがありますが,冗談ではありません。若い男性で,そんなに稼いでいる人間はほんの一握りでしょう。しからば結婚は見送りということで,いつまでも実家に居座り続けるパラサイト・シングルが増殖することになります。
なるほど。現在進行している未婚化は,個々人のこうした行為の集積の結果であるといえなくもありません。
ひるがえって昔はどうであったかというと,状況は違っていました。たとえば,私の好きな『三丁目の夕日』は1950年代後半の物語ですが,当時は多くの家庭の生活水準が低く,かつ兄弟数も多かったので,よほど裕福な家でない限り,実家の一室をわが物にするなどはできませんでした。また,「あそこの**ちゃん,まだ結婚しないの?」というような近隣の目も厳しかった頃です。
しかし,もっと大きかったのは,結婚して離家したとしても,生活水準の上昇が望めたことです。高度経済成長への離陸期にあった当時,時期による凹凸はあったにせよ,総じて,(男性)労働者の給与が右肩上がりに上がっていました。
このような状況の中,多くの若者が積極的に家を出て,結婚に踏み切っていたとみられます。ですが,現在ではそのような条件は完全に失われているとみるべきでしょう。その結果が,山田教授のいうようなパラサイト・シングルの増加となって表れています。
さて,現代日本では,どれくらいパラサイト・シングルがいるのでしょう。先に述べたように,最近の『国勢調査』では,親と子の同居・非同居の集計がなされています。最新の2010年の調査結果によると,20~49歳の未婚親同居者は1,275万人です。ほう,東京都の人口に匹敵するくらいの数ですね。同年齢人口に対する比率は26.2%なり。若年から中年の4人に1人以上が,パラサイト・シングルであるとみられます。
もっと細かいデータもみてみましょう。下表は,最近10年間の変化と性別比較も織り交ぜたものです。『国勢調査』の結果をもとに作成したものです。
男女とも,パラサイト・シングルの実数は減じていますが,人口あたりの比率はやや増えています。性別でみると,男性のほうが出現率が高いのですね。これは意外です。
しかるに,年齢別にみると様相は違います。下図は,2000年と2010年について,パラサイト・シングル率年齢曲線を描いたものです。男女で図を分けています。
当然ですが,パラサイト・シングルは加齢とともに少なくなっていきます。近年の変化に注目すると,20代の頭と30代以上の中年層で,出現率が上がっています。20代の頭は短大や大学の卒業年齢ですが,昨今の不況により就職が叶わず,実家に居続ける者が増えているためでしょう。
しかし,30以上の中年層で率が上がっているのが気がかりです。伸び幅が最も大きいのは30代後半男性で,14.6%から21.2%へと増えています。むーん。私の年齢層です。
2010年の30~40代の中年パラサイト・シングルは約575万人。定職があるならまだいいですが,それがなく,何から何まで親に依存している「無職中年パラサイト・シングル」がその多くを占めるとしたら,空恐ろしい思いがします。
親が元気なうちはいいですが,やがて介護が必要になった時,亡くなった時に,どういう事態になるか。もう身辺の世話をしてくれる人はいません(逆に世話を求められます)。家を継ぐとしたら,相続税を払わねばなりません。山田教授の比喩を借りると,今つかっている心地よい「ぬるま湯」が冷めて「水風呂」になる時期は確実にやってきます(上記文献,184頁)。
わが国で進行する未婚化を食い止めるため,今述べたような悲劇的な結末を迎える中高年が増えるのを防ぐためになすべきことを,山田教授はいくつか提言されています。その中の一つに,「親同居税」の創設というものがあります(191頁)。親との同居を,自室の提供や家事の提供というような「贈与」を受けることとみなし,税を払わせようというものです。提案額はおよそ10万円なり。
税額はどうであれ,この制度が施行されれば,離家して結婚に踏み切る若者は増えてくるでしょう。そうならずとも,いい年をして実家に住まわせてもらっているのは「贈与」を受けていることなのだと,自覚する者が増えてくるのは確かだと思います。
金持ちにも貧乏人にも一律に課される消費税の増額よりも,こういう面での課税を考えてみてはどうかという気もします。むろん,同居の理由が,親の介護をしているとか,家業を手伝っているとかいう場合は別です。
パラサイト・シングルは未婚化や少子化の元凶であるばかりでなく,昨今の経済不況にも関与しているとか。詳細については,山田教授の上記文献をご覧ください。刊行されてからだいぶ経っていますので,お近くの図書館に所蔵されているかと思います。
2012年8月20日月曜日
年齢層別の生活保護受給率
昨今の不況もあってか,生活保護受給者が増えているといわれます。2010年の厚労省『被保護者全国一斉調査』によると,同年7月1日時点の生活保護受給者は188万人となっています。10年前(2000年)の103万人よりも大幅に増加しています。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/74-16.html
人口千人あたりの比率にすると,14.7‰です。百分比でいうと1.47%,すなわち68人に1が生活保護を受けていることになります。この比率を,以下では生活保護受給率ということにしましょう。
今計算したのは人口全体の受給率ですが,この値は年齢層によってかなり違うと思われます。しかるに,当局の白書では,この点に関する統計はあまり紹介されていないようです。私は,上記の厚労省資料から分かる年齢層別の生活保護受給者数を,各層の人口で除して,年齢層別の生活保護受給率を明らかにしました。分母とした使った人口は,総務省『人口推計年報』から得ました。
下表は,2000年と2010年について,おおむね10歳刻みの生活保護受給率を示したものです。計算の過程を明瞭にするため,分子と分母のローデータも漏れなく提示いたします。
まずは,2010年現在の受給率の水準に注意しましょう。先ほどみたように,人口全体の率は14.7‰ですが,60歳以上の高齢層ではこれよりもかなり値が高くなっています。最も高いのは70代で27.3‰です。千人あたり27.3人。つまり,37人に1人が生活保護受給者ということになります。私が高齢者になる頃には,これが「30人に1人」,いや「20人に1人」になっていたりして。
子どもの受給率は,親世代の40代あたりとほぼ同じになっています。親が保護を受ければ,その子どもも被保護者となりますので。
さて,20~30代は谷間といいますか,受給率が比較的低くなっています。しかるに,最近10年間の増加倍率という点でいうと,違った側面がみてとれます。2010年の受給率が2000年の何倍かを計算すると,人口全体では,14.7/8.1 ≒ 1.8倍です。ですが,10~30代では2倍を超えます。
生活保護受給率の伸び幅は,若年層で大きくなっています。言いかえると,最近の経済危機の影響を強く被っているのはこの層である,ということです。
ここで述べていることを,統計図で視覚化してみましょう。下図は,それぞれの年における各年齢層の受給率が,2000年の何倍にあたるかを,等高線の形で示したものです。本ブログを長くご覧頂いている方は,もうお馴染みかと存じます。色の違いに依拠して,倍率を読み取ってください。
2010年現在の10~30代の部分に,怪しい黒色の膿があります。これらの層では,基準の2000年に比して,生活保護受給率が2倍以上になっていることを示唆します。
生活保護受給率の年齢層別数値は,子どもを別とすれば,加齢とともに上昇するのが常でしょう。しかるに,これから先,この構造に変化が起きないとも限りません。1950年代前半の自殺率年齢曲線と同様,若年層と高齢層に山がある「2コブ型」ができてくるかもしれません。
若年層の生活保護受給率に,もっと関心が向けられるべきかと存じます。バリバリの働き盛りのこの層において,保護受給率が高まることは,時代の病理を反映しているともとれるからです。就労の場を用意し得ていないなど。私はここにて,「働かざる者食うべからず」というような考えを強調しているのではありません。
若年層の生活保護受給率は,都道府県別に計算することも可能です。さしあたり,私が属する30代について,どういう県で保護受給率が高いのかをみてみようと考えています。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/74-16.html
人口千人あたりの比率にすると,14.7‰です。百分比でいうと1.47%,すなわち68人に1が生活保護を受けていることになります。この比率を,以下では生活保護受給率ということにしましょう。
今計算したのは人口全体の受給率ですが,この値は年齢層によってかなり違うと思われます。しかるに,当局の白書では,この点に関する統計はあまり紹介されていないようです。私は,上記の厚労省資料から分かる年齢層別の生活保護受給者数を,各層の人口で除して,年齢層別の生活保護受給率を明らかにしました。分母とした使った人口は,総務省『人口推計年報』から得ました。
下表は,2000年と2010年について,おおむね10歳刻みの生活保護受給率を示したものです。計算の過程を明瞭にするため,分子と分母のローデータも漏れなく提示いたします。
まずは,2010年現在の受給率の水準に注意しましょう。先ほどみたように,人口全体の率は14.7‰ですが,60歳以上の高齢層ではこれよりもかなり値が高くなっています。最も高いのは70代で27.3‰です。千人あたり27.3人。つまり,37人に1人が生活保護受給者ということになります。私が高齢者になる頃には,これが「30人に1人」,いや「20人に1人」になっていたりして。
子どもの受給率は,親世代の40代あたりとほぼ同じになっています。親が保護を受ければ,その子どもも被保護者となりますので。
さて,20~30代は谷間といいますか,受給率が比較的低くなっています。しかるに,最近10年間の増加倍率という点でいうと,違った側面がみてとれます。2010年の受給率が2000年の何倍かを計算すると,人口全体では,14.7/8.1 ≒ 1.8倍です。ですが,10~30代では2倍を超えます。
生活保護受給率の伸び幅は,若年層で大きくなっています。言いかえると,最近の経済危機の影響を強く被っているのはこの層である,ということです。
ここで述べていることを,統計図で視覚化してみましょう。下図は,それぞれの年における各年齢層の受給率が,2000年の何倍にあたるかを,等高線の形で示したものです。本ブログを長くご覧頂いている方は,もうお馴染みかと存じます。色の違いに依拠して,倍率を読み取ってください。
2010年現在の10~30代の部分に,怪しい黒色の膿があります。これらの層では,基準の2000年に比して,生活保護受給率が2倍以上になっていることを示唆します。
生活保護受給率の年齢層別数値は,子どもを別とすれば,加齢とともに上昇するのが常でしょう。しかるに,これから先,この構造に変化が起きないとも限りません。1950年代前半の自殺率年齢曲線と同様,若年層と高齢層に山がある「2コブ型」ができてくるかもしれません。
若年層の生活保護受給率に,もっと関心が向けられるべきかと存じます。バリバリの働き盛りのこの層において,保護受給率が高まることは,時代の病理を反映しているともとれるからです。就労の場を用意し得ていないなど。私はここにて,「働かざる者食うべからず」というような考えを強調しているのではありません。
若年層の生活保護受給率は,都道府県別に計算することも可能です。さしあたり,私が属する30代について,どういう県で保護受給率が高いのかをみてみようと考えています。
2012年8月18日土曜日
都道府県別の職種別・公務員給与
3月27日の記事では,公立学校の教員給与を都道府県別に明らかにしたのですが,公務員の他の職種の給与はどうか,という関心もあるでしょう。今回は,教育公務員に加えて,一般行政職と警察職の平均給与水準もご覧にいれようと存じます。
資料は,総務省の『平成22年・地方公務員給与の実態』です。この資料から,一般行政職,小・中学校教育職,高等学校教育職,および警察職の平均給与月額を,都道府県別に知ることができます。
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/jichi_gyousei/c-gyousei/kyuuyo/h22_kyuuyo_1.html
ここでみるのは,都道府県の公務員の給与です。小・中学校の多くは市町村立ですが,そこで働く教員の任命権者は都道府県であり,彼らの給与を払うのも都道府県です。市町村立の義務教育学校の教職員は,給与を県が負担するので,「県費負担教職員」と呼ばれます。
なお,給与を比較するに際しては,年齢や学歴といった条件を揃える必要があります。私は,大卒で経験年数が「10年以上15年未満」という公務員の給与を調べました。年齢別の給与を県別に知ることはできないので,「経験年数」という指標によって代理します。上記の経験年数を年齢に直すと,大よそ30代というところでしょう。私と同年齢層です。
あと一点,公務員の職種間の給与比較だけではつまらないので,民間労働者との比較も交えることにしました。比較の対象は,大卒30代の民間事業所勤務者(全産業)の給与です。出所は,2010年の厚労省『賃金構造基本統計調査』です。
厚労省の調査に掲載されている,県別の民間労働者給与は,全学歴のものです。そこで,全国統計でみた学歴差を,各県の全学歴の民間平均給与額(①)に適用して,大卒の民間平均給与額(②)を推し量りました。全国的傾向でいうと,30代の大卒民間労働者の給与は,同年齢の全学歴の1.17倍です。この数値を各県の①に乗じて,②を割り出した次第です。
前置きが長くなりました。では,データをみていただきましょう。下表は,大卒30代の公務員の各職種,ならびに同年齢・同学歴の民間労働者の平均給与月額の都道府県別一覧です。
まず最下段の全国統計をみると,最も高いのは民間労働者で,最も低いのは一般行政職となっています。ほう。30代の大卒でみると,公務員給与は,職種を問わず民間より低いのですね。公務員の中でみると,専門性の高い教育公務員が優遇されているようですが,それとて,民間の平均水準には及んでいません。
では,県ごとの傾向をみてみましょう。全県中の最大値には黄色,最小値には青色のマークをしました。当然ですが,給与の地域差は,公務員よりも民間で大きくなっています。最高の東京と最低の沖縄では,14万円もの開きがあります。公務員では,どの職種においても,ここまで大きな差はありません。
その結果,全国的傾向と同様,「民間>公務員」の県もあれば,その逆のケースも見受けられます。民間の給与が高い,東京や大阪のような都市部は前者であるようです。一方,民間給与が低い東北や九州では,その逆のケースが多いようです。
