2月26日の記事では,配偶関係別の刑務所入所率を明らかにしました。今回は,学歴別のそれを計算してみようと思います。学歴は,所得や職業と並んで,社会階層を構成する重要な要素です。今回の作業は,社会階層と犯罪率という,犯罪社会学の重要問題にも通じるかと思います。
2010年の法務省『矯正統計年報』によると,同年中に刑務所に新たに入所した者の数は27,079人です。この27,079人の学歴構成を整理してみましょう。男女別の統計を掲げます。下記サイトの表34より数字をハントしました。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?lid=000001076421
男女とも,中学校卒業というカテゴリーが最も多くなっています。男性入所者では42.1%,女性入所者では37.6%を占めます。均すと約4割。刑務所入所者の5人の2人が,中卒の学歴ということになります。
当然ですが,高校進学率95%超,大学進学率50%超という今の社会において,中卒者はこれほど多くはありません。2010年の『国勢調査』の抽出速報結果によると,15歳以上人口のうち,最終学歴が小・中学校卒業の者が占める比率は,男性は14.3%,女性は16.7%です。社会全体の学歴構成を勘案すると,刑務所入所者は,低学歴層に明らかに偏しています。
上表の数字と,『国勢調査』から得られる母数の統計を使って,学歴別の刑務所入所率を計算してみましょう。義務教育学校中退者(上表の①,③),在学者(⑤,⑧),不就学者(⑪),および学歴不詳者(⑫)は数が少ないので,入所率の計算は見送ります。
私は,小・中学校卒業者,高卒者,そして大卒者という3カテゴリーについて,刑務所入所率を計算しました。各学歴グループの入所者数を,『国勢調査』から分かる当該学歴人口で除した値です。分子ですが,高校中退の入所者は小・中卒,大学中退の入所者は高卒の入所者に含めたことを申し添えます。分母の学歴別人口の出所は,下記サイトの表12です。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001032402&cycode=0
はて,学歴によって,ムショ入りする確率はどれほど異なるのでしょうか。下表は,男性と女性に分けて,学歴別の刑務所入所率を掲げたものです。
表の右端の欄には,ベースの人口10万人あたりの入所率が示されています。男女とも,小・中卒>高卒>大卒,という構造です。低学歴の層ほど,刑務所入所率が高くなっています。
しかし,学歴間の差がここまで大きいとは驚きです。刑務所入所率の学歴差は,2月26日の記事でみた配偶関係間の差よりもはるかに大きくなっています。男性でいうと,小・中卒の入所率(219.0)は,大卒(6.9)の31.8倍です。むーん。
わが国は,学歴社会であるといわれます。義務教育学校を終えて直ちに社会に出た者は,諸々の不利を背負わされ,犯罪に傾斜する確率が高くなることがうかがわれます。進学率の上昇により,この層が完全なマイノリティーと化している若者にあっては,学歴間の差はもっと顕著であることでしょう。
年齢層別・学歴別の刑務所入所者数のデータがあればいいのになあ。『国勢調査』では,自分が希望する統計表をつくってもらえる「オーダーメード集計」というサービスがあるそうです。法務省の統計も,このサービスの範疇に入っているのかしらん。
http://www.stat.go.jp/index/seido/2jiriyou.htm
刑務所入所率の学歴差が過去に比して拡大しているのか,という問題が残っていますが,分子,分母とも,過去の統計が手元にないので,後の課題といたします。今度,総務省の統計図書館に行った時に,数字をハントして参ります。
2012年2月29日水曜日
2012年2月28日火曜日
都道府県別の虐待被害率
2月15日の記事では,「子どもの幸福度指数」を構成する統計指標として,児童虐待の被害率を計算しました。児童相談所に寄せられた虐待の相談件数(被害者は小・中学生)を,小・中学生の数で除した値です。学齢の子どもが虐待に遭遇する確率を測る尺度です。
過日,とある方から,この指標の県別数値を示していただけないか,というメールをいただきました。先の記事では,スペースの関係上,47都道府県の両端の値(最大値,最小値)しか掲げませんでした。また,小・中学生だけでなく,幼児や乳幼児の被害率にも関心がおありとのこと。
なるほど。児童虐待の相談件数は,厚労省の白書などでよく目にしますが,被害児童の発達段階別の数値はあまり見たことがありません。虐待被害に遭う確率は,どの年齢の子どもで高いのか。この点については,あまり明らかにされていないように思います。*私がモグリなだけかもしれませんが・・・。
私も興味を覚えましたので,今回は,子どもの発達段階別に,虐待の被害率を出してみようと思います。また,都道府県別の数値も漏れなく開陳いたします。
厚労省の『平成21年度・福祉行政報告例』によると,同年度間に全国の児童相談所が対応した虐待の相談件数は44,211件だったそうです。この年の児童人口(18歳未満)で除すと,1万人あたり21.4件です。子ども466人に1件ということになります。
上記の資料では,被害児童の年齢層別に相談件数の数が計上されています。この数を,各グループの母数で除すことで,各々の虐待被害率の近似値を計算することができます。下表をご覧ください。原資料では,下表の4カテゴリーのほか,「高校生・その他」というカテゴリーも設けられていますが,このグループは母数をとるのが難しいので,被害率の計算は控えることとします。
前2グループの母数の出所は,総務省統計局『人口推計年報』です。後2グループのそれは,文科省『学校基本調査』です。分子の虐待相談件数は,上記の厚労省資料のものであることを申し添えます。
表をみると,ベースの人口あたりの相談件数比率(以下,虐待被害率)が最も高いのは,4歳から学齢前(以下,幼児)の子どもです。他の年齢層を圧倒しています。そういえば,新聞などでよく見かける虐待事件の被害者は,この年齢の子が多いような気がします。最近,新宿区高田馬場で起きた虐待死亡事件の被害者も,4歳の男児でした。
http://www.asahi.com/national/update/0225/TKY201202250226.html
3歳~5歳といえば,第一次反抗期を迎える頃です。身体を自由に動かせるようになった幼児が,それまでの親の全面的な支配や干渉に反発するようになる時期です。そのことに戸惑いや苛立ちを覚え,つい手を上げてしまう親御さんも少なくないことでしょう。育児の孤立化や室内化が進行している今日,その頻度は増してきていることと思います。
次に,4グループの虐待被害率を都道府県別に出してみます。上記の厚労省資料には,県別・指定都市別の虐待件数が載っていますが,指定都市の分は,当該市がある県の分に含めました。下表は,4グループの虐待被害率を県別に計算したものです。母数として使った,各県の(乳)幼児人口と小・中学生数の出所は,上述の通りです。
47都道府県の最大値には黄色,最小値には青色のマークをつけました。右欄の順位では,1~5位の数字は赤色にしています。
鹿児島では,どの年齢層の被害確率も,軒並み低くなっています。当県の児童相談所の対応方針が特殊である,というような事情も考えられますが,この低さは注目されます。私は鹿児島の出身ですが,確かに家族の密度は濃かったよなあ。
次に,発達段階ごとの数値をみると,どの県でも,幼児の被害率が最も高いようです。その幼児の虐待被害率が最高なのは広島で,1万人あたり70.5件です。単純に考えると,当県の幼児142人に1人が被害に遭っていることになります。児童相談所への相談という形で表面化しない分もあるでしょうから,確率はもっと高くなるとも考えられます。恐ろしや。
右欄の相対順位に目を移すと,神奈川は,4つの数字が軒並み赤色です。全グループの被害率が,上位5位にランクインしている,ということです。3つが赤色なのは大阪と広島です。2つが赤色なのは,滋賀,奈良,徳島,そして香川です。
うっすらとですが,虐待の頻度と都市性の関連が示唆されます。数字の羅列だけでは傾向をつかみにくいので,地域差の規模が最も大きい,幼児の虐待被害率を地図化してみましょう。下図は,10刻みで各県を色分けしたものです。
黒色と赤色の高率地域をみると,首都圏や近畿の大都市県のほか,宮城や広島のような地方中枢県も含まれます。対して,色が白い県には地方県が多くなっています。
上表の4グループの虐待被害率と,2005年の人口集中地区居住率の相関係数を出すと,乳幼児の被害率とは0.377,幼児の被害率とは0.348,小学生の被害率とは0.389,中学生の被害率とは0.390,という相関です。いずれも,統計的に有意な相関と判定されます。
虐待の発生地盤として,人間関係が希薄な都市的環境があることは,否定できないように思えます。このことを,題目で言い表した学術論文もあります(内田良「虐待は都市で起こる-児童相談所における虐待相談の処理件数に関する2次分析-」『教育社会学研究』第76集,2005年)。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110004836605
育児の孤立化の程度をよりダイレクトに測る指標(離婚率,人口移動率など)を充てれば,もっと強い相関が見出されるのではないでしょうか。これらの指標の県別数値は,厚労省『人口動態統計』や総務省『国勢調査』から算出可能です。面白い分析結果が出ましたら,ご報告します。
過日,とある方から,この指標の県別数値を示していただけないか,というメールをいただきました。先の記事では,スペースの関係上,47都道府県の両端の値(最大値,最小値)しか掲げませんでした。また,小・中学生だけでなく,幼児や乳幼児の被害率にも関心がおありとのこと。
なるほど。児童虐待の相談件数は,厚労省の白書などでよく目にしますが,被害児童の発達段階別の数値はあまり見たことがありません。虐待被害に遭う確率は,どの年齢の子どもで高いのか。この点については,あまり明らかにされていないように思います。*私がモグリなだけかもしれませんが・・・。
私も興味を覚えましたので,今回は,子どもの発達段階別に,虐待の被害率を出してみようと思います。また,都道府県別の数値も漏れなく開陳いたします。
厚労省の『平成21年度・福祉行政報告例』によると,同年度間に全国の児童相談所が対応した虐待の相談件数は44,211件だったそうです。この年の児童人口(18歳未満)で除すと,1万人あたり21.4件です。子ども466人に1件ということになります。
上記の資料では,被害児童の年齢層別に相談件数の数が計上されています。この数を,各グループの母数で除すことで,各々の虐待被害率の近似値を計算することができます。下表をご覧ください。原資料では,下表の4カテゴリーのほか,「高校生・その他」というカテゴリーも設けられていますが,このグループは母数をとるのが難しいので,被害率の計算は控えることとします。
前2グループの母数の出所は,総務省統計局『人口推計年報』です。後2グループのそれは,文科省『学校基本調査』です。分子の虐待相談件数は,上記の厚労省資料のものであることを申し添えます。
表をみると,ベースの人口あたりの相談件数比率(以下,虐待被害率)が最も高いのは,4歳から学齢前(以下,幼児)の子どもです。他の年齢層を圧倒しています。そういえば,新聞などでよく見かける虐待事件の被害者は,この年齢の子が多いような気がします。最近,新宿区高田馬場で起きた虐待死亡事件の被害者も,4歳の男児でした。
http://www.asahi.com/national/update/0225/TKY201202250226.html
3歳~5歳といえば,第一次反抗期を迎える頃です。身体を自由に動かせるようになった幼児が,それまでの親の全面的な支配や干渉に反発するようになる時期です。そのことに戸惑いや苛立ちを覚え,つい手を上げてしまう親御さんも少なくないことでしょう。育児の孤立化や室内化が進行している今日,その頻度は増してきていることと思います。
次に,4グループの虐待被害率を都道府県別に出してみます。上記の厚労省資料には,県別・指定都市別の虐待件数が載っていますが,指定都市の分は,当該市がある県の分に含めました。下表は,4グループの虐待被害率を県別に計算したものです。母数として使った,各県の(乳)幼児人口と小・中学生数の出所は,上述の通りです。
47都道府県の最大値には黄色,最小値には青色のマークをつけました。右欄の順位では,1~5位の数字は赤色にしています。
鹿児島では,どの年齢層の被害確率も,軒並み低くなっています。当県の児童相談所の対応方針が特殊である,というような事情も考えられますが,この低さは注目されます。私は鹿児島の出身ですが,確かに家族の密度は濃かったよなあ。
次に,発達段階ごとの数値をみると,どの県でも,幼児の被害率が最も高いようです。その幼児の虐待被害率が最高なのは広島で,1万人あたり70.5件です。単純に考えると,当県の幼児142人に1人が被害に遭っていることになります。児童相談所への相談という形で表面化しない分もあるでしょうから,確率はもっと高くなるとも考えられます。恐ろしや。
右欄の相対順位に目を移すと,神奈川は,4つの数字が軒並み赤色です。全グループの被害率が,上位5位にランクインしている,ということです。3つが赤色なのは大阪と広島です。2つが赤色なのは,滋賀,奈良,徳島,そして香川です。
うっすらとですが,虐待の頻度と都市性の関連が示唆されます。数字の羅列だけでは傾向をつかみにくいので,地域差の規模が最も大きい,幼児の虐待被害率を地図化してみましょう。下図は,10刻みで各県を色分けしたものです。
黒色と赤色の高率地域をみると,首都圏や近畿の大都市県のほか,宮城や広島のような地方中枢県も含まれます。対して,色が白い県には地方県が多くなっています。
上表の4グループの虐待被害率と,2005年の人口集中地区居住率の相関係数を出すと,乳幼児の被害率とは0.377,幼児の被害率とは0.348,小学生の被害率とは0.389,中学生の被害率とは0.390,という相関です。いずれも,統計的に有意な相関と判定されます。
虐待の発生地盤として,人間関係が希薄な都市的環境があることは,否定できないように思えます。このことを,題目で言い表した学術論文もあります(内田良「虐待は都市で起こる-児童相談所における虐待相談の処理件数に関する2次分析-」『教育社会学研究』第76集,2005年)。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110004836605
育児の孤立化の程度をよりダイレクトに測る指標(離婚率,人口移動率など)を充てれば,もっと強い相関が見出されるのではないでしょうか。これらの指標の県別数値は,厚労省『人口動態統計』や総務省『国勢調査』から算出可能です。面白い分析結果が出ましたら,ご報告します。
2012年2月27日月曜日
教員の年齢構成の変化
団塊世代の教員の大量退職により,世代交代がなされているとはいえ,教員の高齢化が進んでいることは,まぎれもない事実です。2010年の文科省『学校教員統計調査』の中間報告によると,公立小学校の本務教員のうち,50代以上の者が38.4%をも占めています。約4割。教員の5人に2人が,50歳以上ということです。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001016172
しかるに昔は,状況はまったく違っていたことでしょう。昔といっても,人によってイメージする時代は異なるでしょうが,戦後初期の頃までさかのぼってみるとどうでしょうか。私は,1950年(昭和25年)における,公立学校の教員の年齢構成を調べてみました。「6・3・3・4」の新教育制度が発足してまだ間もない頃です。子どもは多いが施設は貧弱,教える内容の大転換・・・。混乱する現場を切り盛りする教員集団の組成は,どういうものだったのでしょうか。
資料は,文部省『学校教員調査報告・昭和25年4月30日現在』というものです。表題の時点における,公立学校の年齢別の本務教員数を知ることができます。総務省統計局の統計図書館で本資料を閲覧したのですが,60年以上も前のものなので,もうボロボロでした。現物を痛めるといけないので,必要箇所の複写は,係員の人にやっていただきました。複写した頁の写真を掲げておきます。手前は総数表,後ろは女表です。
http://www.stat.go.jp/training/toshokan/4.htm
まずは,公立小学校の本務教員の年齢構成を,1950年と2010年で比較してみましょう。下図は,両年について,1歳刻みの年齢人口ピラミッドを描いたものです。各年齢の教員が全体の何%を占めるかが分かります。性別の組成も読み取れるようにしました。全教員数(100%に相当)は,1950年は308,801人,2010年は384,702人です。
この60年間の変化はドラスティックです。1950年では下層部が厚く,2010年では上層部が厚くなっています。10歳ごとの簡略図でみると,1950年はピラミッド型,2010年は逆ピラミッド型であるのが一目瞭然です。
1950年では,30歳未満の教員が全体の63.0%を占めますが,細かくみると,10%(10人に1人)が20歳未満です。今なら,子どもと括られるような年齢です。教員は大学を出ないとなれないのに何で?と思われる方もいるでしょうが,おそらく助教諭という職種であると思われます。
助教諭の資格要件は,臨時免許状(有効期限3年)を持っていることですが,この免許状は,各県が実施する教育職員検定に合格することで取得することができます。大学で教職課程を修めている必要はないわけです。深刻な教員不足にあった当時,若い助教諭を大量採用することで何とかしのいでいたのでしょう。事実,1951年の公立小学校の本務教員のうち,助教諭の占める比率は23.4%にもなります(文部省『日本の教育統計-新教育の歩み-』1966年,102頁)。ほぼ4人に1人です。
あと一点,男女の組成ですが,まあ小学校ですので,昔も女性教員が多かったようです。しかし1950年では,年齢段階によって女性教員の比重が大きく異なります。20代は59.7%,30代は39.4%,40代は23.7%,50代は10.9%です。20代から30代にかけて20ポイントも落ちます。当時は,結婚退職をする女性教員が多かったのでしょう。定年まで職を全うする女性教員はかなり少なかったことがうかがわれます。現在では,そのようなことはないようです。
次に,公立中学校の本務教員の年齢構成の変化をみてみましょう。上図と同様,1歳刻みの年齢ピラミッドをつくってみました。公立中学校の本務教員数は,1950年は175,193人,2010年は216,976人です。
中学校段階でみても,1950年はピラミッド型,2010年は逆ピラミッド型という基本構造が観察されます。中学校では,小学校に比して女性教員率が小さくなりますが,昔に比べたら,赤色のシェアは拡大しています。公立中学校教員の女性教員率は,1950年では22.8%でしたが,2010年では41.4%まで増えています。
予想はしていましたが,戦後初期の頃の教員集団は若かったのですね。小学校では,5人のうち3人が30歳未満。混乱の時代を,若いパワーで乗り切っていたことがうかがわれます。
上記の文部省『学校教員調査』には,教員の担当授業時数や平均月給額のような勤務条件指標も掲載されています。この資料を活用して,昔の「せんせい」の状況を復元する作業を行ってみようと考えています。現代の教員の状況を逆照射してみるためです。
週に1回くらいのペースで,統計図書館通いをしなければ・・・。「日本の古本屋」のサイトで,この資料を売っている古書店を見つけたのですが,目玉が飛び出るような額がついているので,購入は叶いません。まあ,これから暖かくなってくるので,自発的な「出勤日」を設けるのもよいかと思っています。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001016172
しかるに昔は,状況はまったく違っていたことでしょう。昔といっても,人によってイメージする時代は異なるでしょうが,戦後初期の頃までさかのぼってみるとどうでしょうか。私は,1950年(昭和25年)における,公立学校の教員の年齢構成を調べてみました。「6・3・3・4」の新教育制度が発足してまだ間もない頃です。子どもは多いが施設は貧弱,教える内容の大転換・・・。混乱する現場を切り盛りする教員集団の組成は,どういうものだったのでしょうか。
資料は,文部省『学校教員調査報告・昭和25年4月30日現在』というものです。表題の時点における,公立学校の年齢別の本務教員数を知ることができます。総務省統計局の統計図書館で本資料を閲覧したのですが,60年以上も前のものなので,もうボロボロでした。現物を痛めるといけないので,必要箇所の複写は,係員の人にやっていただきました。複写した頁の写真を掲げておきます。手前は総数表,後ろは女表です。
http://www.stat.go.jp/training/toshokan/4.htm
まずは,公立小学校の本務教員の年齢構成を,1950年と2010年で比較してみましょう。下図は,両年について,1歳刻みの年齢人口ピラミッドを描いたものです。各年齢の教員が全体の何%を占めるかが分かります。性別の組成も読み取れるようにしました。全教員数(100%に相当)は,1950年は308,801人,2010年は384,702人です。
この60年間の変化はドラスティックです。1950年では下層部が厚く,2010年では上層部が厚くなっています。10歳ごとの簡略図でみると,1950年はピラミッド型,2010年は逆ピラミッド型であるのが一目瞭然です。
1950年では,30歳未満の教員が全体の63.0%を占めますが,細かくみると,10%(10人に1人)が20歳未満です。今なら,子どもと括られるような年齢です。教員は大学を出ないとなれないのに何で?と思われる方もいるでしょうが,おそらく助教諭という職種であると思われます。
