昨日,ツイッターで風変わりなグラフを発信しました。
https://twitter.com/tmaita77/status/989732252262187010
「何だこりゃ」「意味するところを説明してほしい」というリプがありましたので,それをいたしましょう。
タイトルにあるように,15~24歳の自殺がこの四半世紀にかけてどう変わったかを,国ごとに比べたものです。生きづらさの指標としては,自殺率が一番。90年代以降の日本の状況変化を,国際比較で相対視してみようという試みです。
人口あたりの自殺者数(自殺率)ならオーソドックスな折れ線グラフで事足りますが,欲張りな私は,死因全体の中での自殺の割合(自殺比)も加味した2軸のマトリクスにおいて,日本を含む主要7か国がどう動いたかを可視化してみました。
この2つの指標を計算するには,(a)人口,(b)死亡者数,(c)自殺者数,の3つの要素が必要になります。WHOの死因統計データベースに当たって,1990年と2013年の2つの年次について,これらの数値を揃えました。もっと最近までの変化を見たいところですが,7か国全てのデータが揃うのは2013年までですので,ここまでの変化を観察することにします。
http://apps.who.int/healthinfo/statistics/mortality/whodpms/
下の表は,上記の3要素をもとに,15~24歳の自殺率と死因中の自殺比を算出したものです。
日本をみると,1990年から2013年にかけて,少子化のためベース人口は1869万人から1198万人に減っています。死亡者数も同じ。しかし自殺者数だけは,1309人から1709人に増えています。
その結果,自殺率(c/a)は7.0から14.3に上昇し,死因全体に占める自殺比重(c/b)に至っては14.3%から46.3%と3倍以上になりました。最近では,若者の死因の半分近くが自殺です。この点はメディアでもよく報じられますので,ご存知の方も多いでしょう。まあこれは,病死や事故死が減っていることにもよるのですが。
90年代以降の「失われた四半世紀」にかけて,わが国の若者の生きづらさが増していることが知られます。私の世代は,この時期を若者として生きましたので,非常によく分かりますねえ。
はて,このような変化は他国でも同じなのか。死因中の自殺比はどの国も上がっていますが,日本ほどではありません。自殺率は,日本,韓国,スウェーデンは上がっていますが,それ以外の4か国(米英独仏)は下がっています。
口でくだくだ言っても分かりにくいので,グラフにしましょう。普通の人は,2つのグラフに分けて,自殺率と自殺比の変化を折れ線や棒で表すのでしょうが,私は,2指標のマトリクスの上で7か国がどう動いたかを表現する策をとりました。横軸に自殺率,縦軸に自殺比をとった座標上に,1990年と2013年のドットを配置し,線でつなぐやり方です。
昨日,ツイッターに載せたグラフがそれですが,ここに再掲いたします。
日本は,1990年の(7.0,14.3)から2013年の(14.3,46.3)へと,右上に大きく動いています。自殺率,自殺比とも大幅に増えた,ということです。韓国とスウェーデンも同じ方向に動いていますが,矢印の長さ(変動幅)は日本には及びません。
対して,米英独仏の4か国は左上にシフトしています。横軸の自殺率が下がっているためです。
主要7か国だけの比較ですが,社会状況が近似した先進国の中で,若者の状況悪化が最も酷いのは日本という事実は,注目されてよいでしょう。「失われた四半世紀」にかけて,わが国の若者がどういう仕打ちを受けてきたかを思えば,合点のいく傾向です。
ただ,もっと長期的にみると,日本の若者の自殺率のピークは,1950年代の半ばにありました(下図)。
ラフな5年刻みのカーブですが,1955(昭和30)年に大きな山ができています。この年の若者の自殺率は,現在の3倍以上でした。
戦後の大混乱がおさまり,高度経済成長への離陸が始まる時期ですが,戦前と戦後という新旧の価値観が最も混在していた頃です。両者に引き裂かれ,生きる指針を見いだせず,心的葛藤に苛まれる若者も少なくありませんでした。
当時の自殺統計をみると,若者の自殺動機の首位は「厭世」となっています。世の中が厭(いや)になったということです。今は,いじめ被害とかシューカツ失敗とかですが,当時はもっとスケールが大きかったようです。アイデンティティの確立を期待される青年期が,社会の激動期と重なったことによる悲劇といえましょう。
しかるに,激動期という点では現在も同じです。IT化の進行で,人々のライフスタイルは大きく変わりつつあります。加えて少子高齢化により,多数の上の世代が少数の若年世代におぶさるような状況にもなっています。今の若者も辛いのです。
ITを知らず,学校至上主義の親世代との葛藤も大きくなっています。新旧の価値観が混在・対立しているのは,1950年代と同じ,いやそれ以上かもしれません。自殺統計を丹念に見ると,親・家族からの叱責という動機での自殺が結構あります。
未曾有の売り手市場といわれ,若者をとりまく基底的な状況は改善されたといわれます。まあこれとて,疑問符がつくのですが…(求人倍率上昇は中小企業のみ!)。
それはさておき,上の世代が心がけるべきは,社会の変化を鋭敏に察知し,新しいものを持ち込んでくる若者を,異物として頭ごなしに抑えつけないことです。ネットが普及した今,勉強は学校でなくてもできます。この時代に,登校を嫌がる我が子を無理に学校に引っ張っていくほど,ナンセンスなことはありません。
人間にとって辛いのは,貧困に象徴されるような生活条件の欠如(不足)で,とくに日本では,そうした歪みが若者に集中する傾向があります。しかし,自己の生き方を定立できないのはもっと辛い。激動の時代の今,上の世代は,時代遅れになった自分たちの価値観を引き合いにして,若者の足を引っ張ることは慎まないとなりますまい。