それぞれの県において,民間と比した場合の,公務員の各職種の給与水準が分かりやすくなるような工夫をしましょう。上表のローデータを,民間を1.00とした場合の指数に換算します。つまり,公務員の各職種の給与が民間の何倍か,ということです。1.00を上回る場合は民間よりも高いことを意味し,1.00を下回る場合はその反対です。
1.00超は赤色,1.20超はゴチの赤色にしています。どうでしょう。多くの県において,教育公務員の給与は民間より高くなっています。東京や大阪などの都市地域は別ですが。
しかし,一般行政職はそうではないようです。この職種の給与が民間を凌駕しているのは7県に限られます。私の郷里は鹿児島ですが,民間の給与が低いこの県においても,一般公務員の給与はそれよりも低いのです。へえ。これは発見でした。
警察職は,一般行政職と教育公務員の中間というところです。九州や東北では,警察職の給与が民間を上回る県が多くなっています。
指数が1.20を超えるゴチの赤字に注意すると,ほとんどが教育公務員の箇所に分布しています。教育基本法第9条2項は,「教員については,その使命と職責の重要性にかんがみ,その身分は尊重され,待遇の適正が期せられ」なければならないと規定しています。まあ,給与の面では,「待遇の適正」が図られているといえなくもないです。
しかるに,今回のデータは,男女込みのものです。民間では女性の給与水準が低いことから,女性を交えると,公務員給与の相対水準が高く出る傾向にあります。男性だけのデータに限定すれば,上表とは違った傾向が出てくるかもしれません。
願うべきは,性別,年齢,および学歴という3つの条件を軒並み統制した比較を行うことですが,これがなかなか難しい。今回使った総務省『地方公務員給与実態調査』では,性別データを得ることができません。文科省の『学校教員統計』では,年齢別のデータが得られません。どの調査資料も,一短を持っています。
それはさておき,今回のデータでみる限り,全国一の「公務員天国」は秋田でしょうか。この県では,一般行政職の給与も民間を凌駕しています。教育公務員に至っては1.3倍。学力テスト全国1位という偉業の要因は,教員の待遇のよさにあったりして・・・。
長くなりましたので,これくらいで止めにします。今回は大卒30代のデータを使いましたが,もっと上の年齢層で比較をすると,結果はまた違ったものになるでしょう。40代や50代になると,公務員優位が強まってくるのではないでしょうか。それは,またの機会ということで。
資料は,総務省の『平成22年・地方公務員給与の実態』です。この資料から,一般行政職,小・中学校教育職,高等学校教育職,および警察職の平均給与月額を,都道府県別に知ることができます。
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/jichi_gyousei/c-gyousei/kyuuyo/h22_kyuuyo_1.html
ここでみるのは,都道府県の公務員の給与です。小・中学校の多くは市町村立ですが,そこで働く教員の任命権者は都道府県であり,彼らの給与を払うのも都道府県です。市町村立の義務教育学校の教職員は,給与を県が負担するので,「県費負担教職員」と呼ばれます。
なお,給与を比較するに際しては,年齢や学歴といった条件を揃える必要があります。私は,大卒で経験年数が「10年以上15年未満」という公務員の給与を調べました。年齢別の給与を県別に知ることはできないので,「経験年数」という指標によって代理します。上記の経験年数を年齢に直すと,大よそ30代というところでしょう。私と同年齢層です。
あと一点,公務員の職種間の給与比較だけではつまらないので,民間労働者との比較も交えることにしました。比較の対象は,大卒30代の民間事業所勤務者(全産業)の給与です。出所は,2010年の厚労省『賃金構造基本統計調査』です。
厚労省の調査に掲載されている,県別の民間労働者給与は,全学歴のものです。そこで,全国統計でみた学歴差を,各県の全学歴の民間平均給与額(①)に適用して,大卒の民間平均給与額(②)を推し量りました。全国的傾向でいうと,30代の大卒民間労働者の給与は,同年齢の全学歴の1.17倍です。この数値を各県の①に乗じて,②を割り出した次第です。
前置きが長くなりました。では,データをみていただきましょう。下表は,大卒30代の公務員の各職種,ならびに同年齢・同学歴の民間労働者の平均給与月額の都道府県別一覧です。
まず最下段の全国統計をみると,最も高いのは民間労働者で,最も低いのは一般行政職となっています。ほう。30代の大卒でみると,公務員給与は,職種を問わず民間より低いのですね。公務員の中でみると,専門性の高い教育公務員が優遇されているようですが,それとて,民間の平均水準には及んでいません。
では,県ごとの傾向をみてみましょう。全県中の最大値には黄色,最小値には青色のマークをしました。当然ですが,給与の地域差は,公務員よりも民間で大きくなっています。最高の東京と最低の沖縄では,14万円もの開きがあります。公務員では,どの職種においても,ここまで大きな差はありません。
その結果,全国的傾向と同様,「民間>公務員」の県もあれば,その逆のケースも見受けられます。民間の給与が高い,東京や大阪のような都市部は前者であるようです。一方,民間給与が低い東北や九州では,その逆のケースが多いようです。
それぞれの県において,民間と比した場合の,公務員の各職種の給与水準が分かりやすくなるような工夫をしましょう。上表のローデータを,民間を1.00とした場合の指数に換算します。つまり,公務員の各職種の給与が民間の何倍か,ということです。1.00を上回る場合は民間よりも高いことを意味し,1.00を下回る場合はその反対です。
1.00超は赤色,1.20超はゴチの赤色にしています。どうでしょう。多くの県において,教育公務員の給与は民間より高くなっています。東京や大阪などの都市地域は別ですが。
しかし,一般行政職はそうではないようです。この職種の給与が民間を凌駕しているのは7県に限られます。私の郷里は鹿児島ですが,民間の給与が低いこの県においても,一般公務員の給与はそれよりも低いのです。へえ。これは発見でした。
警察職は,一般行政職と教育公務員の中間というところです。九州や東北では,警察職の給与が民間を上回る県が多くなっています。
指数が1.20を超えるゴチの赤字に注意すると,ほとんどが教育公務員の箇所に分布しています。教育基本法第9条2項は,「教員については,その使命と職責の重要性にかんがみ,その身分は尊重され,待遇の適正が期せられ」なければならないと規定しています。まあ,給与の面では,「待遇の適正」が図られているといえなくもないです。
しかるに,今回のデータは,男女込みのものです。民間では女性の給与水準が低いことから,女性を交えると,公務員給与の相対水準が高く出る傾向にあります。男性だけのデータに限定すれば,上表とは違った傾向が出てくるかもしれません。
願うべきは,性別,年齢,および学歴という3つの条件を軒並み統制した比較を行うことですが,これがなかなか難しい。今回使った総務省『地方公務員給与実態調査』では,性別データを得ることができません。文科省の『学校教員統計』では,年齢別のデータが得られません。どの調査資料も,一短を持っています。
それはさておき,今回のデータでみる限り,全国一の「公務員天国」は秋田でしょうか。この県では,一般行政職の給与も民間を凌駕しています。教育公務員に至っては1.3倍。学力テスト全国1位という偉業の要因は,教員の待遇のよさにあったりして・・・。
長くなりましたので,これくらいで止めにします。今回は大卒30代のデータを使いましたが,もっと上の年齢層で比較をすると,結果はまた違ったものになるでしょう。40代や50代になると,公務員優位が強まってくるのではないでしょうか。それは,またの機会ということで。
2012年8月16日木曜日
音大卒業生が音楽家になれる確率
音楽家になりたいという夢を持って,音楽系の大学(以下,音大)に進む若者もいるかと思いますが,その夢が叶う確率はどれほどなのでしょう。巷でいろいろな説が飛び交っていますが,一応の統計的な手続きで試算した結果,こうなったということをご報告いたします。
2011年度版の文科省『学校基本調査報告(高等教育機関編)』によると,同年春の大学の芸術関係学科卒業生のうち,芸術家(美術,写真,デザイナー,音楽,舞台芸術家)に就職したのは2,066人です。*出所は下記サイトの表81です。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001037175&cycode=0
この2,066人のうち,音楽家はどれほどなのでしょう。社会全体の職業構成の統計を使って推し量ってみます。
2010年の『国勢調査』の抽出速報結果から,就業者の職業小分類を知ることができます。それによると,職業が芸術家(美術家,デザイナー,写真家,映像撮影者,音楽家,舞台芸術家)という者は361,300人です。このうち音楽家は23,800人です。よって,音楽家が芸術家全体に占める比率は6.6%となります。芸術家の中で,音楽家というのは相当少ないのですね。
さて,この比率を先の2,066人に乗じると,136人という数が出てきます。この数が,芸術関係大学卒業生のうち,音楽家という職業に就職した者の数であると推定されます。芸術家全体の中における音楽家の割合を適用して推し量った値です。
この推定音楽家就職者136人は,ほぼ全てが音楽関係学科の卒業生とみてよいでしょう。同年春の大学の音楽関係学科卒業生は4,485人です。したがって,音大卒業生のうち,晴れて音楽家になれたのは,136/4,485 ≒ 3.0%と算出されます。
音大卒業生100人のうち,音楽家になれるのは3人。競争率になぞらえると33倍。まあ,公務員試験や教員採用試験だって,競争率がこれくらいの水準に達することはしばしばですので,音楽家への道の狭さを殊更に強調するのは間違いであるかもしれません。
しかし,「大変だなあ」という印象は持ちます。わが子を音大に入れようとしている親御さんがこの数値をみたら,どういう反応を示されるでしょう。むろん,音大に進む学生の全てが音楽家を目指しているわけではありませんが。
ところで,大学院博士課程に進学することは,アーティストを目指すことと同じだ,という主張があります。博士課程への進学者の多くは大学教員になることを夢見ていますが,なるほど,それが叶う確率は,アーティストになれるのと同じくらい低いであろうという推測は,十分成り立ちます。
http://news.nicovideo.jp/watch/nw161379
「博士課程修了者が大学教員になれる確率」という問題を立ててみるとどうでしょう。2011年度版の文科省『学校基本調査報告(高等教育機関編)』によると,同年春の大学院博士課程修了者15,892人のうち,大学教員に就職したのは2,369人だそうです。比率にすると14.9%,7人に1人です。教育系の博士課程の場合は,この比率は28.2%となります。
むーん,リアリティのかけらもない数値です。私は教育系の博士課程を出ましたが,本当に28.2%(3人に1人)もがストレートで大学教員になっているのでしょうか。おそらく,当局の統計でいう大学教員就職者の中には,1年ほどの任期の特任助教なども含まれているのでしょう。非常勤講師であっても,週5コマほどの授業担当であれば,常勤に近い雇用形態として数に含めていたりして・・・。
最近,無職博士問題が取り沙汰されていることから,各大学が文科省に報告する数値には,さまざまな細工が施されている可能性があります。このような疑念を晴らすことのほか,問題を正確に追究しようとすれば,博士課程修了後の数年間を追跡しなければならないなど,いろいろ厄介なことも伴います。
私のような輩の手に負える仕事ではありません。文科省のみなさま,多大な資金を投じてでも,追究に値するテーマであると存じます。ぜひとも手掛けていただき,ローデータを含めて,結果を公表してください。
話が脱線しました。この辺りで。
2011年度版の文科省『学校基本調査報告(高等教育機関編)』によると,同年春の大学の芸術関係学科卒業生のうち,芸術家(美術,写真,デザイナー,音楽,舞台芸術家)に就職したのは2,066人です。*出所は下記サイトの表81です。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001037175&cycode=0
この2,066人のうち,音楽家はどれほどなのでしょう。社会全体の職業構成の統計を使って推し量ってみます。
2010年の『国勢調査』の抽出速報結果から,就業者の職業小分類を知ることができます。それによると,職業が芸術家(美術家,デザイナー,写真家,映像撮影者,音楽家,舞台芸術家)という者は361,300人です。このうち音楽家は23,800人です。よって,音楽家が芸術家全体に占める比率は6.6%となります。芸術家の中で,音楽家というのは相当少ないのですね。
さて,この比率を先の2,066人に乗じると,136人という数が出てきます。この数が,芸術関係大学卒業生のうち,音楽家という職業に就職した者の数であると推定されます。芸術家全体の中における音楽家の割合を適用して推し量った値です。
この推定音楽家就職者136人は,ほぼ全てが音楽関係学科の卒業生とみてよいでしょう。同年春の大学の音楽関係学科卒業生は4,485人です。したがって,音大卒業生のうち,晴れて音楽家になれたのは,136/4,485 ≒ 3.0%と算出されます。
音大卒業生100人のうち,音楽家になれるのは3人。競争率になぞらえると33倍。まあ,公務員試験や教員採用試験だって,競争率がこれくらいの水準に達することはしばしばですので,音楽家への道の狭さを殊更に強調するのは間違いであるかもしれません。
しかし,「大変だなあ」という印象は持ちます。わが子を音大に入れようとしている親御さんがこの数値をみたら,どういう反応を示されるでしょう。むろん,音大に進む学生の全てが音楽家を目指しているわけではありませんが。
ところで,大学院博士課程に進学することは,アーティストを目指すことと同じだ,という主張があります。博士課程への進学者の多くは大学教員になることを夢見ていますが,なるほど,それが叶う確率は,アーティストになれるのと同じくらい低いであろうという推測は,十分成り立ちます。
http://news.nicovideo.jp/watch/nw161379
「博士課程修了者が大学教員になれる確率」という問題を立ててみるとどうでしょう。2011年度版の文科省『学校基本調査報告(高等教育機関編)』によると,同年春の大学院博士課程修了者15,892人のうち,大学教員に就職したのは2,369人だそうです。比率にすると14.9%,7人に1人です。教育系の博士課程の場合は,この比率は28.2%となります。