助教諭の資格要件は,臨時免許状(有効期限3年)を持っていることですが,この免許状は,各県が実施する教育職員検定に合格することで取得することができます。大学で教職課程を修めている必要はないわけです。深刻な教員不足にあった当時,若い助教諭を大量採用することで何とかしのいでいたのでしょう。事実,1951年の公立小学校の本務教員のうち,助教諭の占める比率は23.4%にもなります(文部省『日本の教育統計-新教育の歩み-』1966年,102頁)。ほぼ4人に1人です。
あと一点,男女の組成ですが,まあ小学校ですので,昔も女性教員が多かったようです。しかし1950年では,年齢段階によって女性教員の比重が大きく異なります。20代は59.7%,30代は39.4%,40代は23.7%,50代は10.9%です。20代から30代にかけて20ポイントも落ちます。当時は,結婚退職をする女性教員が多かったのでしょう。定年まで職を全うする女性教員はかなり少なかったことがうかがわれます。現在では,そのようなことはないようです。
次に,公立中学校の本務教員の年齢構成の変化をみてみましょう。上図と同様,1歳刻みの年齢ピラミッドをつくってみました。公立中学校の本務教員数は,1950年は175,193人,2010年は216,976人です。
中学校段階でみても,1950年はピラミッド型,2010年は逆ピラミッド型という基本構造が観察されます。中学校では,小学校に比して女性教員率が小さくなりますが,昔に比べたら,赤色のシェアは拡大しています。公立中学校教員の女性教員率は,1950年では22.8%でしたが,2010年では41.4%まで増えています。
予想はしていましたが,戦後初期の頃の教員集団は若かったのですね。小学校では,5人のうち3人が30歳未満。混乱の時代を,若いパワーで乗り切っていたことがうかがわれます。
上記の文部省『学校教員調査』には,教員の担当授業時数や平均月給額のような勤務条件指標も掲載されています。この資料を活用して,昔の「せんせい」の状況を復元する作業を行ってみようと考えています。現代の教員の状況を逆照射してみるためです。
週に1回くらいのペースで,統計図書館通いをしなければ・・・。「日本の古本屋」のサイトで,この資料を売っている古書店を見つけたのですが,目玉が飛び出るような額がついているので,購入は叶いません。まあ,これから暖かくなってくるので,自発的な「出勤日」を設けるのもよいかと思っています。
2012年2月26日日曜日
配偶関係別の刑務所入所率
2010年の法務省『矯正統計年報』によると,この年の間に,刑務所に新たに入所した者の数は27,079人だったそうです。『国勢調査』から分かる,同年の15歳以上人口で除すと,10万人あたり24.6人という比率になります。4,065人に1人。自殺率とほぼ同じ水準です。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?lid=000001076421
この刑務所入所率は,1970年が32.6,1980年が31.7,1990年が22.6,2000年が25.4,そして2010年が24.6というように推移しています。
刑務所入所者の量的規模はさておき,罪を犯して堀の中に入る輩には,どういう人間が多いのでしょうか。女性よりも男性,高齢者よりも若年者が多いのは知っていますが,もっと突っ込んだ属性別の統計も知りたいところです。
上記の法務省資料では,刑務所入所者(資料の用語では新受刑者)の数が配偶関係別に集計されています。この数を,『国勢調査』から分かる配偶関係別人口で除せば,配偶関係別の刑務所入所率を計算することができます。ムショ入りする確率は,配偶関係によってどれほど違うのでしょう。
私は,有配偶者,未婚者,および離・死別者という3カテゴリーについて,人口10万人あたりの刑務所入所率を計算しました。分子の刑務所入所者数は2010年間,分母の人口は2010年10月1日時点のものです。性別の影響が入るのを防ぐため,男性と女性に分けて率を出しています。
刑務所入所率は,性別を問わず,有配偶者よりも未婚者,未婚者よりも離・死別者で高くなっています。男性の離・死別者の入所率は,10万人あたり257.8人(388人に1人)です。他のグループを圧倒する高さです。
なお,配偶関係による差は,女性よりも男性で大きくなっています。男性の場合,未婚者の入所率は有配偶者の3.8倍,離・死別者は15.8倍です。女性は順に,1.5倍,4.0倍です。独り者のほうが犯罪をしでかす確率が高いであろうことは予測していましたが,男性では,これほどまでに違うとは驚きです。
T.ハーシは,社会との絆(ボンド)を多く持っている者は,犯罪を思いとどまると説いています。そのボンドの一つとして,この人物は,「愛着」というものを挙げています。簡単にいうと,愛する人を悲しませたくない,という心情のことです。「この人を悲しませたくない,この人には迷惑をかけられない」と思える愛着対象を多く持っている人間ほど,犯罪に走る確率が低いであろうことは,首肯できるところです。
離・死別の男性の場合,この「愛着」のボンドが少ない,といえるのではないでしょうか。わが国では,夫婦が離婚した場合,母親が子を引き取るケースが大半です。つまり,男性が離婚すると,妻と子の双方に去られてしまうわけです。また最近では,失業した夫に妻が愛想をつかして離婚するケースも増えているようですが,その場合,男性にすれば,職場と家族を一気に失うことを意味します。
このようにして,愛着ボンドを根こそぎ奪われた男性が犯罪に傾斜しやすいであろうことは,想像に難くありません。男性において,離・死別者の刑務所入所率が際立って高いことは,こういう視点から解釈できるのではないか,と思います。
ところで,上表で明らかにした傾向は,今日に固有のものなのでしょうか。時系列比較により,この点を検証してみましょう。下表は,配偶関係別の刑務所入所率の推移を,10年刻みでとったものです。下段には,有配偶者の率を1.0とした指数値を掲げています。
下段の指数に注目すると,男女とも,配偶関係間の差が広がってきています。男性では,有配偶者の入所率は減少してきているのに対し,未婚者や離・死別者はその逆であるためです。失業率や有期雇用率の高まりにより,職域の安定性が揺らいでいる今日,男性にとって,家族集団の重要性が増してきていることがうかがわれます。
2010年の統計によると,男性の離・死別者は約361万人です。15歳以上の同性人口に占める比率は6.8%,およそ15人に1人です。ごく少数というわけではありません。今後,離婚率の高まりにより,この層がますます増えてくることが予想されます。
もっと一般的にいえば,ソーシャル・ボンドが脆弱な人間が増えてくるであろう,ということです。今回みた統計は,孤族化,無縁化が急速に進行する社会の行く末を暗示しているものと,捉えることもできるでしょう。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?lid=000001076421
この刑務所入所率は,1970年が32.6,1980年が31.7,1990年が22.6,2000年が25.4,そして2010年が24.6というように推移しています。
刑務所入所者の量的規模はさておき,罪を犯して堀の中に入る輩には,どういう人間が多いのでしょうか。女性よりも男性,高齢者よりも若年者が多いのは知っていますが,もっと突っ込んだ属性別の統計も知りたいところです。
上記の法務省資料では,刑務所入所者(資料の用語では新受刑者)の数が配偶関係別に集計されています。この数を,『国勢調査』から分かる配偶関係別人口で除せば,配偶関係別の刑務所入所率を計算することができます。ムショ入りする確率は,配偶関係によってどれほど違うのでしょう。
私は,有配偶者,未婚者,および離・死別者という3カテゴリーについて,人口10万人あたりの刑務所入所率を計算しました。分子の刑務所入所者数は2010年間,分母の人口は2010年10月1日時点のものです。性別の影響が入るのを防ぐため,男性と女性に分けて率を出しています。
刑務所入所率は,性別を問わず,有配偶者よりも未婚者,未婚者よりも離・死別者で高くなっています。男性の離・死別者の入所率は,10万人あたり257.8人(388人に1人)です。他のグループを圧倒する高さです。
なお,配偶関係による差は,女性よりも男性で大きくなっています。男性の場合,未婚者の入所率は有配偶者の3.8倍,離・死別者は15.8倍です。女性は順に,1.5倍,4.0倍です。独り者のほうが犯罪をしでかす確率が高いであろうことは予測していましたが,男性では,これほどまでに違うとは驚きです。
T.ハーシは,社会との絆(ボンド)を多く持っている者は,犯罪を思いとどまると説いています。そのボンドの一つとして,この人物は,「愛着」というものを挙げています。簡単にいうと,愛する人を悲しませたくない,という心情のことです。「この人を悲しませたくない,この人には迷惑をかけられない」と思える愛着対象を多く持っている人間ほど,犯罪に走る確率が低いであろうことは,首肯できるところです。
離・死別の男性の場合,この「愛着」のボンドが少ない,といえるのではないでしょうか。わが国では,夫婦が離婚した場合,母親が子を引き取るケースが大半です。つまり,男性が離婚すると,妻と子の双方に去られてしまうわけです。また最近では,失業した夫に妻が愛想をつかして離婚するケースも増えているようですが,その場合,男性にすれば,職場と家族を一気に失うことを意味します。
このようにして,愛着ボンドを根こそぎ奪われた男性が犯罪に傾斜しやすいであろうことは,想像に難くありません。男性において,離・死別者の刑務所入所率が際立って高いことは,こういう視点から解釈できるのではないか,と思います。
ところで,上表で明らかにした傾向は,今日に固有のものなのでしょうか。時系列比較により,この点を検証してみましょう。下表は,配偶関係別の刑務所入所率の推移を,10年刻みでとったものです。下段には,有配偶者の率を1.0とした指数値を掲げています。
下段の指数に注目すると,男女とも,配偶関係間の差が広がってきています。男性では,有配偶者の入所率は減少してきているのに対し,未婚者や離・死別者はその逆であるためです。失業率や有期雇用率の高まりにより,職域の安定性が揺らいでいる今日,男性にとって,家族集団の重要性が増してきていることがうかがわれます。
2010年の統計によると,男性の離・死別者は約361万人です。15歳以上の同性人口に占める比率は6.8%,およそ15人に1人です。ごく少数というわけではありません。今後,離婚率の高まりにより,この層がますます増えてくることが予想されます。
もっと一般的にいえば,ソーシャル・ボンドが脆弱な人間が増えてくるであろう,ということです。今回みた統計は,孤族化,無縁化が急速に進行する社会の行く末を暗示しているものと,捉えることもできるでしょう。
2012年2月25日土曜日
大学における数学教育
すみません。タイムリーな話題を挟ませてください。昨日の朝日新聞に,「大学生の4人に1人,『平均』の意味誤解,数学力調査」と題する記事が載っていました。全国の48大学の1年生に対し,以下の文章の正誤判定を課したところ,全問正解の者は76%にとどまったとのことです。
http://www.asahi.com/national/update/0224/TKY201202240450.html
100人の平均身長が163.5センチの場合・・・
①:163.5センチより高い人と低い人はそれぞれ50人ずついる
②:全員の身長を足すと1万6350センチになる
③:10センチごとに区分けすると160センチ以上170センチ未満の人が最も多い
正答は,①が×,②が○,③が×です。平均が同じであっても,データの分布の型は多様である,ということを分かっていない学生さんがいたのだろうと思います。以前,宮崎県の位置を知らない大学生の存在が話題になりましたが,大学生の地理認識のみならず,彼らの数学力もやや怪しいものになりつつあるようです。
昨年の1月9日の記事でも書きましたが,私は統計学の授業で,百分率(%)の概念を知らないという学生さんに出会い,いささか驚嘆したことがあります。指定校推薦で入ったので,数学はまるっきりやらなかったとのことですが,そもそも数学は大キライで,中学の頃から完全に捨てていたのだそうです。
その理由を問うと,数学なんて何の役に立つのかさっぱり分からない,必要性を感じられない,ということでした。「数学なんて,生徒を苦しめるためにあるようなもんじゃないすか!」と,ややムキになってまくしたてられたのを覚えています。私の口調が嫌味がかっていたためかもしれませんが。
うーん,数学なんて,実生活と何の関係もない,ただの机上のお遊びと思われても仕方ないかもしれません。しかし数学は,実生活上の必要から生まれ出てきた学問です。高校で習う三角比などは,古代において,土地の測量の必要から考案されたものです。
中学や高校の数学の教科書は,単元の内容を,実生活上の諸問題と結びつけて理解してもらおう,という意図をもって記述されています。京極一樹さんの『ちょっとわかればこんなに役に立つ 中学・高校の数学のほんとうの使い道』は,こういう意図をもっと前面に出した著作であり,かなり売れているようです。私も買いました。
http://www.j-n.co.jp/books/?goods_code=978-4-408-45322-4
先の学生さんには,このようなことをお話し,数学に対する考え方を少しでもよいから変えてほしい,とお願いしました。それとあと一つ,数学の効用として,次のことをいいました。論理的な思考力を鍛える,ということです。
数学では,論理を追って問題を解決します。数学の問題を解く過程は,論理を積み上げる過程とイコールです。論理の展開過程を逐一紙に記録し,答えへと迫っていきます。数学の試験では,答えだけでなく,途中式もきちんと書きなさい,と指導されますが,それは,こういう知的なプロセスを重視するためです。
日常会話では,こうした厳密なプロセスを経ませんので,知らないうちに,論理の飛躍や破綻がしばしば起こります。しかるに,感情任せの生活をしているだけの人と,数学のような知的訓練に多少なりとも親しんでいる人では,その頻度が異なるものと思われます。裁判官や弁護士のような法曹には,数学の素養が必須といいますが,それは故なきことではありますまい。私が高校の頃使った数学Ⅰの教科書のまえがきに,「若い頃に数学を学んでおくことは,決して無駄にはならない」と書いてありました。まったくもって,その通りだと思います。
さて,「学士力」の育成を掲げる,現代日本の大学教育において,数学はどのような位置にあるのでしょう。英語や情報系の科目は,ほとんどの大学が必修としているのでしょうが,数学はどうなのかしらん。読売新聞社は,2011年に全国の大学を対象に行った調査の中で,数学の必修化の状況について尋ねています。
この設問に対し,回答を寄せた619大学の回答分布をみると,「全学部で実施」が10.5%,「半数以上の学部で実施」が9.4%,「半数未満の学部で実施」が12.0%,「実施せず」が68.2%,です。*『大学の実力2012』(中央公論社,2011年)の巻末資料より集計。
どの学部でも数学を必修としていない大学が約7割。大学生の約3割は理系,約3割は社会科学系であることを思うと,やや寂しい感じがします。大学の設置者別(国公私)の回答分布は,下図のようです。
国立大学では,数学の必修化が比較的進んでいます。いずれかの学部で必修としている大学が6割を超えます。しかし,公立や私立では,その比重がぐんと減ります。国立の場合,理系の学部が比較的多いことによると思いますが,それにしても,国立大と公私大の間に大きな溝があります。
次に,大学の偏差値によって回答の分布がどう違うかをみてみましょう。数学の必修化の実施状況が分かる465の私立大学のうち,454大学について,入試偏差値を知ることができました。ソースは,学研教育出版『2012年度用・大学受験案内』です。全学部の偏差値を平均した値をもって,当該大学の偏差値としました。
下図は,偏差値に基づいて区分した5グループごとの回答分布を図示したものです。BFとは偏差値が35に満たない大学のことです。俗にいう,ボーダーフリー大学です。
どの学部でも必修化していないという回答(紫色)の比重は,入試偏差値ときれいに相関しています。理系学部の比重の違いという要因で説明できるものではありますまい。偏差値の低い大学では,すっかり数学に嫌気がさした学生さんが多いと思いますが,それだからこそ,敢えて数学を課す,という選択肢もあり得るのではないでしょうか。内容のレベルを落としても,です。
私は,数学や調査系の科目以外でも,統計処理の作業課題を随時出しています。教育社会学の講義で少年非行について話す時は,非行少年の年齢層別の出現率などを,学生さんに電卓で計算してもらいます。数学でないのになんで・・・と怪訝な顔をする人もいますが,やり方を丹念に説明すると,彼らの目の色も変わってきます。数字という論理の道具を使って,身近な社会現象を観察することの重要性を分かってくれる学生さんもいます。
冒頭の朝日新聞の記事によると,平均の概念を理解していない大学生が4分の1ほどいるとのことでした。上記のデータをみると,さもありなんという感じです。今後,状況はもっと怪しいものなってくるかもしれません。
数学力は,論理的なコミュニケーション力の礎となり得るものです。その意味で,英語力や情報処理能力などと並んで,学士力を構成する重要な要素であると存じます。このような認識が幾分なりとも広がってくれることを,個人的に願っています。
http://www.asahi.com/national/update/0224/TKY201202240450.html
100人の平均身長が163.5センチの場合・・・
①:163.5センチより高い人と低い人はそれぞれ50人ずついる
②:全員の身長を足すと1万6350センチになる
③:10センチごとに区分けすると160センチ以上170センチ未満の人が最も多い
正答は,①が×,②が○,③が×です。平均が同じであっても,データの分布の型は多様である,ということを分かっていない学生さんがいたのだろうと思います。以前,宮崎県の位置を知らない大学生の存在が話題になりましたが,大学生の地理認識のみならず,彼らの数学力もやや怪しいものになりつつあるようです。
昨年の1月9日の記事でも書きましたが,私は統計学の授業で,百分率(%)の概念を知らないという学生さんに出会い,いささか驚嘆したことがあります。指定校推薦で入ったので,数学はまるっきりやらなかったとのことですが,そもそも数学は大キライで,中学の頃から完全に捨てていたのだそうです。
その理由を問うと,数学なんて何の役に立つのかさっぱり分からない,必要性を感じられない,ということでした。「数学なんて,生徒を苦しめるためにあるようなもんじゃないすか!」と,ややムキになってまくしたてられたのを覚えています。私の口調が嫌味がかっていたためかもしれませんが。
うーん,数学なんて,実生活と何の関係もない,ただの机上のお遊びと思われても仕方ないかもしれません。しかし数学は,実生活上の必要から生まれ出てきた学問です。高校で習う三角比などは,古代において,土地の測量の必要から考案されたものです。
中学や高校の数学の教科書は,単元の内容を,実生活上の諸問題と結びつけて理解してもらおう,という意図をもって記述されています。京極一樹さんの『ちょっとわかればこんなに役に立つ 中学・高校の数学のほんとうの使い道』は,こういう意図をもっと前面に出した著作であり,かなり売れているようです。私も買いました。
http://www.j-n.co.jp/books/?goods_code=978-4-408-45322-4
先の学生さんには,このようなことをお話し,数学に対する考え方を少しでもよいから変えてほしい,とお願いしました。それとあと一つ,数学の効用として,次のことをいいました。論理的な思考力を鍛える,ということです。
数学では,論理を追って問題を解決します。数学の問題を解く過程は,論理を積み上げる過程とイコールです。論理の展開過程を逐一紙に記録し,答えへと迫っていきます。数学の試験では,答えだけでなく,途中式もきちんと書きなさい,と指導されますが,それは,こういう知的なプロセスを重視するためです。
日常会話では,こうした厳密なプロセスを経ませんので,知らないうちに,論理の飛躍や破綻がしばしば起こります。しかるに,感情任せの生活をしているだけの人と,数学のような知的訓練に多少なりとも親しんでいる人では,その頻度が異なるものと思われます。裁判官や弁護士のような法曹には,数学の素養が必須といいますが,それは故なきことではありますまい。私が高校の頃使った数学Ⅰの教科書のまえがきに,「若い頃に数学を学んでおくことは,決して無駄にはならない」と書いてありました。まったくもって,その通りだと思います。
さて,「学士力」の育成を掲げる,現代日本の大学教育において,数学はどのような位置にあるのでしょう。英語や情報系の科目は,ほとんどの大学が必修としているのでしょうが,数学はどうなのかしらん。読売新聞社は,2011年に全国の大学を対象に行った調査の中で,数学の必修化の状況について尋ねています。
この設問に対し,回答を寄せた619大学の回答分布をみると,「全学部で実施」が10.5%,「半数以上の学部で実施」が9.4%,「半数未満の学部で実施」が12.0%,「実施せず」が68.2%,です。*『大学の実力2012』(中央公論社,2011年)の巻末資料より集計。
どの学部でも数学を必修としていない大学が約7割。大学生の約3割は理系,約3割は社会科学系であることを思うと,やや寂しい感じがします。大学の設置者別(国公私)の回答分布は,下図のようです。
国立大学では,数学の必修化が比較的進んでいます。いずれかの学部で必修としている大学が6割を超えます。しかし,公立や私立では,その比重がぐんと減ります。国立の場合,理系の学部が比較的多いことによると思いますが,それにしても,国立大と公私大の間に大きな溝があります。
次に,大学の偏差値によって回答の分布がどう違うかをみてみましょう。数学の必修化の実施状況が分かる465の私立大学のうち,454大学について,入試偏差値を知ることができました。ソースは,学研教育出版『2012年度用・大学受験案内』です。全学部の偏差値を平均した値をもって,当該大学の偏差値としました。
