2014年8月11日月曜日

少年問題の変遷

 佐世保の女子高生殺害事件の加害者は16歳の女生徒だったのですが,この事件をきかっけに,「今の子どもはおかしい」という不安が広がっています。しかるに,少年の凶悪犯罪は実数でみても率でみても昔のほうが多かったことは,犯罪学を少しかじった人間なら,誰しも知っていること。

 今回は,少年の問題行動指標の長期変化をたどってみようと思います。問題行動には,人を殺める・殴るなどの反社会的なものもあれば,社会的存在たる人に非ざる非社会的なもの,さらには,現存の社会から離脱する脱社会的なものまで,多様なバリエーションがあります。

 私は,このような枠組みを念頭に,少年の問題長行動を測る指標(measure)として8つを考えました。①殺人率,②強盗率,③性犯罪率,④傷害率,⑤窃盗率,⑥詐欺率,⑦長期欠席率,⑧自殺率,です。①~⑥は反社会的逸脱,⑦は非社会的逸脱,⑧は脱社会的逸脱に対応すると考えます。メジャーな反社会的逸脱については,対人犯罪(①~④)と,遊び的な要素がありながらも社会の秩序を揺るがすもの(⑤~⑥)を取り上げました。

 それぞれの指標の計算方法について説明します。①~⑥は,各罪種の少年の検挙・補導人員(触法少年含む)を10代人口で除した値です。分子には10歳に満たない年少児童も含まれますが,数としてはごくわずかですので,問題ないでしょう。③の性犯罪とは,強姦とわいせつを指します。分子は『犯罪白書』(2011年度),分母は総務省『人口推計年報』から得ました。
http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/58/nfm/mokuji.html

 ⑦の長期欠席率は,中学生の年間50日以上欠席者が,生徒全体の何%いるかです。1999年以降は年間30日以上欠席者の数しか分かりませんが,前年の1998年の「50日以上欠席者/30日以上欠席者」の比(9.3倍)を適用して,50日以上欠席者の数を推し量りました。分子・分母とも,出所は文科省『学校基本調査』です。

 ⑧の自殺率は,10代の自殺者数を当該年齢人口で除した値です。2010年でいうと,10代の自殺者は514人,10代人口は1,203万人ほどですから,10万人あたりの自殺率は4.3となります。分子は厚労省『人口動態統計』,分母は総務省『人口推計年報』より採取しました。

 私は,少年問題を可視化する8つの指標を,1950年から2010年の60年間について計算しました。下の表は,推移の一覧です。指標によって単位が異なることに留意ください。観察期間中の最高値には黄色,最低値には青色のマークをしました。


 細かくて見づらいかもしれませんが,黄色マーク(max)の分布に注意すると,戦後初期の1950年代前半に4つあります。殺人や強盗のような凶悪犯罪のほか,今問題になっている詐欺少年も当時のほうがはるかに多かったようです。中学生の長欠もこの頃がマックスでした。

 時代をちょっと下って60年代になると,性犯罪や傷害といった暴力犯罪がピークを迎えます。時代は高度経済成長期。当時は,10代後半少年は学生・生徒と勤労少年に二分され,都市部にあっては,地元組と地方からの上京組(集団就職者等)が混在していました。こうした異質な群の同居・接触に伴うコンフリクトの表れだったのではないかとみられます。

 少年犯罪の最も多くを占める窃盗のピークは1981年。非行第3のピークを迎える83年のちょっと前です。この頃になると,派手な暴力犯罪はなりを潜め,スリルを求めて店先の商品を失敬するというような「遊び型」の非行が多くなります。当時は,私服警備員を商店に多く配備するなど,少年の万引きをきつく取り締まったために,検挙・補導人員が跳ね上がったという,統制側の要因があったことにも注意しましょう。「少年の万引き増→統制強化→万引き増→統制強化」というようなループです。

 おっと,あと一つ自殺がありました。10代少年の自殺率のピークは1955年(昭和30年)。映画「三丁目の夕日」で美化される時代ですが,そういうイメージとは裏腹に,少年にとっては「生きづらい」時代であったようです。戦前・戦後の新旧の価値観が入り混じっていた頃ですが,両者に引き裂かれ,生きる指針に困惑した少年(青年)も多かったことでしょう。当時の自殺原因の首位は,「厭世」というものでした。世の中が「厭」になったということです。今と違って,スケールが大きいですね。

 以上が8指標の長期推移ですが,これらを総動員して,各時期の少年問題の様相を多角プロフィールの形で描いてみようと思います。同列の基準で処理できるように,それぞれの指標の値を1.0~5.0までのスコアに換算します。観察期間中の最高値(黄色)を5.0,最低値(青色)を1.0とした場合,どういう値になるかです。

 殺人率でいうと,最高は1951年の2.6,最低は1980年の0.3です。一次関数の考え方に依拠して,(2.6,5.0)と(0.3,1.0)を通る直線の式を求めると,Y=1.7628X+0.499となります。よって,各年の殺人率の相対スコア値は,実値をXに代入すれば求まることになります。

 このやり方で,各年の8指標の値を1.0~5.0までのスコアに換算しました。下表は,大よそ10年間隔の年次のスコア一覧です。


 スコア3.0以上4.0未満は赤字,4.0以上はゴチの赤字にしていますが,昔のほうがヤバかったようです。1960年は,8つのうち4つ(半分)が太い赤字になっています。この頃の少年は激しかったのですなあ。

 上表のデータを視覚化してみましょう。問題行動の8極のチャート図にしてみました。終戦後から現在までの7つの時点における,少年問題の断面図をご覧ください。


 始点の1952年では詐欺と長欠が突出していますが。1960年になると右向きの風が吹き,性犯罪と傷害が出っ張ります。今から半世紀以上前の断面図ですが,他の時期に比して,図形の面積が大きいですね。

 1970年になると図形の面積は小さくなり,80年では窃盗の極が尖った型になります。暴力型から遊び型という,非行のシフトです。

 バブル期の90年では窃盗の極も凹み,図形が最も小さくなります。私が14歳だった頃ですが,私の世代って大人しかったんだなあ。

 しかし世紀の変わり目の2000年になるや,強盗や傷害といった暴力犯罪が一気に増えます。この頃,「キレる子ども」なんて言われたよなあ。当時の非行の担い手は,80年代半ば生まれの「メグ・カナ世代」。多感な思春期とITの普及期がもろに重なった世代です。

 2010年になると,図形はまた萎み,長欠の項だけが突き出た型になります。学校に行かないことが,100%人に非ざる行いだとは思いません。情報化が進んだ現在では,学校という四角い空間だけが教育を独占できると考えるのは誤まりでしょう。2010年の図形は,現存のシステムに修正を促す警告と読むべきではないでしょうか。

 最後に,8つの指標のスコアを均した値の推移図を掲げておきます。いろいろな角度の指標を合成した,少年問題の深刻度の総合スコアです。


 まあ,こんな感じになるでしょうね。昔のほうが大変だったのですよ,やっぱり。複数の指標を動員した,少年問題の変遷の可視化作業でした。