むーん,リアリティのかけらもない数値です。私は教育系の博士課程を出ましたが,本当に28.2%(3人に1人)もがストレートで大学教員になっているのでしょうか。おそらく,当局の統計でいう大学教員就職者の中には,1年ほどの任期の特任助教なども含まれているのでしょう。非常勤講師であっても,週5コマほどの授業担当であれば,常勤に近い雇用形態として数に含めていたりして・・・。
最近,無職博士問題が取り沙汰されていることから,各大学が文科省に報告する数値には,さまざまな細工が施されている可能性があります。このような疑念を晴らすことのほか,問題を正確に追究しようとすれば,博士課程修了後の数年間を追跡しなければならないなど,いろいろ厄介なことも伴います。
私のような輩の手に負える仕事ではありません。文科省のみなさま,多大な資金を投じてでも,追究に値するテーマであると存じます。ぜひとも手掛けていただき,ローデータを含めて,結果を公表してください。
話が脱線しました。この辺りで。
2012年8月14日火曜日
教員にとっての夏休み
8月も中旬,夏休みの最中ですが,みなさま,いかがお過ごしでしょうか。お盆ですので,郷里に帰省されている方も多いと思います。私は普段とまったく変わらず,自宅でこうしてブログを書いています。「ツマラナイ」人です。
さて,学校の先生方は,夏休みをどう過ごされているのでしょうか。現在に目を向ける前に,タイムマシンで昭和初期の頃にまでワープしてみましょう。1927年(昭和2年)の7月21日の東京朝日新聞に,「教師と夏休」と題する投稿記事が載っています。
左側に物騒なタイトルの記事が写っていますが,ここで取り上げるのは右側の記事です。要所を引用します。
夏休みに,児童に宿題を課すか否かが,先日の本欄で論ぜられたが,私はその文を読みながら休養の必要は,児童と同様に先生方にも大いにあるのではないかと思つた。
小学教師は,余りに過労しはしないか。私も尋常の1年の児童を子に持つ父ですが,子供の話によると,先生方の一日の仕事は,相当に骨が折れるらしい。
1学級60人からある児童を責任をもつて教育することは,並大抵の仕事ではない。それに,先生には教案を作って校長の検閲を受けるとか,授業料の徴収などの雑務が少なくない。
かくも平静において多忙である先生方が,盛夏の1ヶ月を,山海にこう然の気を養ふとか,旅行によつて社会の実相を見ることは非常に必要な事ではないでせうか。
夏休みになると,いづれの郡にも夏季講習が開かれて,先生方の知識を肥やすべく,都会の学者が講師としてやつてくる。然し,その講ずる所は,千ぺん一律の概念論で,先生方の血となり肉となるものとも思はれぬ。
投書の主は,小学校1年生の子を持つ父親のようです。学期中の多忙に加えて,夏休みも夏季講習とやらに引っ張り出される教員に対し,保護者の立場から同上の念が綴られています。
昔の教員は,夏休みに夏季講習というものを受けていたのですね。形態は,学者の講話を聴くというもの。何やら,現在実施されている教員免許更新制を思わせる制度です。
それはさておいて,投書の主は,この夏季講習の効果に対して懐疑的な見方を示しています。学者が講師としてやってくるが,「その講ずる所は,千ぺん一律の概念論で,先生方の血となり肉となるものとも思はれぬ」と,なかなか手厳しい。
これは一児童の保護者の意見ですが,講習を受ける教員の中にも,腹の底ではこういうことを考えている輩が多かったのではないでしょうか。
なお,夏季講習を実施する側も,この制度をよくは思っていなかったようです。時代をちょっと上った,1913年(大正2年)の8月2日の東京朝日新聞に,西山悊治という教育学者の筆になる「強制修養の悪講習会」と題する記事が載っています。夏季講習会の講師として度々招かれた経験に依拠したものです。
冒頭にて,「所謂大家を招いて盛んな講習会を催すけれど遣り方が拙いので結果は思はしくなく,悪講習会となつて我教育界に於ける厭ふべき流行病の一つになつて居る」と断じられています。
講習会の光景はどういうものかというと,「教員の3割以上は居眠り」をはじめ,講演後に「質問に来る教員は3,4百人の教員中僅々2,3名」。講習会に出てくるのは,「監督者,視学,校長等に対する役目,教育社会に於ける世間並の義務的交際と心得て,斯く顔だけ見せるのであらう」と見受けられる。受講者に熱心さがないのは,「当路者があまり義務講習といふ様に強制がましくする」ためではないかと思われる。
このような経験を紹介した上で,西山氏は,この「悪講習会」の欠点として,6つを指摘します,私なりに翻訳させていただくと,以下のごとし。
①体裁を重んじ,大家を招いて高遠な学理を講じさせるのは悪い。空理空論は役に立たない。
②大家への礼金,旅費・滞在費は高くつく。このために薄給の小学教員の負担を重くするのは罪である。
③名士大家の名に眩惑され,講演内容の吟味もせずに招致することが存外の結果を招く。いわゆる「講習屋」は1日に4,5時間も講演するから,自然に内容が浅薄になる。
④講習を強制するから,せっかくの夏休みだというのに,教員が心身の休養をとれない。
⑤短い講習期間に,開会式,閉会式,授与式,茶話会,懇話会となどいう祭り騒ぎは止めよ。
⑥5日や10日の講習を受けた者に講習証書が授与されるが,これが100枚あったところで何の役に立つか。欧米の大学のように,試験をして成績を証明すべき。
むーん。⑤と⑥は保留として,それ以外の指摘はなるほどなあ,と思わせます。とくに④は,冒頭で紹介した,保護者の投書記事の意見とも重なるものです。
さて,タイムトリップはくれくらいにして,現在に戻ってきましょう。2012年現在では,夏季講習という制度はなくなっていますが,教員免許更新制というものが設けられています。教員免許状(普通免許状)に10年間の有効期限を付して,期限が切れる前の2年間に,30時間以上の講習を受講することを義務づけるものです。主に大学において,長期休業期間を使って実施されます。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/koushin/001/1316077.htm
この夏休み中に,大学まで足を伸ばして,教員免許状更新講習を受けておられる先生方も多いことでしょう。その姿は,戦前期において夏季講習を受けていた教員らの姿を彷彿させます。
昔の夏季講習の評判が芳しくなかったことは,上でみた通りですが,それの現代版とでもいうべき,教員免許更新制については,どう考えられているのでしょう。文科省の『教員の資質向上方策の見直し及び教員免許更新制の効果検証に係る調査』では,現場の教員に対し,教員免許状更新制の効果について尋ねています。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/sankou/index.htm
6つの観点からこの制度を評価してもらったところ,以下のような回答分布が得られたそうです。
緑色と紫色は,否定的な回答のシェアを表します。悲しいかな,どの項目でも,この2色が結構な幅をきかせています。とくに否定的な回答の率が高いのは,「自信と誇りの高まり」と「教員に対する信頼・尊敬の念の高まり」です。前者については6割,後者について7割の教員が,否定的な見解を寄せています。
上記サイトによると,教員免許更新制は,「教員が自信と誇りを持って教壇に立ち,社会の尊敬と信頼を得ること」を目的の一つとしています。しかし,現実は上図のごとし。むしろ,講習を受けることで教員としての自尊心が傷ついた,という体験談もあります(喜多・三浦編『免許更新制では教師は育たない』岩波書店,2010年,頁は失念)。これまで実践を積んできたのに,急に初心者(赤子)扱いされることに屈辱を感じる,ということでしょう。
この点については,先ほど取り上げた大正初期の新聞記事にて,西山氏も言及しています。曰く。「講習会を催さなくては教員が修養せず,又時代に遅れるといふのならば,実に心得ぬ低能訓導達である。若し之に反して教員が平素修養して居るのに,当局者が修養を強制するものであるとすれば,天下の教育家を愚弄侮辱するの甚だしい仕打であると謂はねばなるまい」。
この指摘は,100年の時を経た現在においても,そのまま通じるかと思います。7月17日の記事でみたように,教員らは,他の専門職に比して,自発的な学習を行っています。教員は「平素修養して居る」のです。しかるに,この10年間にかけて,教員の自主的な学習行動実施率は低下しています。これには,強制的な修養としての免許更新制が導入されたことも,一役買っていることと思われます。西山氏の指摘の伝でいうと,教員らに対する「愚弄侮辱」です。
免許更新制によって教員の自尊心が高まらない,むしろその逆の結果になるというのも,さもありなんです。喜多氏・三浦氏の編著のタイトルをそのまま借用して,私も言いたいと思います。「免許更新制では教師は育たない」と。
冒頭で紹介した,昭和初期の投書記事でいわれているように,教員の夏休みは,「山海にこう然の気を養ふとか,旅行によつて社会の実相を見ること」に使われるべきではないかと思います。教員をして,「黒板とチョークの世界」から解放すべきです。
学期中とは違った日常を味わうこと。そのことが,教員の幅を広げ,現代の教員に求められる「総合的な人間力」の涵養にも資することになるかと存じます。強制された修養は,学期中の日常の延長以外の何ものでもありますまい。
夏休みも後半にさしかかりました。私も,学期中とは「違った」日常に触れようと思います。こうやって,自宅でブログを書いているだけというのは何とも寂しい。
さて,学校の先生方は,夏休みをどう過ごされているのでしょうか。現在に目を向ける前に,タイムマシンで昭和初期の頃にまでワープしてみましょう。1927年(昭和2年)の7月21日の東京朝日新聞に,「教師と夏休」と題する投稿記事が載っています。
左側に物騒なタイトルの記事が写っていますが,ここで取り上げるのは右側の記事です。要所を引用します。
*********************************
教師と夏休
小学教師は,余りに過労しはしないか。私も尋常の1年の児童を子に持つ父ですが,子供の話によると,先生方の一日の仕事は,相当に骨が折れるらしい。
1学級60人からある児童を責任をもつて教育することは,並大抵の仕事ではない。それに,先生には教案を作って校長の検閲を受けるとか,授業料の徴収などの雑務が少なくない。
かくも平静において多忙である先生方が,盛夏の1ヶ月を,山海にこう然の気を養ふとか,旅行によつて社会の実相を見ることは非常に必要な事ではないでせうか。
夏休みになると,いづれの郡にも夏季講習が開かれて,先生方の知識を肥やすべく,都会の学者が講師としてやつてくる。然し,その講ずる所は,千ぺん一律の概念論で,先生方の血となり肉となるものとも思はれぬ。
:
(中略)
:
夏休みは,児童と先生を黒板とチョークの世界から,全然解放すべきだ。先生方も児童の如く山に海に心身をたん練し,教権奪還の意気を養はれては如何でせう。
*********************************
投書の主は,小学校1年生の子を持つ父親のようです。学期中の多忙に加えて,夏休みも夏季講習とやらに引っ張り出される教員に対し,保護者の立場から同上の念が綴られています。
昔の教員は,夏休みに夏季講習というものを受けていたのですね。形態は,学者の講話を聴くというもの。何やら,現在実施されている教員免許更新制を思わせる制度です。
それはさておいて,投書の主は,この夏季講習の効果に対して懐疑的な見方を示しています。学者が講師としてやってくるが,「その講ずる所は,千ぺん一律の概念論で,先生方の血となり肉となるものとも思はれぬ」と,なかなか手厳しい。
これは一児童の保護者の意見ですが,講習を受ける教員の中にも,腹の底ではこういうことを考えている輩が多かったのではないでしょうか。
なお,夏季講習を実施する側も,この制度をよくは思っていなかったようです。時代をちょっと上った,1913年(大正2年)の8月2日の東京朝日新聞に,西山悊治という教育学者の筆になる「強制修養の悪講習会」と題する記事が載っています。夏季講習会の講師として度々招かれた経験に依拠したものです。
冒頭にて,「所謂大家を招いて盛んな講習会を催すけれど遣り方が拙いので結果は思はしくなく,悪講習会となつて我教育界に於ける厭ふべき流行病の一つになつて居る」と断じられています。
講習会の光景はどういうものかというと,「教員の3割以上は居眠り」をはじめ,講演後に「質問に来る教員は3,4百人の教員中僅々2,3名」。講習会に出てくるのは,「監督者,視学,校長等に対する役目,教育社会に於ける世間並の義務的交際と心得て,斯く顔だけ見せるのであらう」と見受けられる。受講者に熱心さがないのは,「当路者があまり義務講習といふ様に強制がましくする」ためではないかと思われる。
このような経験を紹介した上で,西山氏は,この「悪講習会」の欠点として,6つを指摘します,私なりに翻訳させていただくと,以下のごとし。
①体裁を重んじ,大家を招いて高遠な学理を講じさせるのは悪い。空理空論は役に立たない。
②大家への礼金,旅費・滞在費は高くつく。このために薄給の小学教員の負担を重くするのは罪である。
③名士大家の名に眩惑され,講演内容の吟味もせずに招致することが存外の結果を招く。いわゆる「講習屋」は1日に4,5時間も講演するから,自然に内容が浅薄になる。
④講習を強制するから,せっかくの夏休みだというのに,教員が心身の休養をとれない。
⑤短い講習期間に,開会式,閉会式,授与式,茶話会,懇話会となどいう祭り騒ぎは止めよ。
⑥5日や10日の講習を受けた者に講習証書が授与されるが,これが100枚あったところで何の役に立つか。欧米の大学のように,試験をして成績を証明すべき。
むーん。⑤と⑥は保留として,それ以外の指摘はなるほどなあ,と思わせます。とくに④は,冒頭で紹介した,保護者の投書記事の意見とも重なるものです。
さて,タイムトリップはくれくらいにして,現在に戻ってきましょう。2012年現在では,夏季講習という制度はなくなっていますが,教員免許更新制というものが設けられています。教員免許状(普通免許状)に10年間の有効期限を付して,期限が切れる前の2年間に,30時間以上の講習を受講することを義務づけるものです。主に大学において,長期休業期間を使って実施されます。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/koushin/001/1316077.htm
この夏休み中に,大学まで足を伸ばして,教員免許状更新講習を受けておられる先生方も多いことでしょう。その姿は,戦前期において夏季講習を受けていた教員らの姿を彷彿させます。
昔の夏季講習の評判が芳しくなかったことは,上でみた通りですが,それの現代版とでもいうべき,教員免許更新制については,どう考えられているのでしょう。文科省の『教員の資質向上方策の見直し及び教員免許更新制の効果検証に係る調査』では,現場の教員に対し,教員免許状更新制の効果について尋ねています。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/sankou/index.htm