下図は,偏差値に基づいて区分した5グループごとの回答分布を図示したものです。BFとは偏差値が35に満たない大学のことです。俗にいう,ボーダーフリー大学です。
どの学部でも必修化していないという回答(紫色)の比重は,入試偏差値ときれいに相関しています。理系学部の比重の違いという要因で説明できるものではありますまい。偏差値の低い大学では,すっかり数学に嫌気がさした学生さんが多いと思いますが,それだからこそ,敢えて数学を課す,という選択肢もあり得るのではないでしょうか。内容のレベルを落としても,です。
私は,数学や調査系の科目以外でも,統計処理の作業課題を随時出しています。教育社会学の講義で少年非行について話す時は,非行少年の年齢層別の出現率などを,学生さんに電卓で計算してもらいます。数学でないのになんで・・・と怪訝な顔をする人もいますが,やり方を丹念に説明すると,彼らの目の色も変わってきます。数字という論理の道具を使って,身近な社会現象を観察することの重要性を分かってくれる学生さんもいます。
冒頭の朝日新聞の記事によると,平均の概念を理解していない大学生が4分の1ほどいるとのことでした。上記のデータをみると,さもありなんという感じです。今後,状況はもっと怪しいものなってくるかもしれません。
数学力は,論理的なコミュニケーション力の礎となり得るものです。その意味で,英語力や情報処理能力などと並んで,学士力を構成する重要な要素であると存じます。このような認識が幾分なりとも広がってくれることを,個人的に願っています。
2012年2月24日金曜日
刑務所人口率
北沢あずささんの『実録!女子刑務所のヒミツ』(二見書房,2005年)を読んでいます。刑務所の体験記の類はよく出ているのですが,女子刑務所のものは珍しいので,手に取ってみました。
http://www.futami.co.jp/book.php?isbn=9784576052298
女子受刑者の特徴,女子刑務所ならではの陰湿なイジメ,堀の中で会ったスゴイ女囚などについて,実体験に依拠して記述されています。また,自身が編み出した,刑務所生活を楽しむためのちょっとした工夫(特性レシピの作り方,外部との通信手段の裏ワザ)も紹介されており,なかなか笑える内容になっています。
私は社会病理学を専攻しているので,こういう体験記も努めて読むようにしています。面白そうな本を見つけたら,近所の図書館で検索して,なければ取り寄せます。刑務所体験,少年院体験,海外危険旅行体験,裏ビジネスの極意,潜入裏社会・・・こんな類の本ばかりリクエストしているので,図書館の人から,さぞ変な人と思われていることでしょう。
ちなみに,彩図社という出版社が,この種のアンダーグランド本を多く出しています。この会社は,一般人に対して,書籍化のための原稿を広く募っています。社会の片隅に埋もれている貴重な体験を掘り起こすことを意図しているのでしょう。常人にはなかなか得難い体験をお持ちの方は,どしどし応募されるとよいかと思います。*私は,この出版社の回し者ではありません。
http://www.saiz.co.jp/
さて,上記の北沢さんの本を読んでいて,刑務所に入っている人はどれくらいいるのかという,素朴な疑問が沸きました。法務省『平成23年版・犯罪白書』によると,2010年末の時点において,刑務所に服役している懲役受刑者は63,581人だそうです(下記サイトの資料2-10参照)。この数の過去半世紀の推移をたどると,下図のようです。お勤めの期間(刑期)の組成も分かるようにしました。
http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/58/nfm/mokuji.html
刑務所人口は,高度経済成長期の終わり頃まで減少し,その後増加し,1980年代末のバブル期に減少し,90年代以降また増えています。景気と無関係ではないようです。刑務所人口は2006年に70,164人のピークを迎え,最近は少し減り,2010年の63,581人に至っています。
2010年の刑務所人口は,半世紀前の1960年よりも少し多い程度です。しかるに,刑期の組成が大きく変化しています。時代と共に,長期の受刑者の比重が増してきています。左上の組成図をみると,1960年では「1年以下」の受刑者が全体の28.4%を占めていましたが,2010年ではそれは4.4%しかいません。代わって,「5年超」の長期受刑者の比率が,この半世紀の間に13.3%から25.6%へと倍近くに増えています。厳罰化を求める世論あってのことと思いますが,長期受刑者を次から次に送り込まれる刑務所側の負担増という問題も看過できません。
なお,2010年の刑務所人口を同年の有責人口(14歳以上)で除すと,1万人あたり5.7人となります。国民1,754人につき1人が,堀の中の住人ということです。この数字を刑務所人口率と呼ぶことにしましょう。
有責人口1万人あたりの刑務所人口率は,1960年が9.1,1970年が4.9,1980年が4.6,1990年が3.9,2000年が4.5,2010年が5.7,です。1990年以降上昇していますが,半世紀前の1960年の率よりは低い水準です。堀の中の住人の比率は,昔のほうが高かったのですね。
次に,刑務所人口の年齢構成をみてみましょう。刑務所は高齢者だらけで,福祉施設のような状態になっていると聞くことがありますが,本当なのかしらん。法務省が毎年出している『矯正統計年報』から,年齢層別の刑務所人口を知ることができます。この半世紀の変化を,5年刻みで跡づけてみました。
昔は20代が多かったのですが,今日では30代や40代の比重が高くなっています。2010年では,30代が全体の26.8%と最多を占めます。・・・受刑者4人のうち1人は,私と同じ年齢層です。
なお,過去からの伸び幅という点でいうと,50歳以上の高齢層が最も大きいようです。50歳以上の受刑者の比率は,1960年では5.5%でしたが,2010年では31.8%にもなっています。60歳以上の比率は7.8%です。刑務所人口の高齢化は確かに進行しています。高齢者の場合,出所後の生活が厳しいことから,何度もムショに舞い戻ってくる累犯者も少なくないことでしょう。
最後に,各年齢層の受刑者数を当該年齢層の人口で除して,年齢層別の刑務所人口率を計算してみます。堀の中の住人の比率は,どの年齢層で高いのでしょう。まあ,上図の結果から,若年層で高いことは予測できますが,数字を出してみようと思います。1960年からの5年刻みのデータを,上から俯瞰した図をお見せします。*17歳以下の刑務所人口率は,14~17歳人口をベースにして算出しました。
1960年の20代の箇所に,高率ゾーンが見受けられます。黒色は,刑務所人口率が1万人あたり20人(500人に1人)を超える,という意味です。社会の激変期にあった当時,若年層の犯罪率が高かったことによります。
その後,目立った高率ゾーンは消えますが,最近になって,20代後半から30代前半のあたりに,緑色の「やや高」のゾーンができています。昨今の不況により,この年齢層の犯罪率が上がってきているためです。2010年でみると,刑務所人口率が最も高い年齢層は26~29歳で,1万人あたり10.6人となっています。先ほどみた,全体の率(5.7)のほぼ倍です。
最近になって刑務所人口率が上がってきていること,そのピークは若年層にあることが分かりました。次に興味が持たれるのは,どういう人間がムショに入るかです。法務省の『矯正統計年報』から,新受刑者の配偶関係や学歴といった属性を知ることができます。次回は,配偶関係(有配偶,未婚,離死別)によって,ムショに入る確率がどれほど違うかを明らかにしようと思います。
http://www.futami.co.jp/book.php?isbn=9784576052298
女子受刑者の特徴,女子刑務所ならではの陰湿なイジメ,堀の中で会ったスゴイ女囚などについて,実体験に依拠して記述されています。また,自身が編み出した,刑務所生活を楽しむためのちょっとした工夫(特性レシピの作り方,外部との通信手段の裏ワザ)も紹介されており,なかなか笑える内容になっています。
私は社会病理学を専攻しているので,こういう体験記も努めて読むようにしています。面白そうな本を見つけたら,近所の図書館で検索して,なければ取り寄せます。刑務所体験,少年院体験,海外危険旅行体験,裏ビジネスの極意,潜入裏社会・・・こんな類の本ばかりリクエストしているので,図書館の人から,さぞ変な人と思われていることでしょう。
ちなみに,彩図社という出版社が,この種のアンダーグランド本を多く出しています。この会社は,一般人に対して,書籍化のための原稿を広く募っています。社会の片隅に埋もれている貴重な体験を掘り起こすことを意図しているのでしょう。常人にはなかなか得難い体験をお持ちの方は,どしどし応募されるとよいかと思います。*私は,この出版社の回し者ではありません。
http://www.saiz.co.jp/
さて,上記の北沢さんの本を読んでいて,刑務所に入っている人はどれくらいいるのかという,素朴な疑問が沸きました。法務省『平成23年版・犯罪白書』によると,2010年末の時点において,刑務所に服役している懲役受刑者は63,581人だそうです(下記サイトの資料2-10参照)。この数の過去半世紀の推移をたどると,下図のようです。お勤めの期間(刑期)の組成も分かるようにしました。
http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/58/nfm/mokuji.html
刑務所人口は,高度経済成長期の終わり頃まで減少し,その後増加し,1980年代末のバブル期に減少し,90年代以降また増えています。景気と無関係ではないようです。刑務所人口は2006年に70,164人のピークを迎え,最近は少し減り,2010年の63,581人に至っています。
2010年の刑務所人口は,半世紀前の1960年よりも少し多い程度です。しかるに,刑期の組成が大きく変化しています。時代と共に,長期の受刑者の比重が増してきています。左上の組成図をみると,1960年では「1年以下」の受刑者が全体の28.4%を占めていましたが,2010年ではそれは4.4%しかいません。代わって,「5年超」の長期受刑者の比率が,この半世紀の間に13.3%から25.6%へと倍近くに増えています。厳罰化を求める世論あってのことと思いますが,長期受刑者を次から次に送り込まれる刑務所側の負担増という問題も看過できません。
なお,2010年の刑務所人口を同年の有責人口(14歳以上)で除すと,1万人あたり5.7人となります。国民1,754人につき1人が,堀の中の住人ということです。この数字を刑務所人口率と呼ぶことにしましょう。
有責人口1万人あたりの刑務所人口率は,1960年が9.1,1970年が4.9,1980年が4.6,1990年が3.9,2000年が4.5,2010年が5.7,です。1990年以降上昇していますが,半世紀前の1960年の率よりは低い水準です。堀の中の住人の比率は,昔のほうが高かったのですね。
次に,刑務所人口の年齢構成をみてみましょう。刑務所は高齢者だらけで,福祉施設のような状態になっていると聞くことがありますが,本当なのかしらん。法務省が毎年出している『矯正統計年報』から,年齢層別の刑務所人口を知ることができます。この半世紀の変化を,5年刻みで跡づけてみました。
昔は20代が多かったのですが,今日では30代や40代の比重が高くなっています。2010年では,30代が全体の26.8%と最多を占めます。・・・受刑者4人のうち1人は,私と同じ年齢層です。
なお,過去からの伸び幅という点でいうと,50歳以上の高齢層が最も大きいようです。50歳以上の受刑者の比率は,1960年では5.5%でしたが,2010年では31.8%にもなっています。60歳以上の比率は7.8%です。刑務所人口の高齢化は確かに進行しています。高齢者の場合,出所後の生活が厳しいことから,何度もムショに舞い戻ってくる累犯者も少なくないことでしょう。
最後に,各年齢層の受刑者数を当該年齢層の人口で除して,年齢層別の刑務所人口率を計算してみます。堀の中の住人の比率は,どの年齢層で高いのでしょう。まあ,上図の結果から,若年層で高いことは予測できますが,数字を出してみようと思います。1960年からの5年刻みのデータを,上から俯瞰した図をお見せします。*17歳以下の刑務所人口率は,14~17歳人口をベースにして算出しました。
1960年の20代の箇所に,高率ゾーンが見受けられます。黒色は,刑務所人口率が1万人あたり20人(500人に1人)を超える,という意味です。社会の激変期にあった当時,若年層の犯罪率が高かったことによります。
その後,目立った高率ゾーンは消えますが,最近になって,20代後半から30代前半のあたりに,緑色の「やや高」のゾーンができています。昨今の不況により,この年齢層の犯罪率が上がってきているためです。2010年でみると,刑務所人口率が最も高い年齢層は26~29歳で,1万人あたり10.6人となっています。先ほどみた,全体の率(5.7)のほぼ倍です。
最近になって刑務所人口率が上がってきていること,そのピークは若年層にあることが分かりました。次に興味が持たれるのは,どういう人間がムショに入るかです。法務省の『矯正統計年報』から,新受刑者の配偶関係や学歴といった属性を知ることができます。次回は,配偶関係(有配偶,未婚,離死別)によって,ムショに入る確率がどれほど違うかを明らかにしようと思います。
2012年2月23日木曜日
教員給与の相対水準(続)
1月29日の記事では,公立学校の教員の給与が,同学歴(大卒)の労働者全体と比してどうかを明らかにしました。その結果,教員の給与は,比較対象より低いことが判明しました。
しかるに,そこで比較したのは月収です。ボーナス等の各種の手当を含めた年収で比べたら,違った結果になるかもしれません。公務員は,この種の手当の支給が,民間に比して多いと思われます。
また,年齢構成にも注意する必要があります。先の記事では,性別と学歴という要因は統制したのですが,年齢を揃えた比較は行っていません。厳密な比較を期すならば,同性,同学歴,さらには同年齢の者同士を比べることが求められるでしょう。
このような欠陥をクリアするには,かなり細かい統計が必要ですが,厚労省の『賃金構造基本統計調査』に,それがあることが分かりました。この資料には,職種別・年齢層別に,①「決まって支給する」月収額と,②「年間賞与その他特別給与額」が掲載されています。①を12倍した値に②を足せば,年収額が出てきます。
職種の中に「高校教員」というカテゴリーがありますので,このデータを,大卒労働者全体のものと比べてみます。また,大企業(従業員数1,000人以上)に勤める大卒労働者の数字とも比べてみようと思います。一口に大卒労働者といってもいろいろでしょうが,大企業には,いわゆるランクの高い大学の出身者が多いと推察されます。出身大学のランクも考慮すると,高校教員との比較対象としては,大企業の大卒労働者が望ましいと思われます。
なお,2010年の上記厚労省調査のサンプル構成によると,大企業勤務者が大卒労働者全体に占める比率は,男性で42.4%,女性で38.6%です。およそ4割。ごくわずかのエリート集団というわけではないことを申し添えます。
それでは,高校教員,大卒労働者,そして大企業大卒労働者という3グループについて,年齢層別の年収額を比較してみましょう。下表は,2010年の上記厚労省調査から作成した,男性の統計です。上述のように,年収=(月収×12)+諸手当 です。
私の年齢層(30代後半)の年収をみると,高校教員は653万円,大卒労働者は613万円,大企業大卒労働者は715万円,です。高校教員の年収は,大卒労働者全体よりは高いのですが,大企業の大卒労働者よりは低くなっています。
この順位構造は,他の年齢層でも同じです。表の右端には,高校教員の年収額を1.0とした指数を掲げていますが,大卒労働者では,20代後半を除いて,指数が1.0を下回っています。大企業の大卒労働者の場合,指数は軒並み1.0以上です。
各種の条件を考慮した,厳密な比較対象(大企業大卒労働者)と比べると,高校教員の給与は高くはないようです。これは男性の結果ですが,女性だとどうでしょう。2月8日の記事では,女性教員の給与は,民間よりかなり高いことを明らかにしました。はて,条件をより厳密に揃えた比較でも,同じ結果になるでしょうか。
下図は,男性と女性に分けて,年齢層別の年収額の折れ線グラフを描いたものです。年収曲線とでも名づけておきましょう。
男性では,年齢を問わず,大企業大卒労働者>高校教員>大卒労働者です。年齢を上がるほど,差が開いてきます。しかし女性では,様相が違っています。20代までは男性と同じ順位構造ですが,30代以降,高校教員の給与が最も高くなります。40代以降,その差はぐんぐん広がり,定年間近の50代後半では,高校教員と大企業大卒労働者では,年収に180万円ほどの差が出るに至ります。
女性では,年齢や出身大学のランクといった要因を考慮しても,教員給与は高いと判断されます。しかるにそれは,民間において給与の男女差が激しいためです。上図から明らかなように,教員では給与の性差が小さいのに対し,他のグループでは,それが甚だ大きくなっています。教員給与の高さではなく,民間の女性労働者の給与が低いことに注視すべきかと思います。
男性の場合,各種の条件を考慮した年収比較でみても,「教員給与>民間給与」という通説は支持されませんでした。1月29日と2月8日の記事と,ほぼ同じ結果になったことをご報告いたします。
しかるに,そこで比較したのは月収です。ボーナス等の各種の手当を含めた年収で比べたら,違った結果になるかもしれません。公務員は,この種の手当の支給が,民間に比して多いと思われます。
また,年齢構成にも注意する必要があります。先の記事では,性別と学歴という要因は統制したのですが,年齢を揃えた比較は行っていません。厳密な比較を期すならば,同性,同学歴,さらには同年齢の者同士を比べることが求められるでしょう。
このような欠陥をクリアするには,かなり細かい統計が必要ですが,厚労省の『賃金構造基本統計調査』に,それがあることが分かりました。この資料には,職種別・年齢層別に,①「決まって支給する」月収額と,②「年間賞与その他特別給与額」が掲載されています。①を12倍した値に②を足せば,年収額が出てきます。
職種の中に「高校教員」というカテゴリーがありますので,このデータを,大卒労働者全体のものと比べてみます。また,大企業(従業員数1,000人以上)に勤める大卒労働者の数字とも比べてみようと思います。一口に大卒労働者といってもいろいろでしょうが,大企業には,いわゆるランクの高い大学の出身者が多いと推察されます。出身大学のランクも考慮すると,高校教員との比較対象としては,大企業の大卒労働者が望ましいと思われます。
なお,2010年の上記厚労省調査のサンプル構成によると,大企業勤務者が大卒労働者全体に占める比率は,男性で42.4%,女性で38.6%です。およそ4割。ごくわずかのエリート集団というわけではないことを申し添えます。
それでは,高校教員,大卒労働者,そして大企業大卒労働者という3グループについて,年齢層別の年収額を比較してみましょう。下表は,2010年の上記厚労省調査から作成した,男性の統計です。上述のように,年収=(月収×12)+諸手当 です。
私の年齢層(30代後半)の年収をみると,高校教員は653万円,大卒労働者は613万円,大企業大卒労働者は715万円,です。高校教員の年収は,大卒労働者全体よりは高いのですが,大企業の大卒労働者よりは低くなっています。
この順位構造は,他の年齢層でも同じです。表の右端には,高校教員の年収額を1.0とした指数を掲げていますが,大卒労働者では,20代後半を除いて,指数が1.0を下回っています。大企業の大卒労働者の場合,指数は軒並み1.0以上です。
各種の条件を考慮した,厳密な比較対象(大企業大卒労働者)と比べると,高校教員の給与は高くはないようです。これは男性の結果ですが,女性だとどうでしょう。2月8日の記事では,女性教員の給与は,民間よりかなり高いことを明らかにしました。はて,条件をより厳密に揃えた比較でも,同じ結果になるでしょうか。
下図は,男性と女性に分けて,年齢層別の年収額の折れ線グラフを描いたものです。年収曲線とでも名づけておきましょう。
男性では,年齢を問わず,大企業大卒労働者>高校教員>大卒労働者です。年齢を上がるほど,差が開いてきます。しかし女性では,様相が違っています。20代までは男性と同じ順位構造ですが,30代以降,高校教員の給与が最も高くなります。40代以降,その差はぐんぐん広がり,定年間近の50代後半では,高校教員と大企業大卒労働者では,年収に180万円ほどの差が出るに至ります。
女性では,年齢や出身大学のランクといった要因を考慮しても,教員給与は高いと判断されます。しかるにそれは,民間において給与の男女差が激しいためです。上図から明らかなように,教員では給与の性差が小さいのに対し,他のグループでは,それが甚だ大きくなっています。教員給与の高さではなく,民間の女性労働者の給与が低いことに注視すべきかと思います。
男性の場合,各種の条件を考慮した年収比較でみても,「教員給与>民間給与」という通説は支持されませんでした。1月29日と2月8日の記事と,ほぼ同じ結果になったことをご報告いたします。
2012年2月22日水曜日
教員の精神疾患率の性差
病(辞)める教員の姿を赤裸々に描いた,朝日新聞教育チームの『いま,先生は』(岩波書店,2011年)が反響を呼んでいるようです。無味乾燥な数字ばかりいじっている私ですが,こういう生々しいケースに触れるのも大切と考え,購入しました。
http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?isbn=ISBN978-4-00-022187-0
この本では,心を病む,教壇を去る,さらには命をも落としてしまう教員のケースが紹介されています。きちんと数えたわけではないですが,本書の取材対象として出てくる教員には,女性教員が多いように感じました。第1章「教壇をさる教師たち」では6つのケースが扱われていますが,そのうちの4ケースは女性教員のものです。
