OECDの国際教員調査「TALIS 2018」の結果レポート第2弾が出たもようです。職務に対する意識やストレスが主題で,日本の教員は保護者対応にストレスを抱く傾向が強いことが報じられています。
報告書に出ている統計表の一覧を,OECDのサイトで見ることができます。エクセルファイルでアップされており,高い順に並べるランキング化などの操作も簡単です。
この手の国別統計表を眺めると,日本のぶっとんだ値が見つかるのが常ですが,見つけてしまいました。以下の項目に対する反応です。統計表の「Ⅱ-2-16」で見れます。
I am satisfied with my performance in this school.
直訳すると「自分の仕事ぶり(職務遂行能力)に満足している」でしょうか。日本の中学校教員のうち,「とてもそう思う」ないしは「そう思う」と答えた人の割合は49.0%,ほぼ半分となっています。
「まあ,そんなものじゃないの」っていう印象ですが,他国の値はこれよりずっと高くなっています。アメリカは93.4%,イギリスは91.5%,お隣の韓国は81.5%です。データが出ている48か国のランキングは以下のごとし。
90%を超える国が31,80%台が6で,日本だけが49.0%と段違いに低くなっています。自分の仕事ぶり(パフォーマンス)に満足している教員が,ものすごく少ない国です。
日本の教員は頑張り屋で,子どもの学力水準も国際的に高し。ICT機器も碌になく,授業以外の雑務も多いという悪条件の中,本当に頑張っておられると思います。しかし当人たちは,「自分の仕事ぶりに満足できない」「まだまだだ」と考えているようです。
日本人に多い「謙遜の美徳」ってやつでしょうか。年功規範もあるためか,若い層ほど,自分のパフォーマンスに否定的な教員が多くなっています。以下の図は,教員経験年数で分けた7グループごとの回答分布です。左側は日本,右側はアメリカの日米比較です。
アメリカに比して,日本は経験年数による差が大きくなっています。日本のベテラン教員の自信は,アメリカの新米教員にも及びません。5年未満の新任教員は,6割近くが自分のパフォーマンスに満足していません。われわれの感覚では「そうだろう」ですが,他国のデータと並べてみると特異なんですね。
謙虚,出しゃばるべからず…。こういう国民性で片付けるのは簡単ですが,それを退けても,日本の教員が自信を持てない要因はあるように思います。担わされている職務の多くが,専門の授業以外の業務であることです。
自分のパフォーマンス,すなわち職務遂行能力に自信がないと言うとき,ここでいう「職務」って何でしょう。教員なら当然「授業」ですが,日本の教員は授業以外の雑多な業務を負わされています。
「TALIS 2018」によると,中学校教員の週の平均勤務時間は56.0時間で,うち授業は18.0時間,授業準備は8.5時間でしかありません。残りの29.5時間(52.7%)はそれ以外の雑務ってことになります。会議,事務,保護者対応,部活指導とかでしょう。日本の教員の場合,専門性を発揮できる授業(準備)のシェアは職務全体の半分にも満たないのです。
こういう国は特異であることを,以下の図から見取っていただいましょう。「瑞」はスウェーデン,「伯」はブラジルを指します。
周知のとおり,日本の教員の勤務時間は世界一なんですが,その要因は授業以外の雑務の時間が長いことです。上図でみても,緑色の「その他」が幅を利かせています。授業と授業準備だけで比べたら,勤務時間は他国とほぼ同じくらいです。南米のブラジルでは,教員の仕事の95%は授業(準備)なんですね。
仕事の多くが,専門性を発揮できる授業ではなく,事務作業,保護者対応,部活指導…。こういう状況では,自分のパフォーマンスに肯定的な感情を持つのは難しいと思われます。教えることの専門家であっても,保護者会でモンペに突き上げられたり,やったこともない競技の部活指導とかを任されたら,肯定的な感情を持てないのは当然。
最初の統計表に戻ると,日本の教員は自身の職務遂行能力への満足感が際立って低いのですが,他国の教員は「職務」を授業と捉えているのに対し,日本の教員はその他の雑多な業務をもイメージしてしまっているからではないでしょうか。
教員を「何でも屋」にしてしまうことは,彼らの自己肯定感を破壊してしまう恐れがあります。一斉休校で世の中が大混乱していますが,学校に教育以外の雑多な機能を負わせている「学校依存」の矛盾が露呈した結果であるともいえるでしょう。
随所で言っていますが,学校のスリム化を図り,社会全体で子どもを育てる環境を構築すべきです。一斉休校による学校の機能停止が,それを促す契機となればと思います。教員の専門職性が明瞭になったとき,教員の自信・自尊感情も高まることでしょう。