6つの観点からこの制度を評価してもらったところ,以下のような回答分布が得られたそうです。
緑色と紫色は,否定的な回答のシェアを表します。悲しいかな,どの項目でも,この2色が結構な幅をきかせています。とくに否定的な回答の率が高いのは,「自信と誇りの高まり」と「教員に対する信頼・尊敬の念の高まり」です。前者については6割,後者について7割の教員が,否定的な見解を寄せています。
上記サイトによると,教員免許更新制は,「教員が自信と誇りを持って教壇に立ち,社会の尊敬と信頼を得ること」を目的の一つとしています。しかし,現実は上図のごとし。むしろ,講習を受けることで教員としての自尊心が傷ついた,という体験談もあります(喜多・三浦編『免許更新制では教師は育たない』岩波書店,2010年,頁は失念)。これまで実践を積んできたのに,急に初心者(赤子)扱いされることに屈辱を感じる,ということでしょう。
この点については,先ほど取り上げた大正初期の新聞記事にて,西山氏も言及しています。曰く。「講習会を催さなくては教員が修養せず,又時代に遅れるといふのならば,実に心得ぬ低能訓導達である。若し之に反して教員が平素修養して居るのに,当局者が修養を強制するものであるとすれば,天下の教育家を愚弄侮辱するの甚だしい仕打であると謂はねばなるまい」。
この指摘は,100年の時を経た現在においても,そのまま通じるかと思います。7月17日の記事でみたように,教員らは,他の専門職に比して,自発的な学習を行っています。教員は「平素修養して居る」のです。しかるに,この10年間にかけて,教員の自主的な学習行動実施率は低下しています。これには,強制的な修養としての免許更新制が導入されたことも,一役買っていることと思われます。西山氏の指摘の伝でいうと,教員らに対する「愚弄侮辱」です。
免許更新制によって教員の自尊心が高まらない,むしろその逆の結果になるというのも,さもありなんです。喜多氏・三浦氏の編著のタイトルをそのまま借用して,私も言いたいと思います。「免許更新制では教師は育たない」と。
冒頭で紹介した,昭和初期の投書記事でいわれているように,教員の夏休みは,「山海にこう然の気を養ふとか,旅行によつて社会の実相を見ること」に使われるべきではないかと思います。教員をして,「黒板とチョークの世界」から解放すべきです。
学期中とは違った日常を味わうこと。そのことが,教員の幅を広げ,現代の教員に求められる「総合的な人間力」の涵養にも資することになるかと存じます。強制された修養は,学期中の日常の延長以外の何ものでもありますまい。
夏休みも後半にさしかかりました。私も,学期中とは「違った」日常に触れようと思います。こうやって,自宅でブログを書いているだけというのは何とも寂しい。
2012年8月12日日曜日
教育委員の社会的構成
中2男子生徒のいじめ自殺問題で,全国から注視されている滋賀県大津市ですが,越直美市長が,市教育委員会の問題への対応のまずさを批判し,次のように述べたそうです。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20120719-OYT8T00994.htm
「市民に選ばれたわけではない教育委員が教育行政を担い,市長でさえ教職員人事などにかかわれない。民意を直接反映しない無責任な制度はいらない。」
現行の制度では,教育委員会のメンバーである教育委員は,首長による任命で選ばれることになっています(地方教育行政法第4条1項)。戦後初期の教育委員会法の下のでは,各自治体の教育委員は,住民の直接選挙で選ばれていましたが,1956年(昭和31年)に同法が廃止され,地方教育行政法が制定されたことに伴い,公選制が任命制に変わったという経緯です。
しかるに,現行の任命制下では,首長の好みにより,教育委員の社会的な属性が著しく偏る危険性が伴います。このことにかんがみ,「委員の年齢,性別,職業等に著しい偏りが生じないように配慮する」という規定も添えられています(同条4項)。
この規定は,大変重要なものです。教育委員会制度が「民意を直接反映」するための条件の一つは,教育委員の構成が,社会全体の縮図に近くなることです。男性だけ,高齢層だけ,富裕層だけ,というのは望ましくありません。
このほど公表された,2011年度の『教育行政調査』のデータを使って,現実と理想のギャップの程度がどれほどかを検討してみましょう。この資料から分かる,全国の市町村教育委員会委員の属性構成を,25歳以上人口のそれと照らし合わせてみます。
2011年5月1日時点における,全国の市町村教育委員会委員(以下,教育委員)は,7,275人だそうです。性別構成は,男性が4,735人,女性が2,540人なり。比にすると,65.1%,34.9%となります。教育委員に選ばれる資格を持つ25歳以上人口でみた場合,男女はほぼ半々でしょうから,この構成は明らかに男性に偏しているといえます。図示すると,下図のようです。
これは,委員の性別の偏りですが,年齢と職業という観点も据えてみるとどうでしょう。教育委員の年齢構成,職業構成は,下記サイトの第2表から得ました。被選出母体の25歳以上人口のそれは,2010年の『国勢調査』から計算しました。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001039883&cycode=0
下表は,3つの観点から,教育委員と25歳以上人口の構成を比較したものです。後者を,以下では「ベース」といいます。
性別の偏りは,先ほどみた通りです。ベースでは47.8%の男性が,教育委員の中では65.1%をも占めています。
右欄の輩出率とは,教育委員の中での構成比を,ベースの中での構成比で除した値です。当該の属性から教育委員が出る確率の高さを測る指標として計算したものです。1.00を超える場合,通常期待されるよりも高い確率で委員が出ていることになります。1.00を下回る倍は,その逆です。
中段の年齢構成をみると,教育委員は,50~60代の層から多く出ているようです。この年齢層は,ベースでは35%しか占めませんが,教育委員のうちでは実に70%を占めています。ベースの中での比率の2倍です。
一方,40歳未満の若年層から教育委員が出る確率は非常に低いことがしられます。大津市の越市長は,私より1歳上の37歳だそうですが,このような若い委員がもっと増えてほしいと思います。いみじくも子育ての最中の年齢層です。この層の意見を取り入れることは重要であるといえましょう。
続いて職業別の構成ですが,管理職からの委員輩出率がべらぼうに高くなっています。通常期待される水準の12倍近くです。会社の社長さんや法人の代表者さんでしょうか。次に高いのが農林漁業,その次が専門技術職です。農林漁業層の中には,退職教員で現在農業をやっているという人が多いのではないかしらん。
輩出率が1.0を超えるのは,上記の3つの職業だけですが,教育委員の多くが富裕層なのではないか,という疑いを持たせるデータです。
データで現実をみると,法規定とは裏腹に,教育委員の社会的構成に少なからぬ偏りがあることが分かりました。まあこれでも,過去に比べれば,その程度は緩んできているかもしれません(その逆は困りますが)。
しかるに,地域によっては,委員の偏りの程度が比較的小さいケースも見受けられます。最後に,教育委員の属性を都道府県ごとに比較してみましょう。『教育行政調査』をもとに,2011年5月1時点における,各県の市町村教育委員の女性比率,50歳未満の若年層比率を出してみました。
点線は,全国値です。右上に位置する県は,女性比率,若年層比率とも相対的に高い県であると評されます。左下は,その反対です。
ほう。越市長を嘆かしめている大津市がある滋賀県ですが,県全体でみれば,教育委員の構成の偏りは比較的緩いようです。ほか,西日本の県が多く右上にプロットされています。鳥取の女性比は47.1%であり,性別構成の点では,全体の縮図にかなり近接しています。結構なことです。
このような教育委員の構成の違いによって,各県の教育の在り様はどう異なるかという,大変興味ある問題も横たわっています。それはさておき,目下すぐにできる課題は,今回明らかにした教育委員の構成の偏りがどういう性格のものかを,時系列比較によって吟味することです。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20120719-OYT8T00994.htm
「市民に選ばれたわけではない教育委員が教育行政を担い,市長でさえ教職員人事などにかかわれない。民意を直接反映しない無責任な制度はいらない。」
現行の制度では,教育委員会のメンバーである教育委員は,首長による任命で選ばれることになっています(地方教育行政法第4条1項)。戦後初期の教育委員会法の下のでは,各自治体の教育委員は,住民の直接選挙で選ばれていましたが,1956年(昭和31年)に同法が廃止され,地方教育行政法が制定されたことに伴い,公選制が任命制に変わったという経緯です。
しかるに,現行の任命制下では,首長の好みにより,教育委員の社会的な属性が著しく偏る危険性が伴います。このことにかんがみ,「委員の年齢,性別,職業等に著しい偏りが生じないように配慮する」という規定も添えられています(同条4項)。
この規定は,大変重要なものです。教育委員会制度が「民意を直接反映」するための条件の一つは,教育委員の構成が,社会全体の縮図に近くなることです。男性だけ,高齢層だけ,富裕層だけ,というのは望ましくありません。
このほど公表された,2011年度の『教育行政調査』のデータを使って,現実と理想のギャップの程度がどれほどかを検討してみましょう。この資料から分かる,全国の市町村教育委員会委員の属性構成を,25歳以上人口のそれと照らし合わせてみます。
2011年5月1日時点における,全国の市町村教育委員会委員(以下,教育委員)は,7,275人だそうです。性別構成は,男性が4,735人,女性が2,540人なり。比にすると,65.1%,34.9%となります。教育委員に選ばれる資格を持つ25歳以上人口でみた場合,男女はほぼ半々でしょうから,この構成は明らかに男性に偏しているといえます。図示すると,下図のようです。
これは,委員の性別の偏りですが,年齢と職業という観点も据えてみるとどうでしょう。教育委員の年齢構成,職業構成は,下記サイトの第2表から得ました。被選出母体の25歳以上人口のそれは,2010年の『国勢調査』から計算しました。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001039883&cycode=0
下表は,3つの観点から,教育委員と25歳以上人口の構成を比較したものです。後者を,以下では「ベース」といいます。
性別の偏りは,先ほどみた通りです。ベースでは47.8%の男性が,教育委員の中では65.1%をも占めています。
右欄の輩出率とは,教育委員の中での構成比を,ベースの中での構成比で除した値です。当該の属性から教育委員が出る確率の高さを測る指標として計算したものです。1.00を超える場合,通常期待されるよりも高い確率で委員が出ていることになります。1.00を下回る倍は,その逆です。
中段の年齢構成をみると,教育委員は,50~60代の層から多く出ているようです。この年齢層は,ベースでは35%しか占めませんが,教育委員のうちでは実に70%を占めています。ベースの中での比率の2倍です。
一方,40歳未満の若年層から教育委員が出る確率は非常に低いことがしられます。大津市の越市長は,私より1歳上の37歳だそうですが,このような若い委員がもっと増えてほしいと思います。いみじくも子育ての最中の年齢層です。この層の意見を取り入れることは重要であるといえましょう。
続いて職業別の構成ですが,管理職からの委員輩出率がべらぼうに高くなっています。通常期待される水準の12倍近くです。会社の社長さんや法人の代表者さんでしょうか。次に高いのが農林漁業,その次が専門技術職です。農林漁業層の中には,退職教員で現在農業をやっているという人が多いのではないかしらん。
輩出率が1.0を超えるのは,上記の3つの職業だけですが,教育委員の多くが富裕層なのではないか,という疑いを持たせるデータです。
データで現実をみると,法規定とは裏腹に,教育委員の社会的構成に少なからぬ偏りがあることが分かりました。まあこれでも,過去に比べれば,その程度は緩んできているかもしれません(その逆は困りますが)。
しかるに,地域によっては,委員の偏りの程度が比較的小さいケースも見受けられます。最後に,教育委員の属性を都道府県ごとに比較してみましょう。『教育行政調査』をもとに,2011年5月1時点における,各県の市町村教育委員の女性比率,50歳未満の若年層比率を出してみました。
点線は,全国値です。右上に位置する県は,女性比率,若年層比率とも相対的に高い県であると評されます。左下は,その反対です。
ほう。越市長を嘆かしめている大津市がある滋賀県ですが,県全体でみれば,教育委員の構成の偏りは比較的緩いようです。ほか,西日本の県が多く右上にプロットされています。鳥取の女性比は47.1%であり,性別構成の点では,全体の縮図にかなり近接しています。結構なことです。
このような教育委員の構成の違いによって,各県の教育の在り様はどう異なるかという,大変興味ある問題も横たわっています。それはさておき,目下すぐにできる課題は,今回明らかにした教育委員の構成の偏りがどういう性格のものかを,時系列比較によって吟味することです。
2012年8月10日金曜日
民間企業勤務者の年収分布
勤労者の年収の分布は,ここ20年度ほどの間でどう変わってきたのでしょうか。今回は,この基本的な問いに答えるデータを出してみようと思います。
人々の年収分布を知ることができる統計資料としては,総務省の『全国消費事態調査』や『就業構造基本調査』がありますが,これらは5年刻みの調査なので,逐年の細かいトレンドを明らかにすることはできません。
内閣府の『国民生活に関する世論調査』や『社会意識に関する世論調査』(毎年実施)でも,対象者に年収を問うていますが,この設問は,2006年度調査以降なくなっています。無回答(回答拒否)が多くなったか,あるいはクレームでもついたのでしょう。
私が今回用いるのは,国税庁の『民間企業給与実態統計調査』です。本調査では,各年の1月から12月まで継続して勤務した者について,1年間に支給された給与額(年収)の分布が集計されています。ここでいう給与の中には,手当や賞与も含みます。勤労者の確定申告に依拠して作成された統計ですから,信憑性は高いとみてよいでしょう。
この調査の対象からは,就労していない者や公務員は除かれますが,わが国の労働人口の大半は民間企業勤務者ですので,大よその傾向は把握できると思います。