うーん。どちらかといえば,男性教員よりも女性教員のほうが,各種の問題に遭遇する確率が高いのでしょうか。中学や高校段階になると,こうした性差は大きくなってくるように思えます。私が中学生の頃,ヤンキーたちが「今度のセンコーは女だからチョロイぜ」などとよく口走っていたものでした。
今回は,精神疾患による教員の休職率が,男女でどう違うかをみてみようと思います。文科省に情報公開申請をして入手した内部資料から,精神疾患で休職した公立学校の教員の数を男女別に知ることができます。2010年度間の数字です。この数を,同年の5月1日時点における公立学校の本務教員数で除して,精神疾患による休職率(以下,精神疾患率)を計算しました。分母となる,本務教員の性別の数は,文科省『学校基本調査』に掲載されています。
まずは,学校種ごとに,男女の精神疾患率を出してみましょう。単位は‰です。本務教員千人あたり,精神疾患者が何人いるか,という意味です。
最下段の全学校種の精神疾患率を比べると,男性は5.9‰,女性は6.1‰で,ほぼ同じです。しかし,学校種ごとにみると,少なからぬ性差が観察されます。中学や高校では,女性の精神疾患率が明らかに高くなっています,高校の女性教員の精神疾患率は,男性の1.39倍です。腕力のついた生徒が相手であるだけに,分かるような気がします。
男性では,特別支援学校教員の精神疾患率が高くなっています。女性の1.46倍です。本務教員の数をみると,特別支援学校では,男性教員の数は少ないようです。障害のある子どもを教育する特別支援学校では力仕事が多いと思いますが,少ない男性教員にそういう仕事が集中してしまうこともあるかと思います。上記の『いま,先生は』では,仕事を一手に抱え込み,過労の果てに命を落としてしまった,養護学校の男性教員のケースが取り上げられています(47~54頁)。
次に,男女教員の精神疾患率を都道府県別に出してみましょう。性差の様相は,地域によって異なるものと思われます。なお,各県の休職者数を性別・学校種別にバラすと数がかなり少なくなってしまうので,全学校種の精神疾患率の男女別数値を出しています。
上表によると,男性の精神疾患率のほうが高い県もあれば,その逆の県もあります。その数は,ほぼ半々というところです。
精神疾患率が男女で1ポイント以上違う場合は,高いほうの値をゴチにしました。2ポイントを超える差の時は,赤色のゴチにしました。赤色のゴチに着目すると,男性の率が高い2県(和歌山,広島)と,女性の率が高い3県(神奈川,佐賀,沖縄)を検出できます。
最後に,男性と女性の精神疾患率のどちらが,都市的な環境と関連が強いのかを明らかにしましょう。都市化の指標の代表的なものに,人口集中地区居住率があります。字のごとく,人口集中地区に住んでいる人口が全体のどれほどいるか,という指標です。2010年の『国勢調査』の県別数値がまだ公表されていないので,2005年の数字をとると,最高は東京の98.0%,最低は島根の24.2%です。県によって都市化の程度にはかなりの差があります。
この指標と,男性教員の精神疾患率(上表)の相関係数を出すと0.451です。女性教員の精神疾患率とは0.518という相関です。いずれも有意な相関ですが,女性の精神疾患率のほうが,都市的な環境とのつながりが強いようです。下に,相関図を掲げておきます。
沖縄は「外れ値」的な位置にありますが,東京,神奈川,そして大阪といった都市県において,女性教員の精神疾患率が高いことが知られます。中高生の非行や問題行動の頻度が高いためではないかしらん。都市部では,学校に無理難題を吹っ掛けてくるモンスター・ペアレントも多そうです。
今回は性別の精神疾患率をみましたが,人間を分類するもう一つの基本軸である,年齢層別の精神疾患率はどうか,という関心が持たれます。上記の『いま,先生は』では,1チャプターを割いて,若年教員の問題が扱われています。年齢層別・学校種別の休職者数の県別数値を,現在,文部科学省に申請しているところです。出してもらえるか分かりませんが,資料をゲットできたら,分析結果をこの場でご報告いたします。
http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?isbn=ISBN978-4-00-022187-0
この本では,心を病む,教壇を去る,さらには命をも落としてしまう教員のケースが紹介されています。きちんと数えたわけではないですが,本書の取材対象として出てくる教員には,女性教員が多いように感じました。第1章「教壇をさる教師たち」では6つのケースが扱われていますが,そのうちの4ケースは女性教員のものです。
うーん。どちらかといえば,男性教員よりも女性教員のほうが,各種の問題に遭遇する確率が高いのでしょうか。中学や高校段階になると,こうした性差は大きくなってくるように思えます。私が中学生の頃,ヤンキーたちが「今度のセンコーは女だからチョロイぜ」などとよく口走っていたものでした。
今回は,精神疾患による教員の休職率が,男女でどう違うかをみてみようと思います。文科省に情報公開申請をして入手した内部資料から,精神疾患で休職した公立学校の教員の数を男女別に知ることができます。2010年度間の数字です。この数を,同年の5月1日時点における公立学校の本務教員数で除して,精神疾患による休職率(以下,精神疾患率)を計算しました。分母となる,本務教員の性別の数は,文科省『学校基本調査』に掲載されています。
まずは,学校種ごとに,男女の精神疾患率を出してみましょう。単位は‰です。本務教員千人あたり,精神疾患者が何人いるか,という意味です。
最下段の全学校種の精神疾患率を比べると,男性は5.9‰,女性は6.1‰で,ほぼ同じです。しかし,学校種ごとにみると,少なからぬ性差が観察されます。中学や高校では,女性の精神疾患率が明らかに高くなっています,高校の女性教員の精神疾患率は,男性の1.39倍です。腕力のついた生徒が相手であるだけに,分かるような気がします。
男性では,特別支援学校教員の精神疾患率が高くなっています。女性の1.46倍です。本務教員の数をみると,特別支援学校では,男性教員の数は少ないようです。障害のある子どもを教育する特別支援学校では力仕事が多いと思いますが,少ない男性教員にそういう仕事が集中してしまうこともあるかと思います。上記の『いま,先生は』では,仕事を一手に抱え込み,過労の果てに命を落としてしまった,養護学校の男性教員のケースが取り上げられています(47~54頁)。
次に,男女教員の精神疾患率を都道府県別に出してみましょう。性差の様相は,地域によって異なるものと思われます。なお,各県の休職者数を性別・学校種別にバラすと数がかなり少なくなってしまうので,全学校種の精神疾患率の男女別数値を出しています。
上表によると,男性の精神疾患率のほうが高い県もあれば,その逆の県もあります。その数は,ほぼ半々というところです。
精神疾患率が男女で1ポイント以上違う場合は,高いほうの値をゴチにしました。2ポイントを超える差の時は,赤色のゴチにしました。赤色のゴチに着目すると,男性の率が高い2県(和歌山,広島)と,女性の率が高い3県(神奈川,佐賀,沖縄)を検出できます。
最後に,男性と女性の精神疾患率のどちらが,都市的な環境と関連が強いのかを明らかにしましょう。都市化の指標の代表的なものに,人口集中地区居住率があります。字のごとく,人口集中地区に住んでいる人口が全体のどれほどいるか,という指標です。2010年の『国勢調査』の県別数値がまだ公表されていないので,2005年の数字をとると,最高は東京の98.0%,最低は島根の24.2%です。県によって都市化の程度にはかなりの差があります。
この指標と,男性教員の精神疾患率(上表)の相関係数を出すと0.451です。女性教員の精神疾患率とは0.518という相関です。いずれも有意な相関ですが,女性の精神疾患率のほうが,都市的な環境とのつながりが強いようです。下に,相関図を掲げておきます。
沖縄は「外れ値」的な位置にありますが,東京,神奈川,そして大阪といった都市県において,女性教員の精神疾患率が高いことが知られます。中高生の非行や問題行動の頻度が高いためではないかしらん。都市部では,学校に無理難題を吹っ掛けてくるモンスター・ペアレントも多そうです。
今回は性別の精神疾患率をみましたが,人間を分類するもう一つの基本軸である,年齢層別の精神疾患率はどうか,という関心が持たれます。上記の『いま,先生は』では,1チャプターを割いて,若年教員の問題が扱われています。年齢層別・学校種別の休職者数の県別数値を,現在,文部科学省に申請しているところです。出してもらえるか分かりませんが,資料をゲットできたら,分析結果をこの場でご報告いたします。
2012年2月21日火曜日
子どもの幸福度と教員の精神疾患の関連
記事のタイトルが長くなりがちで,すみません。
前回は,精神疾患による教員の休職率を,学校種別・都道府県別に明らかにしました。小・中学校の休職率の県別数値をみると,1位は沖縄,47位は山梨でした。
この結果をみて,教員の精神疾患率は,前々回明らかにした「子どもの幸福度指数」と相関しているのではないか,と思いました。子どもの幸福度指数とは,字のごとく,各県の子ども(小・中学生)がどれほど幸福かを測る尺度です。家庭,学校,および地域社会という,3つの生活の場の幸福度尺度を総合して作成したものであります。詳細は,2月15日から18日までの記事をご覧ください。
教える対象である子どもに,どれだけ笑顔があふれているかは,教員のメンタル・ヘルスに少なからず影響することと思われます。事実,教員の精神疾患が最も少ない山梨は,子どもの幸福度指数が最高の県です。その逆の沖縄は,子どもの幸福度指数が下から4番目という位置にあります。
47都道府県のデータを使って,子どもの幸福度指数と,精神疾患による教員の休職率の相関関係を調べてみました。下図は,子どもの幸福度指数と小学校教員の休職率の相関図です。
回帰直線を引くと右下がりになる,負の相関関係です。大まかには,子どもの幸福度が高い県ほど,小学校教員の休職率が低い傾向にあります。相関係数は-0.507であり,1%水準で有意な相関と判定されます。中学校教員の休職率との相関係数は-0.411です。こちらも,統計的に有意な相関と判断されます。教員の状況は,日々を共に過ごす子どもの状況と無関係ではないようです。
もう少し分析を深めてみましょう。教員の休職率は,どの面での子どもの幸福度と強く相関しているのでしょうか。小・中学校教員の休職率と,3つの面での子どもの幸福度の相関係数を出してみました。
小学校教員の休職率は家庭面,中学校教員の休職率は地域面での子どもの幸福度と強く関連しています。教員が精神疾患を患う原因の一つに,子どもの問題行動が挙げられるでしょう。①子どもの生活の歪み→②問題行動→③教員の精神疾患,というごく単純な経路を想定すると,①の局面に際して,年少の児童は家庭,生活範囲が広がる生徒の場合は地域の影響が大きいのではないか,と思われます。
しかし,小・中学校の休職率とも,学校面での子どもの幸福度と無相関であるのは意外です。教員の精神疾患の環境要因は,広く考えると,学校という職域とは別の領域にも分布していることがうかがわれます。
前回は,精神疾患による教員の休職率を,学校種別・都道府県別に明らかにしました。小・中学校の休職率の県別数値をみると,1位は沖縄,47位は山梨でした。
この結果をみて,教員の精神疾患率は,前々回明らかにした「子どもの幸福度指数」と相関しているのではないか,と思いました。子どもの幸福度指数とは,字のごとく,各県の子ども(小・中学生)がどれほど幸福かを測る尺度です。家庭,学校,および地域社会という,3つの生活の場の幸福度尺度を総合して作成したものであります。詳細は,2月15日から18日までの記事をご覧ください。
教える対象である子どもに,どれだけ笑顔があふれているかは,教員のメンタル・ヘルスに少なからず影響することと思われます。事実,教員の精神疾患が最も少ない山梨は,子どもの幸福度指数が最高の県です。その逆の沖縄は,子どもの幸福度指数が下から4番目という位置にあります。
47都道府県のデータを使って,子どもの幸福度指数と,精神疾患による教員の休職率の相関関係を調べてみました。下図は,子どもの幸福度指数と小学校教員の休職率の相関図です。
回帰直線を引くと右下がりになる,負の相関関係です。大まかには,子どもの幸福度が高い県ほど,小学校教員の休職率が低い傾向にあります。相関係数は-0.507であり,1%水準で有意な相関と判定されます。中学校教員の休職率との相関係数は-0.411です。こちらも,統計的に有意な相関と判断されます。教員の状況は,日々を共に過ごす子どもの状況と無関係ではないようです。
もう少し分析を深めてみましょう。教員の休職率は,どの面での子どもの幸福度と強く相関しているのでしょうか。小・中学校教員の休職率と,3つの面での子どもの幸福度の相関係数を出してみました。
小学校教員の休職率は家庭面,中学校教員の休職率は地域面での子どもの幸福度と強く関連しています。教員が精神疾患を患う原因の一つに,子どもの問題行動が挙げられるでしょう。①子どもの生活の歪み→②問題行動→③教員の精神疾患,というごく単純な経路を想定すると,①の局面に際して,年少の児童は家庭,生活範囲が広がる生徒の場合は地域の影響が大きいのではないか,と思われます。
しかし,小・中学校の休職率とも,学校面での子どもの幸福度と無相関であるのは意外です。教員の精神疾患の環境要因は,広く考えると,学校という職域とは別の領域にも分布していることがうかがわれます。
2012年2月19日日曜日
精神疾患による教員の休職率(学校種別,都道府県別)
昨年の5月31日の記事では,精神疾患による教員の休職率を都道府県別に明らかにしました。精神疾患で休職する教員が自県でどれほどいるかは,多くの人の関心事であるらしく,この記事の閲覧頻度は高くなっています。
しかるに,この記事で提示したのは,公立学校全体のデータです。性質を異にする全学校種を一括りにするのではなく,小学校なら小学校というように,学校種ごとの休職率を県別に出せないかと,前から思っていました。
文科省のホームページでは,全学校種の県別の休職者数しか公表されていません。しかし,ダメ元で情報公開申請をしたところ,精神疾患で休職した教員の数を,学校種別・県別に集計した資料を入手することができました。当局に提出した申請書と,送られてきた内部資料の写真をお見せします。
47都道府県・19指定都市分の66枚の集計表が送付されてきました。写真に映っているのは,北海道のものです。かかった費用は,申請料300円+開示手数料360円+資料郵送費390円=1,050円なり。高い買い物というわけではありません。当局の公表資料よりももっと突っ込んだデータが欲しいという場合,情報公開室のような部署に相談してみるとよいと思います。
http://www.mext.go.jp/b_menu/koukai/index.htm
この資料から,2010年度間に精神疾患で休職した公立学校の教員の数を,学校種別・県別に出すことができます。指定都市の分は,当該都市がある県の分に含めました(たとえば札幌市は,北海道の数に含めています)。この数を,各県の公立学校の本務教員数(2010年5月1日時点)で除して,学校種ごとの休職率を都道府県別に計算しました。分母の本務教員数は,文科省『学校基本調査』から得ています。
計算の過程についてイメージを持っていただくため,全国と東京のロー・データを見ていただきましょう。休職率の単位は‰としています。分母千人当たりという意味です。
どの学校の休職率も,東京のほうが全国よりも高くなっています。休職率が最も高い学校は,全国では特別支援学校ですが,東京では中学校のようです。全国と東京の差が最も大きいのは高校の休職率であり,後者(7.8)は前者(4.6)の1.7倍にもなります。
それでは,47都道府県の学校種ごとの休職率をご覧に入れましょう。下表の左欄は休職率の実値,右欄は順位です。実値の最大値には黄色,最小値には青色のマークを付しています。順位の5位までの数字は赤色にしています。
小・中学校の休職率が最も高いのは沖縄,最も低いのは山梨です。前回みたように,山梨は,子どもの幸福度指数が最も高い県です。こういうことが,教員のメンタル・ヘルスにも影響しているのでしょうか。高校と特別支援学校は,様相が違っています。
右欄の順位をみると,東京,広島,そして沖縄は,小・中・高のいずれの休職率も上位5位にランク・インしています。神奈川と大阪は,2種の学校の休職率が赤色です。教員の精神疾患と,都市的な環境の関連が示唆されます。
間もなく,2010年の文科省『学校教員統計調査』の結果が公表されることと思います。この資料から,教員の年齢構成,学歴構成,担当授業数,給与水準などの県別データを知ることができます。こうした勤務条件指標と休職率の相関関係に興味が持たれます。また,各県の児童・生徒の問題行動統計との関連分析も手掛けてみたい課題です。
休職率の仔細な要因分析は,これから徐々に手掛けていこうと思います。ひとまず,当局の内部データをもとに作成した,学校種別・県別の精神疾患率を,資料的意味合いを込めて掲載しておきます。参考に供していただければと存じます。
しかるに,この記事で提示したのは,公立学校全体のデータです。性質を異にする全学校種を一括りにするのではなく,小学校なら小学校というように,学校種ごとの休職率を県別に出せないかと,前から思っていました。
文科省のホームページでは,全学校種の県別の休職者数しか公表されていません。しかし,ダメ元で情報公開申請をしたところ,精神疾患で休職した教員の数を,学校種別・県別に集計した資料を入手することができました。当局に提出した申請書と,送られてきた内部資料の写真をお見せします。
47都道府県・19指定都市分の66枚の集計表が送付されてきました。写真に映っているのは,北海道のものです。かかった費用は,申請料300円+開示手数料360円+資料郵送費390円=1,050円なり。高い買い物というわけではありません。当局の公表資料よりももっと突っ込んだデータが欲しいという場合,情報公開室のような部署に相談してみるとよいと思います。
http://www.mext.go.jp/b_menu/koukai/index.htm
この資料から,2010年度間に精神疾患で休職した公立学校の教員の数を,学校種別・県別に出すことができます。指定都市の分は,当該都市がある県の分に含めました(たとえば札幌市は,北海道の数に含めています)。この数を,各県の公立学校の本務教員数(2010年5月1日時点)で除して,学校種ごとの休職率を都道府県別に計算しました。分母の本務教員数は,文科省『学校基本調査』から得ています。
計算の過程についてイメージを持っていただくため,全国と東京のロー・データを見ていただきましょう。休職率の単位は‰としています。分母千人当たりという意味です。
どの学校の休職率も,東京のほうが全国よりも高くなっています。休職率が最も高い学校は,全国では特別支援学校ですが,東京では中学校のようです。全国と東京の差が最も大きいのは高校の休職率であり,後者(7.8)は前者(4.6)の1.7倍にもなります。
それでは,47都道府県の学校種ごとの休職率をご覧に入れましょう。下表の左欄は休職率の実値,右欄は順位です。実値の最大値には黄色,最小値には青色のマークを付しています。順位の5位までの数字は赤色にしています。
小・中学校の休職率が最も高いのは沖縄,最も低いのは山梨です。前回みたように,山梨は,子どもの幸福度指数が最も高い県です。こういうことが,教員のメンタル・ヘルスにも影響しているのでしょうか。高校と特別支援学校は,様相が違っています。
右欄の順位をみると,東京,広島,そして沖縄は,小・中・高のいずれの休職率も上位5位にランク・インしています。神奈川と大阪は,2種の学校の休職率が赤色です。教員の精神疾患と,都市的な環境の関連が示唆されます。
間もなく,2010年の文科省『学校教員統計調査』の結果が公表されることと思います。この資料から,教員の年齢構成,学歴構成,担当授業数,給与水準などの県別データを知ることができます。こうした勤務条件指標と休職率の相関関係に興味が持たれます。また,各県の児童・生徒の問題行動統計との関連分析も手掛けてみたい課題です。
休職率の仔細な要因分析は,これから徐々に手掛けていこうと思います。ひとまず,当局の内部データをもとに作成した,学校種別・県別の精神疾患率を,資料的意味合いを込めて掲載しておきます。参考に供していただければと存じます。
2012年2月18日土曜日
子どもの幸福度指数(総合)
家庭,学校,および地域社会という3つの場における,子どもの幸福度を測ってきました。今回は,それらを使った,総合的な評価をすることにいたしましょう。*ここでいう子どもとは,義務教育学校(小・中学校)の就学年齢の子どものことをいいます。
やり方はいたって簡単です。3つの場の幸福度指数の平均値(average)を求めてみます。この値をもって,子どもの幸福度指数の総合バージョンといたしましょう。以下に,47都道府県の一覧を掲げます。
右端に,3つの場の指数を平均した,総合的な幸福度指数が示されています。1位は,山梨の8.11です。最下位は,大阪の2.44です。7.00を超える数字は赤色にしています。秋田,山形,富山,山梨,愛媛,宮崎,そして鹿児島が該当します。これらの県は,子どもの幸福度が相対的に高い県であると評されます。
数字の羅列を掲げるだけというのは芸がないので,指数が高い(低い)県の地理的な位置も確認しておきましょう。下図は,総合的な子どもの幸福度指数に基づいて,各県を塗り分けたものです。4.0未満は黒色,4点台は赤色,5点台は黄色,6点台は水色,7点以上は白色にしています。
幸福度の高い白色の地域は固まっているというわけではなく,あちこちに点在しています。一方,幸福度が低い黒色や赤色の地域は,ある程度固まっているようです。首都圏,近畿,および四国です。人口が多いこれらの地域において,子どもの幸福度指数が低いというのは,やや気がかりです。
ここで出した,子どもの幸福度指数の総合版は,法政大学の坂本教授らが発表した県別の幸福度指数(下記サイト参照)と相関しています。相関係数は0.495で,統計的に有意な相関と判断されます。子どもというのはやはり,社会の鏡であるのだな,と思います。