原資料では,100万円刻みの細かい分布が明らかにされていますが,これをそのままグラフにすると見にくくなるので,200万円刻みのラフな分布の変化をみてみましょう。統計の出所は,下記サイトの表3-2です。時系列データも収録された表になっています。
http://www.nta.go.jp/kohyo/tokei/kokuzeicho/jikeiretsu/01_02.htm
1990年代以降,年収200万円以下の層の比重がやや高まっています。1990年では19.6%であったのが,2003年に20%を超え,2010年の値は23.0%となっています。今日では,民間で働く者の5人に1人が年収200万以下,言いかえれば「ワープア」です。
その一方で,超がつく富裕層の量も増えています。年収が2000万円を超える民間企業勤務者は,1990年では約10万人でしたが,2010年には18万人にまで増加しています。全体に占める比率という点はごくわずかですので,グラフに入れませんでしたが,「下」も増えていれば「上」も増えているという傾向が看取されます。
一言でいうなら,収入格差の拡大です。国税庁の年収分布の統計を使って,民間企業勤務者の収入格差の程度を測る指標を計算してみましょう。ここでう指標が何かはお分かりですね。そう,ジニ係数です。
ジニ係数とは,社会を構成する各階層の人間の量の分布と,それぞれの層が受け取っている富の分布とを照らし合わせて算出するものです。2010年のデータにて,両者を比べるとどうでしょう。下表をご覧ください。ジニ係数を出す場合は,なるべく細かい分布のほうがよいので,原資料に掲載されている,100万円刻みのデータを用いています。
まず左欄の相対度数をみると,人数の上では全体の3.8%しか占めない「1000万円以上」の層(⑪~⑬)が,富量という点では,全体の13.7%をもせしめています。
富量とは,各階層の平均的な年収を,それぞれの人数に乗じたものです。人数の合計を100とすると,②の階層には,150万(階級値)×15.0人=2250万円の富があてがわれたことになります。階層③は,250万円×17.6人=4400万円です。全階層が受け取った富量を合計すると,4億960万円。よって,富量の比重という点でいうと,階層②は全体の約5.5%,階層③は約10.7%,という次第です。
各階層の人数の分布と,配分された富量の分布のズレは,右欄の累積相対度をみればもっとクリアーに分かります。黄色のマークの箇所をみると,年収400万以下の①~④の階層は,人数の上では全体の58.6%,ほぼ6割を占めるにもかかわらず,受け取った富量は全体の32.6%に過ぎません。ということは,残りの7割の富は,それよりも上の4割の階層に持っていかれていることになります。
まあ,社会主義体制の社会でもない限り,富の配分の仕様に偏りがあるのは当然です。5月8日の記事でみたように,南米のブラジルにおける富の偏りは,わが国の比ではありません。しかし,それも程度の問題で,一定の度合いを超えると,社会が覆りかねない事態になります。
そうした「ヤバい」事態にどれほど近づいているか。ジニ係数は,このことを教えてくれます。では,上記の2010年データを使って,この指標を計算してみましょう。ジニ係数を出すには,ローレンツ曲線を描くのでしたよね。
下図は,横軸に人数の累積相対度数,縦軸に富量の累積相対度数をとった座標上に,13の所得階層をプロットし,各々を曲線で結んだものです。これが,ローレンツ曲線です。
ジニ係数とは,このローレンツ曲線と対角線で囲まれた部分の面積を2倍した値です。お分かりかと思いますが,曲線の底が深いほど,つまり色つきの部分の面積が大きいほど,ジニ係数は高くなります。色つき部分の面積の出し方については,昨年の7月11日の記事をご参照ください。
さて,上図をもとに,2010年の民間企業勤務者の年収のジニ係数を出すと,0.365という値になります。ジニ係数は,0.0(完全平等)~1.0(極限の不平等)までの値をとりますが,一般的にいわれる危険水準は0.4だそうです。係数が0.4を超えた場合,社会が不安定化する恐れがあり,特段の事情がない限り,格差の是正が求められるという,危険信号と読めるそうです。
ほう。この危険水域に結構近いのですが,この状況は,いつ頃から現出してきたのでしょう。1990代以降の各年について,同じようにしてジニ係数を出し,推移線を描いてみました。
民間企業勤務者の年収のジニ係数は,2002年以降跳ね上がり,2008年には0.379とピークに達します。2008年といえば,リーマン・ショックが起きた年です。整理解雇や派遣切りが大量に行われ,年末には「年越し派遣村」のような施設が設けられた年でした。
ジニ係数は,09年,10年となるに伴い,ガクン,ガクン,と低下していますが,今後はどうなるでしょう。予断は許されません。
ところで,昨年の7月11日の記事において,『家計調査』から出した2010年のジニ係数は0.336でした。同じ年ですが,今回の数値(0.365)はそれを上回っています。『家計調査』のデータは世帯単位のものですが,非就労者や単身者など,あらゆる人間を調査対象に据えています。今回使った国税庁調査の対象は,民間企業勤務者のみです。
社会全体よりも,民間企業勤務者の集団において,収入格差の程度が大きい。このことは,働いている者と働いていない(働けない)者の格差と同時に,働いている者の間の格差の問題も侮れないことを示唆しているように思います。
先ほども述べたように,格差が全くない社会はありません。しかるに,わが国の民間労働者の収入格差は,危険水域に近接しつつあります。当局は,事態の観測を絶えず怠るべきではないでしょう。
ちなみに,国税庁の『民間企業給与実態調査』では,勤務者の男女別の収入分布も明らかにされています。機会をみつけて,男女別のジニ係数も出してみるつもりです。予想ですが,女性労働者の収入格差って大きいのではないでしょうか。
では,今回はここにて。これから,映画『苦役列車』(原作:西村賢太)を観にいってきます。今日で放映が終了とのこと。昨日の夜に気づいたのですが,危ないところでした・・・。
人々の年収分布を知ることができる統計資料としては,総務省の『全国消費事態調査』や『就業構造基本調査』がありますが,これらは5年刻みの調査なので,逐年の細かいトレンドを明らかにすることはできません。
内閣府の『国民生活に関する世論調査』や『社会意識に関する世論調査』(毎年実施)でも,対象者に年収を問うていますが,この設問は,2006年度調査以降なくなっています。無回答(回答拒否)が多くなったか,あるいはクレームでもついたのでしょう。
私が今回用いるのは,国税庁の『民間企業給与実態統計調査』です。本調査では,各年の1月から12月まで継続して勤務した者について,1年間に支給された給与額(年収)の分布が集計されています。ここでいう給与の中には,手当や賞与も含みます。勤労者の確定申告に依拠して作成された統計ですから,信憑性は高いとみてよいでしょう。
この調査の対象からは,就労していない者や公務員は除かれますが,わが国の労働人口の大半は民間企業勤務者ですので,大よその傾向は把握できると思います。
原資料では,100万円刻みの細かい分布が明らかにされていますが,これをそのままグラフにすると見にくくなるので,200万円刻みのラフな分布の変化をみてみましょう。統計の出所は,下記サイトの表3-2です。時系列データも収録された表になっています。
http://www.nta.go.jp/kohyo/tokei/kokuzeicho/jikeiretsu/01_02.htm
1990年代以降,年収200万円以下の層の比重がやや高まっています。1990年では19.6%であったのが,2003年に20%を超え,2010年の値は23.0%となっています。今日では,民間で働く者の5人に1人が年収200万以下,言いかえれば「ワープア」です。
その一方で,超がつく富裕層の量も増えています。年収が2000万円を超える民間企業勤務者は,1990年では約10万人でしたが,2010年には18万人にまで増加しています。全体に占める比率という点はごくわずかですので,グラフに入れませんでしたが,「下」も増えていれば「上」も増えているという傾向が看取されます。
一言でいうなら,収入格差の拡大です。国税庁の年収分布の統計を使って,民間企業勤務者の収入格差の程度を測る指標を計算してみましょう。ここでう指標が何かはお分かりですね。そう,ジニ係数です。
ジニ係数とは,社会を構成する各階層の人間の量の分布と,それぞれの層が受け取っている富の分布とを照らし合わせて算出するものです。2010年のデータにて,両者を比べるとどうでしょう。下表をご覧ください。ジニ係数を出す場合は,なるべく細かい分布のほうがよいので,原資料に掲載されている,100万円刻みのデータを用いています。
まず左欄の相対度数をみると,人数の上では全体の3.8%しか占めない「1000万円以上」の層(⑪~⑬)が,富量という点では,全体の13.7%をもせしめています。
富量とは,各階層の平均的な年収を,それぞれの人数に乗じたものです。人数の合計を100とすると,②の階層には,150万(階級値)×15.0人=2250万円の富があてがわれたことになります。階層③は,250万円×17.6人=4400万円です。全階層が受け取った富量を合計すると,4億960万円。よって,富量の比重という点でいうと,階層②は全体の約5.5%,階層③は約10.7%,という次第です。
各階層の人数の分布と,配分された富量の分布のズレは,右欄の累積相対度をみればもっとクリアーに分かります。黄色のマークの箇所をみると,年収400万以下の①~④の階層は,人数の上では全体の58.6%,ほぼ6割を占めるにもかかわらず,受け取った富量は全体の32.6%に過ぎません。ということは,残りの7割の富は,それよりも上の4割の階層に持っていかれていることになります。
まあ,社会主義体制の社会でもない限り,富の配分の仕様に偏りがあるのは当然です。5月8日の記事でみたように,南米のブラジルにおける富の偏りは,わが国の比ではありません。しかし,それも程度の問題で,一定の度合いを超えると,社会が覆りかねない事態になります。
そうした「ヤバい」事態にどれほど近づいているか。ジニ係数は,このことを教えてくれます。では,上記の2010年データを使って,この指標を計算してみましょう。ジニ係数を出すには,ローレンツ曲線を描くのでしたよね。
下図は,横軸に人数の累積相対度数,縦軸に富量の累積相対度数をとった座標上に,13の所得階層をプロットし,各々を曲線で結んだものです。これが,ローレンツ曲線です。
ジニ係数とは,このローレンツ曲線と対角線で囲まれた部分の面積を2倍した値です。お分かりかと思いますが,曲線の底が深いほど,つまり色つきの部分の面積が大きいほど,ジニ係数は高くなります。色つき部分の面積の出し方については,昨年の7月11日の記事をご参照ください。
さて,上図をもとに,2010年の民間企業勤務者の年収のジニ係数を出すと,0.365という値になります。ジニ係数は,0.0(完全平等)~1.0(極限の不平等)までの値をとりますが,一般的にいわれる危険水準は0.4だそうです。係数が0.4を超えた場合,社会が不安定化する恐れがあり,特段の事情がない限り,格差の是正が求められるという,危険信号と読めるそうです。
ほう。この危険水域に結構近いのですが,この状況は,いつ頃から現出してきたのでしょう。1990代以降の各年について,同じようにしてジニ係数を出し,推移線を描いてみました。
民間企業勤務者の年収のジニ係数は,2002年以降跳ね上がり,2008年には0.379とピークに達します。2008年といえば,リーマン・ショックが起きた年です。整理解雇や派遣切りが大量に行われ,年末には「年越し派遣村」のような施設が設けられた年でした。
ジニ係数は,09年,10年となるに伴い,ガクン,ガクン,と低下していますが,今後はどうなるでしょう。予断は許されません。
ところで,昨年の7月11日の記事において,『家計調査』から出した2010年のジニ係数は0.336でした。同じ年ですが,今回の数値(0.365)はそれを上回っています。『家計調査』のデータは世帯単位のものですが,非就労者や単身者など,あらゆる人間を調査対象に据えています。今回使った国税庁調査の対象は,民間企業勤務者のみです。
社会全体よりも,民間企業勤務者の集団において,収入格差の程度が大きい。このことは,働いている者と働いていない(働けない)者の格差と同時に,働いている者の間の格差の問題も侮れないことを示唆しているように思います。
先ほども述べたように,格差が全くない社会はありません。しかるに,わが国の民間労働者の収入格差は,危険水域に近接しつつあります。当局は,事態の観測を絶えず怠るべきではないでしょう。
ちなみに,国税庁の『民間企業給与実態調査』では,勤務者の男女別の収入分布も明らかにされています。機会をみつけて,男女別のジニ係数も出してみるつもりです。予想ですが,女性労働者の収入格差って大きいのではないでしょうか。
では,今回はここにて。これから,映画『苦役列車』(原作:西村賢太)を観にいってきます。今日で放映が終了とのこと。昨日の夜に気づいたのですが,危ないところでした・・・。
2012年8月8日水曜日
学習塾の生態②
前回の続きです。今回は,学習塾で働く従業員についてです。学習塾の従業員には,授業を行う講師のほか,経営層や事務職員もいるでしょうが,多くは講師と思われます。
2010年の経済産業省『特定産業サービス実態調査』によると,同年の学習塾の従業員数は321,764人だそうです。この年の小・中・高校の教員数(1,040,919人)に比べたら,かなり少なくなっています。事業所数は,小・中・高校の数よりも多いのとは対照的です。これは,前回みたように,ごく小規模の学習塾が多いためです。
さて,学習塾の従業員ですが,どういう雇用形態の者が多いのでしょうか。近年,学校教員の「バイト化」が進んでいるのは6月30日の記事でみたとおりですが,学習塾にあっては,従業員のバイト率はさぞ高いと思われます。
下図は,2010年の学習塾従業員321,764人の雇用形態を円グラフで示したものです。
ほう。全体のちょうど7割が,パート・バイトないしは臨時雇用で占められています。紫色の中には,大学生のバイト講師も多く含まれていることでしょう。業主,役員,および正職員は3割なり。
塾業界は,安価な学生バイトで支えられているといいますが,なるほど,そうであることがうかがわれます。
なお,学習塾といっても規模はさまざまですが,従業員数でみた規模別に,同じデータを出すと,下図のようになります。
従業員が5人未満の零細塾では業主が最多ですが,この規模ではそうでしょう。経営から事務,さらには授業まで,掛け持ちしている者でしょう。
5人以上の事業所では,規模を問わず,パート・バイトのウェイトが最も大きくなっています。10人~49人の中規模事業所では,全体の実に8割がパート・バイト,ないしは臨時雇用です。100人以上の大規模事業所になると,正社員率が増しますが,それでも3割というところです。
どの規模であれ,学習塾は多くのバイト講師で成り立っていることが知られます。先ほども言いましたが,この中には,大学生のバイト講師が多く含まれると思います。このことは,パート・バイト・臨時雇用率の県別データからも推測されるところです。
学習塾従業員のパート・バイト・臨時雇用率は,全国統計では7割ちょうどですが,県によってかなり差があります。上の地図から分かるように,数値が高いのは,首都圏や近畿圏といった都市部です。首都圏は真黒に染まっています。いずれも,学生の安価なバイト労働力が豊富な地域です。
少子化による顧客減の中,学習塾も経営が大変でしょうから,講師や職員の「バイト化」を進めざるを得ないのでしょう。このことについて,とやかく言うものではありません。
ところで最近は,塾や予備校講師の中で,博士号学位取得者も珍しくはないそうです。大学の非常勤講師や研究員の給与だけでは足りず,こうしたバイトで糊口をしのいでいる無職博士でしょう。
私の知人(学位保有者)で,塾講師のバイトをしようと面接に行った人がいます(結局,やめたそうですが)。さぞ驚かれるだろうと思いながら,「博士号学位取得」と記載した履歴書を出したところ,先方は全く気にもとめなかったそうです。聞けば,当該の塾のバイト講師6人のうち4人は学位保有者とのこと。
程度の問題ですが,莫大な国税で育成した知的資源が,塾産業に流れるばかりというのは,いかがなものか,という気もします。塾産業の側にすれば,とてもありがたいことなのでしょうが。
上記の経済産業省調査では,学習塾従業員の学歴構成は明らかにされていません。今指摘した問題があるかどうかについては,この統計をみないと何ともいえません。重要なデータであると思うので,今後の調査項目の中に加えていただけたらと思います。
2010年の経済産業省『特定産業サービス実態調査』によると,同年の学習塾の従業員数は321,764人だそうです。この年の小・中・高校の教員数(1,040,919人)に比べたら,かなり少なくなっています。事業所数は,小・中・高校の数よりも多いのとは対照的です。これは,前回みたように,ごく小規模の学習塾が多いためです。
さて,学習塾の従業員ですが,どういう雇用形態の者が多いのでしょうか。近年,学校教員の「バイト化」が進んでいるのは6月30日の記事でみたとおりですが,学習塾にあっては,従業員のバイト率はさぞ高いと思われます。
下図は,2010年の学習塾従業員321,764人の雇用形態を円グラフで示したものです。
ほう。全体のちょうど7割が,パート・バイトないしは臨時雇用で占められています。紫色の中には,大学生のバイト講師も多く含まれていることでしょう。業主,役員,および正職員は3割なり。
塾業界は,安価な学生バイトで支えられているといいますが,なるほど,そうであることがうかがわれます。
なお,学習塾といっても規模はさまざまですが,従業員数でみた規模別に,同じデータを出すと,下図のようになります。
従業員が5人未満の零細塾では業主が最多ですが,この規模ではそうでしょう。経営から事務,さらには授業まで,掛け持ちしている者でしょう。
5人以上の事業所では,規模を問わず,パート・バイトのウェイトが最も大きくなっています。10人~49人の中規模事業所では,全体の実に8割がパート・バイト,ないしは臨時雇用です。100人以上の大規模事業所になると,正社員率が増しますが,それでも3割というところです。
どの規模であれ,学習塾は多くのバイト講師で成り立っていることが知られます。先ほども言いましたが,この中には,大学生のバイト講師が多く含まれると思います。このことは,パート・バイト・臨時雇用率の県別データからも推測されるところです。
学習塾従業員のパート・バイト・臨時雇用率は,全国統計では7割ちょうどですが,県によってかなり差があります。上の地図から分かるように,数値が高いのは,首都圏や近畿圏といった都市部です。首都圏は真黒に染まっています。いずれも,学生の安価なバイト労働力が豊富な地域です。
少子化による顧客減の中,学習塾も経営が大変でしょうから,講師や職員の「バイト化」を進めざるを得ないのでしょう。このことについて,とやかく言うものではありません。
ところで最近は,塾や予備校講師の中で,博士号学位取得者も珍しくはないそうです。大学の非常勤講師や研究員の給与だけでは足りず,こうしたバイトで糊口をしのいでいる無職博士でしょう。
私の知人(学位保有者)で,塾講師のバイトをしようと面接に行った人がいます(結局,やめたそうですが)。さぞ驚かれるだろうと思いながら,「博士号学位取得」と記載した履歴書を出したところ,先方は全く気にもとめなかったそうです。聞けば,当該の塾のバイト講師6人のうち4人は学位保有者とのこと。
程度の問題ですが,莫大な国税で育成した知的資源が,塾産業に流れるばかりというのは,いかがなものか,という気もします。塾産業の側にすれば,とてもありがたいことなのでしょうが。
上記の経済産業省調査では,学習塾従業員の学歴構成は明らかにされていません。今指摘した問題があるかどうかについては,この統計をみないと何ともいえません。重要なデータであると思うので,今後の調査項目の中に加えていただけたらと思います。
2012年8月7日火曜日
学習塾の生態①
今の子どもの多くは,学習塾という「第2の学校」に通っています。この学習塾の数や基本的特性について明らかにした公的調査はないかと探していたのですが,経済産業省の『特定産業サービス実態調査』というものを見つけました。
本調査は,タイトルのごとく,特定産業のサービスについて調べたものですが,その「特定産業」の中に,学習塾が含まれています。
総務省統計局のe-Statにアップされている統計表をみると,学習塾の数,そこで働く従業員の数,受講している児童・生徒の数など,興味をひかれるデータが結構載っています。今回と次回にかけて,学習塾の生態がどういうものかをみてみようと思います。
この調査の対象となっているのは,日本標準産業分類でいう「学習塾」に相当する事業所です。「小学生,中学生,高校生などを対象として学校教育の補習教育又は学習指導を行う事業所」とされています。たとえば,学習塾,進学塾,そして予備校です。
ただし,各種学校に相当するものは除外されています。大手の大学受験予備校は各種学校なので,本調査の対象にはなっていません。しかるに,地域でよく見かけるような学習塾は,ほとんどが対象になっていると考えられます。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/htoukeib/Detail.do?bunCode=8231
ではまず,全国に存在する学習塾の数を把握しましょう。最新の2010年調査によると,全国の学習塾の数は,49,298校だそうです。同年の小・中・高校の数は35,475校ですが(文科省『学校基本調査』),それよりも多くなっています。
規模という点でいうとどうでしょう。下表は,従業員数別の事業所数分布をとったものです。
全体の6割が,従業員数5人未満の零細事業所です。10人未満までをとると,全体の8割がカバーされます。従業員が50人を超える事業所は,たったの1.5%なり。
ビルの1フロアを使っただけの小さな塾を結構見かけるので,零細事業所が多いだろうとは思っていましたが,全体の8割が従業員数10人未満とは・・・。
次に,学習塾の数を,顧客あたりの比率に換算してみましょう。先ほど示したように,2010年の学習塾は49,298校です。この年の5~19歳の子ども人口は,およそ1,744万人です(『国勢調査』)。よって,学習塾の数は,顧客1万人あたり約28.3校ということになります。
私が住んでいる東京都多摩市の5~19歳人口は,18,279人です(2010年10月1日)。上記の比率を適用すると,この市には,51.7校の学習塾が存在すると見積もられます。まあ,違和感のある数字ではないですね。
さて,5~19歳の子ども人口1万人あたり学習塾28.3校というのは,全国統計でみた比率ですが,地域別ではどうでしょうか。同じ比率を47都道府県について出し,値に依拠して各県を塗り分けた地図をつくりました。
比率が最も高いのは東京かと思いきや,そうではありませんでした。最高は和歌山で,1万人あたり44.5校です。昨年の6月9日の記事でみたように,当県は,公立中学校3年生の通塾率が全国で最高なのですが,そのことには,地域に塾が多いという条件も影響しているようです。
塾が最も少ないのは山形で,顧客1万人あたり19.3校。上記の記事のデータによると,当県の公立中学校3年生の通塾率は,全県で下から3番目なり。通塾率の高低は,地域に塾がどれほどあるかと,ある程度連関していることがうかがわれます。
今回は,学習塾の数をみました。次回は,そこで働く従業員の数を明らかにします。正規,非正規といった,雇用形態別の数字も出せます。塾産業は,安価な労働力である学生バイトに支えられているといいますが,実情は如何。
では,次回にて。
本調査は,タイトルのごとく,特定産業のサービスについて調べたものですが,その「特定産業」の中に,学習塾が含まれています。
総務省統計局のe-Statにアップされている統計表をみると,学習塾の数,そこで働く従業員の数,受講している児童・生徒の数など,興味をひかれるデータが結構載っています。今回と次回にかけて,学習塾の生態がどういうものかをみてみようと思います。
この調査の対象となっているのは,日本標準産業分類でいう「学習塾」に相当する事業所です。「小学生,中学生,高校生などを対象として学校教育の補習教育又は学習指導を行う事業所」とされています。たとえば,学習塾,進学塾,そして予備校です。
ただし,各種学校に相当するものは除外されています。大手の大学受験予備校は各種学校なので,本調査の対象にはなっていません。しかるに,地域でよく見かけるような学習塾は,ほとんどが対象になっていると考えられます。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/htoukeib/Detail.do?bunCode=8231
ではまず,全国に存在する学習塾の数を把握しましょう。最新の2010年調査によると,全国の学習塾の数は,49,298校だそうです。同年の小・中・高校の数は35,475校ですが(文科省『学校基本調査』),それよりも多くなっています。
規模という点でいうとどうでしょう。下表は,従業員数別の事業所数分布をとったものです。
全体の6割が,従業員数5人未満の零細事業所です。10人未満までをとると,全体の8割がカバーされます。従業員が50人を超える事業所は,たったの1.5%なり。
ビルの1フロアを使っただけの小さな塾を結構見かけるので,零細事業所が多いだろうとは思っていましたが,全体の8割が従業員数10人未満とは・・・。
次に,学習塾の数を,顧客あたりの比率に換算してみましょう。先ほど示したように,2010年の学習塾は49,298校です。この年の5~19歳の子ども人口は,およそ1,744万人です(『国勢調査』)。よって,学習塾の数は,顧客1万人あたり約28.3校ということになります。
私が住んでいる東京都多摩市の5~19歳人口は,18,279人です(2010年10月1日)。上記の比率を適用すると,この市には,51.7校の学習塾が存在すると見積もられます。まあ,違和感のある数字ではないですね。
さて,5~19歳の子ども人口1万人あたり学習塾28.3校というのは,全国統計でみた比率ですが,地域別ではどうでしょうか。同じ比率を47都道府県について出し,値に依拠して各県を塗り分けた地図をつくりました。
比率が最も高いのは東京かと思いきや,そうではありませんでした。最高は和歌山で,1万人あたり44.5校です。昨年の6月9日の記事でみたように,当県は,公立中学校3年生の通塾率が全国で最高なのですが,そのことには,地域に塾が多いという条件も影響しているようです。
塾が最も少ないのは山形で,顧客1万人あたり19.3校。上記の記事のデータによると,当県の公立中学校3年生の通塾率は,全県で下から3番目なり。通塾率の高低は,地域に塾がどれほどあるかと,ある程度連関していることがうかがわれます。
今回は,学習塾の数をみました。次回は,そこで働く従業員の数を明らかにします。正規,非正規といった,雇用形態別の数字も出せます。塾産業は,安価な労働力である学生バイトに支えられているといいますが,実情は如何。
では,次回にて。
2012年8月6日月曜日
30代が生きづらかった時代
近年,30代の危機がいわれます。明治期以降の長い歴史において,今日に匹敵するほど,この年齢層が大変な思いをしたという時代はあったのでしょうか。自殺率を指標にして,考えてみましょう。
『大日本帝国人口動態統計』(戦後は『人口動態統計』)にて,自殺者の数が計上され始めたのは,1899年(明治32年)です。この年から2010年までの30代の自殺者数推移を明らかにし,それを各年の当該年齢人口で除して,30代の自殺率の長期カーブを描きました。
ベースの人口の出所は,総務省統計局ホームページの「長期統計系列」です。なお,1919年以前の時期では,年齢層別の人口が分かるのは,1918年,1913年,1908年,1903年,1898年に限られます。これらの間の年については,単純な按分推定で出しました。たとえば,1904年の30代人口は,1908年と1903年の差分を5分した値を,前年の1903年の数に加算することで出しています。
http://www.stat.go.jp/data/chouki/02.htm
では,この110年間の30代の自殺率カーブをみていただきましょう。
一貫して上昇というような傾向ではなく,かなりの波動が描かれています。10万人あたり20人のラインを引いてみると,この危険水域を超えたのは,①1914(大正3)年,②1920(大正9)年~1937(昭和12)年,③1954(昭和29)~1959(昭和34)年,④1983(昭和58)年,そして⑤1998(平成10)年以降です。
突発的な①と④を除くと,30代が危機状況にあった時期として,3つを検出することができます(②,③,⑤)。深刻な不況と慢性的な戦局下にあった大正中期~昭和初期,戦後の激変期,および平成不況下の今日です。
ちなみに,上記の観察期間中における自殺率の最高値は,2009年の24.5なり。むーん,長期的な変動幅でみても,今日の30代の危機は「史上最大」と評されます。自殺率という,一つの定規を当てた限りですが。
20代や10代の子どもではどうでしょう。それは,後の課題ということで。
最後に,夏の夕暮れの写真を1枚。自宅近辺の都立桜ヶ丘公園で撮ったものです。夜の7時頃の散歩を日課にしています。