http://www.hosei.ac.jp/koho/photo/2011/111110.html
また,各県の非行少年の出現率とも関連があります。私は,2009年の小・中学生の非行少年出現率を県別に計算しました。各県の警察に検挙・補導された小・中学生の数を,小・中学生全体の数で除した値です。分子の非行少年数は,警察庁『平成21年の犯罪』から得ました。この逸脱指標と,子どもの幸福度指数を関連づけてみると,下図のようです。
撹乱はありますが,今回出した子どもの幸福度指数が高い(低い)県ほど,少年非行が少ない(多い)傾向にあります。相関係数は-0.577です。1%水準で有意な相関と判断されます。
私個人の恣意的な枠組みで構成した,子どもの幸福度指数ですが,妥当性(信憑性)がゼロというわけではなさそうなので,ホッとしています。家庭,学校,そして地域社会という,子どもの主要な生活の場に注目したのは,間違いではなかったようです。
これから,枠組みをさらに精緻化していきたいと思います。ご意見等がありましたら,お寄せいただけますと幸いに存じます。
やり方はいたって簡単です。3つの場の幸福度指数の平均値(average)を求めてみます。この値をもって,子どもの幸福度指数の総合バージョンといたしましょう。以下に,47都道府県の一覧を掲げます。
右端に,3つの場の指数を平均した,総合的な幸福度指数が示されています。1位は,山梨の8.11です。最下位は,大阪の2.44です。7.00を超える数字は赤色にしています。秋田,山形,富山,山梨,愛媛,宮崎,そして鹿児島が該当します。これらの県は,子どもの幸福度が相対的に高い県であると評されます。
数字の羅列を掲げるだけというのは芸がないので,指数が高い(低い)県の地理的な位置も確認しておきましょう。下図は,総合的な子どもの幸福度指数に基づいて,各県を塗り分けたものです。4.0未満は黒色,4点台は赤色,5点台は黄色,6点台は水色,7点以上は白色にしています。
幸福度の高い白色の地域は固まっているというわけではなく,あちこちに点在しています。一方,幸福度が低い黒色や赤色の地域は,ある程度固まっているようです。首都圏,近畿,および四国です。人口が多いこれらの地域において,子どもの幸福度指数が低いというのは,やや気がかりです。
ここで出した,子どもの幸福度指数の総合版は,法政大学の坂本教授らが発表した県別の幸福度指数(下記サイト参照)と相関しています。相関係数は0.495で,統計的に有意な相関と判断されます。子どもというのはやはり,社会の鏡であるのだな,と思います。
http://www.hosei.ac.jp/koho/photo/2011/111110.html
また,各県の非行少年の出現率とも関連があります。私は,2009年の小・中学生の非行少年出現率を県別に計算しました。各県の警察に検挙・補導された小・中学生の数を,小・中学生全体の数で除した値です。分子の非行少年数は,警察庁『平成21年の犯罪』から得ました。この逸脱指標と,子どもの幸福度指数を関連づけてみると,下図のようです。
撹乱はありますが,今回出した子どもの幸福度指数が高い(低い)県ほど,少年非行が少ない(多い)傾向にあります。相関係数は-0.577です。1%水準で有意な相関と判断されます。
私個人の恣意的な枠組みで構成した,子どもの幸福度指数ですが,妥当性(信憑性)がゼロというわけではなさそうなので,ホッとしています。家庭,学校,そして地域社会という,子どもの主要な生活の場に注目したのは,間違いではなかったようです。
これから,枠組みをさらに精緻化していきたいと思います。ご意見等がありましたら,お寄せいただけますと幸いに存じます。
2012年2月17日金曜日
子どもの幸福度指数(地域)
家庭,学校に続いて,今度は地域社会の幸福度測定です。地域社会については概念規定が難しいのですが,簡単にいうと,人々が「われわれ意識」を持って共同生活を営む範域であると考えられます(拙稿「地域社会」『教職用語辞典』一藝社,2008年)。範囲としては,徒歩で行き交うことのできる,中学校区くらいを想定すればよいと思います。
あまり知られていませんが,地域社会は,家庭や学校に劣らず,子どもの生活や発育にとって重要な意味を持っています。家から学校までの通り道をなすと同時に,放課後は子どもたちの遊びの場となります。また,各種の行事が催される基礎的な単位です。
地域行事は,子どもたちが多様な人間関係(タテ,ヨコ,ナナメ)に触れ,さまざまな役割を持ち回りすることで,社会性を育むことのできる絶好の機会です。全体社会の縮図としての性格を持つ地域社会ならではの教育力といえましょう。家庭や学校では,なかなか真似のできないことです。
しかるに最近,地域社会がこうした機能を果たし得なくなってきています。近隣の人間関係が希薄化し,大人たちは自地域の子どもの教育に無関心。職住分離の進行や人口移動(mobility)の高まりによって,こうした傾向に拍車がかかっているものと思われます。
また,地域において,子どもが被害者となる痛ましい事件が頻発していることも看過できません。地域社会が,子どもを抱摂するどころか,彼らの身の安全を脅かすデンジャラス・ゾーンと化している側面も否定できないところです。
このようなことを念頭に置きながら,私は,地域面での子どもの幸福度指数を構成するための統計指標として,次の3つを思いつきました。①福祉犯被害率,②最近5年間の定住人口率,③地域行事に参加している子どもの比率,です。
①は,地域社会の危険度を測る指標です。児童買春などの福祉犯被害に遭う子どもがどれほどいるかです。小・中学生1万人あたりの比率を出してみます。分子の福祉犯被害少年数は,警察庁『少年の補導及び保護の概況』から得ました。分母の小・中学生数は,文科省『学校基本調査』から採取しました。2009年のデータです。
http://www.npa.go.jp/toukei/index.htm
②は,地域社会の安定度を診る指標です。2010年の人口のうち,5年前(2005年)と住所が同じ者の比率です。この値が高いほど,地域に腰を据えている者が多く,それだけ,地域に愛着を持っている人間が多いものとみなします。地域行事などが振興するための条件指標といえましょう。資料は,2010年の総務省『国勢調査報告』です。
③は,子どもがどれほど地域に抱摂されているかを測る指標です。文科省『全国学力・学習状況調査』では,公立の小学校6年生・中学校3年生に対し,「今住んでいる地域の行事に参加しているか」と問うています。この設問に対し,最も強い肯定の回答(「あてはまる」)を寄せた者の比率をとってみます。この値が高いほど,先ほど述べた地域社会の理想態が実現されている度合いが高いとみませましょう。2009年の調査データを使います。
この3指標の値を,県別に計算しました。全県の値を掲げるのは煩雑ですので,全国値と,47都道府県の両端の値だけを示します。
うーん,家庭や学校の指標よりも,はるかに大きな地域差が見受けられます。沖縄の福祉犯被害率は,山梨の10倍以上。予想通りといいますか,安定と抱摂の指標は,大都市の東京で最も低いようです。東京では,人口のほぼ4割が,この5年間での引っ越し経験者です。地域に人口が「入っては出ていく」の繰り返し・・・。地域の子どもの教育に無関心な大人が多いのも,無理ありますまい。
では,家庭と学校の場合と同じやり方で3指標を合成し,地域面での子どもの幸福度指数を構成してみましょう。ランクに基づいて,各県の指標の値を1~10点のスコアに換算します。
危険面の指標はマイナス指標ですので,1~5位=1点,6~10位=2点,11~15位=3点,16~20位=4点,21~25位=5点,26~30位=6点,31~35位=7点,36~40位=8点,41~45位=9点,46~47位=10点,と換算します。
残りの2つはプラス指標なので,1~5位=10点,6~10位=9点,11~15位=8点,16~20位=7点,21~25位=6点,26~30位=5点,31~35位=4点,36~40位=3点,41~45位=2点,46~47位=1点,と換算します。
3指標のスコアの平均値をもって,地域面での子どもの幸福度指数と考えます。下表は,その一覧です。最大値には黄色,最小値には青色のマークをつけています。
1位は東北の山形で9.67,最下位は沖縄で1.00です。山形は満点(10点)に近い水準です。スゴイ。一方,沖縄は,考えられ得る値の最低値(1.00)を記録しています。「ゆいまーる」の沖縄は,地域の人間関係が濃いと思っていたのですが,これは意外な結果です。
指数が7.00を超える件は赤色にしています。東北の中部の諸県において,地域社会における子どもの幸福度が比較的高いことがうかがわれます。何となく分かるような気がするなあ。
最後に,上表の県別の幸福度指数を地図上で表現してみます。前回までと同じく,4点未満を黒色,4点台を赤色,5点台を黄色,6点台を水色,7点以上を白色にした地図を作成しました。
先ほど述べたように,東北から中部にかけて,幸福度の高い白色ゾーンが連なっています。一方,首都圏(1都4県)は,オール・ブラックです。近畿の大阪,九州の福岡も然り。都市部における,地域社会の衰退がうかがわれます。
いかがでしょう。家庭や学校の面とは,また違った側面が明らかになったと思います。次回は,家庭,学校,および地域社会の幸福度指数を総動員した,総合的な子どもの幸福度指数を構成してみようと思います。
あまり知られていませんが,地域社会は,家庭や学校に劣らず,子どもの生活や発育にとって重要な意味を持っています。家から学校までの通り道をなすと同時に,放課後は子どもたちの遊びの場となります。また,各種の行事が催される基礎的な単位です。
地域行事は,子どもたちが多様な人間関係(タテ,ヨコ,ナナメ)に触れ,さまざまな役割を持ち回りすることで,社会性を育むことのできる絶好の機会です。全体社会の縮図としての性格を持つ地域社会ならではの教育力といえましょう。家庭や学校では,なかなか真似のできないことです。
しかるに最近,地域社会がこうした機能を果たし得なくなってきています。近隣の人間関係が希薄化し,大人たちは自地域の子どもの教育に無関心。職住分離の進行や人口移動(mobility)の高まりによって,こうした傾向に拍車がかかっているものと思われます。
また,地域において,子どもが被害者となる痛ましい事件が頻発していることも看過できません。地域社会が,子どもを抱摂するどころか,彼らの身の安全を脅かすデンジャラス・ゾーンと化している側面も否定できないところです。
このようなことを念頭に置きながら,私は,地域面での子どもの幸福度指数を構成するための統計指標として,次の3つを思いつきました。①福祉犯被害率,②最近5年間の定住人口率,③地域行事に参加している子どもの比率,です。
①は,地域社会の危険度を測る指標です。児童買春などの福祉犯被害に遭う子どもがどれほどいるかです。小・中学生1万人あたりの比率を出してみます。分子の福祉犯被害少年数は,警察庁『少年の補導及び保護の概況』から得ました。分母の小・中学生数は,文科省『学校基本調査』から採取しました。2009年のデータです。
http://www.npa.go.jp/toukei/index.htm
②は,地域社会の安定度を診る指標です。2010年の人口のうち,5年前(2005年)と住所が同じ者の比率です。この値が高いほど,地域に腰を据えている者が多く,それだけ,地域に愛着を持っている人間が多いものとみなします。地域行事などが振興するための条件指標といえましょう。資料は,2010年の総務省『国勢調査報告』です。
③は,子どもがどれほど地域に抱摂されているかを測る指標です。文科省『全国学力・学習状況調査』では,公立の小学校6年生・中学校3年生に対し,「今住んでいる地域の行事に参加しているか」と問うています。この設問に対し,最も強い肯定の回答(「あてはまる」)を寄せた者の比率をとってみます。この値が高いほど,先ほど述べた地域社会の理想態が実現されている度合いが高いとみませましょう。2009年の調査データを使います。
この3指標の値を,県別に計算しました。全県の値を掲げるのは煩雑ですので,全国値と,47都道府県の両端の値だけを示します。
うーん,家庭や学校の指標よりも,はるかに大きな地域差が見受けられます。沖縄の福祉犯被害率は,山梨の10倍以上。予想通りといいますか,安定と抱摂の指標は,大都市の東京で最も低いようです。東京では,人口のほぼ4割が,この5年間での引っ越し経験者です。地域に人口が「入っては出ていく」の繰り返し・・・。地域の子どもの教育に無関心な大人が多いのも,無理ありますまい。
では,家庭と学校の場合と同じやり方で3指標を合成し,地域面での子どもの幸福度指数を構成してみましょう。ランクに基づいて,各県の指標の値を1~10点のスコアに換算します。
危険面の指標はマイナス指標ですので,1~5位=1点,6~10位=2点,11~15位=3点,16~20位=4点,21~25位=5点,26~30位=6点,31~35位=7点,36~40位=8点,41~45位=9点,46~47位=10点,と換算します。
残りの2つはプラス指標なので,1~5位=10点,6~10位=9点,11~15位=8点,16~20位=7点,21~25位=6点,26~30位=5点,31~35位=4点,36~40位=3点,41~45位=2点,46~47位=1点,と換算します。
3指標のスコアの平均値をもって,地域面での子どもの幸福度指数と考えます。下表は,その一覧です。最大値には黄色,最小値には青色のマークをつけています。
1位は東北の山形で9.67,最下位は沖縄で1.00です。山形は満点(10点)に近い水準です。スゴイ。一方,沖縄は,考えられ得る値の最低値(1.00)を記録しています。「ゆいまーる」の沖縄は,地域の人間関係が濃いと思っていたのですが,これは意外な結果です。
指数が7.00を超える件は赤色にしています。東北の中部の諸県において,地域社会における子どもの幸福度が比較的高いことがうかがわれます。何となく分かるような気がするなあ。
最後に,上表の県別の幸福度指数を地図上で表現してみます。前回までと同じく,4点未満を黒色,4点台を赤色,5点台を黄色,6点台を水色,7点以上を白色にした地図を作成しました。
先ほど述べたように,東北から中部にかけて,幸福度の高い白色ゾーンが連なっています。一方,首都圏(1都4県)は,オール・ブラックです。近畿の大阪,九州の福岡も然り。都市部における,地域社会の衰退がうかがわれます。
いかがでしょう。家庭や学校の面とは,また違った側面が明らかになったと思います。次回は,家庭,学校,および地域社会の幸福度指数を総動員した,総合的な子どもの幸福度指数を構成してみようと思います。
2012年2月16日木曜日
子どもの幸福度指数(学校)
今回は,学校という場における,子どもの幸福度を県別に計測してみようと思います。現代の子どもたちの生活において,学校は非常に大きなウェイトを占めています。学校生活がどのようなものかは,子どもにとって大変重要な意味を持っています。
学校生活をどういう観点から診るかですが,「学校は勉強をする場,友達との交流をする場」という,誰もが知っているごく当たり前の前提を置いてみます。
この大前提がどれほど実現しているか(崩れているか)を測る指標として,私は,①学校で好きな授業がある者の比率,②学校で友達と会うのが楽しい者の比率,③不登校者出現率,というものを思いつきました。
①は勉学面の指標です。文科省『全国学力・学習状況調査』では,公立の小学校6年生と中学校3年生に対し,学校生活について尋ねています。この中の「学校で好きな授業はあるか」という問いに対し,最も強い肯定の回答(「あてはまる」)を寄せた者の比率を拾ってみます。2009年調査のデータです。
②は交友面の指標です。上記文科省調査の「学校で友達と会うのは楽しいか」という設問に対し,最も強い肯定の回答(「あてはまる」)を寄せた者の比率です。同じく2009年調査のデータです。
最後の③は,不適応の側面を測る指標です。小・中学生のうち,「学校嫌い」を理由に年間30日以上欠席した者の比率です。いわゆる不登校者の出現率です。分子は2009年度間,分母は同年5月1日時点の数字です。文科省『学校基本調査』から数字をハントし,計算しました。
①と②が高いことは,先ほど述べた大前提に,子どもが馴染んでいることを意味します。③が高いことは,その逆であることを示唆します。このような枠組みにおいて,学校面での子どもの幸福度を計測してみようと思います。
私は,これら3つの指標を都道府県別に計算しました。前回と同様,全国値と47都道府県の両端の値を示します。
前回の家庭面の指標ほど大きな地域差はありませんが,各県の相対的な差を検出する分には十分な差といえます。不登校率は,都市部の神奈川が最高なのですね。
では,この3指標を総合して,学校面での子どもの幸福度指数を構成しましょう。やり方は前回と同じです。47都道府県中のランクに基づいて,各県の指標の値を1~10点のスコアに換算します。
勉強と交友はプラス面の指標なので,1~5位=10点,6~10位=9点,11~15位=8点,16~20位=7点,21~25位=6点,26~30位=5点,31~35位=4点,36~40位=3点,41~45位=2点,46~47位=1点,と換算します。
不適応はマイナス面の指標なので,1~5位=1点,6~10位=2点,11~15位=3点,16~20位=4点,21~25位=5点,26~30位=6点,31~35位=7点,36~40位=8点,41~45位=9点,46~47位=10点,と換算します。
3指標のスコアの平均点をもって,学校面での子どもの幸福度指数とみなします。値が高いほど,幸福度が高いことを意味します。下表は,その一覧です。
幸福度指数の最高は宮崎の9.67,最低は高知の1.67です。前回みた,家庭面での幸福度指数よりも大きな開きが見受けられます。宮崎は,幸福度指数の満点(10点)にほぼ近い水準です。あくまで相対評価ですが,当県では,学校において幸福感を感じている子どもが多いことと思われます。
指数が7.00を超える県は赤色にしています。このうち,家庭面の指数も赤色であったのは,栃木,富山,山梨,山口,愛媛,そして鹿児島です。これらの県では,家庭と学校の双方の場において,子どもの幸福度が高いことがうかがわれます。
最後に,学校面での幸福度指数を地図化しておきましょう。前回と同じく,4点未満を黒色,4点台を赤色,5点台を黄色,6点台を水色,7点以上を白色で塗ったマップをつくりました。
指数が低い黒色と赤色の地域は,近畿,山陰,四国に多いようです。京都と大阪は,家庭面での幸福度マップでも黒色でした。やや気になる傾向です。
次回は,地域社会における子どもの幸福度を測ってみます。その次の回では,3つの場における幸福度指数を使った,総合的な評価をしてみる予定です。
学校生活をどういう観点から診るかですが,「学校は勉強をする場,友達との交流をする場」という,誰もが知っているごく当たり前の前提を置いてみます。
この大前提がどれほど実現しているか(崩れているか)を測る指標として,私は,①学校で好きな授業がある者の比率,②学校で友達と会うのが楽しい者の比率,③不登校者出現率,というものを思いつきました。
①は勉学面の指標です。文科省『全国学力・学習状況調査』では,公立の小学校6年生と中学校3年生に対し,学校生活について尋ねています。この中の「学校で好きな授業はあるか」という問いに対し,最も強い肯定の回答(「あてはまる」)を寄せた者の比率を拾ってみます。2009年調査のデータです。
②は交友面の指標です。上記文科省調査の「学校で友達と会うのは楽しいか」という設問に対し,最も強い肯定の回答(「あてはまる」)を寄せた者の比率です。同じく2009年調査のデータです。
最後の③は,不適応の側面を測る指標です。小・中学生のうち,「学校嫌い」を理由に年間30日以上欠席した者の比率です。いわゆる不登校者の出現率です。分子は2009年度間,分母は同年5月1日時点の数字です。文科省『学校基本調査』から数字をハントし,計算しました。
①と②が高いことは,先ほど述べた大前提に,子どもが馴染んでいることを意味します。③が高いことは,その逆であることを示唆します。このような枠組みにおいて,学校面での子どもの幸福度を計測してみようと思います。
私は,これら3つの指標を都道府県別に計算しました。前回と同様,全国値と47都道府県の両端の値を示します。
前回の家庭面の指標ほど大きな地域差はありませんが,各県の相対的な差を検出する分には十分な差といえます。不登校率は,都市部の神奈川が最高なのですね。
では,この3指標を総合して,学校面での子どもの幸福度指数を構成しましょう。やり方は前回と同じです。47都道府県中のランクに基づいて,各県の指標の値を1~10点のスコアに換算します。
勉強と交友はプラス面の指標なので,1~5位=10点,6~10位=9点,11~15位=8点,16~20位=7点,21~25位=6点,26~30位=5点,31~35位=4点,36~40位=3点,41~45位=2点,46~47位=1点,と換算します。
不適応はマイナス面の指標なので,1~5位=1点,6~10位=2点,11~15位=3点,16~20位=4点,21~25位=5点,26~30位=6点,31~35位=7点,36~40位=8点,41~45位=9点,46~47位=10点,と換算します。
3指標のスコアの平均点をもって,学校面での子どもの幸福度指数とみなします。値が高いほど,幸福度が高いことを意味します。下表は,その一覧です。
幸福度指数の最高は宮崎の9.67,最低は高知の1.67です。前回みた,家庭面での幸福度指数よりも大きな開きが見受けられます。宮崎は,幸福度指数の満点(10点)にほぼ近い水準です。あくまで相対評価ですが,当県では,学校において幸福感を感じている子どもが多いことと思われます。
指数が7.00を超える県は赤色にしています。このうち,家庭面の指数も赤色であったのは,栃木,富山,山梨,山口,愛媛,そして鹿児島です。これらの県では,家庭と学校の双方の場において,子どもの幸福度が高いことがうかがわれます。
最後に,学校面での幸福度指数を地図化しておきましょう。前回と同じく,4点未満を黒色,4点台を赤色,5点台を黄色,6点台を水色,7点以上を白色で塗ったマップをつくりました。
指数が低い黒色と赤色の地域は,近畿,山陰,四国に多いようです。京都と大阪は,家庭面での幸福度マップでも黒色でした。やや気になる傾向です。
次回は,地域社会における子どもの幸福度を測ってみます。その次の回では,3つの場における幸福度指数を使った,総合的な評価をしてみる予定です。
2012年2月15日水曜日
子どもの幸福度指数(家庭)
法政大学の坂本光司教授の研究グループが,47都道府県の幸福度指数なるものを開発して,話題を呼んでいるようです。機能面・経済面とは違った,住民の幸福度を測る試みとしては初めてとのことで,注目を集めていると聞きます。大変意義のある仕事と,敬意を表します。
http://www.hosei.ac.jp/koho/photo/2011/111110.html
私は,坂本教授らに触発されて,「子どもの幸福度指数」なるものを計算できないか,と考えました。さまざまな年齢層を含む全人口を一括りにするのではなく,それぞれの層に特化した診断も必要であると思われます。教育学徒の端くれである私は,各県の子どもの幸福度を計測する尺度(measure)を考えてみよう,と思い立った次第です。
子どもの年齢的な定義ですが,義務教育学校(小・中学校)の就学年齢の者を指すこととします。おおよそ,6~14歳の児童・生徒です。法律用語でいうと,学齢の児童・生徒ということになります。
次に,子どもの幸福度を測る統計指標の選定ですが,これに先立って,大まかな領域を立てておく必要があります。坂本教授らは,住民の幸福度を測るに際して,生活・家族部門,労働・企業部門,安全・安心部門,医療・健康部門,という4つの領域を設定しています。
対象が子どもの場合,どういう領域設定がよいでしょうか。ここでは,子どもの主要な生活の場を据えてみます。家庭,学校,そして地域社会です。3つの場ごとに子どもの幸福度を計測し,最後に,それらを総合するのが得策かと思います。
今回は,家庭面での幸福度を測ってみます。家庭は,血縁に基づく情緒的・情愛的な人間関係が支配的な第一次集団です。このような性格を持つ家庭は,成員にとっての憩い・癒しの場になると同時に,子ども,とりわけ幼少の子どもに他者への基本的信頼感を獲得させる機能を期待されています。
このような理想態から,各県の子どもの家庭がどれほど隔たっているか(どれほど近いか)を測る指標を考えてみます。私は,①被保護人員率,②虐待被害率,③家族交流率,という3つの指標を思いつきました。
①は,貧困の多寡を測る指標です。貧困は,上記のような家族の機能遂行を妨げる基底的な条件をなしています。被保護人員率とは,生活保護を受けている小・中学生が,小・中学生全体に占める比率です。分子の生活保護人員は厚労省『被保護者全国一斉調査』,分母の小・中学生数は文科省『学校基本調査』から得ました。2009年のデータです。
②は,家族の機能障害を測る指標です。虐待は,子どもに他者への信頼感ではなく,不信感を植えつけてしまうことは,いうまでもありません。この指標が高いことは,家庭が癒しの場ではなく,緊張や葛藤の場になってしまっている度合いが高いことを示唆します。虐待被害率とは,小・中学生が被害者である児童虐待の相談件数が,小・中学生に占める比率です。分子の相談件数は,厚労省の『社会福祉行政業務報告』から得ました。同じく2009年のデータです。
③は,字のごとく,家族間の交流の頻度です。この指標が高いほど,上述の理想態に近いと判断されます。家族交流率とは,文科省『全国学力・学習状況調査』の「学校での出来事を家の人と話していますか」という設問に対し,「している」と答えた小・中学生の比率です。ここでいう小・中学生とは,公立の小学校6年生,中学校3年生です。こちらも,2009年のデータです。
http://www.nier.go.jp/09chousakekkahoukoku/index.htm
私は,この3つの指標を都道府県別に計算しました。全国値と,47都道府県の両端の値を示します。
どの指標も,県別にみるとかなりの差があります。北海道では,生活保護を受けている子どもが28人に1人なのに対し,富山では1,667人に1人です。虐待被害率も,神奈川と鹿児島では10倍の開きです。家族交流率も,両端では10ポイント以上の開きが観察されます。
これら3指標を総合して,家庭面での子どもの幸福度指数を構成してみようと思います。坂本教授らのやり方にしたがって,各県の指標の値を,47都道府県中の順位に依拠して点数化します。
貧困と虐待の指標はマイナス面の指標なので,1~5位=1点,6~10位=2点,11~15位=3点,16~20位=4点,21~25位=5点,26~30位=6点,31~35位=7点,36~40位=8点,41~45位=9点,46~47位=10点,と換算します。
家族交流はプラス面の指標なので,1~5位=10点,6~10位=9点,11~15位=8点,16~20位=7点,21~25位=6点,26~30位=5点,31~35位=4点,36~40位=3点,41~45位=2点,46~47位=1点,と換算します。
点数化した3指標の値を平均したものを,家庭面での子どもの幸福度指数といたしましょう。この値が高いほど,幸福度が高いと判断されます。下表に,47都道府県の一覧表を掲げます。
3指標を総合した,最終的な幸福度指数は右端に掲載されています。富山,静岡,そして鹿児島が7.67と同値で1位です。最下位は大阪の1.67点です。
うおー,わが郷里の鹿児島が1位とは。当県は虐待被害が全国で最も少なく,家族交流頻度がそこそこ高いことが寄与したようです。貧困の指標はやや高めですが,家族密度が高いことが示唆されます。土地勘がある私としては,分かるような気がします。
指数が7.00を超える県は赤色にしています。家庭面での子どもの幸福度が相対的に高い県です。お知りおきいただければと思います。
最後に,47都道府県の幸福度指数を地図化しておきましょう。4点未満を黒色,4点台を赤色,5点台を黄色,6点台を水色,7点以上を白色で塗った地図をつくりました。
指数が高い白色の地域は,北関東や東海に多く分布しています。指数が低い黒色や赤色は,首都圏や近畿といった都市部に多い印象を受けます。大阪は,坂本教授らのトータルな幸福度診断でも最下位でした。子どもの状況は,社会の状況と無関係ではないことがうかがわれます。
次回は,学校という場を想定して,各県の子どもの幸福度を測ってみようと思います。家庭面とはまた違った結果が出てくるものと思われます。
http://www.hosei.ac.jp/koho/photo/2011/111110.html
私は,坂本教授らに触発されて,「子どもの幸福度指数」なるものを計算できないか,と考えました。さまざまな年齢層を含む全人口を一括りにするのではなく,それぞれの層に特化した診断も必要であると思われます。教育学徒の端くれである私は,各県の子どもの幸福度を計測する尺度(measure)を考えてみよう,と思い立った次第です。
子どもの年齢的な定義ですが,義務教育学校(小・中学校)の就学年齢の者を指すこととします。おおよそ,6~14歳の児童・生徒です。法律用語でいうと,学齢の児童・生徒ということになります。
次に,子どもの幸福度を測る統計指標の選定ですが,これに先立って,大まかな領域を立てておく必要があります。坂本教授らは,住民の幸福度を測るに際して,生活・家族部門,労働・企業部門,安全・安心部門,医療・健康部門,という4つの領域を設定しています。
対象が子どもの場合,どういう領域設定がよいでしょうか。ここでは,子どもの主要な生活の場を据えてみます。家庭,学校,そして地域社会です。3つの場ごとに子どもの幸福度を計測し,最後に,それらを総合するのが得策かと思います。
今回は,家庭面での幸福度を測ってみます。家庭は,血縁に基づく情緒的・情愛的な人間関係が支配的な第一次集団です。このような性格を持つ家庭は,成員にとっての憩い・癒しの場になると同時に,子ども,とりわけ幼少の子どもに他者への基本的信頼感を獲得させる機能を期待されています。
このような理想態から,各県の子どもの家庭がどれほど隔たっているか(どれほど近いか)を測る指標を考えてみます。私は,①被保護人員率,②虐待被害率,③家族交流率,という3つの指標を思いつきました。
①は,貧困の多寡を測る指標です。貧困は,上記のような家族の機能遂行を妨げる基底的な条件をなしています。被保護人員率とは,生活保護を受けている小・中学生が,小・中学生全体に占める比率です。分子の生活保護人員は厚労省『被保護者全国一斉調査』,分母の小・中学生数は文科省『学校基本調査』から得ました。2009年のデータです。
②は,家族の機能障害を測る指標です。虐待は,子どもに他者への信頼感ではなく,不信感を植えつけてしまうことは,いうまでもありません。この指標が高いことは,家庭が癒しの場ではなく,緊張や葛藤の場になってしまっている度合いが高いことを示唆します。虐待被害率とは,小・中学生が被害者である児童虐待の相談件数が,小・中学生に占める比率です。分子の相談件数は,厚労省の『社会福祉行政業務報告』から得ました。同じく2009年のデータです。
③は,字のごとく,家族間の交流の頻度です。この指標が高いほど,上述の理想態に近いと判断されます。家族交流率とは,文科省『全国学力・学習状況調査』の「学校での出来事を家の人と話していますか」という設問に対し,「している」と答えた小・中学生の比率です。ここでいう小・中学生とは,公立の小学校6年生,中学校3年生です。こちらも,2009年のデータです。
http://www.nier.go.jp/09chousakekkahoukoku/index.htm
私は,この3つの指標を都道府県別に計算しました。全国値と,47都道府県の両端の値を示します。
どの指標も,県別にみるとかなりの差があります。北海道では,生活保護を受けている子どもが28人に1人なのに対し,富山では1,667人に1人です。虐待被害率も,神奈川と鹿児島では10倍の開きです。家族交流率も,両端では10ポイント以上の開きが観察されます。
これら3指標を総合して,家庭面での子どもの幸福度指数を構成してみようと思います。坂本教授らのやり方にしたがって,各県の指標の値を,47都道府県中の順位に依拠して点数化します。
貧困と虐待の指標はマイナス面の指標なので,1~5位=1点,6~10位=2点,11~15位=3点,16~20位=4点,21~25位=5点,26~30位=6点,31~35位=7点,36~40位=8点,41~45位=9点,46~47位=10点,と換算します。
家族交流はプラス面の指標なので,1~5位=10点,6~10位=9点,11~15位=8点,16~20位=7点,21~25位=6点,26~30位=5点,31~35位=4点,36~40位=3点,41~45位=2点,46~47位=1点,と換算します。
点数化した3指標の値を平均したものを,家庭面での子どもの幸福度指数といたしましょう。この値が高いほど,幸福度が高いと判断されます。下表に,47都道府県の一覧表を掲げます。
3指標を総合した,最終的な幸福度指数は右端に掲載されています。富山,静岡,そして鹿児島が7.67と同値で1位です。最下位は大阪の1.67点です。
うおー,わが郷里の鹿児島が1位とは。当県は虐待被害が全国で最も少なく,家族交流頻度がそこそこ高いことが寄与したようです。貧困の指標はやや高めですが,家族密度が高いことが示唆されます。土地勘がある私としては,分かるような気がします。
指数が7.00を超える県は赤色にしています。家庭面での子どもの幸福度が相対的に高い県です。お知りおきいただければと思います。
最後に,47都道府県の幸福度指数を地図化しておきましょう。4点未満を黒色,4点台を赤色,5点台を黄色,6点台を水色,7点以上を白色で塗った地図をつくりました。
指数が高い白色の地域は,北関東や東海に多く分布しています。指数が低い黒色や赤色は,首都圏や近畿といった都市部に多い印象を受けます。大阪は,坂本教授らのトータルな幸福度診断でも最下位でした。子どもの状況は,社会の状況と無関係ではないことがうかがわれます。
次回は,学校という場を想定して,各県の子どもの幸福度を測ってみようと思います。家庭面とはまた違った結果が出てくるものと思われます。
2012年2月14日火曜日
教員給与の国際比較
1月29日の記事でみたように,わが国の教員の給与は,同学歴の全労働者よりも低くなっています。次なる関心事は,このことは,わが国の特徴であるのかどうかです。今回は,日本の教員給与の国際的な位置を明らかにしてみようと思います。
OECDが毎年発刊している"Education at a Glance"の2010年版には,2008年における各国の教員の年収額(ドル)が掲載されています。また,教員給与が,25~64歳の高等教育終了学歴の労働者に比してどうかという,相対水準も知ることができます。下記サイトのIndicator D3の表から数字をハントできます。
http://www.oecd.org/document/52/0,3343,en_2649_39263238_45897844_1_1_1_1,00.html#d
下表は,その統計を整理したものです。OECD加盟の25か国のデータが掲げられています。日本の相対水準の欄はペンディングになっていましたので,代替措置として,2007年の月収比較の数字を充てています。教員給与の出所は文科省『学校教員統計調査』,25~64歳の大卒労働者の給与の出所は厚労省『賃金構造基本調査』です。
日本の教員給与の額は,小・中・高とも,4.87万ドルです。OECD平均を上回っており,25か国のランクでみても,順に3位,4位,8位と,高水準にあるようです。同学歴の労働者と比した相対水準をみると,こちらも,日本の値は平均水準を凌駕しています。ただ,ランクはやや落ちて,10位,9位,12位という具合です。
日本の位置を診断しますと,教員給与の絶対水準は「高」,相対水準は「やや高」といったところでしょうか。しかし,右欄の相対倍率をみて驚きなのは,ほとんどの国で,教員給与が民間を下回っていることです。1.0を超える数字は赤色にしていますが,赤色はほんのわずかしかありません。
教員給与の相対的な低さというのは,日本の特徴というわけではなさそうです。下には下がいるようで,アイスランドやハンガリーでは,教員給与は比較対象のほぼ半分という有様です。大国アメリカはほぼ6割。その一方で,スペインのように,教員給与の高さが際立っている国もあることに注意が要ります。
最も人数が多い小学校教員のデータを視覚化(visualize)してみましょう。下図は,縦軸に年収額,横軸に対民間の相対倍率をとった座標上に,25か国をプロットしたものです。点線は,OECDの平均値です。絶対水準と相対水準のマトリクス上における,各国の位置が分かるかと思います。
右上に位置するのは教員の待遇がよい国,左下はその逆ということになります。ハンガリー,ポーランド,チェコといった東欧諸国では,教員がやや冷遇されているようです。でも,同じ東欧のデンマークは,右上のゾーンにあります。学力調査上位常連のフィンランドは普通というところです。
日本は右上のゾーンにありますが,ドイツはさらにその上をいっています。民間と比べた相対水準の1位は,先ほど述べたようにスペインです。唯一,倍率が1.0を超えています。同じ南欧のポルトガルやイタリアとは違う位置にあることが注目されます。
余談ですが,ユネスコが「教員の地位に関する勧告」を採択したのは,1966年の10月です。「教育の進歩における教員の不可欠な役割,ならびに人間の開発および現代社会の発展への彼らの貢献の重要性を認識し,教員がこの役割にふさわしい地位を享受することを保障」(前文)せんがために採択されたものだそうです。また,「教員不足の問題」の解決も意図していたそうな。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo8/gijiroku/020901hi.htm
勧告の中身をみると,「教員の地位は,教育の目的,目標に照らして評価される教育の必要性にみあったものでなければならない」,「教育の仕事は専門職とみなされるべきである」,「教員の労働条件は,効果的な学習を最もよく促進し,教員がその職業的任務に専念することができるものでなければならない」など,興味深い内容が盛り込まれています。
このような理想に比して現状はどうかというと,やや寂しい思いがします。世界を見渡せば,教員不足の問題が深刻な国もあることでしょう。今の日本ではそういうことはありませんが,教員のモラール(志気)という点でいうとどうでしょうか。
1月26日と29日の記事にコメントを下さった,埼玉県の先生は,「名誉職だと思ってがんばっていきます」と述べておられました。今の学校現場は,教員のこうした(健気な)心意気に支えられている面がさぞ強いこととでしょう。しかし,教員の離職率の上昇に示されるように,教員の脱学校兆候も強まってきています。その基底には,教員の社会的地位の曖昧さという,古くて新しい問題が横たわっているものと思われます。
OECDが毎年発刊している"Education at a Glance"の2010年版には,2008年における各国の教員の年収額(ドル)が掲載されています。また,教員給与が,25~64歳の高等教育終了学歴の労働者に比してどうかという,相対水準も知ることができます。下記サイトのIndicator D3の表から数字をハントできます。
http://www.oecd.org/document/52/0,3343,en_2649_39263238_45897844_1_1_1_1,00.html#d
下表は,その統計を整理したものです。OECD加盟の25か国のデータが掲げられています。日本の相対水準の欄はペンディングになっていましたので,代替措置として,2007年の月収比較の数字を充てています。教員給与の出所は文科省『学校教員統計調査』,25~64歳の大卒労働者の給与の出所は厚労省『賃金構造基本調査』です。
日本の教員給与の額は,小・中・高とも,4.87万ドルです。OECD平均を上回っており,25か国のランクでみても,順に3位,4位,8位と,高水準にあるようです。同学歴の労働者と比した相対水準をみると,こちらも,日本の値は平均水準を凌駕しています。ただ,ランクはやや落ちて,10位,9位,12位という具合です。
日本の位置を診断しますと,教員給与の絶対水準は「高」,相対水準は「やや高」といったところでしょうか。しかし,右欄の相対倍率をみて驚きなのは,ほとんどの国で,教員給与が民間を下回っていることです。1.0を超える数字は赤色にしていますが,赤色はほんのわずかしかありません。
教員給与の相対的な低さというのは,日本の特徴というわけではなさそうです。下には下がいるようで,アイスランドやハンガリーでは,教員給与は比較対象のほぼ半分という有様です。大国アメリカはほぼ6割。その一方で,スペインのように,教員給与の高さが際立っている国もあることに注意が要ります。
最も人数が多い小学校教員のデータを視覚化(visualize)してみましょう。下図は,縦軸に年収額,横軸に対民間の相対倍率をとった座標上に,25か国をプロットしたものです。点線は,OECDの平均値です。絶対水準と相対水準のマトリクス上における,各国の位置が分かるかと思います。
右上に位置するのは教員の待遇がよい国,左下はその逆ということになります。ハンガリー,ポーランド,チェコといった東欧諸国では,教員がやや冷遇されているようです。でも,同じ東欧のデンマークは,右上のゾーンにあります。学力調査上位常連のフィンランドは普通というところです。
日本は右上のゾーンにありますが,ドイツはさらにその上をいっています。民間と比べた相対水準の1位は,先ほど述べたようにスペインです。唯一,倍率が1.0を超えています。同じ南欧のポルトガルやイタリアとは違う位置にあることが注目されます。
余談ですが,ユネスコが「教員の地位に関する勧告」を採択したのは,1966年の10月です。「教育の進歩における教員の不可欠な役割,ならびに人間の開発および現代社会の発展への彼らの貢献の重要性を認識し,教員がこの役割にふさわしい地位を享受することを保障」(前文)せんがために採択されたものだそうです。また,「教員不足の問題」の解決も意図していたそうな。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo8/gijiroku/020901hi.htm
勧告の中身をみると,「教員の地位は,教育の目的,目標に照らして評価される教育の必要性にみあったものでなければならない」,「教育の仕事は専門職とみなされるべきである」,「教員の労働条件は,効果的な学習を最もよく促進し,教員がその職業的任務に専念することができるものでなければならない」など,興味深い内容が盛り込まれています。
このような理想に比して現状はどうかというと,やや寂しい思いがします。世界を見渡せば,教員不足の問題が深刻な国もあることでしょう。今の日本ではそういうことはありませんが,教員のモラール(志気)という点でいうとどうでしょうか。
1月26日と29日の記事にコメントを下さった,埼玉県の先生は,「名誉職だと思ってがんばっていきます」と述べておられました。今の学校現場は,教員のこうした(健気な)心意気に支えられている面がさぞ強いこととでしょう。しかし,教員の離職率の上昇に示されるように,教員の脱学校兆候も強まってきています。その基底には,教員の社会的地位の曖昧さという,古くて新しい問題が横たわっているものと思われます。
2012年2月13日月曜日
私立小学生の出身階層
2月1日の記事でみたように,国立・私立中学校への進学率は,富裕層が多い地域で高くなっています。中学受験をするのは,それなりに裕福な家庭の子弟であることがうかがわれます。
しかるに,私立中学校にも増して階層的閉鎖性が強いと思われる教育機関があります。それは,私立小学校です。最新の統計によると,小学生全体のうち,私立校の児童が占める比率はたったの1.2%です(文科省『2011年度・学校基本調査』)。83人に1人。完全なマイノリティーです。