よい夏休みをお過ごしください。さて,そろそろ西村賢太さんの映画化作品,『苦役列車』を観にいこうかな。
『大日本帝国人口動態統計』(戦後は『人口動態統計』)にて,自殺者の数が計上され始めたのは,1899年(明治32年)です。この年から2010年までの30代の自殺者数推移を明らかにし,それを各年の当該年齢人口で除して,30代の自殺率の長期カーブを描きました。
ベースの人口の出所は,総務省統計局ホームページの「長期統計系列」です。なお,1919年以前の時期では,年齢層別の人口が分かるのは,1918年,1913年,1908年,1903年,1898年に限られます。これらの間の年については,単純な按分推定で出しました。たとえば,1904年の30代人口は,1908年と1903年の差分を5分した値を,前年の1903年の数に加算することで出しています。
http://www.stat.go.jp/data/chouki/02.htm
では,この110年間の30代の自殺率カーブをみていただきましょう。
一貫して上昇というような傾向ではなく,かなりの波動が描かれています。10万人あたり20人のラインを引いてみると,この危険水域を超えたのは,①1914(大正3)年,②1920(大正9)年~1937(昭和12)年,③1954(昭和29)~1959(昭和34)年,④1983(昭和58)年,そして⑤1998(平成10)年以降です。
突発的な①と④を除くと,30代が危機状況にあった時期として,3つを検出することができます(②,③,⑤)。深刻な不況と慢性的な戦局下にあった大正中期~昭和初期,戦後の激変期,および平成不況下の今日です。
ちなみに,上記の観察期間中における自殺率の最高値は,2009年の24.5なり。むーん,長期的な変動幅でみても,今日の30代の危機は「史上最大」と評されます。自殺率という,一つの定規を当てた限りですが。
20代や10代の子どもではどうでしょう。それは,後の課題ということで。
最後に,夏の夕暮れの写真を1枚。自宅近辺の都立桜ヶ丘公園で撮ったものです。夜の7時頃の散歩を日課にしています。
よい夏休みをお過ごしください。さて,そろそろ西村賢太さんの映画化作品,『苦役列車』を観にいこうかな。
2012年8月5日日曜日
年齢層別離婚率の長期推移
前回は,年齢層別の自殺率の長期推移を明らかにしました。今回観察するのは,離婚率の変動です。自殺と違って社会病理指標というのではありませんが,家族解体の頻度を表す,この指標のトレンドにも目配りしておこうと思います。
離婚率とは,ある年の間に離婚を届け出た者の数を,ベースの人口で除した値です。分母には,有配偶人口を据えるのが望ましいのですが,戦前期について,年齢層別のそれを用意するのは難しいので,ここでは人口を充てることとします。
男性(夫)の率を出すか,それとも女性(妻)の率を出すかについては,まあどちらでもよいのですが,前者の離婚率を算出することにしましょう。
分子となる,男性の離婚者数の出所は,戦前期は『大日本帝国人口動態統計』,戦後は厚労省『人口動態統計』です。分母の男性人口は,総務省統計局ホームページの「長期統計系列」から得ています。
では,前回と同様,男性人口全体の離婚率の長期推移をたどることから始めましょう。1908年(明治41年)以降の,大よそ5年間隔のデータを用意しました。
男性の離婚率は,戦前期から戦後初期にかけて低下し,高度経済成長期の最中の1960年にボトムを記録した後,今日に至るまで上昇を続けています。グラフにすると,きれいなU字カーブが描かれることでしょう。
戦前期では,離婚率は高かったのですね。明治期では,女性の人権が認められておらず,跡取りを産めなかった妻は,簡単に絶縁されたといいますが,こういう「イエ」制度の故でしょうか。
大正期から昭和初期にかけて,西洋の人権思想の普及もあったのか,この手の離婚は少なくなり,さらに終戦後の家族制度改革もあって,離婚率は低下を続けます。先ほど述べたように,観察期間中の離婚率のボトムは1960年の8.0です。
しかるに,その後は離婚率が上がります。とくに伸び幅が大きいのは,1990年代の後半です。この5年間で,男性の離婚率は22.3から31.3へと,9ポイントもアップしています。「98年問題」に象徴されるように,わが国の経済状況が急速に悪化した頃です。生活苦や,リストラされた夫に妻が愛想をつかして離婚,というようなことも多かったのではないかしらん。
90年代後半は,自殺が激増した時期でもあります(とくに男性)。デュルケムは,配偶者と別れた男性の自殺率が高いことを明らかにしていますが(『自殺論』),職場集団に加えて家族集団をも喪失した男性の悲劇が表現されたものといえましょう。
今世紀に入ってからは,離婚率は微減の傾向ですが,今後はどうなることやら。
では次に,年齢層別の傾向です。上記の各年次について,5歳刻みの男性の離婚率を計算しました。前回と同様,データを「時代×年齢」の社会地図図式で表現します。それぞれの年における各年齢層の離婚率を,色の違いに基づいて読み取ってください。
離婚率は,今も昔も,20代後半から30代で高いようです。離婚率が70を超える黒色の膿(うみ)が,明治期~大正期の20代後半と,近年の30代の箇所に広がっています。1960年代の前半を境にして,高率ゾーンが上下に広がっていくのは,上表でみた傾向の反映とみなされます。
単純化していうと,1960年代前半を境にして,封建的な「イエ」制度に由来する離婚が上方に位置し,不況・生活不安・私事化傾向による離婚が下方に位置しているとみられます。
しかし,30代といえば,小さい子どもがいる年齢層です。わが国では,単独親権制がとられているのですが,片親から強制的に引き離された子どもが,各種の精神疾患を呈することが少なくありません。そこで,離婚した後も,両親が共に親権を持つことを認める共同親権制の導入が提言されています。
子どもの権利条約も,「子どもの最善の利益に反しないかぎり,定期的に親双方との個人的な関係および直接の接触を保つ権利を尊重する」ことを求めています(第9条3項)。上記のデータは,こういう改革が必要であることを示唆していると思います。
前回は自殺,今回は離婚の長期データをみました。次は,犯罪の長期データがほしいところです。ひとまず,明治期以降の殺人率を出してみようと思います。警察庁統計の戦前版ってあるのかなあ。統計図書館に行って調べてみます。
この手のデータを貯めていけば,「近代日本社会病理史」というような仕事につながるかも。以前,松本先生と「20世紀各時期の生活安全度の測定-社会病理史研究(1)-」という論文を認めたことがあります(『武蔵野大学現代社会学部紀要』第5号,2004年)。この続編の(2)となるような仕事ができれば,と思っています。
http://ci.nii.ac.jp/naid/40006150353
離婚率とは,ある年の間に離婚を届け出た者の数を,ベースの人口で除した値です。分母には,有配偶人口を据えるのが望ましいのですが,戦前期について,年齢層別のそれを用意するのは難しいので,ここでは人口を充てることとします。
男性(夫)の率を出すか,それとも女性(妻)の率を出すかについては,まあどちらでもよいのですが,前者の離婚率を算出することにしましょう。
分子となる,男性の離婚者数の出所は,戦前期は『大日本帝国人口動態統計』,戦後は厚労省『人口動態統計』です。分母の男性人口は,総務省統計局ホームページの「長期統計系列」から得ています。
では,前回と同様,男性人口全体の離婚率の長期推移をたどることから始めましょう。1908年(明治41年)以降の,大よそ5年間隔のデータを用意しました。
男性の離婚率は,戦前期から戦後初期にかけて低下し,高度経済成長期の最中の1960年にボトムを記録した後,今日に至るまで上昇を続けています。グラフにすると,きれいなU字カーブが描かれることでしょう。
戦前期では,離婚率は高かったのですね。明治期では,女性の人権が認められておらず,跡取りを産めなかった妻は,簡単に絶縁されたといいますが,こういう「イエ」制度の故でしょうか。
大正期から昭和初期にかけて,西洋の人権思想の普及もあったのか,この手の離婚は少なくなり,さらに終戦後の家族制度改革もあって,離婚率は低下を続けます。先ほど述べたように,観察期間中の離婚率のボトムは1960年の8.0です。
しかるに,その後は離婚率が上がります。とくに伸び幅が大きいのは,1990年代の後半です。この5年間で,男性の離婚率は22.3から31.3へと,9ポイントもアップしています。「98年問題」に象徴されるように,わが国の経済状況が急速に悪化した頃です。生活苦や,リストラされた夫に妻が愛想をつかして離婚,というようなことも多かったのではないかしらん。
90年代後半は,自殺が激増した時期でもあります(とくに男性)。デュルケムは,配偶者と別れた男性の自殺率が高いことを明らかにしていますが(『自殺論』),職場集団に加えて家族集団をも喪失した男性の悲劇が表現されたものといえましょう。
今世紀に入ってからは,離婚率は微減の傾向ですが,今後はどうなることやら。
では次に,年齢層別の傾向です。上記の各年次について,5歳刻みの男性の離婚率を計算しました。前回と同様,データを「時代×年齢」の社会地図図式で表現します。それぞれの年における各年齢層の離婚率を,色の違いに基づいて読み取ってください。
離婚率は,今も昔も,20代後半から30代で高いようです。離婚率が70を超える黒色の膿(うみ)が,明治期~大正期の20代後半と,近年の30代の箇所に広がっています。1960年代の前半を境にして,高率ゾーンが上下に広がっていくのは,上表でみた傾向の反映とみなされます。
単純化していうと,1960年代前半を境にして,封建的な「イエ」制度に由来する離婚が上方に位置し,不況・生活不安・私事化傾向による離婚が下方に位置しているとみられます。
しかし,30代といえば,小さい子どもがいる年齢層です。わが国では,単独親権制がとられているのですが,片親から強制的に引き離された子どもが,各種の精神疾患を呈することが少なくありません。そこで,離婚した後も,両親が共に親権を持つことを認める共同親権制の導入が提言されています。
子どもの権利条約も,「子どもの最善の利益に反しないかぎり,定期的に親双方との個人的な関係および直接の接触を保つ権利を尊重する」ことを求めています(第9条3項)。上記のデータは,こういう改革が必要であることを示唆していると思います。
前回は自殺,今回は離婚の長期データをみました。次は,犯罪の長期データがほしいところです。ひとまず,明治期以降の殺人率を出してみようと思います。警察庁統計の戦前版ってあるのかなあ。統計図書館に行って調べてみます。
この手のデータを貯めていけば,「近代日本社会病理史」というような仕事につながるかも。以前,松本先生と「20世紀各時期の生活安全度の測定-社会病理史研究(1)-」という論文を認めたことがあります(『武蔵野大学現代社会学部紀要』第5号,2004年)。この続編の(2)となるような仕事ができれば,と思っています。
http://ci.nii.ac.jp/naid/40006150353
2012年8月3日金曜日
年齢層別自殺率の長期推移
現在の状況について理解を深めるための方法の一つとして,時系列比較があります。昔と今を比べる,ということです。
「昔」といっても人によってイメージするところは様々でしょうが,欲を言えば,できるだけ長期の観察期間を設定することが望まれます。私は,総務省統計局の図書館に何度か通って,明治期以降の年齢層別の自殺統計を収集しました。1903年(明治36年)以降の,おおよそ5年刻みの統計です。
これをベースの人口で除して,自殺率(suicide rate)を計算しました。自殺率は,社会の危機状況(病理度)を計測するのに最も適した指標(measure)といえます。
データ処理が一通り終わり,統計グラフもつくりましたので,今回はそれをご覧に入れようと存じます。まずは,観察期間中において,人口全体の自殺率がどう推移してきたかを押さえましょう。
自殺率とは,自殺者数をベースの人口で除した値です。通常,10万人あたりの比率で表現されます。分子の自殺者数は,戦前期は主に『大日本帝国人口動態統計』,戦後は厚労省『人口動態統計』から得ました。分母の人口は,総務省統計局ホームページの長期統計系列から得ています。
http://www.stat.go.jp/data/chouki/02.htm
戦前期の自殺率は,大正期からじわじわと上がり,1930年(昭和5年)に21.6とピークをむかえます。昭和初期といえば,深刻な不況期だった頃です。その後,戦局が深まるにつれ自殺率は下がり,1940年の13.7にまでダウンします。
デュルケムは,戦争期では,どの社会で自殺率が低下することを明らかにしました(『自殺論』)。共通の敵に向けて,国民の連帯(solidarity)が強まるためと解されます。なるほど。わが国でも,こうした傾向が観察されます。
しかるに,戦争が終わると自殺率は上昇に転じ,終戦から10経った1955年(昭和30年)には25.2にまで跳ね上がります。上表の観察期間中で最高の値です。この点についての解釈は,年齢層別の自殺率をみてからにしましょう。
自殺率は1960年代の高度経済成長期に入いると低下し,それが終焉した70年代半ばから80年代半ばまで上昇を続け,90年代初頭のバブル期まで再び下がります。この時期の自殺率カーブは,景気と連動していることが知られます。
その後,90年代後半にかけて自殺率はグンと上昇し,2000年には20を超えます。自殺者の実数も,3万人の大台にのりました。平成不況の影響がまざまざと表れています。近年は,微減の傾向です。
次に,上記の各年について,5歳刻みの年齢層別の自殺率をみてみましょう。自殺率がピークであった1955年では,どの層の自殺率が高かったのでしょうか。病巣を突き止める作業です。
このような煩雑なデータを表にしたら,かなりのスペースをとります。グラフ化するにしても,折れ線グラフにしようものなら何本も線を描かなければならず,グチャグチャになります。
そこで,例の社会地図図式の登場です。それぞれの年における各年齢層の自殺率を,等高線で表現するものです。このグラフでは,色の違いに依拠して。自殺率の水準を読み取ることになります。百聞は一見に如かず。早速,現物をみていただきましょう。
灰色は自殺率50台,黒色は自殺率60超であることを意味します。このような高率ゾーン(膿)がどこに位置しているかに注視しましょう。
戦前期では,概して,高齢者の自殺率が高かったようです。70歳以上の自殺率は,一貫して60を超えています。当時はまだ,年金のような社会保障制度は未発達でした。医学も然りで,病気を苦にした高齢者の自殺も多かったことでしょう。
上表でみたように,第2次世界大戦が終わると自殺率が上昇し,1955年に最高値を記録するのですが,これに寄与したのは,どの年齢層なのでしょうか。答えは,若年層です。1955年の自殺率を年齢層別に出すと,20代前半が65.4と飛びぬけて高くなっています。