このような局所の部分に注目して何になるのかと思われるかもしれません。ですが,私立小学校を起点としたエリートコースが存在することは,よく指摘されるところです。早稲田や慶応のように,初等部(幼稚部)からの一貫教育を手掛けている,有力私学も数多くあります。
社会移動論の観点からも,私立小学校の児童に,どういう家庭の者が多いかを知っておくことは重要であると思います。まあ,富裕層が多いことは確かでしょうが,その偏りの程度がどれほどかは,あまり明らかにされていないようです。今回は,この点に関するデータをご覧に入れようと存じます。
文科省の『子どもの学習費調査』から,私立小学校の児童の家庭の年収分布を知ることができます。2010年度調査の結果をみると,年収1200万以上の家庭が全体の42.1%を占めています。年収1000万以上まで幅を広げると,実に58.3%にもなります。私立小学校では,全体のおよそ6割が,年収1000万以上の家庭の子弟ということになります。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001012023
このような分布は,小学生の子がいる世帯全体の年収分布とは明らかに隔たっていることでしょう。小学生の親御さんの年齢は,広くみて,30~40代と思われます。世帯主が30~40代である,2人以上世帯の年収分布と,私立小学生の家庭のそれを照らし合わせてみましょう。前者は,2009年の総務省『全国消費実態調査』から知ることができます。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001037021
先に述べたように,私立小学校では,年収1200万円以上の階層が42.1%を占めますが,この層は,推定母集団の中では2.4%を占めるにすぎません。逆に,年収600万円未満の層は母集団では46.7%をも占めますが,私立小学校では10.2%しか占めないのです。
なお,私立小学校の家庭での比率(b)を,推定母集団での比率(a)で除すことで,各階層から私立小学生が出る確率の近似値を計算することができます。表の右欄をみると,年収1200万以上の階層からは,通常期待されるよりも17倍の確率で私立小学生が出ていることになります。反対に,年収600万未満の層から私立小学生が出る確率は,期待値の5分の1程度です。
いやはや,私立小学校の児童が富裕層に偏していることは火を見るより明らかです。予想はしていましたが,これほどまでとは。
ついでですが,私立中学校と私立高校についても,生徒の家庭の年収分布を出してみました。私立小学校の分布と比べてみましょう。下図から,私立小学校の階層的閉鎖性が際立って強いことを読み取っていただければと思います。
早いうちから子を私立学校に通わせることは,ブランド品を買うというような,高価な買い物と同じだと考えれば,何ら問題はないのかもしれません。しかし,そのことが将来における地位達成と強く結びついているというならば,話は違ってきます。生まれが人生を規定する階層社会化を容認することにもなりかねません。
2月1日の記事でも書きましたが,教育とは,世間から咎められないやり方で既存の不平等構造を再生産するための格好のツールです。このことを念頭に置きながら,今後も,教育と社会階層の関連を明らかにする作業を続けていこうと思っております。
しかるに,私立中学校にも増して階層的閉鎖性が強いと思われる教育機関があります。それは,私立小学校です。最新の統計によると,小学生全体のうち,私立校の児童が占める比率はたったの1.2%です(文科省『2011年度・学校基本調査』)。83人に1人。完全なマイノリティーです。
このような局所の部分に注目して何になるのかと思われるかもしれません。ですが,私立小学校を起点としたエリートコースが存在することは,よく指摘されるところです。早稲田や慶応のように,初等部(幼稚部)からの一貫教育を手掛けている,有力私学も数多くあります。
社会移動論の観点からも,私立小学校の児童に,どういう家庭の者が多いかを知っておくことは重要であると思います。まあ,富裕層が多いことは確かでしょうが,その偏りの程度がどれほどかは,あまり明らかにされていないようです。今回は,この点に関するデータをご覧に入れようと存じます。
文科省の『子どもの学習費調査』から,私立小学校の児童の家庭の年収分布を知ることができます。2010年度調査の結果をみると,年収1200万以上の家庭が全体の42.1%を占めています。年収1000万以上まで幅を広げると,実に58.3%にもなります。私立小学校では,全体のおよそ6割が,年収1000万以上の家庭の子弟ということになります。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001012023
このような分布は,小学生の子がいる世帯全体の年収分布とは明らかに隔たっていることでしょう。小学生の親御さんの年齢は,広くみて,30~40代と思われます。世帯主が30~40代である,2人以上世帯の年収分布と,私立小学生の家庭のそれを照らし合わせてみましょう。前者は,2009年の総務省『全国消費実態調査』から知ることができます。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001037021
先に述べたように,私立小学校では,年収1200万円以上の階層が42.1%を占めますが,この層は,推定母集団の中では2.4%を占めるにすぎません。逆に,年収600万円未満の層は母集団では46.7%をも占めますが,私立小学校では10.2%しか占めないのです。
なお,私立小学校の家庭での比率(b)を,推定母集団での比率(a)で除すことで,各階層から私立小学生が出る確率の近似値を計算することができます。表の右欄をみると,年収1200万以上の階層からは,通常期待されるよりも17倍の確率で私立小学生が出ていることになります。反対に,年収600万未満の層から私立小学生が出る確率は,期待値の5分の1程度です。
いやはや,私立小学校の児童が富裕層に偏していることは火を見るより明らかです。予想はしていましたが,これほどまでとは。
ついでですが,私立中学校と私立高校についても,生徒の家庭の年収分布を出してみました。私立小学校の分布と比べてみましょう。下図から,私立小学校の階層的閉鎖性が際立って強いことを読み取っていただければと思います。
早いうちから子を私立学校に通わせることは,ブランド品を買うというような,高価な買い物と同じだと考えれば,何ら問題はないのかもしれません。しかし,そのことが将来における地位達成と強く結びついているというならば,話は違ってきます。生まれが人生を規定する階層社会化を容認することにもなりかねません。
2月1日の記事でも書きましたが,教育とは,世間から咎められないやり方で既存の不平等構造を再生産するための格好のツールです。このことを念頭に置きながら,今後も,教育と社会階層の関連を明らかにする作業を続けていこうと思っております。
2012年2月12日日曜日
高校段階の学習費の変化②
前回の続きです。前回は,高校無償化政策により,高校生の学習費の構造がどう変わったかを大まかに明らかにしました。授業料の負担が大幅に軽減されたことにより,学習費の総額は大きく減っています。しかるに,費目別にみると,私立高校において,家庭教師費や学習塾費といった補助学習費が増加していることが分かりました。
高校無償化政策の趣旨の一つは,経済的理由による中途退学のような悲劇をなくすことです。しかし,差し迫った窮状に置かれていない富裕層は,授業料負担が軽減された分,上記のような学校外教育への投資を増やすことが可能と思われます。一方,貧困層は,なかなかそうはいきません。
となると,この政策によって,学校外教育投資の階層格差の拡大という,アイロニーな結果がもたらされた可能性があります。高校無償化政策は,所得に関係なく,全ての生徒に一律に適用されるが故,こうした懸念が持たれるところです。
今回は,家庭教師や学習塾などの補助学習費の伸びが大きいのは,どういう階層かを明らかにしようと思います。仮に,それが富裕層に限られているならば,今しがた述べた懸念が色濃いものと判断されます。実情はどうなのでしょう。
文科省の『子どもの学習費調査』から,高校生の保護者が費やした補助学習費の平均額を,家庭の年収別に知ることができます。補助学習費の内訳は,①家庭内学習費,②家庭教師費,③学習塾費,④その他補助学習費,です。前回みたように,大半が②と③です。
はて,この補助学習の額の変化を,高校生の家庭の年収別にみるとどうなのでしょう。高校無償化政策が実施される前の2008年度と,その後の2010年度の調査データを比較してみます。下表をご覧ください。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001012023
補助学習費の伸び幅は,公立よりも私立で大きいようです。加えて,私立内部でみると,富裕層ほど伸びが顕著です。この2年間で,年収1000万以上1200万未満の階層では1.57倍(16.5万→25.9万),年収1200万以上の階層では1.40倍(30.4万→42.7万)の増加です。
反対に,年収400万未満の貧困層では,補助学習費は減じています。公私を問わずです。この層では,授業料負担の軽減分を,日々の生活に回さざるを得ないのでしょう。
残念ながら,危惧したような結果が観察されます。授業料負担の軽減分を,学校外教育に回せる富裕層と,それが叶わない貧困層。表にみるように,6階層の補助学習費の格差の度合い示す,標準偏差(S.D)の値も高まっています。公立では56.0から72.5,私立では75.9から120.0です。
高校無償化政策により,学校外教育投資の階層格差が拡大したことは否めないようです。東大などの有力大学に入るには,この手の投資がかなりモノをいうため,看過できることではないと思います。
実をいうと,このような結果になるであろうことを予測させるデータが,政策の実施前に公表されていました。内閣府の『2009年度・インターネットによる子育て費用に関する調査』です。所得制限のない「子ども手当」(中学卒業まで月額1万3千円支給)の使い道を,子を持つ親に問うた調査で,結果が,対象者の世帯の年収別に集計されています。
http://www8.cao.go.jp/shoushi/cyousa/cyousa21/net-hiyo/mokuji-pdf.html
上図がその結果ですが,富裕層ほど,学校外教育に充てたいという回答が多くなります。逆に,生活費に補填という回答は,貧困層ほど多い傾向です。高校無償化政策においても,階層別のこうした思惑(戦略)が作用したと考えるべきでしょう。
ご存知のように,所得制限のない「子ども手当」は廃止され,所得制限がある以前の「児童手当」が復活することになりました。東日本大震災の復興財源の確保というのが理由のようですが,もしかすると,教育格差の拡大の危惧する声もあったのかもしれません。
高校無償化政策についても,制度の部分変更を求める声が出てくるかもしれません。授業料負担の軽減により,経済的理由による高校中退を大きく減じせしめたことは,この政策の効果として評価できます。こうした根幹部分は維持しながらも,所得による授業料補助の傾斜配分など,子葉の部分の変更は,検討されて然るべきであると思います。
高校無償化政策の趣旨の一つは,経済的理由による中途退学のような悲劇をなくすことです。しかし,差し迫った窮状に置かれていない富裕層は,授業料負担が軽減された分,上記のような学校外教育への投資を増やすことが可能と思われます。一方,貧困層は,なかなかそうはいきません。
となると,この政策によって,学校外教育投資の階層格差の拡大という,アイロニーな結果がもたらされた可能性があります。高校無償化政策は,所得に関係なく,全ての生徒に一律に適用されるが故,こうした懸念が持たれるところです。
今回は,家庭教師や学習塾などの補助学習費の伸びが大きいのは,どういう階層かを明らかにしようと思います。仮に,それが富裕層に限られているならば,今しがた述べた懸念が色濃いものと判断されます。実情はどうなのでしょう。
文科省の『子どもの学習費調査』から,高校生の保護者が費やした補助学習費の平均額を,家庭の年収別に知ることができます。補助学習費の内訳は,①家庭内学習費,②家庭教師費,③学習塾費,④その他補助学習費,です。前回みたように,大半が②と③です。
はて,この補助学習の額の変化を,高校生の家庭の年収別にみるとどうなのでしょう。高校無償化政策が実施される前の2008年度と,その後の2010年度の調査データを比較してみます。下表をご覧ください。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001012023
補助学習費の伸び幅は,公立よりも私立で大きいようです。加えて,私立内部でみると,富裕層ほど伸びが顕著です。この2年間で,年収1000万以上1200万未満の階層では1.57倍(16.5万→25.9万),年収1200万以上の階層では1.40倍(30.4万→42.7万)の増加です。
反対に,年収400万未満の貧困層では,補助学習費は減じています。公私を問わずです。この層では,授業料負担の軽減分を,日々の生活に回さざるを得ないのでしょう。
残念ながら,危惧したような結果が観察されます。授業料負担の軽減分を,学校外教育に回せる富裕層と,それが叶わない貧困層。表にみるように,6階層の補助学習費の格差の度合い示す,標準偏差(S.D)の値も高まっています。公立では56.0から72.5,私立では75.9から120.0です。
高校無償化政策により,学校外教育投資の階層格差が拡大したことは否めないようです。東大などの有力大学に入るには,この手の投資がかなりモノをいうため,看過できることではないと思います。
実をいうと,このような結果になるであろうことを予測させるデータが,政策の実施前に公表されていました。内閣府の『2009年度・インターネットによる子育て費用に関する調査』です。所得制限のない「子ども手当」(中学卒業まで月額1万3千円支給)の使い道を,子を持つ親に問うた調査で,結果が,対象者の世帯の年収別に集計されています。
http://www8.cao.go.jp/shoushi/cyousa/cyousa21/net-hiyo/mokuji-pdf.html
上図がその結果ですが,富裕層ほど,学校外教育に充てたいという回答が多くなります。逆に,生活費に補填という回答は,貧困層ほど多い傾向です。高校無償化政策においても,階層別のこうした思惑(戦略)が作用したと考えるべきでしょう。
ご存知のように,所得制限のない「子ども手当」は廃止され,所得制限がある以前の「児童手当」が復活することになりました。東日本大震災の復興財源の確保というのが理由のようですが,もしかすると,教育格差の拡大の危惧する声もあったのかもしれません。
高校無償化政策についても,制度の部分変更を求める声が出てくるかもしれません。授業料負担の軽減により,経済的理由による高校中退を大きく減じせしめたことは,この政策の効果として評価できます。こうした根幹部分は維持しながらも,所得による授業料補助の傾斜配分など,子葉の部分の変更は,検討されて然るべきであると思います。
2012年2月11日土曜日
高校段階の学習費の変化①
昨日,『2010年度・子どもの学習費調査』の結果が,文科省より公表されました。授業料,修学旅行費,教科書代,通学費,学習塾費など,保護者が子の教育に費やした費用の詳細を知ることができる資料です。教育費といったほうがしっくり来るかと思いますが,原資料の用語に依拠して,「学習費」ということにします。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001012023
この調査は隔年で実施されていますので,前回は2008年度調査ということになります。私は,2008年度から2010年度にかけて,高校段階の学習費がどう変化したかを明らかにしようと思います。この間に,高校教育の大きな制度転換があったからです。それは,高校無償化政策です。
ご存知の通り,高校無償化政策とは,公立高校の授業料をタダにし,国・私立高校の授業料に補助を出す制度です。当局の言葉を借りると,「家庭の状況にかかわらず,全ての意志ある高校生等が,安心して勉学に打ち込める社会をつくるため,国の費用により,公立高等学校の授業料を無償化するとともに,国立・私立高校等の生徒の授業料に充てる高等学校等就学支援金を創設し,家庭の教育費の負担を軽減」する制度だそうです。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/mushouka/index.htm
この制度は,2010年度より実施されています。よって,2010年度の上記調査の結果には,この制度の影響が出ていることになります。はて,学習費の総額やその内訳はどう変わったのでしょうか。昨年の11月6日の記事では,この制度の実施により,高校の中退率,とりわけ経済的な理由による中退率が大きく減じていることを明らかにしました。今回は,学習費の構造変化という観点から,高校無償化政策の効果を検証してみようと思います。
まずは,学習費の総額の変化をみてみましょう。公立と私立とに分けて示します。下表は,高校生の保護者が支出した学習費の平均値を整理したものです。単位は円です。
公立高校の学習費は,52万円から39万円へと大きく減っています。年間12万円ほどの授業料がタダになったことの影響がはっきりと表れています。私立も,公立ほどではありませんが,減少の傾向です。
なお,学習費は,授業料や通学費などの学校教育費と,学習塾費や地域活動費などの学校外活動費に大別されます。この両者の変化をみると,当然,授業料が含まれる学校教育費の減少が顕著です。学校外活動費は,公立と私立で違った様相を呈しています。公立は微減,私立は増です。
うーん,何か嫌な予感がします。高校無償化政策は,所得に関係なく,全ての生徒に一律に適用されるものです。私立高校では富裕層が多いと思いますが,授業料の負担が軽減された分,家庭教師や学習塾の費用を増やした家庭が多いのでは。となると,教育格差の問題が・・・。
細かい細目の変化も観察してみましょう。学校教育費は13の費目,学校外活動費は8の費目から構成されます。まずは,公立高校のデータをご覧ください。
21の費目のうち,12の費目の額が増加しています。増加倍率が最も高いのは寄付金ですが,これは額が少ないので,考慮の外に置きましょう。ある程度の額であり,かつ増加率が高いのは,体験活動・地域活動費と芸術文化活動費です。
授業料がタダになった分,この種の活動への投資が増えるのは,好ましいことだと思います。なお,家庭教師費も増えています。こちらは,先に述べたような懸念が伴いますが,ひとまず置いておきましょう。
次に,私立高校の細目の変化をみてください。公立とは違った傾向が見受けられます。
私立の場合,増えている費目の数は10です。公立より少ないですが,増加幅の大きなものが目につきます。家庭教師費と学習塾費は1.4倍の伸びです。最初の表でみた,私立の学校外活動費の伸びは,これらによるものであるようです。・・・上述の懸念が濃厚になってきます。
高校無償化政策により,授業料負担が大きく軽減されたことにより,経済的理由による高校中退が激減しました。これは,この政策の大きな成果であると思います。ですが,所得の制限をつけなかったことで,学校外教育への投資の階層格差を拡大させたのではないか,という懸念が持たれます。富裕層が多い私立校で,塾や家庭教師関連の支出の伸び幅が大きいことが気になります。
学校外教育への投資を増やしたのは,どういう階層か。上記の文科省調査では,家庭の年収別の支出状況が明らかにされています。そのデータの検討は,次回に譲ろうと思います。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001012023
この調査は隔年で実施されていますので,前回は2008年度調査ということになります。私は,2008年度から2010年度にかけて,高校段階の学習費がどう変化したかを明らかにしようと思います。この間に,高校教育の大きな制度転換があったからです。それは,高校無償化政策です。
ご存知の通り,高校無償化政策とは,公立高校の授業料をタダにし,国・私立高校の授業料に補助を出す制度です。当局の言葉を借りると,「家庭の状況にかかわらず,全ての意志ある高校生等が,安心して勉学に打ち込める社会をつくるため,国の費用により,公立高等学校の授業料を無償化するとともに,国立・私立高校等の生徒の授業料に充てる高等学校等就学支援金を創設し,家庭の教育費の負担を軽減」する制度だそうです。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/mushouka/index.htm
この制度は,2010年度より実施されています。よって,2010年度の上記調査の結果には,この制度の影響が出ていることになります。はて,学習費の総額やその内訳はどう変わったのでしょうか。昨年の11月6日の記事では,この制度の実施により,高校の中退率,とりわけ経済的な理由による中退率が大きく減じていることを明らかにしました。今回は,学習費の構造変化という観点から,高校無償化政策の効果を検証してみようと思います。
まずは,学習費の総額の変化をみてみましょう。公立と私立とに分けて示します。下表は,高校生の保護者が支出した学習費の平均値を整理したものです。単位は円です。
公立高校の学習費は,52万円から39万円へと大きく減っています。年間12万円ほどの授業料がタダになったことの影響がはっきりと表れています。私立も,公立ほどではありませんが,減少の傾向です。
なお,学習費は,授業料や通学費などの学校教育費と,学習塾費や地域活動費などの学校外活動費に大別されます。この両者の変化をみると,当然,授業料が含まれる学校教育費の減少が顕著です。学校外活動費は,公立と私立で違った様相を呈しています。公立は微減,私立は増です。