都市化や産業化といった,社会の土台の変化に加えて,その上で暮らす人々の価値観も急転換していた頃です。このような急激な変化に適応できなかった,純真な若者もいたことでしょう。また,戦前の旧い慣習と戦後の新しい慣習がごっちゃになっていた時期でもあります。相思相愛の男女が,旧来の「イエ」の慣行によって結婚を阻まれ,無理心中に身を焦がすようなケースも多かったといわれます。
1955年の20代前半といえば,1931年~35年生まれ世代でしょうか。この世代は,若い頃大変だったのですね。
その後は,社会の安定化により,どの層の自殺率も低下します。社会保障制度の充実が効いたのか,高齢層の部分においても,黒色や灰色がなくなります。
しかるに,1990年代半ば以降,平成不況により,中高年層の箇所に怪しい紫色が広がります。2000年では,50代の後半において自殺率が40を超えています。多くは,リストラによる男性の自殺でしょう。
現象の量を分析するに際して,社会学でよく用いられるキー変数は,まず「時代」です。これについては,説明は要りますまい。これと並んで,よく使われるもう一つの変数は「年齢」です。年齢というは,個々の人間にすれば,生後何年経ったかという発達段階を示すものですが,それには社会的な意味合いも付与されています。年齢によって,期待される社会的役割は異なります。
上記の社会地図図式は,この2変数のマトリクス上で,分析しようとする現象の量を上から俯瞰(ふかん)することを可能にしてくれます。社会学,とりわけ時代の診断学としての社会病理学の重要な研究ツールであると,私は理解しています。ちなみに,この図式を考案されたのは,私の恩師の松本良夫先生です。
今後も,この図式を大いに活用して,様々な社会現象を観測する作業を続けていくつもりです。次回は,離婚という現象の量を,同じ形式で測ってみようと思います。
「昔」といっても人によってイメージするところは様々でしょうが,欲を言えば,できるだけ長期の観察期間を設定することが望まれます。私は,総務省統計局の図書館に何度か通って,明治期以降の年齢層別の自殺統計を収集しました。1903年(明治36年)以降の,おおよそ5年刻みの統計です。
これをベースの人口で除して,自殺率(suicide rate)を計算しました。自殺率は,社会の危機状況(病理度)を計測するのに最も適した指標(measure)といえます。
データ処理が一通り終わり,統計グラフもつくりましたので,今回はそれをご覧に入れようと存じます。まずは,観察期間中において,人口全体の自殺率がどう推移してきたかを押さえましょう。
自殺率とは,自殺者数をベースの人口で除した値です。通常,10万人あたりの比率で表現されます。分子の自殺者数は,戦前期は主に『大日本帝国人口動態統計』,戦後は厚労省『人口動態統計』から得ました。分母の人口は,総務省統計局ホームページの長期統計系列から得ています。
http://www.stat.go.jp/data/chouki/02.htm
戦前期の自殺率は,大正期からじわじわと上がり,1930年(昭和5年)に21.6とピークをむかえます。昭和初期といえば,深刻な不況期だった頃です。その後,戦局が深まるにつれ自殺率は下がり,1940年の13.7にまでダウンします。
デュルケムは,戦争期では,どの社会で自殺率が低下することを明らかにしました(『自殺論』)。共通の敵に向けて,国民の連帯(solidarity)が強まるためと解されます。なるほど。わが国でも,こうした傾向が観察されます。
しかるに,戦争が終わると自殺率は上昇に転じ,終戦から10経った1955年(昭和30年)には25.2にまで跳ね上がります。上表の観察期間中で最高の値です。この点についての解釈は,年齢層別の自殺率をみてからにしましょう。
自殺率は1960年代の高度経済成長期に入いると低下し,それが終焉した70年代半ばから80年代半ばまで上昇を続け,90年代初頭のバブル期まで再び下がります。この時期の自殺率カーブは,景気と連動していることが知られます。
その後,90年代後半にかけて自殺率はグンと上昇し,2000年には20を超えます。自殺者の実数も,3万人の大台にのりました。平成不況の影響がまざまざと表れています。近年は,微減の傾向です。
次に,上記の各年について,5歳刻みの年齢層別の自殺率をみてみましょう。自殺率がピークであった1955年では,どの層の自殺率が高かったのでしょうか。病巣を突き止める作業です。
このような煩雑なデータを表にしたら,かなりのスペースをとります。グラフ化するにしても,折れ線グラフにしようものなら何本も線を描かなければならず,グチャグチャになります。
そこで,例の社会地図図式の登場です。それぞれの年における各年齢層の自殺率を,等高線で表現するものです。このグラフでは,色の違いに依拠して。自殺率の水準を読み取ることになります。百聞は一見に如かず。早速,現物をみていただきましょう。
灰色は自殺率50台,黒色は自殺率60超であることを意味します。このような高率ゾーン(膿)がどこに位置しているかに注視しましょう。
戦前期では,概して,高齢者の自殺率が高かったようです。70歳以上の自殺率は,一貫して60を超えています。当時はまだ,年金のような社会保障制度は未発達でした。医学も然りで,病気を苦にした高齢者の自殺も多かったことでしょう。
上表でみたように,第2次世界大戦が終わると自殺率が上昇し,1955年に最高値を記録するのですが,これに寄与したのは,どの年齢層なのでしょうか。答えは,若年層です。1955年の自殺率を年齢層別に出すと,20代前半が65.4と飛びぬけて高くなっています。
都市化や産業化といった,社会の土台の変化に加えて,その上で暮らす人々の価値観も急転換していた頃です。このような急激な変化に適応できなかった,純真な若者もいたことでしょう。また,戦前の旧い慣習と戦後の新しい慣習がごっちゃになっていた時期でもあります。相思相愛の男女が,旧来の「イエ」の慣行によって結婚を阻まれ,無理心中に身を焦がすようなケースも多かったといわれます。
1955年の20代前半といえば,1931年~35年生まれ世代でしょうか。この世代は,若い頃大変だったのですね。
その後は,社会の安定化により,どの層の自殺率も低下します。社会保障制度の充実が効いたのか,高齢層の部分においても,黒色や灰色がなくなります。
しかるに,1990年代半ば以降,平成不況により,中高年層の箇所に怪しい紫色が広がります。2000年では,50代の後半において自殺率が40を超えています。多くは,リストラによる男性の自殺でしょう。
現象の量を分析するに際して,社会学でよく用いられるキー変数は,まず「時代」です。これについては,説明は要りますまい。これと並んで,よく使われるもう一つの変数は「年齢」です。年齢というは,個々の人間にすれば,生後何年経ったかという発達段階を示すものですが,それには社会的な意味合いも付与されています。年齢によって,期待される社会的役割は異なります。
上記の社会地図図式は,この2変数のマトリクス上で,分析しようとする現象の量を上から俯瞰(ふかん)することを可能にしてくれます。社会学,とりわけ時代の診断学としての社会病理学の重要な研究ツールであると,私は理解しています。ちなみに,この図式を考案されたのは,私の恩師の松本良夫先生です。
今後も,この図式を大いに活用して,様々な社会現象を観測する作業を続けていくつもりです。次回は,離婚という現象の量を,同じ形式で測ってみようと思います。
2012年8月1日水曜日
新規採用教諭の採用前状況の長期変化
7月24日の記事では,公立学校の新規採用教諭の年齢構成が,ここ30年ほどでどう変わってきたかを明らかにしました。今回は,採用前の状況の長期変化をみてみます。新卒が何%,社会人が何%というようなデータです。
なお,最近10年ほどの変化については,4月23日の記事で明らかにしました。今回は,そこでのデータをもっと延ばすことになります。
文部科学省の『学校教員統計』から,新規採用教員の採用前の状況を職名別に知ることができます。この記事では,新規採用「教諭」に注目することになります。ヒラの教諭ですから,教員採用試験の合格者と近似する集団とみてよいでしょう。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001016172
公立学校の新規採用教諭の量的変化については,7月24日の記事を参照ください。ここでは早速,採用前の状況の構成変化を示した面グラフを提示したいと思います。観察期間は,1982年度から2009年度までです。上記文科省調査は3年刻みに実施されるので,3年間隔のデータになっています。
近年になるほど,「その他」というカテゴリーの比重が大きくなってきます。多くは,非常勤講師等をしながら教員採用試験に複数回トライした浪人組です。採用試験の難関化に伴い,この手の輩が増えている,ということは頷けます。
右下の折れ線グラフによると,公立小学校の新規採用教諭全体に占めるこのグループの比重は,始点の1982年度では26%でしたが,2009年度では48%と半数に近くになっています。中学校では55%,高等学校では実に63%をも占めています。
このことは,別に悪いことではありません。非常勤とはいえ,それなりに現場経験を積んだ,即戦力のある人間が集うわけですから。しかるに,影の側面もあります。この点については,6月14日の記事をご覧ください。日本教育新聞の記事をもとに考察しています。
さて,非常勤講師等(既卒者)が増えている分,新卒者のウェイトは減じてきています。最近はやや持ち直していますが,1980年代に比べれば低い水準です。2009年度の新卒率は,公立小学校で46%,中学校で37%,高等学校で26%なり。1982年度(68%,69%,59%)とは大違いですね。
新卒の中身をみると,県内の国立大学出身者(青色)の比重が低下しています。各県の国立大学の機能の一つに,自県の教員養成というのがありますが,その機能が弱まってきていることがうかがわれます。むろん,既卒者(水色)の中にも県内国立大学出身者はいるでしょうが,新卒者でいうと,減少の傾向なのです。
次に,青色と赤色を足した県内大学出身者という点でみると,こちらも低下傾向です。2009年度の採用者でいうと,県内大学新卒者の割合は,公立小学校が18%,中学校が15%,高等学校が9%です。既卒者を度外視していますが,地元出身者の比重が小さいな,という印象を持ちます。このことは,教育界と地域社会のつながりの希薄化という問題とも連関するでしょう。
紫色の社会人(官公庁,民間,自営業)の比重は,前世紀と比べれば微増というところでしょうか。近年,現場に多様な人材をということで,社会人特別選抜を実施している自治体も少なくありません。2009年度の社会人比率は,公立小学校で6%,中学校で8%,高等学校で12%なり。こちらは,上の学校ほど高くなっています。
私は,地域社会と教育の関連に興味を持つ者ですが,新規採用教員の組成という点(地元出身者率低下)から,両者の関連の希薄化傾向が看取されることに,若干の危惧を抱きます。
上記のデータをどうみるかは,人によって異なるでしょう。新規採用教員の今日的な姿は,統計でみるとこうである,ということをご報告いたします。
なお,最近10年ほどの変化については,4月23日の記事で明らかにしました。今回は,そこでのデータをもっと延ばすことになります。
文部科学省の『学校教員統計』から,新規採用教員の採用前の状況を職名別に知ることができます。この記事では,新規採用「教諭」に注目することになります。ヒラの教諭ですから,教員採用試験の合格者と近似する集団とみてよいでしょう。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001016172
公立学校の新規採用教諭の量的変化については,7月24日の記事を参照ください。ここでは早速,採用前の状況の構成変化を示した面グラフを提示したいと思います。観察期間は,1982年度から2009年度までです。上記文科省調査は3年刻みに実施されるので,3年間隔のデータになっています。
近年になるほど,「その他」というカテゴリーの比重が大きくなってきます。多くは,非常勤講師等をしながら教員採用試験に複数回トライした浪人組です。採用試験の難関化に伴い,この手の輩が増えている,ということは頷けます。
右下の折れ線グラフによると,公立小学校の新規採用教諭全体に占めるこのグループの比重は,始点の1982年度では26%でしたが,2009年度では48%と半数に近くになっています。中学校では55%,高等学校では実に63%をも占めています。
このことは,別に悪いことではありません。非常勤とはいえ,それなりに現場経験を積んだ,即戦力のある人間が集うわけですから。しかるに,影の側面もあります。この点については,6月14日の記事をご覧ください。日本教育新聞の記事をもとに考察しています。
さて,非常勤講師等(既卒者)が増えている分,新卒者のウェイトは減じてきています。最近はやや持ち直していますが,1980年代に比べれば低い水準です。2009年度の新卒率は,公立小学校で46%,中学校で37%,高等学校で26%なり。1982年度(68%,69%,59%)とは大違いですね。
新卒の中身をみると,県内の国立大学出身者(青色)の比重が低下しています。各県の国立大学の機能の一つに,自県の教員養成というのがありますが,その機能が弱まってきていることがうかがわれます。むろん,既卒者(水色)の中にも県内国立大学出身者はいるでしょうが,新卒者でいうと,減少の傾向なのです。
次に,青色と赤色を足した県内大学出身者という点でみると,こちらも低下傾向です。2009年度の採用者でいうと,県内大学新卒者の割合は,公立小学校が18%,中学校が15%,高等学校が9%です。既卒者を度外視していますが,地元出身者の比重が小さいな,という印象を持ちます。このことは,教育界と地域社会のつながりの希薄化という問題とも連関するでしょう。
紫色の社会人(官公庁,民間,自営業)の比重は,前世紀と比べれば微増というところでしょうか。近年,現場に多様な人材をということで,社会人特別選抜を実施している自治体も少なくありません。2009年度の社会人比率は,公立小学校で6%,中学校で8%,高等学校で12%なり。こちらは,上の学校ほど高くなっています。
私は,地域社会と教育の関連に興味を持つ者ですが,新規採用教員の組成という点(地元出身者率低下)から,両者の関連の希薄化傾向が看取されることに,若干の危惧を抱きます。
上記のデータをどうみるかは,人によって異なるでしょう。新規採用教員の今日的な姿は,統計でみるとこうである,ということをご報告いたします。
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