うーん,何か嫌な予感がします。高校無償化政策は,所得に関係なく,全ての生徒に一律に適用されるものです。私立高校では富裕層が多いと思いますが,授業料の負担が軽減された分,家庭教師や学習塾の費用を増やした家庭が多いのでは。となると,教育格差の問題が・・・。
細かい細目の変化も観察してみましょう。学校教育費は13の費目,学校外活動費は8の費目から構成されます。まずは,公立高校のデータをご覧ください。
21の費目のうち,12の費目の額が増加しています。増加倍率が最も高いのは寄付金ですが,これは額が少ないので,考慮の外に置きましょう。ある程度の額であり,かつ増加率が高いのは,体験活動・地域活動費と芸術文化活動費です。
授業料がタダになった分,この種の活動への投資が増えるのは,好ましいことだと思います。なお,家庭教師費も増えています。こちらは,先に述べたような懸念が伴いますが,ひとまず置いておきましょう。
次に,私立高校の細目の変化をみてください。公立とは違った傾向が見受けられます。
私立の場合,増えている費目の数は10です。公立より少ないですが,増加幅の大きなものが目につきます。家庭教師費と学習塾費は1.4倍の伸びです。最初の表でみた,私立の学校外活動費の伸びは,これらによるものであるようです。・・・上述の懸念が濃厚になってきます。
高校無償化政策により,授業料負担が大きく軽減されたことにより,経済的理由による高校中退が激減しました。これは,この政策の大きな成果であると思います。ですが,所得の制限をつけなかったことで,学校外教育への投資の階層格差を拡大させたのではないか,という懸念が持たれます。富裕層が多い私立校で,塾や家庭教師関連の支出の伸び幅が大きいことが気になります。
学校外教育への投資を増やしたのは,どういう階層か。上記の文科省調査では,家庭の年収別の支出状況が明らかにされています。そのデータの検討は,次回に譲ろうと思います。
2012年2月9日木曜日
教員養成大学卒業者の進路
昨年の12月27日,国立の教員養成大学の卒業者の進路状況をまとめた資料が,文科省より公表されました。2011年3月卒業者の統計です。
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/23/12/1314814.htm
教員免許の取得を卒業要件としない,いわゆるゼロ免課程の学生は,調査対象から除外されています。上記の資料は,教員免許の取得が必須である,教員養成課程の卒業生の進路をまとめたものです。
教員養成大学の教員養成課程は,小・中・高校等の教員養成を主たる目的としているわけですが,この目的は,どれほど達成されているのでしょうか。卒業生のうち,教員になった者が何%か,という情報に興味が持たれます。
まず,教員養成大学の卒業者の進路がどう推移してきたのかを,大雑把にみてみましょう。下の面グラフは,各年3月の卒業生の進路構成を図示したものです。青色は,正規採用という形で教員になった者の比重です。赤色は,臨時的任用という形で教員になった者の比重です。よって,この両者を足した比率が,広義の教員就職率ということになります。
1980年では,教員就職率は76.7%でした(臨時含む)。卒業生のおよそ8割が教員になっていたわけです。しかも,そのうちのほとんどが正規採用。すごいですね。
しかし,教員就職率はその後ぐんぐん低下します。80年代後半のバブル期は,民間が絶頂の好景気だったので,そちらに流れたのかもしれません。90年代以降は少子化により,新規採用の抑制が図られたことによると思われます。
教員就職率のボトムは,1999年の32.3%です。この年の卒業生は,臨時を含めても,全体の3割ほどしか教員に就かなかったことになります。ちなみに,私はこの年の卒業生です。まったくついてない「ロスジェネ」です。
教員就職率は,今世紀になってから上昇に転じます。退職者の増加により,新規採用が増やされたためでしょう。2011年の卒業生の教員就職率は61.9%です。80年代後半あたりの水準に持ち直しています。ただし,臨時的任用のウェイトが高まっていることに注意が要ります。
ところで,緑色の「その他」の内訳が気になります。教員以外の職に就いた者や大学院進学者などですが,これらの量も知りたいところです。2011年3月卒業生について,仔細な進路構成のグラフを描いてみました。
教員以外の進路としては,「その他就職」が最も多いようです。全体の16.7%を占めます。言葉が悪いですが,ペーパー・ティ―チャー確定群です。実数にすると1,752人。毎年これだけ出るとすると,結構な量になりそうです。
オレンジ色の「その他」は,進路未定者です。教員採用試験の再トライ組が多いと思われます。私の頃(1999年卒業生)では,この輩がさぞ多かったことと思われます。
次に,個々の大学ごとの状況をみてみましょう。教員就職率が高いのは,どの大学でしょうか。文科省の公表資料から,44の国立教員養成大学のデータを得ることができます。
教員就職率(臨時含む)の上位5位は,鳴門教育(77.9%),兵庫教育(74.7%),愛知教育(71.8%),京都教育(70.1%),岐阜(69.5%),です。正規の教員就職率の上位5位は,広島(54.9%),鳴門教育(50.4%),愛知教育(48.8%),千葉(48.4%),大阪教育(47.3%),です。
単科の教員養成大学が健闘しているようです。鳴門教育大学がすごいですね。教員就職率78%,正規の教員就職率50%!。はて,私の母校の東京学芸大学の姿が見えないようですが,この大学はどこら辺に位置しているのかしらん。
教員就職率の一覧表をベタに掲げるのは芸がないので,各大学の位置が視覚的に分かるような工夫をしましょう。縦軸に正規の教員就職率,横軸に臨時任用の教員就職率をとった座標上に,44の教員養成大学をプロットしてみました。
点線は,44大学全体の値です。右上に位置する大学は,正規採用率,臨時採用率とも平均水準を凌駕していることになります。正規,臨時ともに多い「多量輩出型」です。その対極の左下のゾーンは,双方とも少ない「少量輩出型」です。左上は正規採用率の高さが目立つ「正規型」,右下は臨時採用率の高さが目立つ「臨時型」といたしましょう。
図の斜線は,正規採用率と臨時採用率の均等線です。この斜線より下に位置する場合,前者よりも後者が高いことを意味します。
さて,わが母校の東京学芸大学はどこかをみると,奇しくも,ど真ん中に位置しています。臨時採用率(25.6%),正規採用率(36.4%)とも,全体の値とほぼ同じです。学芸大は教員養成大学では最も伝統ある大学ですが,やはり全体の縮図であるのだなあ。
大学院修士課程の母校の鹿児島大学は,少量輩出型。地方では教員採用試験の競争率が高い,という条件もあるのでしょう。
図の上方の正規型や多量輩出型には,先ほど紹介した教員養成の単科大学が多く名を連ねています。正規の広島,多量の鳴門教育が注目されます。鳴門教育大学のホームページをみると,学生の就職支援行事として,採用試験対策など,いろいろなことをやっているようです。この種の取組が効をなした結果ともいえるでしょう。
http://www.naruto-u.ac.jp/career/01/001.html
おっといけない。予備校関係者のような文章になってきました。この辺りで筆を置きます。
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/23/12/1314814.htm
教員免許の取得を卒業要件としない,いわゆるゼロ免課程の学生は,調査対象から除外されています。上記の資料は,教員免許の取得が必須である,教員養成課程の卒業生の進路をまとめたものです。
教員養成大学の教員養成課程は,小・中・高校等の教員養成を主たる目的としているわけですが,この目的は,どれほど達成されているのでしょうか。卒業生のうち,教員になった者が何%か,という情報に興味が持たれます。
まず,教員養成大学の卒業者の進路がどう推移してきたのかを,大雑把にみてみましょう。下の面グラフは,各年3月の卒業生の進路構成を図示したものです。青色は,正規採用という形で教員になった者の比重です。赤色は,臨時的任用という形で教員になった者の比重です。よって,この両者を足した比率が,広義の教員就職率ということになります。
1980年では,教員就職率は76.7%でした(臨時含む)。卒業生のおよそ8割が教員になっていたわけです。しかも,そのうちのほとんどが正規採用。すごいですね。
しかし,教員就職率はその後ぐんぐん低下します。80年代後半のバブル期は,民間が絶頂の好景気だったので,そちらに流れたのかもしれません。90年代以降は少子化により,新規採用の抑制が図られたことによると思われます。
教員就職率のボトムは,1999年の32.3%です。この年の卒業生は,臨時を含めても,全体の3割ほどしか教員に就かなかったことになります。ちなみに,私はこの年の卒業生です。まったくついてない「ロスジェネ」です。
教員就職率は,今世紀になってから上昇に転じます。退職者の増加により,新規採用が増やされたためでしょう。2011年の卒業生の教員就職率は61.9%です。80年代後半あたりの水準に持ち直しています。ただし,臨時的任用のウェイトが高まっていることに注意が要ります。
ところで,緑色の「その他」の内訳が気になります。教員以外の職に就いた者や大学院進学者などですが,これらの量も知りたいところです。2011年3月卒業生について,仔細な進路構成のグラフを描いてみました。
教員以外の進路としては,「その他就職」が最も多いようです。全体の16.7%を占めます。言葉が悪いですが,ペーパー・ティ―チャー確定群です。実数にすると1,752人。毎年これだけ出るとすると,結構な量になりそうです。
オレンジ色の「その他」は,進路未定者です。教員採用試験の再トライ組が多いと思われます。私の頃(1999年卒業生)では,この輩がさぞ多かったことと思われます。
次に,個々の大学ごとの状況をみてみましょう。教員就職率が高いのは,どの大学でしょうか。文科省の公表資料から,44の国立教員養成大学のデータを得ることができます。
教員就職率(臨時含む)の上位5位は,鳴門教育(77.9%),兵庫教育(74.7%),愛知教育(71.8%),京都教育(70.1%),岐阜(69.5%),です。正規の教員就職率の上位5位は,広島(54.9%),鳴門教育(50.4%),愛知教育(48.8%),千葉(48.4%),大阪教育(47.3%),です。
単科の教員養成大学が健闘しているようです。鳴門教育大学がすごいですね。教員就職率78%,正規の教員就職率50%!。はて,私の母校の東京学芸大学の姿が見えないようですが,この大学はどこら辺に位置しているのかしらん。
教員就職率の一覧表をベタに掲げるのは芸がないので,各大学の位置が視覚的に分かるような工夫をしましょう。縦軸に正規の教員就職率,横軸に臨時任用の教員就職率をとった座標上に,44の教員養成大学をプロットしてみました。
点線は,44大学全体の値です。右上に位置する大学は,正規採用率,臨時採用率とも平均水準を凌駕していることになります。正規,臨時ともに多い「多量輩出型」です。その対極の左下のゾーンは,双方とも少ない「少量輩出型」です。左上は正規採用率の高さが目立つ「正規型」,右下は臨時採用率の高さが目立つ「臨時型」といたしましょう。
図の斜線は,正規採用率と臨時採用率の均等線です。この斜線より下に位置する場合,前者よりも後者が高いことを意味します。
さて,わが母校の東京学芸大学はどこかをみると,奇しくも,ど真ん中に位置しています。臨時採用率(25.6%),正規採用率(36.4%)とも,全体の値とほぼ同じです。学芸大は教員養成大学では最も伝統ある大学ですが,やはり全体の縮図であるのだなあ。
大学院修士課程の母校の鹿児島大学は,少量輩出型。地方では教員採用試験の競争率が高い,という条件もあるのでしょう。
図の上方の正規型や多量輩出型には,先ほど紹介した教員養成の単科大学が多く名を連ねています。正規の広島,多量の鳴門教育が注目されます。鳴門教育大学のホームページをみると,学生の就職支援行事として,採用試験対策など,いろいろなことをやっているようです。この種の取組が効をなした結果ともいえるでしょう。
http://www.naruto-u.ac.jp/career/01/001.html
おっといけない。予備校関係者のような文章になってきました。この辺りで筆を置きます。
2012年2月8日水曜日
教員給与の相対水準(女性)
1月29日に書いた「教員給与の相対水準」という記事が,少しばかり話題になっているようです。ツイッターで取り上げてくださった方もおられます。感謝いたします。
http://ceron.jp/site/tmaita77.blogspot.com
ツイッターでのつぶやきを拝見しますと,①諸手当を含めた年収の比較をすべきではないか,②年齢も統制すべきではないか,③女性の資料もつくってほしい,というものが見受けられます。①と②については,資料の制約からお応えすることはできませんが,③はできないことはありません。
女性教員は,公立小学校の教員の63%,中学校教員の42%,高等学校教員の31%を占めています(文科省『2011年度・学校基本調査』)。小学校では,教員の半分以上が女性です。量的に少なくないシェアを占める女性をオミットするのはいただけないでしょう。今回は,女性教員の給与が,同学歴(大卒以上)の女性労働者の給与に比してどうかをみてみようと思います。
文科省の『学校教員統計調査』から,公立学校の女性教員の平均給与月額を知ることができます。比較対象である,全産業の大卒の女性労働者のそれは,厚労省の『賃金構造基本調査』から得ることができます。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001016172
ここ20年ほどの推移をとってみました。下表をご覧ください。『学校教員統計調査』の実施年の数字を拾っていますので,3年刻みになっています。
女性で比較すると,全労働者よりも教員の給与が高いようです。最新の2007年でいうと,小学校は35.4万円,中学校は34.5万円,高校は34.6万円です。同学歴の女性労働者の給与に対する倍率にすると,小学校は1.17倍,中高は1.14倍となります。*女性の場合,中高よりも小学校の給与が高いことも特徴です。
この倍率の推移をみると,男性と同様,最近下がってきています。それは,教員の給与が減少しているためです。2001年から2007年にかけて,小学校の女性教員の給与は,38.0万円から35.4万円までダウンしました。一方,女性労働者全体の給与は少し上がっているのです。
しかるに,女性教員の給与が比較対象を上回っている構造は保たれています。それは,民間では給与の男女差が大きいのに対し,教育公務員ではそれが比較的小さいためです。
2007年の大卒労働者の給与は,女性は上表にみるように30.3万円ですが,男性は43.9万円です。1.45倍の格差です。教員給与の男女差は,小学校が1.08倍,中学校が1.11倍,高校が1.15倍でしかありません。民間の女性労働者が虐げられている面に注目すべきかと思います。
さて,上表は全国のデータですが,教員給与の相対水準は,地域によって大きく異なると思われます。都道府県別のデータを出してみましょう。1月29日の記事でもいいましたが,厚労省の『賃金構造基本調査』からは,労働者の学歴別の給与を県別に知ることはできません。先の記事と同じ便法により,大卒の女性労働者の給与額を推し量ります。
上表にあるように,2007年の大卒の女性労働者の平均給与月額は30.3万円です。同年の全学歴の女性労働者のそれは24.2万円です。前者は後者の1.253倍ということになります。全国データから分かるこの倍率を,各県の女性労働者全体の給与に乗じて,大卒の女性労働者の給与を推計してみます。
たとえば東京都の場合,全学歴の女性労働者の給与は30.4万円ですから,大卒の女性労働者の給与は,これに1.253を乗じて,およそ38.1万円と推測されます。
下表は,大卒の女性労働者の給与額(予測値)に対する,教員給与の相対倍率を県別に整理したものです。
1月29日の記事でみた,男性の指数一覧表とは,様相がかなり違っています。女性の場合,東京を除く全県において,教員給与が比較対象を凌駕しています。しかも,上回り方がまたスゴイ。1.3,1.4,さらには1.5という数字も目につきます。
指数が1.3を超える場合は赤,1.4を超える場合はゴチの赤にしています。秋田がすごいですね。この県では,小学校の女性教員の給与は37.5万円,中学校は37.1万円です。大卒の女性労働者の推定給与額(24.1万円)の1.5倍を超えています。
うーん,24.1万円・・・。教員の給与が高いことよりも,民間の女性労働者の給与が低いことに注意を向けるべきでしょう。就業機会に乏しい地方では,大卒であっても,なかなか稼げる仕事はない,ということでしょう。とくに女性の場合,そういう不利が比較的大きいのではないでしょうか。他の東北諸県の事情も,同じようなことと思われます。
教員給与の相対水準は,男女でかなり違いがあることが分かりました。女性の場合,民間と教育公務員の世界の違いが際立っているなあ,という印象です。
冒頭で述べたように,小学校では,教員の多くを女性が占めます。マイノリティ(少数派)のデータというわけではありません。1月29日の男性のデータと併せて,記憶にとどめておこうと思います。
http://ceron.jp/site/tmaita77.blogspot.com
ツイッターでのつぶやきを拝見しますと,①諸手当を含めた年収の比較をすべきではないか,②年齢も統制すべきではないか,③女性の資料もつくってほしい,というものが見受けられます。①と②については,資料の制約からお応えすることはできませんが,③はできないことはありません。
女性教員は,公立小学校の教員の63%,中学校教員の42%,高等学校教員の31%を占めています(文科省『2011年度・学校基本調査』)。小学校では,教員の半分以上が女性です。量的に少なくないシェアを占める女性をオミットするのはいただけないでしょう。今回は,女性教員の給与が,同学歴(大卒以上)の女性労働者の給与に比してどうかをみてみようと思います。
文科省の『学校教員統計調査』から,公立学校の女性教員の平均給与月額を知ることができます。比較対象である,全産業の大卒の女性労働者のそれは,厚労省の『賃金構造基本調査』から得ることができます。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001016172
ここ20年ほどの推移をとってみました。下表をご覧ください。『学校教員統計調査』の実施年の数字を拾っていますので,3年刻みになっています。
女性で比較すると,全労働者よりも教員の給与が高いようです。最新の2007年でいうと,小学校は35.4万円,中学校は34.5万円,高校は34.6万円です。同学歴の女性労働者の給与に対する倍率にすると,小学校は1.17倍,中高は1.14倍となります。*女性の場合,中高よりも小学校の給与が高いことも特徴です。
この倍率の推移をみると,男性と同様,最近下がってきています。それは,教員の給与が減少しているためです。2001年から2007年にかけて,小学校の女性教員の給与は,38.0万円から35.4万円までダウンしました。一方,女性労働者全体の給与は少し上がっているのです。
しかるに,女性教員の給与が比較対象を上回っている構造は保たれています。それは,民間では給与の男女差が大きいのに対し,教育公務員ではそれが比較的小さいためです。
2007年の大卒労働者の給与は,女性は上表にみるように30.3万円ですが,男性は43.9万円です。1.45倍の格差です。教員給与の男女差は,小学校が1.08倍,中学校が1.11倍,高校が1.15倍でしかありません。民間の女性労働者が虐げられている面に注目すべきかと思います。
さて,上表は全国のデータですが,教員給与の相対水準は,地域によって大きく異なると思われます。都道府県別のデータを出してみましょう。1月29日の記事でもいいましたが,厚労省の『賃金構造基本調査』からは,労働者の学歴別の給与を県別に知ることはできません。先の記事と同じ便法により,大卒の女性労働者の給与額を推し量ります。
上表にあるように,2007年の大卒の女性労働者の平均給与月額は30.3万円です。同年の全学歴の女性労働者のそれは24.2万円です。前者は後者の1.253倍ということになります。全国データから分かるこの倍率を,各県の女性労働者全体の給与に乗じて,大卒の女性労働者の給与を推計してみます。
たとえば東京都の場合,全学歴の女性労働者の給与は30.4万円ですから,大卒の女性労働者の給与は,これに1.253を乗じて,およそ38.1万円と推測されます。
下表は,大卒の女性労働者の給与額(予測値)に対する,教員給与の相対倍率を県別に整理したものです。
1月29日の記事でみた,男性の指数一覧表とは,様相がかなり違っています。女性の場合,東京を除く全県において,教員給与が比較対象を凌駕しています。しかも,上回り方がまたスゴイ。1.3,1.4,さらには1.5という数字も目につきます。
指数が1.3を超える場合は赤,1.4を超える場合はゴチの赤にしています。秋田がすごいですね。この県では,小学校の女性教員の給与は37.5万円,中学校は37.1万円です。大卒の女性労働者の推定給与額(24.1万円)の1.5倍を超えています。
うーん,24.1万円・・・。教員の給与が高いことよりも,民間の女性労働者の給与が低いことに注意を向けるべきでしょう。就業機会に乏しい地方では,大卒であっても,なかなか稼げる仕事はない,ということでしょう。とくに女性の場合,そういう不利が比較的大きいのではないでしょうか。他の東北諸県の事情も,同じようなことと思われます。
教員給与の相対水準は,男女でかなり違いがあることが分かりました。女性の場合,民間と教育公務員の世界の違いが際立っているなあ,という印象です。
冒頭で述べたように,小学校では,教員の多くを女性が占めます。マイノリティ(少数派)のデータというわけではありません。1月29日の男性のデータと併せて,記憶にとどめておこうと思います。
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